子供十字軍 ③

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 翌日の昼頃のことである。


 わたしは授業を受けているところだった。だがその日はまったく勉強に身が入らなかった。作戦のことが気になってしょうがなかったのだ。時計の針をずっと気にしていると、窓の外から子供が呼ぶ声が聞こえた。

「レンジ兄さん! レンジ兄さん!」


 わたしはすぐに窓辺に駆け寄った。先生も、クラスの連中も、突然立ち上がったわたしを不思議そうに見ていた。


 だがかまいはしない。

 わたしはそれでなくてもクラスで浮いた存在だったからだ。


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 二階の窓から外を見下ろすと、校門のところに指を十字にしている子供の姿が見えた。あまり印象にない子だったが、マークは本物だ。


「どうしたんだね、レンジ君?」と先生。

「気分が悪いので早退します!」


 わたしは元気いっぱいに答えた。すぐにカバンをまとめ、ざわめいているクラスの連中を後にしてわたしは走り出した。廊下を走り、階段を駆け下り、玄関で靴を履き替え、あっというまに校門に走りつく。


「レンジ兄さん、あの子のお父さんがカゴおばあさんのとこに行きました」

「わかった! どうもありがとう。僕は先に走っていくから、君はこのカバンを持って先にマンションに戻ってくれ」


「リョウカイ!」

 その子はカバンを肩にかけ、十字を掲げてわたしを見送った。


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 わたしは全速力で走り出した。


 幸い、学校から質屋までは歩いて五分、走って一分の距離にあった。あっという間に質屋の裏手につくと、路地裏にナガイの姿が見えた。


「父親はいまこっちに向かってるとこです。ヒカルが空き地で待ってます!」

「わかった。見つからないように隠れてるんだぞ」

 

 わたしはまた走り出した。昨日の夜こわごわと歩いた道を、飛ぶように走り抜けていく。筋肉が躍動し、どこまでも走っていけそうな気がした。ぐんぐん加速を付けて走っていく。


 そして道の半ばで、一人の男とすれ違った。


 ボロのコートを羽織った浮浪者のような男だった。

 髪はくちゃくちゃ、血走った目はとろんとしていて、そのくせ口元にはニヤついた笑いを浮かべていた。足元は酒のせいでふらついている。


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(たぶんこいつだ……)


 わたしは速度を落とさず、目を合わさずに、道の反対側を走り抜けていった。

 やがて空き地の中に入り込んだ。そこにはヒカルがいた。ヒカルはわたしの顔を見ると、十字のサインを作ってから話し出した。


「さっき出て行きました」

「僕も途中ですれ違った」荒れた息を整えながら、そう言った。


「やっぱりまわりには誰も住んでないみたいです」

「よしわかった。君は周りの様子を見張ってくれ。もしあいつが帰ってきたら、その辺の空き瓶を叩き割ってくれ、その音を聞いたらとりあえず逃げてくる」


 わたしは最後に一息ついた。すっかり息は戻っていた。


 ここからは冷静にやらなくちゃならない。

 それもすばやく、確実に。


 わたしはアパートに向けてダッと走り出した。


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 扉に張り付くと、そっとノックをしてみた。


 返事はない。もう一度ノックをしてみた。やはり返事はない。


 そっとドアノブを回す。

 鍵が掛かっている……と思いきや、ノブは意外にもするりと回った。


 汗がでた。いよいよだ。だが、ここから先は計画がなかった。

 誰にどういえばいいのかも考えていなかった。


(それでも、とにかくやるしかないんだ)


 わたしはドアを開き、昼だというのに薄暗い部屋の中に足を踏み入れた。


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「突然でごめん。僕の名前はレンジ。君と話したい事があって来たんだ」


 わたしは誰もいない部屋に向かってそう言った。

 閉ざされたカーテン、部屋の中は酒瓶とゴミがあふれている。


「なぁ、怖がらなくていい。助けに来たんだ。出てきてくれないか?」


 まだ誰も出てこない。玄関には靴が二足、きちんと揃えて置いてあった。

 ひとつは手の平にのるほどの小さな靴、もう一つは赤い色の運動靴だった。

 どうやら子供は二人らしい。


「怪しいやつじゃないんだ、警察とかじゃないけど」


 やっぱり出てこない。まぁそれもそうだ。いきなり知らない人が来たらびっくりするのは当然だ。だが今は時間がない。

 わたしは靴を脱ぎ、部屋の中に足を踏み入れた。

 

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 と。そこに美しい女の子がいた。


 年のころはわたしと変わらない、その時はそう思ったが実際は三つ年上だった。髪が長くて、目がパッチリとしていて、唇がまたなんともいえずかわいらしかった。


「あ……」


 わたしは完璧に固まった。見とれることしかできなかった。彼女はボロボロの洋服にエプロンをつけていたのだが、まるでいじめられていたときのシンデレラのようだった。


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 さてさて、褒めるのもその辺にしておこう。


 というのも彼女は、その後わたしと結婚することになるからだ!


 もちろん今もそばにいる。

 そばにいて百人あまりの子供たちの母親となっている。


 それにしてもなんという衝撃的な出会いだったことか!


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