黒姫アリスベルダの受難

青樹加奈

 スオード王国第三王女アリスベルダは、世話係の侍女エリーと共に海辺の塔にいた。侍女以外、誰もいない。


「おはようございます、アリスベルダ様、七歳のお誕生日おめでとうございます」


 アリスベルダは祖末なベッドの上に起き上がった。金色の巻き毛が黒い寝間着に落ちる。深々とお辞儀をする侍女エリーをアリスベルダは怪訝そうに見やった。


「ありがとう、エリー。でも、おめでとうって?」


 アリスベルダはきょとんとした顔をした。


「姫様の生まれた日でございますよ、おめでたい日でございます」


「誕生日は知ってるけど、でも、どうして、おめでたいの?」


 アリスベルダは不思議そうに聞き返した。


「無事に一つ、お年をお取りになられましたでしょう? ですからおめでたいのです。お誕生日は、この一年、健やかに過せた事を祝い、これからの一年、無事に過せるよう祈る日なのですよ」


「へぇー、そうなの? 知らなかった! 今日は私の誕生日!」


 寝台を飛び出して、部屋を駆け回る。初めてだった。お祝いを言ってもらったのは。

 先日までアリスベルダの世話をしていた子守りは、今日から五歳ですとか、六歳ですよと教えてくれただけだった。アリスベルダは、嬉しくて声を上げて笑った。


「今日は本当に特別な日なのでございますよ。この塔を出て、お城に行くのです。お父様がお会いになってくれるそうですよ」


「え! お父様が?」


 アリスベルダには嫌な思い出があった。物心ついた頃、お腹が空いてぐずった時、子守りから酷い仕打を受けた。


(『そんなに聞き分けの無い子供だから、お父様がお会いになって下さらないのです』)


 その時、自分には父がいるのだと初めて知った。アリスベルダは、子守りに父がどんな人か尋ねた。


(『あなたのお父様はこの国の王様ですよ。一番偉い人です。お行儀の悪い子供は大嫌いなんだそうですよ』)


 お行儀よくするから父に会わせてと言っても、子守りは鼻で笑うだけだった。

 その意地悪な子守りが、アリスベルダが育ち過ぎて手に負えなくなったと言って出て行き、代わりに侍女エリーがやってきた。アリスベルダは、薄桃色の頬をしてにこにこと笑うエリーを一目で大好きになった。


「お父様は本当に私と会って下さるの?」


 アリスベルダは不安そうに聞き返した。


「本当でございますよ。先程、お使いの方が来られて、贈り物を置いていかれました。後で一緒に開けてみましょうね」


 侍女エリーが優しくアリスベルダの金色の巻き毛を梳いた。



 朝食の後、アリスベルダはわくわくしながら贈り物の前に座った。王家の紋章が描かれた黒塗りの木箱を前に、朝食の間中、アリスベルダは中身を想像して楽しんだ。大きさからいって、きっとドレスに違いないとアリスベルダは思った。


「ねえ、これどうやって開けるの?」


 アリスベルダは無邪気な声を上げた。


「ここの閂を外すのでございますよ」


 エリーが外して見せた。


「さ、開けますよ」


 重たい蓋を持ち上げるエリー。アリスベルダは中を覗いてがっかりした。中にはカードと黒い衣装が入っていた。黒い衣装ならタンスの中に山程ある。アリスベルダは黒の衣装以外着てはいけないと、子守りから言われていた。下着から上着まで総て黒なのだ。父王の命令なのだと子守りが言っていた。アリスベルダは、もしかしたら、わざわざの贈り物なのだし、なんといっても誕生日なのだから、きっと、黒以外の衣装を着てもいいとお父様が許してくれたのではないかと期待していたのだが……。アリスベルダはため息をついた。

 侍女エリーがカードを読み上げる。


「『この衣装をきて、十一時までに宮殿の礼拝堂に来るように』」


 エリーが慌てて時計を見上げた。時刻は九時になろうとしていた。ここから宮殿までどんなに急いでも一時間はかかる。


「姫様、急いでお支度を。私ったら、今日中にお城に行けばいいのだとばかり思っていました。まさか十一時だなんて」


 エリーが箱の中から衣装を取り出し、長椅子に広げる。一緒に被る黒いベール、黒の上靴もついている。

 アリスベルダは大急ぎで贈り物のドレスに着替えた。エリーがアリスベルダの髪を結い、黒いベールをピンで停める。見事な金髪の巻き毛も夏の晴れた空のような青い目もベールの下に隠れた。侍女エリーが支度の出来たアリスベルダを見て奇妙な顔をした。


「エリー、どうかした? この格好、おかしい?」


「いいえ、姫様。その、何でもありません。さ、上靴は持っていきましょう。馬車がありませんから、普段の靴で歩いて行って向うで履き替えましょう」


 エリーが濃紺の侍女服の上から濃い灰色のマントを羽織り外出の支度をする。

 アリスベルダはエリーに手を引かれて塔を出ようとして立ち止まった。


「エリー、行けないわ」


 アリスベルダは真っ青な顔をして扉の前に立ちすくんだ。一歩も動けない。


「姫様? どうなさったのです?」


「だめなの。出たら、魔物に喰われてしまう」


「え? 魔物?」


「子守りのデラが言ったの。その扉の影に、私を食べようと思って待ってる魔物がいるって。私、塔を抜け出そうとした事があるの。そしたら、デラが言ったの。塔から出たら、魔物に食べられてしまうって。魔物が扉の影にいて、塔から出ようとする私を待ってるって。魔物は言いつけを守らない悪い子が大好きで、大きな口を開けて待ってるって!」


 アリスベルダはエリーにしがみついた。魔物がパックリと大きな口を開けて飛び出して来るような気がした。


「姫様、大丈夫でございますよ。姫様は言いつけを守らずに塔から出るのではありません。王様の命令で塔から出るのです。言いつけられた通りに塔から出るのですから、魔物は姫様を食べたりしませんわ。言いつけを守る良い子は、魔物が大っ嫌いな食べ物ですから」


 アリスベルダはまじまじとエリーを見上げた。微笑むエリーの丸い顔があった。


「エリー、あなたって素敵!」


 塔の外で何か音がする。馬車だ。馬車が止る音がした。アリスベルダはエリーと顔を見合わせた。迎えの馬車だ。侍女エリーが大きく扉を開いた。

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