不思議の国のアリスティア

お茶の。つづく

第1話

 ぱたんと本を閉じる。

 読んでいたのは、不思議の国にあるという幸せの宝玉の本。

 その宝玉を手にした者は幸せになれるという内容だ。

 お伽噺の本なんて子供っぽいかもしれないけど、私にとっては大切な本だった。


 何度も読んだその本を、テーブルの上に置いて私は椅子から立ち上がる。

 狭い船室の小さな丸い窓から外を覗いた。

 窓から見える景色は、どこまでも青く、船と同じ方向に飛ぶ海鳥達の姿が見えた。


 海鳥がたくさん……陸が近づいてきたのかも!

 窓からの景色だけでは我慢できなくなり、部屋から飛び出て甲板へ向かう。

 海の匂いのする風が、私の銀色の髪を撫でて通り抜けていく。

 甲板の手すりから身を乗り出して進行方向を見ると、遠くに陸と街の影が見える。


「わぁ!」


 久しぶりに見る陸地に思わず喜びの声が出てしまう。

 あそこが不思議の国なんだよね!?

 なんてはしゃいでいると……。


「こらこら、あんまり乗り出すと海に落ちてしまうよ」


 掃除をしていた水夫さんに注意されて、慌てて手すりから離れた。


「あの街はもう不思議の国なんですか?」

「そうだよ、あの街はマッソイ。不思議の国の入口さ」


 私はもう一度手すりに近寄り、遠くに見えるマッソイの街を見つめた。


「それにしても、お嬢ちゃん一人で旅なんてなぁ。ご両親に反対はされなかったのかい?」

「最初は反対されましたが、十六歳になったら行っても良いって、お父さんが約束してくれたんです」


 説明をすると水夫さんは、気を付けるんだよと言ってくれた。

 水夫さんにお礼を言うと、彼はまた掃除に戻っていく。

 掃除の邪魔にならないようにと、私はレストランへ向かった。


 船内にある広いレストランには、丸いテーブルがいくつも並んでいて、数組の乗客が食事をとっている。

 空いている席に着くと、ウェイターのお兄さんがやって来た。

 いろんなメニューがあって迷うなぁ。

 でもこの船で料理を食べるのは、これが最後になるからシェフのおすすめを注文しよう。


 しばらく待っているとシェフおすすめの料理が運ばれてきた。

 白身魚のソテーに大きな蒸し海老。その周りには、海の上ではなかなか食べられない野菜が色彩豊かに飾られている。ソースはお酢を使った酸味のあるものだ。

 黄金色のスープは玉ねぎと人参の甘い味わいのものだった。


「美味しい!」

「君も不思議の国で降りるんだよね。だからシェフが、いつも以上に腕によりをかけて作ったんだよ」


 ウェイターのお兄さんがそんなことを教えてくれる。

 私は嬉しくなっていつも以上に味わって料理を食べた。


「乗客の皆様、マザーキャロル号は定刻通りにマッソイ港に到着いたします――」


 伝声管から聞こえてくる少しくぐもった船長さんの声が、もうすぐ港に着くと知らせてくれる。

 周りを見てみると、他の乗客の人達も声に意識を集中していた。


 食事が終わった後、私はレストランで働く人達にお礼を言って回る。


「いつも美味しい料理を食べさせてくれて、ありがとうございました!」

「はっはっは、また食べたくなったらいつでもこのマザーキャロル号に乗るんだぞ」


 シェフは豪快に笑ってそう言ってくれた。

 不思議の国での旅が終わったら、絶対にこの船で帰ろう。

 レストランの人々と握手を交わして一時の別れを告げた。


 船室に戻るとすぐに荷物の整理を始める。

 前もって整理しておいたので、片付けるものは少ない。

 着替えを旅行鞄に入れて、お気に入りの服に着替えた。

 頭には赤い大きなリボンをつける。

 これで身支度は完了だ。

 最後にテーブルの上の、不思議の国の本を鞄に入れて、私は部屋から甲板へ向かった。


 マザーキャロル号の入港が終わり、港との間に足場が設けられる。

 軽い足取りで港に降り立ち、乗客を見送っている髭の立派な船長さんに話し掛けた。


「船長さん、お世話になりました」

「お、アリスティア。長居船旅ご苦労だったなぁ、いよいよ不思議の国に到着だぜ」

「はい、ありがとうございました!」


 航海の間、船長さんとは、よく幸せの宝玉の話で盛り上がった。

 お伽噺に出てくる物だけど、だからこそロマンがある。船長さんはそう言って茶化すことなく真剣に私の話を聞いてくれた。


「見つかると良いな、幸せの宝玉」

「はい!」

「マザーキャロル号の全員が、嬢ちゃんを応援してるからな! よし、んじゃあ気を付けて行ってきな!」

「はい、行ってきます!」


 背中をバシバシと叩かれる。少し痛いけど勇気づけてくれる船長さんの気持ちが嬉しかった。

 私は船長さんや、甲板から見守ってくれている水夫さん達に、大きく手を振ってマザーキャロル号を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る