イロコニア異譚

@kinoko03

第1話「悪党ども」

『魔導に通じた誇り高きエルフ。

 水の支配者マーフォーク。

 抜群の繁殖力を誇るゴブリン。

 様々な種族が大地世界に根付いたが、その中でも覇を唱える種族は人間に他ならない。なぜなら、我ら人間は神に愛されているからだ。神は自らの御姿に似せて人間をお造りになった。明確な寵愛を受ける我らこそ、この世に秩序を布いて安寧をもたらすことになるだろう』


 他種族からすれば傲慢としか聞こえないこの台詞を放ったのは、今から何代も前のホルムス教皇だ。【教会】は人間社会の団結と結束を支えており、現在では大陸中央部における人間の生存圏は揺るぎないものとして確立されている。

 俺は正確に理解していた。

 この平穏が他種族の怨嗟の上に成り立っているという事を。



◆◆◆



 岩場における戦闘は『奴ら』の専売特許だ。

 俺はイヌ畜生の小隊による追撃を全力でかわしてきたが、それも長くはもたなそうだった。

 狼の形質を受け継いだウェアウルフの戦士。奴らはとにかく鼻が効く上に、不安定な瓦礫の足場も平野を行くがごとく突き進む天性の運動神経を有している。単純な追いかけっこで振り切れないのは道理で、状況は全く楽観できなかった。


 今から十七年前、イロコニア平原の領有をめぐって獣人は人間と決戦を行い、敗けた。イロコニアの会戦と呼ばれるその戦によって、獣人という種族の命運は絶たれたと言っていい。戦いに参加した士族は軒並み戦士を失って、先祖伝来の土地を追われるか、捕らえられて奴隷となるか、皆殺しにされた。

 しかし、何事にも例外というのはある。

 ボルガ族がそうだ。ウェアウルフとも呼ばれる彼らは狼の獣人で、種族名にもなったボルガという岩場を本拠に据えており、その距離を理由にイロコニアの会戦には戦士を送らなかった。

 荒野の王は平原に価値を見出さなかったのだ。

 これは人間と獣人という種族の差異も表している。つまり、一致団結した人間と、窮地においても分裂した獣人、という違い。

 もっとも、ボルガ族が頑強に抵抗しているおかげで、獣人全体が辛うじて人間に抵抗し得ているというのは皮肉な話だ。彼らが会戦に参加していれば、今頃とっくに獣人という種族は死に絶えていたに違いない。

 そう、今やボルガ族は人間にとって大陸東部における唯一の対抗勢力となっていた。


 獣人の身体は頑強だ。

 速さも力も人間を遥かに凌ぎ、一人ひとりが野生の勘とやらを備えているらしい。

 まったくうらやましい話だ。


「ちくしょう、戻ったら報酬三倍はもらわねーと割にあわねえ」


 濃密な獣の匂いが這い寄ってくる。

 殺気、焦燥、そして怒り。

 ウェアウルフの追手が近づいているのは気配で分かる。ただでさえ身体能力には差があるのに、この岩場は向こうの本拠ときた。一戦も交えず逃げ切るのは不可能と言っていいだろう。

 しかも、余計な「荷物」を抱えているとなれば尚更だ。


「んんっ、ンゴンゴ!」

「大人しくしてやがれ!」


 肩に担いでいるのは何を隠そうウェアウルフのガキである。

 呑気にお散歩しているのを麻袋に放り込むところまでは順調だったのだが、帰り道でばったり敵の哨戒と出くわしてしまい、俺以外の仲間は全員お陀仏だ。まあ、傭兵なんてそんなもんだろう。

 問題は敵さんがなかなか諦めてくれないという事にある。


 この麻袋をポイっとすればワン公が見逃してくれる可能性はある。しかし、そうでない可能性はもっと高い。ひとり逃げるときに確認した限り、残った仲間は首をかき切られた挙句に八つ裂きにされていた。あのような残虐性を有した集団を相手にまともな交渉など通じるものか。

 加えて、ウェアウルフの子供を連れ帰らねば報酬が貰えない。

 そう、金だ。

 古今東西の傭兵たちが求めてやまない金、それも十年は遊んで暮らせる大金を依頼主は保証してくれている。どうせハイリスクな状況なのだ。リターンも大きくないと嘘だろう。


 頭は成功報酬に占拠されながらも、緩やかな傾斜を全速力で降りていく。

 岩場は平坦に見えても起伏が激しい。少し進むだけで大小の岩で死角ができるし、地盤のカーブが気づかぬうちに丘のようになっている事もある。そんな丘の一つから犬耳がひょこひょこしていることに気が付いた。


「げ、もう来やがったのか」


 あと数十秒もすれば追いつかれるだろう。

 どきつい匂い袋を投げつけるという作戦は最初に試したが、復帰が想定より早かく大失敗だった。少し逃げてから奇襲を仕掛けても返り討ち。遠距離攻撃は悉く避けられて、近づかれれば勝機はない。

 控えめに言ってピンチだ。


 そんな事を考えているうちに、とうとうウェアウルフ達に追いつかれてしまう。


「まあまあ、落ち着こうぜ紳士諸君」


「アアッ!?」

「メウを返しやがれ糞ザル!」

「粉微塵にしてやる」


 俺の親切は罵詈雑言で迎えられた。

 やばい、こいつら話が通じねえ。


「この袋をさ、メウくん、メウちゃんだっけ? なんでもいいけど君たちに返してあげるからさ、見逃してくんない?」


 冷や汗をだらだら流しながら提案してみたが、返事はなしのつぶてと言うやつだ。メウは返せ、お前は殺す。それでは道理が通らない。取引というのは双方が譲歩してこそ成り立つのであって、あれも欲しいこれも欲しいでは、どちらも幸せにれないだろう。

 お前らの口は何のためについているのだ。

 壊れたスピーカーじゃないんだから。

 俺のささやかな願いも通じず、ウェアウルフ達は一斉に襲い掛かって――


「――動くな、このガキがどうなってもいいのか」


 肩に担いだ袋へナイフを突きつけると、ワン公どもの動きが止まった。

 この手だけは使いたくなかったが仕方がない。

 卑怯な手というのは古来より有用だから使われるのだ。追い詰められている以上、どんな手を使ってでも時間を稼がなければならない。


「きたねェ!」

「誘拐犯に綺麗も汚いもあるか馬鹿やろう。分かってるだろうが、一歩でも動けば袋の中身をざっくりだからな」


 じりじりと敵から距離をとる。

 俺は確かに悪党だろう。

 教信者どもなら勇者だなんだと褒めたたえるかもしれないが、客観的に見て俺の行いが正しいはずがない。

 しかし、面構えだけで言えばあちらも相当なものがある。とても子供には見せられないような凄い形相だ。特に正面に構えているこいつはヤバいくらい牙を剥きだして、お前の脳髄すすっちゃうぞと言わんばかりである。視線が微妙に合っていないのが不気味さを増している。

 ふと、かついでいる子供にこの光景を見せつけたい衝動に駆られた。

 やってみたい。

 ショックを受けるワン公とか俺得じゃないか。

 この非常時に愉快な妄想をしていると、正面のワン公が口を開いた。


「俺はなア、匂いで分かるんダ」


 いきなり謎のカミングアウト。


「お前は臆病モノ。怖くて怖くてしょうがなくテ、今も逃げるコトしか考えてないイ」

「だからなんだよ」


 嫌な流れだ。

 冷や汗が頬を伝う。


「お前には殺せなイ、俺も、子供もなア!」


 そう素晴らしい推理を披露すると、ワン公はウェアウルフに恥じぬ跳躍をみせて――俺の脇を抜けていった。

 点で検討違いな場所へ剣を振り回す犬っころは一匹だけではない。他の奴らもそれぞれ別の場所を見て話しかけたり剣を振ったり、はたまた走り出したりしている。

 誰もいない場所へ「死ねェ!」と吠えているのはなかなかシュールな光景だ。


「……危なかった」


 魔法とは炎を出すだけではない。

 使い手こそ少ないが、相手を惑わせたり眠りに誘ったり、精神に干渉するものも立派な魔法である。

 ウェアウルフがかけられたのも、そんな魔法の一つ【幻術】だ。


 俺はようやく術が効いた事に安堵していた。

 【幻術】の魔法は発動にえらく時間がかかる。エルフ相手なら一時間は覚悟しなければならない大仕事だが、魔法抵抗力が低い獣人相手だったのでこれだけで済んだのだ。

 前衛が時間を稼ぎ後衛の俺が魔法をかける。それが傭兵団の必勝パターンだった。前衛がいなくなった今、時間稼ぎも俺の仕事である。なんとか間に合ったからいいものの、二度と同じことはしたくない。


「さて、とんずらしますかね」


 せいぜい依頼主からたんまりと金をせしめなければ。

 改めて決意を固めた俺は、全力でその場を後にした。



◆◆◆



 平原東端の街、マリ=モア。

 この街の未整備区画は資材置場と化していて、夜になると滅多に人が訪れないことで有名だ。二重の月明かりが照らす中、俺はその未整備区画で一人の男と向かいあっていた。

 男は自らをカドモニと名乗る紳士で、今回の依頼主だ。

 彼は素性を明かしてなかったが、服装や所作は平民に分不相応なものがあった。容姿は整っているがどこか歪で、アンバランス、というのが俺の抱く印象である。


「おや、お一人ですか?」

「仲間は全員死んだよ。報酬は独り占めさ」

「おやおや、そうでございましたか」


 この慇懃な話し方は癪に障るが、報酬の額を思えば許容するのは難しくなかった。


「先に荷物を確認させて頂きましょう」


 男はもぞもぞ動く麻袋の紐を解くと、中で縛り上げられたウェアウルフの子供を見て満足そうに笑う。


「おやおやおや素晴らしい。お嬢さん、お名前は?」

「フゴッ!」

「ふむ……やはり人間の言葉は難しいようですね」


 猿ぐつわを嵌めてしゃべれるはずがないのだが、わざとやってるのだろうか。

 人間至上主義というのもなかなか業が深い。

 男は袋を縛り直すと、ようやくこちらへ向き直った。

 俺としては依頼主が差別主義者だろうが狂人だろうが関係ないが、依頼内容自体もきな臭かったわけで、可及的速やかに報酬を貰って縁を切りたいところである。


「荷物の検分が済んだなら、約束したものを貰おうか。成功報酬はエストニア金貨500枚、きっちり足そろえて寄越せよ」


 痺れを切らして催促すると、カドモニは心底軽蔑したような視線を寄こしてこう言った。


「まさか、本当に払うと思っていたのですか?」


 しん、と胸の奥が冷える音が聞こえた気がした。

 最悪の予想、そんな気はずっとしていたのだ。やけに高い報酬、謎の貴人が依頼主、そしてわざわざ勢力を保つウェアウルフの子供を攫ってくるなどという依頼内容。獣人の子供が欲しいだけなら、闇市で奴隷を買えばいいだけの話なのだ。

 思い返せば全てが不自然で、信用の置けない依頼の典型ではないか。

 それでも、一応は確認してみよう。

 言葉とはヒトをヒトたらしめる社会性を支える理性なのだ。


「どういう、意味だ」

「おやおやおやおやおや、察しが悪いですね。こういう意味ですよ!」


 カドモニが右手を上げると――何も起きない。

 そりゃそうだ、周囲の「ネズミ」は俺が眠らせたんだから。積みあがったレンガの角を見てみれば、ぐーすか夢の世界に旅立った間抜けな刺客がいることだろう。


「なっ! 【ハッシンを吸う者】たちよ、この男を殺しなさい!  何をしているのです!」

「契約不履行とは悲しいなあ」


 俺はしみじみと呟いた。

 目に見えて狼狽を表すカドモニには滑稽を通り越して憐みすら感じてしまう。かと言って見逃すなんて事はないのだが。

 とりあえずカドモニの心臓にナイフを突き立てた。胸から鉄臭い液体を垂れ流したカドモニは、ひっくり返るとカエルのつぶれたような声をあげてすぐに動かなくなった。


 しかし、いよいよ面倒な事に巻き込まれてしまったらしい。

 【ハッシンを吸う者】と言えば東部で最も有名な暗殺者ギルドだ。麻薬常習者かつ狂人の集まりであり、死を恐れない厄介な相手である。どんな厳重な警備もものともしない事から、東部貴族にも顧客はいるとかいないとか。

 奴らに狙われたら流石の俺も生きた心地がしない。


「団長もなんでこんな依頼を受けたんだか」


 今は亡き団長を想いつつ、


「そういや、こいつどうしよう」


 もぞもぞと動く麻袋を見て、俺は思わず頭を抱えた。

 逃がすか、奴隷商に売り飛ばすか。

 俺は麻袋を前に悩んでいる。

 こいつは「あの」ウェアウルフのガキなのだ。ラビットでもワーキャットでもなく、ウェアウルフ。ただの獣人ならばともかく、こいつは色々と足がつくに違いない。

 カドモニの背後に黒幕がいて、口封じを試みるというのは十分考えられる。そうなるとこの獣人から足がつくのは困る。

 一方で、こいつは誘拐依頼の証拠にもなり得るわけだ。

 こいつの存在自体が証拠でもあるし、俺とカドモニの会話を聞いていたはずというのも大きい。そうなると逃がすよりも有効利用した方が良さそうだ。


「うーむ、話だけは聞いてみるか」


 かがんで袋を開ける。

 犬耳の子供は再びじたばたと暴れだしたが、構わず猿ぐつわを取った。


「この無礼者、妾を誰と心得る! ボルガが族長の娘、メウであるぞ!」

「……」

「おい、聞いておるか!」


 開口一番威勢のいい掛け声、元気なのはいい事だ。

 だが、ちょっと待ってほしい。

 聞き間違いだろうけれど、おかしな単語が聞こえた気がする。


「誰の娘だって?」

「なんじゃ、猿どもは耳まで退化しておるのか。よーく耳の穴をかっぽじって聞くんじゃぞ。ボルガ族長、小モルディブの娘じゃ」


  めまいがする。

 ドカンと一発殴られたような衝撃だ。


「ごめん、もっかい言って」

「お主むっちゃ無礼な奴じゃな!? これで最後じゃぞ、これっきりじゃぞ、いいな?」

「うん」

「妾は、ボルガ族七代目族長モルディブの娘にして、次期族長のメウである」


 嘘だろ、嘘だと言ってくれ。

 なんだって族長の娘がこんなところにいるんだ!

 いや、俺が連れてきたというのは重々承知している。しかし、そんな重要人物が護衛もつけずにその辺をふらついているなんて、誰も思わないだろう。

 そう、これは不幸な事故である。

 作戦上の仕方がないコラテラルダメージ――は違うか。


 俺が悩んでいる間、メウ様は麻袋に入ったまま器用に立ち上がると、待遇の改善を「上品な」言葉で要求し始めた。半ば無視する格好になってしまい、それが気に入らなかったらしい。気付いた時には彼女の頭頂部が俺の腹にめり込んでいた。


「ぐああああ、何すんだこのクソガキ!」


 怒りに任せてポイっと放り投げる。

 すると、幼女はむくりと起き上がり、笑った。


「ようやっとこちらを向いた。てっきり妾のことが見えて居らぬのかと思うたぞ」

「だからって頭突きするなよ」

「お主、意外と子供っぽいな。愛いやつよのお」

「な!?」


 子供に子供っぽいって言われた!


 まあ、それはいいんだ。

 問題はこいつをどうするかという一点に尽きる。

 イロコニア公国と敵対するボルガ族の姫。かつての会戦で人類は獣人の諸部族をまとめて叩き潰したが、それは軍略・軍事の双方で優勢を確保した上の結果だった。いくら衰退したとは言え、相手は獣人最強のウェアウルフだ。公国単独では荷が重いだろう。

 このガキを娼館にでも売り飛ばそうものなら、ボルガ族は報復のためにどんな行動に出るか。誘拐だけでもとんでもない話だが、傷口をわざわざ広げる必要はない。


「ところで、そろそろこの縄を解いてもいい頃ではないか? 不便で仕方がないぞ」

「……」

「またそれかっ!」


 要するに、このガキさえどうにかなれば、後は暗殺者に気を付けるだけで済む。子守はしたことがないがやるしかないだろう。

 決意を固めれば、あとは行動あるのみだ。


「あのー、メウ様……」

「なんじゃその猫なで声は、気持ち悪い。お主が手をくねくねさせても不気味なだけじゃぞ」

「その、何か不自由はございませんかね」

「だから縄を解けと先程から言うておろう」


 営業スマイルを貼り付けて、そそくさと縄を解いていく。両腕が自由になったメウ様は真っ先に俺の頭を叩いた。ちくしょう、覚えてやがれこのガキ。


「ふむ、文句があるのか?」

「滅相もございません」


 やり場のない怒りを握りこぶしの中に隠し、なんとか表面上は平静を保つ。

 俺を誰か褒めてほしい。

 メウ様はしばらく腕をぐるぐる回したり身体の調子を確かめると、満足したのかご満悦な様子でこちらに向き直った。


「さて、主の名を言うてみい」


 一転して雰囲気ががらりと変わる。ふざけた童女という印象が、貴人と相対しているという緊張感へと置き換わっていた。これが出自の差という奴なのだろうか。

 しかし、気押されてばかりもいられない。

 俺はこいつを骨の髄まで利用して、なんとか生き延びなければならないのだ。


「私はヨナタン。獣人には馴染みがないかもしれませんが、ちょいとばかし名の知れた傭兵団の一員でした」

「でした……その件については謝らんぞ」

「もちろん」


 やはりこのガキは頭がいい。

 自分の身が安全だと確信した上で、あんな態度をとっていたのだろう。余計に腹が立つ気もするが、話が早いのは助かるので、微妙なとこだ。暴れ回るよりはマシだと割り切るしかない。


「さて、メウ様は現状をどれだけ把握してらっしゃるんでしょうか」

「そこの変態から依頼を受けたお主に妾はさらわれたが、変態とお主が仲違いした、というとこじゃろう。あと無理に堅苦しく話す必要はないぞ。適当な敬語を聞くと虫唾が走るわ」

「んっ……じゃあ遠慮なく」


 思わず殴り倒しかけた。


「大方はあんたの説明通りだ。付け加えるなら、護衛もなくふらふらしてるガキをさらってみたら、ボルガ族のお姫様だったという不幸な事故があったな」

「事故で済ますなたわけ! ともかく依頼主がいなくなったんじゃから、妾は里に帰れるのじゃろうな?」

「それは……」

「ムギュ!?」


 俺が用意した台詞を告げようと口を開いた時、メウは突然その場で前に倒れた。

 あまりの事に固まってしまう。

 よく見れば、メウの足首を青白い手が掴んでいた。細く病的なその手は、伸びきった爪を幼女の皮膚に食い込ませている。

 リムが意味のない言葉を叫んだ。その表情は恐怖と困惑で歪んでいる。

 そして、俺は見てしまった。彼女を掴んで離さないその人物を。


「帰らぜるわけない」


 ゴボリと血を吐き出したそいつは、俺が刺殺したはずのカドモニだ。よく見れば背中からナイフの先端が見えている。


「不死身……ゾンビか?」

「ふふふ、どうでしょう。私は【不死身】のカドモニ。あなたこそただの傭兵と侮っていましたが、ウェアウルフの集落から生きて帰った実力は伊達ではないようですね」


 カドモニは緩慢な動きで起き上がると、空いた手でナイフを引き抜いた。傷口から勢い良く血が噴き出したと思いきや、みるみるうちに塞がっていく。再生された真白な肌は現実味に乏しく、まるで出来の悪い映画を見ている気分だった。

 俺はすぐさま睡魔の術を起動し始めた。

 睡魔は活動中の相手にはかかり辛いが、幻術より効果が現れるのが早い術だ。今回のような場面では重宝している。


「離せ、無礼であるぞっ!」

「おっと、荷物もあることですし無駄話はこの辺りにしておきましょう」

「俺が帰すと思うか?」

「止められませんよ。【月無】! 撤収です!」


 手を軽く上げると、奴の背後から黒服の人間が現れた。つるりとした仮面を身につけて、真っ黒な剣を構えている。死神でも意識しているのか。不気味な奴だが、躊躇している時間はない。

 俺は迷いなく剣を抜くと突貫した。

 自分でも驚くほどのキレを見せたその突きは、しかし、死神の鎌によって阻まれる。そして、こちらの剣が一方的に溶けた。


「魔剣か!」


 咄嗟に柄を離してナイフに切り替える。

 黒い刀身はただでさえ闇に紛れて見辛い上に、打ち合えないというのは酷い制限だ。しかも、こいつを何とかしないとカドモニに逃げられるときた。

 こいつも眠らしたはずだが、特殊な訓練でも受けていたのだろうか。もしかしたらカドモニ直属の部下なのかもしれない。

 なんにせよこいつを何とかしないと。


「そのダサい仮面剥いでやろうか」

「……」


 煽っても反応なし。

 こういうタイプは術が効きづらいから嫌いだ。


 『死神』が音もなくこちらへ寄ってきた。

 魔剣に注意を払って距離を取ると、死神が鎌を片手に持ち替えるのが見えた。

 次の瞬間、刃の黒いナイフがこちらへ投げつけられる。恐ろしい早業だ。何とかナイフではじくが、死神はすでに鎌を振りぬいていた。

 回避は間に合わないと判断して距離を詰める。反応の遅れた敵の懐に入り込むと、のっぺりとした仮面に拳を叩き込んだ。

 死神は数歩後ずさると、何事もなかったかのように構えなおしてくる。


「次は真っ二つだぜ」


 強がりを言ってみても、内心は冷や冷やだ。

 近接戦闘の技術は同じか向こうが少し上、加えて魔剣と打ち合えない不利を抱える以上、こちらは魔法に頼るしかない。しかし、幻術も睡魔の術も効果がないとなると、こっちの引き出しも限られている。

 再び死神が動く。

 ナイフが数本こちらへ投じられた。俺は動かずそれをやり過ごす。見当違いな場所へ飛んでいったナイフを気にした様子もなく、死神は鎌を構えて近づいてきた。最小の動作で魔剣が振るわれる。だからこそ、当たらない。


「ほらよ!」


 ナイフを魔剣の持ち手に突き立てる。

 しかし、死神はあろうことか強引に魔剣を切り返してきた。

 大袈裟にのけ反って避ける。

 それが繰り返されるのだ。


「麻薬か、やっかいだ、な!」


 そら恐ろしい精度の連撃を避け続けていると、徐々に死神の動きが鈍ってきた。痛みは誤魔化せても身体はそうもいかないらしい。


「ほらほら、そんなに血を流していいのか」

「……め」


 今まで無言だった死神が、初めて何かを言った。

 思ったよりも高い声だ。


「何?」

「馬鹿め、と言ったのだ」

「はあ?」


 動揺したせいか、避け損ねた魔剣が革の防具を掠った。使い慣れたものだったのだが、どろどろと溶けて消えてしまう。舌打ちをしかけて、我慢した。ここまでの虚勢を無駄にしたくない。


「お前は負け犬だよ、ヨナタン。仲間を失い、依頼主に裏切られ、こうして【ハッシンを吸う者】から狙われている。極めつけは、私に気を取られて本来すべき事を見失った。お前はもう終わりだ」

「見失った?」

「ほら、集中力も途切れている」


 そこまで言うと、【月無】は左腕からナイフを投擲した。

 出どころが見えているなら避けるのは容易だ。そう思っていた俺の腹に、別のナイフがつき立った。視線をナイフと死神で行き来させて、ようやく気が付いた。野郎、足にも仕込んでやがったのだ。


「カドモニにはもう追いつけない。証拠の獣人も奴が持ち去って、お前はこれからの余生を暗殺者に怯えて過ごす事になる。逃げても無駄だ、我々の網は人類領域全てに広がっている」


 静かに語る【月無】だが、その印象は既に死神からはかけ離れている。深い傷はもらったが、代わりに化けの皮が剥がれてくれた。弱気で饒舌な暗殺者など俺の敵ではない。

 少なくとも、詭弁詐術は俺の領域なのだから。


「なんだ、やっぱり血を失い過ぎたらしいな。魔剣はもう振れないってか? 右手でしか扱えない制限でもあるのか。なんでもいいが暗殺者ならここで仕留めてみせるくらいの気概を見せてみろよ。【月無】なんて大層な名前で呼ばれても、あんたは俺一人を殺せない雑魚だ」

「挑発して隙を誘う、そんな見え透いた手にはのらん」

「今ここで俺に息の根をとめられるなら、わざわざ組織の巨大さなんて話す必要ないもんなあ! どうした、俺が怖いのか!? それならしっぽ巻いて逃げた方がいい。まあ、カドモニは俺が探し出して完璧に殺してやるよ!」


 言い切ってやったぜ、ざまあみろ。

 返事の代わりにナイフを投げてくるが、認識阻害魔法で守られた俺は避ける必要すらない。ノータイムでこっちもナイフを投げ返してやると、奴の右肩に突き刺さった。


「潮時か」

「ああ、負け犬はお家に帰るんだな。ハウスハウスッ」

「……死ね」


 捨て台詞を残して、死神はその場をゆらりと去っていく。

 それを追う気力はない。


 腹の傷が深く、今にも倒れ込みたいほどだ。

 でも、カドモニも死神も居なくなったっこのタイミングで、これだけは言わなきゃ全てが無駄になる。だから、口を開かねえと。ちくしょう、傷に響くぜ。


「……ここから北へ真っ直ぐ行くとでかい屋敷がある。そこに住んでる貴族が暗殺者嫌いで獣人とは講和派だから、そこまで行けばカドモニも暗殺者も手が出せない。さあ、早く行け」


 ああ、やっぱり無理だな。

 もう視界がぼやけてわけがわからない。

 それに、すごく、眠い……


「あんたにかけた認識阻害魔法はカドモニを完璧に騙すほど強力だが、如何せん効果が短いんだ。速くしないとおっかない奴が戻ってきちまうぜ」

「お主は、どうするのじゃ」


 めんどくさいガキだ。

 さっさと行きゃあいいんだよ。

 俺の認識阻害魔法は強力だ。それこそ、メウが今どこから話しかけてきているのか分からないくらいに。それがカドモニと【月無】の認識を阻害して、あたかもメウがあそこにいたかのように誤認させた。

 馬鹿みたいに魔力燃費がわるいから、金輪際こんなことはしたくない。俺の努力を無駄にしないためにも、メウにはさっさと逃げてもらいたいもんだ。


「傭兵ってのは無駄にしぶといもんだ。ガキに心配される筋合いはねえよ」

「……」

「だから、早く行け」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

イロコニア異譚 @kinoko03

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ