老人たちとの交渉 ②

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 翌朝、わたしは三粒の金をポケットに入れて屋敷へ向かった。


 ヒダカ老人と話すのは怖かったけれど、ビビっている場合ではなかった。なにしろこの交渉にはわたしたち家族の未来がかかっているのだから。


 午前中はいつものとおり掃除をして、昼ごろになってようやく、ヒダカ老人と話をするチャンスがめぐってきた。母は息子のコウジを連れてデパートへと出かけていった。たぶん夜までは帰ってこないだろう。


 ヒダカ老人は昼を食べてから書斎に閉じこもっていた。わたしは窓拭きの途中で抜け出し、書斎の扉の前に立った。


 白状するとわたしは小さく震えていた。

 それから大きく息を吸い込み、ついでに勇気をかき集めた。


 あの時の緊張感ときたら!


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 分厚い扉が目の前にそびえて地獄の門のようだった。考えてみれば、屋敷へ来てからというもの、住人のドアをノックするのは初めてだったし、ヒダカ老人とまともに言葉を交わすのも初めてだった。


 わたしはぎゅっとこぶしを握り締め、生唾をごくんと一口飲んでから、扉をノックした。


 

 思わず取り消したくなるほど大きな音だった。


「なんじゃ!」


 扉の向こうから不機嫌そうな声。

 それから足を引きずる音と、杖がコツコツと当たる音。


(殺される?)


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 幼かったわたし(とは言え十二歳になっていたのだが)は、本気でそう思った。


 だがまぁそんな事があるわけはない。いくらおっかない人でもノックしたぐらいで人を殺したりはしないはずだ。しかしわたしはそれぐらいビビっていた。


「さっさと入れ!」

「は、はい!」

 わたしは体重をかけてそっと扉を開いた。


「なんじゃ、レンジか」


 わたしは口をぽかんと開いた。まさかこの老人がわたしの名前を知っているとは思いもしなかったのだ。するとヒダカ老人はにっこりと微笑んだ。わたしに向かって笑ったのだ。わたしは自分のあごが地面に落ちるかと思った。これはあまりに予想外の展開だった。


「まぁ入るといい」


 そう言われて、わたしは恐る恐る部屋の中に入っていった。


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「まぁかけなさい」


 ヒダカ老人が杖で指したのは、豪華な手すりつきのイスだった。それを掃除していたのはわたしだったが、さすがに座ったことはなかった。

 恐る恐る腰掛けると体が沈み込んだ。それはふわふわと柔らかく、ゆっくりと沈みこみ、最後にふんわりとお尻を包み込んだ。まるで雲に座ったような気分だった。


(こんなイスがあるのかぁ)

 なんだか魔法にかかったようだった。


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「ほれ、食べるといい」

 ヒダカ老人はわたしの前のイスに腰掛け、机の上のお菓子をすすめてくれた。それはチョコレートやビスケット、クッキーなどが入ったバスケットだった。

 どれも見たことはあるがもちろん食べたことはない。甘い香りがして本当にどれもおいしそうだった。


「あの、友達と弟の分ももらってもいいですか?」

 と言ったところで、ギロッとにらまれた。


 しまった! わたしは瞬間で後悔した。ずうずうしすぎたのだ。


 老人は静かに立ち上がり、杖を取った。


(やっぱり、殺される?)


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 わたしはそれ以上怖くて見ていられなかった。で、目を閉じて痛みが来るのを待った。が、いつまでたってもそれはこなかった。

 そこで恐る恐る目を開いてみると、そこに紙袋があった。ヒダカ老人はその袋の中に、自らの手でかごの中のお菓子を入れてくれていた。


「あの……」

「全部持っていくといい。それにな、そんなに怖がらんでもいい」


 その言葉にようやくわたしの緊張は解けた。

 少なくとも殺されないと分かって安心する程度には。


「なにか話があるんじゃろう? 給料のことか?」

「いえ、違います」


「ほぅ、てっきりそうだと思ったんだがな……」

 ヒダカ老人は再び座り、杖に両手をのせた。


「……では一体何の用だね?」


 さて、ここから交渉開始だ!


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「あの、あなたに見てほしいものがあるんです」


 そう言ってわたしはポケットの中をごそごそと探った。

 そして三粒の金の塊を取り出すと机の上にそっと置いた。


「ほぅ、これは砂金じゃな。どこで手に入れた?」

 ヒダカ老人は一粒を手に取って、指の間で転がした。

 そして眼光鋭く私を見つめた。


「あの……それは言えないです」

「ふん。盗んだものか……」


 


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 わたしは普段あまり短気なほうではない。

 だがその言葉はわたしのわずかばかりのプライドを傷つけるものだったのだ。


!」


 気がつくとわめいていた。相手がヒダカ老人だということも忘れて、噛み付くようにわめいていた。


      

 

 なんと勇ましいこと!


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「すまなかった……許してくれ」

 謝ったのはヒダカ老人のほうだった。


 その言葉でわたしの頭からも血が引いた。

 気がつくと立ち上がっていた。

 なんだか急に恥ずかしくなって座りなおした。


「あの……すみませんでした」

「いや、ワシの方こそ悪かった」


「あのぅ、僕、出直してきます」

「まぁそう言わんでくれ。なにか用があったのだろう? 話しておくれ」


 わたしは少し迷ったが、やはりヒダカ老人にきちんと話してみようと思った。

 というのもヒダカ老人が悪い人ではないと分かったからだ。それは確かにひどいことを言われた。それでも子供のわたしに対して謝ってくれたのだ。それだけで充分だった。


 わたしは一つ大きく息を吐いた。

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