子供十字軍 ②

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 さてその会議から三日後のことである。

 最初の通報がもたらされた。


 わたしは中学校から帰ってきたところだった。夕暮れのオレンジがわたしたちのマンションを赤々と照らし出していた。その入り口のところでボーズ頭の男の子が待っていた。


 彼の名前はヒカル。名前どおり彼のボーズ頭は夕陽を受けてピカピカと光っていた。ヒカルはわたしの姿を見つけると、すぐに十字のマークを作って合図した。


「レンジ兄さん、ハッケンしました!」

 ちなみにマンションの子供たちは、わたしのことをレンジ兄さんと呼んでいた。ケンちゃんはケン兄さん、コトラだけはなぜか、コトラと呼び捨てだった。


「わかった。すぐ行ってみよう」


 ついに最初の戦いが始まる。

 わたしは決意を込めてうなずいた。


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 それからわたしはヒカルと一緒に質屋まで走った。

 カゴ婆さんのあの質屋である。


 この界隈でキンを買い取るのは相変わらずこの店だけで、金を手に入れた大人がまず向かうのはこの店だった。


 質屋はちょうど店の明かりをつけたところだった。蛍光灯がまたたいて白い光を放ったが、あたりに人の姿はなかった。


「あ、あそこです」


 ヒカルがビルの隙間を指さした。ビルの隙間のところ、ゴミ箱の陰から小さな人影がスッと出てきた。今度はぼさぼさの長い髪の男の子だった。


 彼の名前はナガイ。髪が長いからナガイ。ナガイもさっと指で十字を作った。わたしたちが同じく十字の合図を返すと、ササッとわたしたちのところに走ってきた。


「レンジ兄さん、ターゲット発見しました!」


 すっかり秘密組織なのだった!


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「ごくろうさん、ナガイ君。家は分かったのかい?」

 わたしは緊張感をたたえ、声を落としてそう聞く。


 十五歳でもやっぱり子供! わたしは正義のヒーローになった気分だった。じつはこうして書いている今でも背中がゾクゾクしてくる。でもあの時はやっぱり緊張していた。初仕事だ、緊張するのは当然だ。


 それはともかく、わたしたちは三人ですぐに物陰に隠れた。周囲には誰一人いなかったのだが、ひそひそと会話を交わした。


「はい、最後までビコウしました!」

「よし、今日は様子を見るだけだ。もしそこの子供がいじめられているようなら、次の日にでも助けに行こう」

「リョウカイ!」

「よし、じゃあみんなで行こう」


 こうして子供十字軍の第一回遠征ははじまった。


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 ナガイが先頭を歩いた。ポケットに手を突っ込み、なにげない風を装いながらも、つねに前後左右をササッと確認している。

 そして歩道をはさんで反対側をわたしが歩いた。いかにも学校帰り、という風だが、やはり周囲に油断なく気を配っていた。

 さらに後ろをヒカルが歩いた。さりげなさの演出だろうが、口笛を吹いていた。


 わたしたちは緊張感をいっぱいにたたえて、二十分ほど歩いた。


 やがてボロボロのアパートが並んでいる一帯についた。ナガイは目的の家をわざと通り過ぎたところで、横丁の空き地に入り込んだ。すっかり日が暮れて、あたりはすでに暗い。街灯は立っていたけれど、どれも電気はついていなかった。


「あのアパートの二階、右から三番目の部屋です」とナガイ。

 首を伸ばして見てみると、その部屋にだけ電気が灯っているのが見えた。


 まずは調査開始!


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「まわりの部屋には誰も住んでないみたいです」

 と、いきなりヒカルが報告した。なんとそこまで調べてあったとは! わたしは驚いてしまった。


「すごいね、よく調べたね」

 ヒカルはほめられたのが嬉しかったのか、ボーズ頭が真っ赤になってしまった。


「昼間に男の人が来て、キンをカネにかえていきました。それで、僕とナガイで、ここまでアトをつけてきて、夕方まで見張ってたんです。近くも通ったけど、誰も住んでない感じでした。お母さんもいないみたいです」


「ほんとによくやってくれた。ナガイ君もありがとう。君たちはしばらくここで待っていてくれ。僕がひとりで行ってみる」


 二人は神妙にうなずいた。そしてわたしは学校の鞄を二人に預けた。


「誰かが来るようだったら、何か合図してくれ」

「リョウカイ!」

「じゃ、行ってくる」


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 わたしは足音をひそめ、腰をかがめて、アパートへと近づいていった。それはとうの昔に放棄されたアパートだった。ほとんどが窓も扉もついていない。わたしたちのマンションの方がずっと上等だった。


 わたしはしばらくその場にとどまってから、二階への階段を上りだした。


 金属の階段はさびてボロボロでギイギイときしんだ。その音に怯えながらも、ゆっくりと二階へと昇っていく。

 不思議と恐怖心はなかった。ヒカルとナガイがわたしを英雄として見守っているのだ。かっこ悪いところは見せられない。


 そして扉に張りついた。


 すると扉の奥から子供の泣き声が聞こえてきた。


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 わたしは扉に身を寄せ、ジッと中の声を聞いた。辺りは静かで、扉は薄く、聞こえてくる声はくぐもってぼんやりとしか聞き取れない。


 それでも子供が泣いているのだけははっきりと分かった。


 この時、扉の向こうから漏れてきた会話を書く気にはなれない。

 当時も聞いていられなかった。


 わたしはこぶしを固め、いますぐにでも助けに行きたいのを必死にこらえていた。


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 だが同時に恐怖も感じていた。だいの大人が怒鳴り声を上げていたのだ。その獣じみた声は、本能的に恐ろしかった。

 そして子供の泣き声。悲しみと恐怖のありったけが詰まった、魂の底から搾り出すような、そんな泣き声だった。


 さらに忘れることのできない音。

 それは何かを叩く音にまぎれて時々聞こえてきた。

 パシンと肉を叩くようなにぶい音だった。


 そしてそれに続く子供の泣き声。

 ただただあやまる声……


 泣きたいのはわたしの方だった。


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 男の声は酔っていた。

 ろれつが回らなくなって、意味不明の言葉を怒鳴り散らしていた。


 わたしはその全てを聞いた。

 怒りに震えて聞いた。

 悲しみにまみれて聞いた。

 すぐに助けに行かないことに恥ずかしさを感じながら聞いた。


 もう証拠は要らない。

 これだけ聞けば十分。はっきり見る必要などなかった。


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 心の中で決心が固まっていくのを感じた。


 なんとしてもやり遂げる。なんとしてもこの子を助けるのだ!


 しかも完璧にやらなくてはならない。

 この戦いはこの先も続いていくものだからだ。


 わたしは扉からはなれて、階段を下りていった。


 もう恐怖心は完全に消えていた。


 わたしの胸には復讐心にも似た、確固たる決意がみなぎっていた。


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「いましたか?」

 空き地に着くとヒカルがそう聞いてきた。

 ナガイも心配そうな顔でわたしのことを見ている。

「ああ、いたよ。間違いない……」


 

 今のわたしに近いものになった。


 それまでわたしは子供を救うというのがどういうものかわかっていなかった。

 どこか遊びに近いものだと思っていたのだ。


 だが違う。これはもっと崇高で大切な使命だ。


「……ここで子供がつらい目にあっている」


 二人がわたしのことをジッと見つめている。

 ヒカルとナガイもまた同じような思いをしてきたに違いない。

 だからこそ、だ。


「絶対に子供を助けるぞ!」


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 それからわたしは声を潜めて、次の指令を出した。


「これからあの男の行動を見張ってくれ。あいつはもう一度あの質屋に行くはずだ。その時に僕を呼びに来て欲しい。あいつが出かけている間に子供たちを救い出す」


「リョウカイ!」

 ヒカルとナガイはそう言って、一緒に十字の合図を指先に結んだ。


「それから君たちもくれぐれも気をつけてくれよ。夜は危険だからね。それから交代を誰かに頼むから、ちゃんと休みを取るんだよ」


 


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