GIRLS FLEET(完全版)

九重七六八

第1話 プロローグ はじまりの刻

「爺、メイフィアへの到着時間は変更ありませんわよね」

『深淵の雲』と言われる侵入不可のエリアに覆われた空を眺めながら、長い金髪をもつ美少女は、落ちた髪を耳にかけながら、付き人である執事に時間の確認をした。彼女が、魔法王国メイフィアに帰国するのは1年ぶりである。

「コーデリアお嬢様。到着は今からおよそ8時間後となっております」

 執事を務める老人はそう言いながら、巧みな所作で紅茶を品の良いカップに注いだ。お嬢様と呼ぶ主は、魔法王国メイフィアの第一王女であり、本来なら(殿下)と呼ぶべき存在であるが、今、乗船している飛空船は一般人も乗っている旅客船であり、ファーストクラスのキャビンといえども、他人の目を気にする必要があった。王族と知った乗客が気を使うのを好ましくないないと思った王女が、貴族令嬢か財閥の令嬢に成りすますためにそう呼ばせていたのであった。

 飛空船とは文字通り空を飛ぶ船。この異世界トリスタンにある浮遊石を使って空に浮かんだ船である。帆で風を受けたり、燃料を燃やしてタービンを回してプロペラを回転させたりして、推進力を生み出す乗り物だ。汚染された海や大地を捨てて、浮遊大陸と呼ばれる空に浮かぶ大地で暮らすトリスタンの人々にとっては、別の浮遊大陸へ向かう唯一の手段であった。

 コーデリア王女は今年18歳。美しい金髪の腰まで届く長い髪はウェーブがかかっており、本人はくせっ毛が嫌だとストレート髪の友達を羨ましがったが、王女にふさわしい気品あるもので誰もが魅了された。ルックスも一般紙にその写真が掲載されただけで、売上が倍になるという美少女ぶりで、メイフィア国民だけでなく、留学先にタウルン共和国でも有名女優を凌ぐ人気があった。それ故、行動の自由が制限され、せっかく他国に留学に来ているのに意味がないと、コーデリア王女は常々不平を漏らしてはいた。

 王女は、留学先のタウルン国立工科大学の長期休暇を利用して実家に帰る途中であった。いつも身の回りの世話をしてくれる執事の老人と一名のボディガードを従えてのお忍びの帰国である。コーデリアは小さい頃より、機械いじりが好きで飛空船の設計士を目指していた。彼女の目的は、あと七年後に迫った「獣の災厄」に対抗する最強の飛空船を設計すること。そのために、飛空船のメカニズムでは先進国のタウルン共和国に留学しているのだ。

「マリーは元気かしら……。今年であの子も12才よね」

 妹の第2王女マリーとは1年会っていない。電話でたまに会話をしたり、手紙のやりとりをしたりするが、自分も勉学に忙しく、6歳年下の妹を構ってやれないことを姉として残念に思っていた。妹のマリーはまだ小さいながらも持って生まれた『魔力』が高く、パンティオン・ジャッジという飛空船による艦隊同士の戦いに出場する予定のメイフィア代表の公女候補であった。公女に選出されると魔法艦隊を与えられ、その中で勝ち抜くことでこの世界の代表となり、『獣の災厄』に立ち向かうことになるのだ。

 コーデリアは自身の魔力がそれほど高くなく、年齢的にも公女にはなれないこともあって、(世界を救う運命にある妹のためになりたい)という思いで遠く、第2浮遊大陸の大国へ学びに来ていたのだ。

(あの子のお土産、気に入ってくれるかしら……)

 コーデリアがお土産と称するのは耐火筒に収納された飛空船の設計図。設計を学びながら、こちらの面では非凡な才能をもっていたコーデリアが作った、妹が将来、座乗するであろう魔法艦隊の旗艦を務める戦列艦の設計図であった。

「マリー様はまだ幼いですから、ぬいぐるみの方が喜ばれるかもしれません」

 そう忠告する執事の意見も入れて、タウルンで人気の『たうるんるん』と呼ばれるゆるキャラのぬいぐるみもお土産に買ってはあるが、姉として妹は『設計図』の方を喜ぶと思っていた。12歳ながら、妹は自分の役割を自覚しており、7年後に備えて魔力の鍛錬と飛空船の艦隊戦の戦術について貪欲に学んでいた。もうすぐ、公女候補者が英雄候補を探す目的のための異世界への留学も控えている。多忙な日々を送っていることだろう。12歳なら友達とたわいもない遊びをしたい年頃だろうに。

 突然、ぐらりと船が揺れた。よくある気流の乱れによる揺れではない。かなり、大きく揺れたのでコーデリアは手にしたカップを落としてしまった。執事の老人はやっと座席にしがみつき、転倒を避けることができた。気流で揺れる場合は、事前に分かるので乗客にシートベルト着用のアナウンスがあるはずである。それがないことは、緊急の事態が予想された。揺れの少ないファーストキャビンでもこの揺れだ。後方のエコノミー席では、けが人が出たかもしれない。


「船長、出力いっぱいです」

「ダメです。あと10分で追いつかれます」

 操舵手とレーダー管制官が悲痛の叫びを上げる。先程、乗客の危険を顧みず、急加速を実行したのも、船自体が撃墜されることを避けるためのものであった。しかし、それは一時しのぎにしかならなかった。

「管制官、本当に追ってくるものはC級空獣か?」

「間違いありません。あの形、C級の空獣『マンタレイ』です」

「……」

「D級以下なら、この飛空船のスピードで逃げられますが、C級のスピードでは追いつかれます。あと5分もすれば雷撃弾が飛んでくるでしょう」

 副船長がそう冷静に告げる。彼は若い頃に空獣ハンター稼業をしていたので、乗組員の中では空獣には詳しかった。空獣というのはこの世界の空の支配者だ。それは大きさや危険度、頻度からランク分けされていた。D級と呼ばれる空獣は比較的よく目撃される。

 それは『スカイジェリー』と呼ばれてクラゲのような体で空を漂っている。色によって数種類が分類されているが基本的な体の構造は同じである。稀に人に被害を与えることもあるが、動きが鈍く逃げるのは容易である。だが、C級からは危険度が増す。C級は『マンタレイ』と呼ばれる空飛ぶエイと『キラーホーン』と呼ばれる空飛ぶ一角獣が確認されているが滅多に出くわすことはない。船長を含めて空獣に襲われた経験はなく、座学で学んだ程度であろう。それだけレアなケースであったが、『獣の災厄』の時が近づいてきたことを思えば、こういう事態は起こり得た。

「近くにパトロール艦隊はいないか? 空獣ハンターでもいい。エマージェンシー通信を放て。救援を要請するのだ」

 船長は無駄と分かっていたが、そう命ずるしかなかった。今航行しているところは、第2浮遊大陸にあるタウルンと第1浮遊大陸にあるメイフィアの中間地点だ。どちらの領土でもないエリアだ。いたとしても空獣ハンターの船ぐらいであろう。

 両国の防衛ラインから離れたこの場所に、救援要請に応じてくれる飛空艦隊が航行している可能性はほとんどなかった。昔は空獣ハンターに護衛を頼むということもあったそうだが、出くわす空獣がD級ではほとんど仕事をすることもなく、経費削減のためにそういうことをしている旅客会社はなかった。

「船長、この船を捨てて、乗客を脱出ポッドに乗せましょう」

 そう副船長は進言した。このままでは、船ごと撃墜されてしまう。そうなれば、誰ひとり助からないだろう。だが、船長は躊躇した。なぜなら、この船がちょうど腐海上空を飛んでいたからだ。脱出ポッドを射出しても落ちるのは腐海。助けが遅れれば、ポッドごと溶かされてしまう。それに射出されたポッドのうち、いくつかは空獣の腹に収まってしまうのは確実だ。そんな死に方はゴメンだと船長は思った。

「ダメだ。リスクがあり過ぎる」

「それでは一人も助かり……」

「一瞬で死ぬか、徐々に苦しんで死ぬかの判断だ。君も分かるだろう!」

「そ、そんな。少しでも可能性を……」

 船長と副船長が言い争っている中に、空気を読まない人物が艦橋のドアを開けて入ってきた。

「船長、先ほどの急加速でお客様に負傷者が出ました。今、医務室に搬送していますが、一人は腕の骨を折る重傷で……。状況を説明しろと騒いで収拾がつきません」

 キャビンアテンダントの主任が艦橋にそう報告に来たのだ。艦橋に通信したのだが、反応がないので直接確かめに来たようだ。実際、通信は何度も入っていたが、それに応えられる状況になかったので船長はあえて無視していたのだ。

「やむを得ない。状況を伝える」

「船長! そんなことを言えばパニックなります」

 副船長がそう言ったが、初老の船長の決定は変わらなかった。例え、パニックになったとしても訳が分からず死んでいくよりマシというものであろう。そう考えたのだ。

「乗客の皆様。緊急事態です。よく聞いてください」

 突然の船長のアナウンスに騒いでいた乗客は静まり返った。ファーストキャビンにいたコーデリアも耳をすました。

「当艦は現在、C級の空獣に追跡されております。あと10分後には完全に追いつかれます」

 聞いた者は凍りついた。中には空獣に追われているということ事態が理解できないものもいた。ほとんどの人間は空獣を実際に見たことはなかったからだ。だが、このトリスタンに住む者は、小さい頃より繰り返し教えられてきた。『獣の災厄』というこの世界の運命は知っていた。そして空獣がどれほど恐ろしい怪物かということも。

「お、追いつかれたらどうなるのだ!」

「し、死ぬってこと?」

 エコノミーキャビンはパニックになる。席にベルトで固定されているので体を動かすことはできないが、泣き叫んだり、怒鳴ったりと大騒ぎになっていた。

「空獣に追われているですって?」

 コーデリアは自分たちが危機的状況にあることを予想していたが、落ち着いて状況をボディガードに聞いた。ボディガードは先程、王族特権で艦橋に入り、状況をある程度掴んできたのだ。

「C級の空獣だそうです。救援要請をしているようですが、状況的に厳しいですね」

 そうボディガードは報告した。黒スーツに黒サングラスの女性である。落ち着いた口調は職業柄であろうが、サングラスの奥にある目は動揺して泳いでいるだろうと思われた。

「例え、空獣ハンターがいてもC級相手じゃ勝ち目はないわ。あれを倒すにはパトロール艦隊クラスの戦力がないと……」

 コーデリアは窓の外を見た。後方に目視で空獣が小さく見えた。小さな光が徐々にスピードを上げてこちらに迫ってくる。

(雷撃弾……)空獣『マンタレイ』が口から出すブレスである。その電撃の塊が船に当たれば、凄まじいエネルギーの爆発で撃墜は免れないであろう。船が大きく傾き、後方から来る攻撃をかろうじてかわす。

 だが、通過した雷撃弾の放電で船全体が感電する。それは電子系統の部品を故障させた。船内が停電し、乗客はますますパニックを起こす。空獣対策が十分取られていない民間の客船ではどうしようもなかった。

「お嬢様、ファーストキャビンには専用の緊急脱出ポッドがあります。それで脱出しましょう」

 執事がそう進言した。飛空船には緊急用に脱出カプセルが積まれている。だが、それは空獣に襲われた時を想定していない。こんなに激しく揺れる船内を全乗客が移動してカプセルに移動することなどは不可能である。コーデリアは迷った。船長からは脱出命令は出ていない。自分だけが王族特権を使って逃げるのは良心が許さないのである。

 だが、執事とボディガードは王女のそんな思いも意に介すことなく、シートベルトを外すと強引に王女の手を取ってファーストキャビンを出た。激しい揺れに見舞われて、壁に体を打ち付ける。これでは脱出カプセルがある場所へ移動することはかなり困難だ。

「離しなさい! 乗客を見捨てて、私だけ脱出するわけにはいきません」

 コーデリアは掴まれた腕を振り払う。だが、執事もボディガードもこの王女だけでも生きながらえさせることが自分たちの最期の任務だと思い、それを許さない。

「殿下、逃げてください。それが魔法王国メイフィアの民のためです」

「殿下は次期、メイフィアの女王陛下となられるお方です。ここは生き残り、獣の災厄に立ち向かうのがお役目です」

「これも運命です。運命には抗えません。わたくしはここで皆さんと共に死にます」

 コーデリアはきっぱりとそう言い切った。そもそも、この状況で脱出できる可能性もかなり低い。船からカプセルで逃げたところで、下は腐海なのである。救援がすぐ来なければ、死ぬ時間が少しだけ長くなるだけだ。それに王家の自分だけが助かることは、王家のイメージダウンにつながる。王家を中心に困難に立ち向かわなかればいけない時に、自分が助かることは大きなマイナスでしかなかった。

 コーデリアがふと視線をずらすと廊下に少女が倒れているのが目に入った。エコノミーキャビンの乗客であろう。おそらく、席を離れていた時にこの状況になり、ここまで逃げてきたと思われた。

「大丈夫?」

 コーデリアは駆け寄ると少女を抱き起こした。年は10歳ぐらい。妹のマリーと重なった。頭から少しだけ血が流れていたが、コーデリアがハンカチで抑える。そんなに大きな怪我ではなさそうだ。コーデリアに抱き起こされて少女の意識が少し回復した。

「う……うう……。ここはどこ? こ、こわい」

「大丈夫よ。お姉さんが守ってあげる。あなたの名前は?」

「フ、フィン。フィン・アクエリアス」

「お母さんかお父さんは?」

「いないです。わたしはおじいちゃんのところから一人で帰る途中……」

「そ、そう」

 コーデリアはフィンの右手首にはめられた腕輪に気がついた。これはパンティオン・ジャッジに出場する候補者が持つ腕輪である。この腕輪は全国から魔力の才能がある少女50人に与えられる。3ヶ月ごとにランキングが変わり、最終的にパンティオン・ジャッジに出場する5人が決定されるのである。フィンの腕輪は『5』と刻まれていた。かなり有望な候補者である。

(この子だけでも助けなければ……)

 コーデリアは強烈にそう思った。妹のマリーもそうだが、この子が7年後の『獣の災厄』から人々を救う救世主になるかもしれないのだ。脱出カプセルで逃れても生き残る可能性は低いが0ではない。

(この子が世界を救う公女となるなら……)

この絶望的な状況でも、きっと運命の糸をたぐり寄せるだろう。その可能性にかけたいとコーデリアは思った。

 激しい振動と凄まじい音がする。耳が麻痺する感覚。空獣が放つ2度目の雷撃弾が船に直撃したのだ。凄まじい振動とともに後方部分が爆発炎上した。後方にあった貨物室とエコノミー席は瞬時に吹き飛び、乗客もろとも空中に四散する。前方のエリアも少しだけ時間があったに過ぎない。この状態では空を飛べず、落下するしかないからだ。さらにとどめの雷撃弾が向かってくる。

「で、殿下~っ。お逃げください……ぐっ」

 激しく体を打ち付けられた老執事はそう言って息絶えた。ボディガードも倒れている。フィンを抱いたコーデリアも体が飛ばされたが、運のよいことに硬い壁ではなく、部屋から飛び出してきたソファーベッドに救われた。通路には部屋の調度品が飛び出し、足の踏み場もない状態だ。

 急がないとこの船はもう何分も持たないだろう。コーデリアはフィンを背負った。急いで脱出カプセルに向かう。だが、コントロールを失った船内で移動することは容易ではない。火災の煙が室内に充満してきつつある。

 激しく壁にぶつかりながらもコーデリアはフィンの手を引いて脱出カプセルがあるファーストキャビン專用エマージェンシーエリアに入った。だが、10個程のカプセルが滅茶苦茶に破壊されていた。かろうじて使えそうなカプセルが1つ目に入る。そのカプセルは一人用である。

「うん」

コーデリアは小さく頷くとためらいもなく、フィンを乗せる。

「お姉ちゃんは?」

 そう尋ねるフィンにコーデリアは優しく微笑んだ。そして例の設計図が入った筒を渡した。フィンの手をギュッと握る。

「これをわたくしの妹。マリーという名前よ。マリーに渡して。そしてあなたは生き残って、この世界を救うために戦うのです。それがわたくしの願い……」

 激しい爆発音がする。後方で爆炎が迫る。コーデリアはそっとカプセルのドアを閉めた。フィンが中で叫ぶが声は聞こえない。口の動きで自分の名前を聞いているのだと分かった。コーデリアはニッコリと笑った。少女が怖がらないように精一杯の笑顔だ。

「コーデリア……。それがわたくしの名前」

 フィンが『コーデリア』と復唱した時に最後が訪れた。大爆発と共に船体が折れて粉々になったのだ。

(マリー……。姉様は先に逝きます。あなたは生きて、この世界を救いなさい)

 壊れた船体の破片と共に外へ放り出されたフィンが乗ったカプセルは、パラシュートが開いてゆっくりと腐海へと降下していった。

四散する火の粉の中を空獣が咆哮をしつつ、通過していく。それは人類に対する勝利を確信する咆哮であった。

                    *

「メイフィア東南部地方、曇りのち雨。山間部は夕方から激しい雷雨に見舞われるでしょう。なお、東南空域にC級空獣出現。この空域には空獣警報が発令中です。飛空船は航行にご注意ください」

「ねえ、ママ。空獣警報ってなあに?」

小さな女の子がテレビの画面を見て無邪気にそう言った。おやつのホットケーキを焼いていた若い母親はプツプツと穴が開いて焼けていく様子を見ながら、子供にこう答えた。

「空獣という怖~い、怪獣がやって来るから逃げてくださいって言っているのよ」

「怖い怪物……」

 女の子は立ち上がると台所の母親のところへ走っていく。

「怖いよ、ママ」

 母親はホットケーキを手際よく裏返すと火を弱めると振り返って女の子を抱きしめた。

「大丈夫よ。怖い怪物も人間にはかなわないのよ。空を飛ぶ船がパンパンって強い武器でやっつけちゃうのよ。ママやラピちゃんのところにはやってこないのよ」

「ふ~ん。怖い怪獣、やっつけられるんだ」

「そうよ。空を飛ぶ強い船がみんなやっつけちゃうの」

 そう言って母親は立ち上がり、ほどよく焼けたホットケーキを皿に移した。それに甘いシロップをたっぷりとかけ、ベリーの果実ジャムを添えた。

 魔法王国メイフィアでは小さい子供の頃から、学校で空獣について学ぶ。それはこのトリスタンという世界で生きる人間にとって、忘れてはならない歴史でもあるからだ。母親は学生の頃に繰り返し教えられたことを思い出した。

『獣の災厄 Disaster of the beast』

 それは500年に一度、必ずやってくる。空を飛ぶ空獣が空を覆い、人間が住む浮遊大陸を焼き払うのだ。500年前に実にこのトリスタンに住む人間の90%が死滅したとされる出来事だ。そんな人類の危機から人は500年かけて復興し、今、こうして平和な世界を築いている。だが、この災厄は必ず500年毎に起こると言われている。

 正直、母親には500年前に起きたことなどは遠い昔のことで自分たちには関係ないと思っている。それは歴史上の出来事に過ぎないのだ。今もD級に分類される(スカイジェリー)と言われる弱い空獣が現れることはある。小さな浮遊島で小規模な人的被害が起こることもあるが、大抵の場合、パトロール艦隊や空獣狩り専用の打撃艦隊、空獣ハンターたちによって討伐されていると聞く。毎年起こる自然災害と大差がないのだ。それに母親は話に聞くだけで、実際に空獣など見たことがないのだ。

 トリスタンの人間は1000年前には地上の大陸で暮らしていたと言われる。だが、1000年前の「獣の災厄」で住めない土地となったという。そして、僅かに生き残った人々が浮遊大陸に逃れたと学校では教えていた。

(その500年後があと7年でやってくる……)

 そう思うと母親は急に体が震えてきた。『獣の災厄』が起きるのは7年後に迫っていると思うと急に怖くなったのだ。

(人類の90%が死に絶えるなんて……)

 あと5年もするとパンティオン・ジャッジと呼ばれる『獣の災厄』に向けた人間同士の戦いが始まる。何でも空獣に対抗するための飛空船隊を決める儀式らしいが、詳しくは知らない。それは母親に限らず、このトリスタンに住む一般人はみんなそうだろう。

「どうしたの? ママ、食べないの?」

「た、食べるわよ。ママの作ったホットケーキはほっぺたが落ちるくらい美味しいからね」

「うん。ママ、ママの作るホットケーキはメイフィアで一番美味しいよ」

「そうやってほめてくれると、ママも嬉しいな」

「大丈夫だよ、ママ」

 女の子はフォークに差したホットケーキをほおばり、それを飲み込むと母親に頼もしげにこう言った。

「空獣なんて、ラピとパパでやっつけちゃうから。ママを守ってあげるよ」

「ふふふ……。そうね。パパとラピちゃんで悪い怪物はやっつけちゃってね」

「うん」

 女の子は最後のひと切れをフォークで差すと美味しそうにほおばった。母親はそんな愛娘を微笑ましく見ている。

(そうね。人もバカじゃない。いつまでも空獣なんかに脅かされはしない。国がちゃんと考えて、私たちを守ってくれるはずよ)

「緊急ニュースです。昨日、タウルン発メイフィア行の旅客船ブリタニア号が原因不明の爆発で墜落したとの報告が入ってきました。乗客乗員の安否はまだわかっていませんが、場所が腐海上空であったため、生存は絶望的だとの専門家の意見もあります。なお、乗客に第一王女コーデリア殿下が乗っておられたという情報もあり、王室関係者に動揺が走っています……」

「ママ、事故だって」

 女の子果実ジュースを飲み干してそう母親に言った。母親はちょっとだけ、テレビに目をやったが、女の子の口をタオルでふいてやった。元気よく食べたので食べかすがこびりついていたのだ。

「怖いわねえ……。ちゃんと整備してあったのかしら。国がちゃんと管理してくれないとこういう事故が起こるのよねえ。国民の命は国が守らなきゃ……」

(国が守ってくれるはず……)

 だから、今の平和な世を楽しめればいい。トリスタンに住む大半の人間はそう考え、面倒なことには関心をもたなかった。

 そう、その時が来ることを分かっていても、実感がわかないと人は無視する。自分たちに関係することであっても人任せにしてしまうものなのだ。

 母親は愛娘のラピスにおやつを食べさせ、歯を磨かせて昼寝をさせると、家業である染物の仕事に戻った。夫が汗まみれで頑張っているだろう。差し入れのホットケーキを乗せた皿をもって、隣の小さな工房へと向かった。

                    *

「親父、これじゃあ、生存者はゼロだ。どうする?」

「C級という報告だったからな。武装のない飛空船じゃ助かるまい」

「もう少し、あたいたちが近くにいれば助けられたのに……うっ」

 18歳になったエヴェリーンは狼カットの赤毛に白いハチマキをまいて愛くるしい目で凄惨な現場を見つめた。空獣に落とされた飛空船の残骸が浮いている。死体らしきものをいくつか散見できた。ひどい状態だ。エヴェリーンは空獣ハンターを稼業としている父親の下で3ヶ月前から見習いとして働いているが、このような現場は初めて出会ったのでショックで言葉を失った。

 エヴェリーンはタウルン共和国籍の空獣ハンターだ。潜空艦と呼ばれる『深淵の雲』内で航行することができる特殊な船を使い、空獣を退治している。まだ、経験が浅く、普段はD級のスカイジェリーをターゲットにしていることもあって、C級と呼ばれるものにはまだ会ったことがなかった。ここ来るまでは見たいという好奇心があったが、この現場を見てしまうとそれがいかに甘い認識かということを痛感した。

(な、何か浮いている!)

 エヴェリーンは人が一人入れるくらいの金属カプセルを見つけた。すぐさま、近づき、部下と一緒に潜空艦に引き上げる。腐海の酸で傷んでいるが中は大丈夫そうだ。あと1時間発見が遅れていたら溶けてしまっていただろう。

「おお……生存者だ」

 扉を開けるとカプセルを中に小さな女の子がいた。

「おい、大丈夫か?」

 エヴェリーンはそう言って女の子を抱き上げる。女の子は金属に入った筒を持っていた。二羽の鳥が描かれた紋章だ。メイフィア王家のものであることはエヴェリーンでも分かった。幸い、女の子の怪我は大したことはなさそうだ。この女の子はこの事故の唯一の生き残りということになる。

「こ、これ……」

「おい、大丈夫か!」 

 女の子はまた気を失った。筒を受け取ったエヴェリーンはそれに描かれた紋章をしげしげと眺めた。そして、近づいてきた父親にそれを渡した。

「親父、これ、メイフィア王家のものだよね」

「うむ。王家に届けたいところだが、通常ルートではやばいことになるかもしれん。問題はこの事件がなかったことにされるという点にある」

「なかったことに?」

「ああ……」

 父親はそう言って腕組みをした。おそらく、この事件は単なる事故として処理されるであろう。それがタウルンでもメイフィアでも同じだ。国民に恐怖を与えないように情報統制をしているのだ。空獣に船が破壊されたなどというニュースは、表向きには流れないだろう。

 この事故現場を目撃した自分たちは、かなり強力に口止めされるはずだ。話したりすれば、場合によっては消されるかもしれない。助かった女の子もそうだ。そう考えるとメイフィア国軍が到着する前に消えるのが得策というものだろう。だが、この筒の中身は届けなくてはいけないと感じていた。

「エヴェリーン、メイフィアに行くぞ。知り合いの貴族に会いにいく」

「やった! 魔法王国メイフィア、ちょっと行ってみたかったんだ」

 事故現場の悲惨さの記憶を忘れようとエヴェリーンは努めて明るくそう言った。

 

この事件の7年後。魔法王国メイフィアをはじめ、このトリスタンに存在する4つの国で『パンティオン・ジャッジ』と呼ばれる戦いが始まる。

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