子供達の世界 ②

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 だが本格的に再生するのはまだまだ未来の話。

 まだ語らねばならないことがある。


 そんなこんなで、わたしの病院はオープンした。だが病院はいつも閑古鳥が鳴いていた。生き残った人たちは実に健康で、丈夫な体を持っていたからだ。


 まぁ医者としては喜ぶべきことだろう。やがてわたしはタバコを吸い始めるようになり、昼間は日当たりのいい診察室でボーっとタバコをふかしていることが多くなった。ちなみにタバコもたくさんあった。


 そんなある日のことである。わたしの前に意外な人物がやってきた。

 それも二人連れ。


 さぁ誰でしょう?


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 なんとコウジだった!

 そしてコウジが連れてきたのはわたしの母だった。


 あれだけ金持ちだったのに、よくもノックを聞かなかったものだ。と最初はそう思ったが、なんといってもわたしはこの二人とは血がつながっていたのだ。


 ちなみにこの頃には『ノック』のカラクリも明らかになっていた。


 コウジは相変わらずの巨漢で、まだラッパースタイルだった。そして小脇に抱えて連れられた母は、真っ青な顔で汗をびっしょりとかいていた。


 母もずいぶん歳をとった。顔や首、手もしわくちゃになっていた。


「珍しいですね、キミが来るとは思いませんでしたよ、そしてあなたもね」


 わたしはそう言った。


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「レンジ、た、た、たのむ! 母さんをヘルプしてくれよ、プリーズ」


 コウジの変な英語はあいかわらずだった。でもとにかく真剣で必死だった。

 どうも様子がおかしい、わたしはすぐに『医師』にもどった。


「どうしました?」

「マミー、母さんが急にお腹が痛いって、セイ、言い出して、それで、いいホスピターを探したんだけど、どこもクローズしててよ……」


「あー。なるほどね。まぁとにかくそこに寝かせてください。ああ、それでいいです。診察しますから外で待っていてください」

「センキューな、レンジ、助かったぜ、イェー」


 とコウジ。変なポーズを決めて礼を言われた。


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 わたしの診断では母は虫垂炎、つまり盲腸炎というやつだった。


 幸いにもわたしの病院には道具も、薬もたっぷりとあった(もちろん元の勤務先から失敬してきたものだ)。そこですぐに手術をすることになった。

 手術自体は簡単な内容で、すぐに終わった。


 だが問題が一つあった。

 開腹したときに気付いたのだが、母はガンに侵されていた。


 その細胞の固まりがあちこちに見えていた。たぶん余命は一年、もって二年というところだろうか。


 さて、本人に告げるべきかどうか……わたしは母に対し、患者の一人という興味しか抱いていなかった。


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 すると、母が麻酔からさめてわたしを見つめていた。

 病室にいるのは二人きりだった。


 白衣を着てすっかり大人になったわたし、ガウン姿でベッドに横たわる年老いた母。夕方のオレンジ色が、白い病室の中を燃えるように染め上げていた。


「お加減はいかがです?」

 わたしはニッコリとそう聞いた。


「レンジ。母さんのこと覚えてる?」

 母はいきなりそんなことを言った。


 何をいまさら!


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 わたしはちょっと戸惑った。

 その言葉はあまりに予想外だったから。


「僕に母はいません」

 気づくとこうつぶやいていた。


「あらまぁ、ずいぶん冷たい子ね」

 母は少しむくれて天井を見上げた。でもすぐに微笑んだ。


 なぜだろう? 女性の考えることは相変わらずわからない。


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「母はむかしに僕を捨てたんです。だから僕も母を捨てることにしたんですよ。それ以来、僕に母はいません」


 わたしは穏やかな気持ちでそういった。

 それがわたしの本当の気持ちであり、事実でもあった。


 誤解しないでほしいのは、わたしは母を憎んでいたわけではなかった、ということである。わたしは意地悪なことを言ったつもりもなかった。もう親子という絆が完全に欠落していた。それだけだった。


「そうね、もうあたしの子じゃないのよね。ムニャムニャちゃんは」


 母はそう言った。


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 会話は続く。


 どういうわけだか、母はうれしそうにしていた。

 わたしの言葉にも、始終なんとも穏やかな笑顔を浮かべていたのだ。わたしにはそれが不思議だった。だが悪い気分ではなかった。それが母という人なのだろう。


「ツバサはどうしてる? 元気なの?」

「ツバサ? ……ああ、コトラのことですね。元気にやってますよ」


「そうそう、コトラって呼んでたわね。でもなんだってそんな名前にしたのよ? せっかくかっこいい名前をつけてあげたのに」

「僕たちの恩人が付けてくれたんです。とてもいい名前だと思ってますよ、僕もコトラもね」


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 母は少し辛そうに顔をしかめた。それから長々と大きく息を吐いた。

 何かを考えている様子で、皺だらけの手をもんだ。


「レンジ、あの屋敷で知らないふりしたこと、まだ怒ってるんでしょ?」


 母は言いづらそうにそう言った。

 また何をいまさら!


 だがわたしの心は何も乱れなかった。

 それはずいぶん昔の話だし、わたしはもう大人になっていたからだ。


「いいえ。言っておきますけど、僕はあなたを恨んだり、憎らしいと思ったことなんて一度もないんです。それに今の僕はとても幸せなんです」

「そういうものなのかしらねぇ。それを聞いて、まぁ、少しは気が楽になったけど」


「それはよかった」

「結局、わたしはあなたたちを永遠に失ってしまったということね」


 そういう母はなんだかさびしそうだった。


 なんと答えていいものか……


 だが返事はわたしの心から勝手に流れ出していた。


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「それは違いますよ。最初からぼくたちはあなたのものじゃなかったんです。始めから、生まれたときから、たぶん人は誰のものでもないんですよ。わかりますか? 誰もが、誰のものでもないんです。

 僕は昔、金の涙を流した子供を、片っ端から誘拐しました。今、あなたの言葉でその理由が分かりましたよ。あの子達は親のものなんかじゃなかった。親の理屈で泣かされる理由なんかなかったんです。だから僕は子供たちを救いたかったんです。それをみんなに教えてやりたかったんです」


 わたしは不意に流れた自分の言葉に、あらためて自分の想いを知ることになった。

 そう、わたしはそういう正しいことをしたかっただけなのである。


 だが母は一言こういった。



 まったく容赦ない!


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 まぁ母とは結局理解しあえる仲ではなかったということだ。


 そして母は最後にこういった。

「レンジ、やっぱり母さんとは呼んでくれないんだね」


 ベッドに横たわる母の姿は思い出よりも小さく細く、枯れ木のようだった。


「今でもそう呼んで欲しかったんですか?」

「分かんないわよ。もういいわ、さっさと出てって」


 入れ替わりに入ってきたコウジは、母の元気そうな姿を見てとても喜んでいた。

 ずいぶんと体の大きな子供のようだった。

 そして二人だけで楽しそうに話を始めたのだった。


 わたしは静かに扉を閉めた。


 それは別れだった。


 わたしの背後で一つの世界が扉を閉じたのだ。


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 結局、わたしは母に真実を告げるのをやめた。


 コウジにも母がガンであることを告げないことにした。


 もちろんコトラにも教えるつもりはない。


 ケンちゃんにもレイにも、誰にも母のことは告げなかった。


 それはわたしだけの秘密だった。

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