怪物少年少女達

第1話

 いつもどおり登校し教室に入ったとき、真広まひろは真っ先に窓側一番前の席が目についた。本来この教室にいるはずのない人物がいたからなのだが、どこか目を離せなくなったのは真広がその人物を一方的に見知っているからだった。

 たしか、生徒会長の――なんといったか。その高身長に似合わない穏やかな顔立ちは入学式での挨拶から強く印象に残っているのだが、名前までは憶えていない。顔立ちどおりの優しい性格、常に柔和な笑みを浮かべていることから一部の女子から神聖視されるほどの人気があり、毎日のように名前を聞くはずなのだが。

 上級生である彼がどうしてこの教室にいるのだろう。真広は彼が話している相手に目をやった。そこには長い黒髪の女子生徒が席に座っていたものの、話を聞いているのか、いないのか。本を片手で持ち、たまに伏せた目を上げるだけで微動だにしない彼女に、上級生であり生徒会長である彼は何か語りかけ続けている。まるで野良猫に話しかけているようだと真広は思った。

 教室の入り口でその様子をついぼんやりと眺めていると、後ろから強く肩をつかまれて真広は我に返る。振り向くと同時に手の主は噛みつくように声を上げた。


「おい、何突っ立ってんだよ。おはよ」


 まぶしいくらいの金髪に、ペンキをこぼしたようなカラフルで派手なシャツを着た青年。真広のクラスメイトであり、高校に入学してから一番最初に仲良くなった友人だ。


「吉村か。おはよう」

「何をそんな見てたんだ」


 吉村は先ほどまでの真広の視線を追って身を乗り出し教室をのぞいた。そしてその先の人物を認めるとふうんと声を漏らす。


「丹崎か。確かにアイツがいるのはめずらしいな」

「吉村お前、先輩にまで態度でかいのな」

「ああ? そりゃ、大して関わりないんだからよ」

「普通、逆だと思うけど」


 真広の呆れた声を気にも留めず、吉村は真広の脇を抜けて教室に入りやたらと大きな声で教室中に挨拶する。

 いかにも遊んでいるような風貌の吉村は明らかにこの校内で浮いているのだが、それでも彼の明るく物怖じしない性格からこのクラスには馴染めているようだ。

 吉村を追うように真広も教室へ入り、近くの席のクラスメイトと挨拶を交わして座った。すでに始業の時間は近いため多くの生徒が着席しているが、真広の左隣、そしてそのひとつ前の座席だけは無人のままだ。一つは吉村の席、もう一つの席の持ち主は今日も不在らしい。


「――じゃあ、良い返事を待ってるよ。かさねちゃん」


 そんな声とともに教室の前方を横切ったのは、生徒会長こと、丹崎だった。真広は一瞬彼に目を取られ、そして偶然その瞬間に彼もまた真広を見た。わずかな間ではあったが関わりのない上級生と目を合わせている時間というのは極めて異質なように感じ、しかし真広は気まずく思う自分の意思とは裏腹に丹崎から目をそらすことが出来ない。

 丹崎の双眸はどこか暗く淀んでいた。

 それに違和感があった。真広は彼がそんな目をしているのを初めて見るからだ。

 入学式や全校集会で見る丹崎は、強く、希望を持った瞳をしている。真広はその瞳に惹かれ、また多くの生徒も同じように感じただろう。

 その彼が、別人のような顔をしている。真広が丹崎から目をそらせなくなる理由はそれで十分だった。

 真広には時が止まったかのように感じた時間だが、実際にはほんの二、三秒程度のもので、丹崎はすぐに前を向き教室を出ていき、クラス内は女子のひそひそ声で占められた。


「何してたんだかな」


 声とともに吉村が真広の左斜め前の席に座る。そして乱暴にスクールバッグを床に置くが、大した音も立たないのを見るに相変わらず中身はすかすかなのだろうと真広は考えた。

 少しの間、真広と吉村は今日の時間割や担当教諭、休みが続く左隣の友人について話していたのだが、やがて話の最中 吉村が顎に手を当て何か考え込むような姿勢を取った。真広はそれを首を傾げて見ていたのだが、吉村はふと顔を上げるなり体を反転させ窓の方を向く。これはきっと良くないことだと真広は気づいたが、時はすでに遅く、次の瞬間吉村はやたらと大きな声を上げた。


「おい井沢! 丹崎と何話してたんだ?!」

「ちょ、吉村……」


 吉村の声と同時にクラス内のざわめきも止まる。それは吉村の大きすぎる声のせいでもあり、今クラス中が気になっていた内容であったからでもある。

 丹崎と会話していた黒髪の女子生徒。それが、井沢 重であった。

 真広にとっては今ようやく名前を把握したクラスメイトであり、それくらいに存在感のないクラスメイトだ。視力が悪いという理由で前方の窓際の席に座っている。彼女の髪は前髪も長く、いつも顔の半分を覆っているのだがそれがなければ視力の低下もいくらか抑えられたのではないだろうか。真広は席替えの時そんなことを考えたのをよく覚えている。


「井沢、聞いてんのかよ」


 吉村は繰り返し井沢に声をかけるが、井沢は顔を吉村に向けたものの、なんらかの反応を示す様子はない。吉村があからさまに苛立ったのを見て真広がなだめようとすると、同時に井沢は顔をそむけ手元の本に目を落とした。

 話す気はない。その意思表示に教室全体が一気に彼女に興味を失い、あるグループは丹崎の話に戻り、別のグループは違う話題へと移っていった。


「あ、あいつ……!」

「落ち着け、今のは完全にお前が悪い」

「てめえ俺のどこが悪いって?」

「井沢さん、言いたくないことだったかもしれないだろ。それもみんなに注目されている中で」


 真広の言葉に納得したのか吉村は何も言い返さず、片手で金色の頭を掻きむしった。まだ苛立ったままなのか、それとも自分の無神経さばつが悪く感じたのか。それなりに付き合いのある真広からすれば、後者であることは見て取れた。


「それにしても、井沢さんと生徒会長、か」

「真広も気になってるんじゃねえか」

「そりゃな、接点ない二人だし」

「……そうか。真広は一般だから特待生のこと――」


 吉村の言葉を遮るように始業のチャイムが鳴った。自分の名前が出たことで真広はその言葉の先が気になったが、吉村はチャイムによりはっとして口をつぐんでしまう。それからへらりと笑うと話題を移して何事もなかったかのようにするので真広も追及することはできなかった。


 ――特別待遇生徒。

 真広の通う葉泉はいずみ高校にもその制度があるということは全生徒が知っている。しかしその特待生は公開されておらず、誰が特待生なのか、本当に特待生がいるのかさえもわからない。多くの生徒にとって特待生とはそういったものだった。

 しかし――吉村の口ぶりは明らかに何か知っている様子じゃなかったか?

 授業を終え、帰宅してからも真広の心に引っかかりがあった。話すのを途中でやめたことといい、吉村は絶対に一般生徒の知らない特待生のことを知っている――それが意味することとは。


「……ない。絶対ない。吉村が特待生なはず……」


 あんな校内一浮ついた格好で成績も良いと言えない吉村が特待生のはずはない。真広は頭に浮かんだ可能性を真っ先に否定した。葉泉高校は偏差値もそれなりに良く、近隣では模範的な生徒が多いことで有名だ。そんな学校の特待生といったらさぞ優秀な生徒なのだろう。たとえば、生徒会長である丹崎はそれに足る人物である。彼に近い能力の生徒を考えると、特待生など学年に一人や二人いるかどうかとなってしまうが、そのくらいレベルが高くなければ制度の意味はない。

 それにしても、真広は気になって仕方がなかった。

 真広は生来好奇心が強く、一度気になると満足するまで調べたがる性格だった。ゆえに以前特待生について調べたことがあったのだが、特に情報は得られず、真広は現在特待生は存在しないのではないかと結論付けていた。

 それが吉村の一言で一変した。真広の中では重大な事件であり、再び特待生について関心を持つきっかけとなってしまったのだった。


 おそらく、吉村が特待生について口にしなければ――もしくは、真広の生来の性格がなければ――真広は何も知らずに葉泉高校に通えたのだが、事実、吉村は本来他言してはならないことを口にし、真広はそれに関心を持った。

 ――それが、現在のすべてである。


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