子供達の世界 ③

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 それから二年ほどしてわたしはあの屋敷から呼び出しを受けた。

 母が呼んでいるという。


 しかも呼び出しているのはわたしだけではなく、コトラやケンちゃん、さらにそれぞれの奥さんも連れてこいという。


 まぁ行かなきゃいけない理由はないのだが、断る理由もなかった。

 母の目的は分からなかったが、彼女にはもう時間が残されていなかった。


 これが最後になるかもしれないと思った。


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 久しぶりに訪れたヒダカ老人の屋敷はずいぶんと荒れ果てていた。


 庭には雑草が繁り、花壇の花は茶色く枯れはて、噴水には落ち葉がたまっていた。

 建物のガラス窓は汚く、壁のあちこちでペンキがはがれていた。

 ミクニ老人と守っていた屋敷の威容は見る影もない。


 そして玄関の扉は開いていた。

 というより、傾いて閉まらなくなっていた。


 体を横にして屋敷の中に入ると、そこにはコウジが待っていた。


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 意外にもコウジは静かだった。

 ただ真っ黒のジーンズと真っ黒のTシャツを着て、静かにラップミュージックを流していた。


「ヨーヨー。レンジ、久しぶり。コトラも。それとケンも来てくれたか、ウェルカム・マイ・ハウス! サンキューな、レディーたちもサンクス!」


「君のお母さんがわたしたちを呼んでいるって、そう聞いたんだけど?」

「おお、イエス。二階にいるよ。でもよ、その前にやっておかなくちゃならねぇことがあんだ。マミーの命令でさ」


 そう言っていきなりコウジはコトラに向き直った。

 あまり心穏やかな光景ではなかった。

 なんといっても二人はいまだに天敵同士みたいなものだったからだ。


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 そういえばこの二人の外見はよく似ていた。

 両方ともぽっちゃり体型で、頬が膨らみ、目も細い。

 とりわけあごの形がよく似ていた。


「あー、コトラ、ブラザー。今までいろいろと悪かったな」

 コウジはいきなりそういった。


 あのコウジからそんなせりふが出るとは予想していなかったから、もちろんわたしたちは驚いた。

 そして当のコトラはもっと驚いていた。


 コウジは母から真相を、二人が本当の兄弟・ブラザーであることを、聞いたのだろうか? それで仲直りを命令されたのだろうか?


 わたしにはもちろん分からなかった。


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 そしてコトラはエプロンのポケットに手を突っ込み(やめろというのに、やはり調理着で来たのだ)、静かにコウジを眺めていた。

 が、口の端を曲げてニヤリと笑った。


 わたしとケンちゃんにはすぐ分かる、コトラ得意のポーカーフェイスだった。


「いろいろって何のことだよ?」

「例えばユーの料理をけなしたことかな。でもよ、ユーのクックするパスタ、特にミートソースはサイコーにクールだったぜ!」


 その言葉にコトラはパッと笑顔を輝かせた。ポーカーフェースも一瞬ではがれた。


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 コトラはいつだって料理を褒められると、うれしくてしょうがなくなってしまうのだ。いくつになっても単純なムニャムニャだった。


「それって、冷めてたって意味じゃないだろうな?」

 コトラはニヤリと笑ってやり返した。


「ハッ! ホットなジョークだぜ、ブラザー!」

 二人は陽気なアメリカ人のようにいきなり意気投合し、肩を組み合ってあっはっはと笑った。


 まさに馬鹿兄弟!

 やはり完璧にその血はつながっている!


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 ちなみに、わたしにもつながっている……


 これはすこし信じ難いのだが。


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 それからわたしたちは二階の母の部屋へと向かった。

 病におかされた母の姿を想像すると、なんとも心が痛んだ。

 そして扉をノックすると、思いのほか元気な母の声が聞こえてきたので驚いた。


「待ってたわよ、みんな!」


 扉を開くと、


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 と、話を進める前に、頭を整理しよう。


 わたしはそこにカーテンを閉ざした暗い部屋と、大きなベッド、そこに横たわるやつれた母親の姿を想像していた。まぁ誰だってそう思うだろう?


 だが扉の向こうにあったのは、ずらりと並んだ小さな机とイスだった。

 部屋の中には午後の暖かな日ざしが降りそそぎ、片側の壁にはロッカーと、反対側には巨大な黒板があった。


 天井のシャンデリアは教室らしくなかったし、真っ赤なふかふかの絨毯も学校の雰囲気ではない。それでもやはりその部屋は教室だった。


 そして母は教壇のところで雑巾がけをしていた。


「遅刻ですよ! 早く座りなさいっ!」


 この変わりよう……誰? 何?


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 母はものすごく元気だった。

 病人だなんてとんでもない。むしろ以前よりも生き生きとしていた。


 ちなみに母はガンで死ななかった。それどころか今も元気に働いている。

 しかも皆さんは一度彼女にお会いしている。


 さて誰でしょう?

 正解はすぐに明らかになる。


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 それはともかく、わたしたちはその教室に入っていった。

 そしてそれぞれ小さなイスに座った。

 

 まるで生徒になった気分。

 そして母はすっかり先生になった気分になっていた。


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 気分。これがくせものだ。

 


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 例えばわたしは医者の役割を持っている。


 だがわたしはいつも、自分が医者のフリをしているだけだと感じてしまう。

 職業的にはプロなのだろうが、やはりわたしは素人のままな気がするのだ。

 、と。

 白衣を着ていても、中身はやっぱり子供のままだと思うのだ。


 コトラだってそうだ。コックとして立派にやってはいるが、あの調理着の下にはやはりムニャムニャが入っている。


 ケンちゃんだってスーツを着ていても、その中身は変わっていない。あの雪の日、私たち兄弟を無条件で助けてくれた優しいヤツのままだ。


 リュウイチだってそう。どんなに絵がうまくなって有名になっても、やっぱりスカートの陰に隠れるのが好きなままだ。


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 わたしはこう思うのだ。


 どんな仕事をしていても、どんな身分であろうとも、やはり中味は素人なのだと。


 その素人たちがそれぞれいろんな役割を演じることで、社会は成り立っている。

 社長も社員もそう、医者だって弁護士だって、コックやウェイトレスだって、元はみんなムニャムニャだ。中味は素人のムニャムニャなのだ。そのムニャムニャたちが、そういう『ごっこ遊び』を真剣にやっているだけなのだと。


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 それは親子だってそうだ。


 父や母だといっても、中味は素人にすぎない。

 おじいちゃんやおばあちゃんもそう。

 中味はやっぱりみんなムニャムニャの素人なのである。


 素人が父を演じ、母を演じ、老人を演じる。

 でもやっぱり中身はムニャムニャのままなのだ。


 だから、人間に優劣があると信じるのは間違いだ。

 どんなに偉そうに見えても、結局はみんなただのムニャムニャなのだ。


 そういう意味では母は母親役の素人で、先生役の素人だった!

 対するわたしは息子役の素人で、生徒役の素人だった!


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「さて、みなさん、わたしから提案とプレゼントがあります」

 母は雑巾を置き、エプロンをとった。

 いかにも教師といった、鮮やかな緑色のスーツを着ていた。


「みなさんも知っているように、人がたくさん死んで、世界はまたムニャムニャになってしまいました。生き残っているのはあなたたちみたいな子供と、だらしない大人ばかり!」


 母はまるで先生だった。

 後に知ることになるのだが、母は昔教師をしていたという。正規の学校ではなく学習塾の講師だったそうだが、それを聞いたときには本当に驚いた!


 よく実の息子二人を放り出したものだ!


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「わたしはあなたたちを見ていると悲しくなります。自分勝手で、大人に対する尊敬がなく、礼儀も知らない。自分ひとりで大きくなったような顔をしている。とくにレンジ、これはあなたのことよ」


 わたしたちはその言葉を聞きながら、なんだかうつむいてしまった。

 もちろん腹のなかでは妙な怒りがこみ上げていた。わたしたちはその大人に散々苦労させられてきたからだ。


 だが母は歳をとってるせいなのか、声が大きいせいなのか、わたしたちを完全に丸め込んでしまった。


「そこで、わたしはこの屋敷を学校にすることに決めました。あなたたちにはもう遅すぎるけれど、小さい子供たちにはまだ間に合います。きちんとした教育を受けさせないと、取り返しのつかないことになります」


「あの、おばさん」とケンちゃんが手を上げて発言を求めた。


 すると母はバシンと机を叩いてこういった。


「おばさんじゃありません! と呼びなさい!」


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