第1章・1日目

第1話・帰郷「……おかえり」

 七月四日金曜日の四時半頃。

 村境にある長いトンネルを抜け、高速道路の案内標識に『磐舟村いわふねむら』と書かれてあるのを見ると、貴史たかしは「ふぅ」と肩の力を緩めた。


 「磐舟村に帰ってくるのも半年ぶりか」


 半年前までは村からほとんど出なかった貴史にとって、五ヶ月も村から離れているのは初めての体験であったため、再び村の名前を見てひと安心した。都心から高速で約二時間。三年前の春にようやく竣工したこの高速道路のおかげで、ずいぶんと移動が楽になった。高速道路の両側に高くそびえる防音壁が邪魔をして、肝心の村が拝めないが、それもここの料金所を抜け一般道に入ればすぐに見える。

 まだ高くにある太陽の眩しさに目を細める。そして昔と変わらない田園風景に懐かしさがこみ上げてきた。たかが半年でここまで懐かしいのは、それほどこの村に愛着があったのだろう。そう自己分析しながら、貴史は村の旅館へと車を飛ばす。

 今、彼の一番会いたい人がそこにいるのだ。


 

   ***

 村の役所や公民館・郵便局などの重要施設が集まる村の中心街『桜瀬区』。その一角に旅館がある。村の真ん中を横に貫く河の畔に建つ『磐舟いわふね旅館』。小さな村に合わせた控えめな佇まいだが、手入れの行き届いた二階建ての木造建築は、老舗の貫禄をも漂わせる深い存在感があった。

 車を降りて、両手を上に伸ばして思い切り新鮮な空気を吸い込む。心地良い夏の湿気を含んだ空気を存分に味わうと、意を決して旅館の扉を開いた。

 すると、中から元気のいい少女の声が響いてくる。


 「こんにちわー。もう会議の時間でしたっけー……ってあれ? ちょっと……」


 丁度フロントの受付台を掃き掃除をしていた着物姿がよく似合う少女は、貴史の顔を見るなりその手を止めて固まった。目を点にしたまま貴史の顔を見る。


 「よぉ、あかり。久しぶりだな。元気みたいでなによりだ」


 片手を上げて気さくに声をかけると、あかりと呼ばれた少女はようやく止まっていた時間から解放されたかのように声を上げた。


 「貴史じゃん!? え、いつの間に帰って来ていたのよ?」

 「ついさっきだよ。はは、この感じだとサプライズは成功みたいだな」

 貴史は珍しく慌てた声を出すあかりを笑いながら、靴を脱いで受付へ向かう。

 「……」

 「どうした、あかり? 愛しの彼が突然現れて声も出なくなったか?」

 貴史は小刻みに肩を震わせるあかりの顔を覗き込む。

 「……っ!!」


 すると突然腰に抱きつかれた。彼女の短い艶のある黒髪から、いい香りが漂ってくる。あかりはしばらく貴史の腰にしがみついていたため、貴史も笑ってそっとあかりの腰に手を回す。

 これが感動の再会ってやつか。などと貴史は感動に浸っていたのだが、ガバッと顔を上げたあかりの発言は、少々貴史の理想とは外れていた。


 「本当に貴史じゃん。おかえり」


 あかりは、サプライズ時の感情的な叫び声とは打って変わって、落ち着いた優しい声音でそう呟いた。

 これがあかりという少女の本来の姿だったと、思い返しながら返答する。


 「ただいま。あかり」


 

   ***

 「あー、どうして気がつかなかったのかしら私」


 貴史と同じ高校を出たあと、幼い頃から手伝いをしていた『磐舟旅館』で正社員として働いているあかりは、受付にある予約客リストをボールペンでつつきながら頭を抱える。


 「天野貴史って、ちゃーんと今日の宿泊予約客欄に書いてあるじゃん。……まさか、私にだけ知らせてくれなかったの?」

 「その通り。ちょーっと悪戯心が騒いで、あかりの驚く顔が見たくなったんだ。普段の落ち着いたあかりじゃ滅多に見られないレアな光景だからな」


 受付のカウンター越しに、肘を付きながら貴史が笑うと、あかりも「呆れた」とため息をこぼして微笑んだ。

 ひとしきり笑ったあと、あかりは「で?」と疑問を口にした。


 「ここで予約してるってことは、家には帰らないのかしら? もう半年も顔を合わせてないんでしょう?」

 「あー、実家に帰ってもいいんだけど、あそこは朝から晩まで忙しいからな。ゆっくりするなら旅館の方が向いてると思ったんだ」

 「そうね。貴史のおじいさんは村長だし物知りだから、みんな頼りにして昔は来客でいっぱいだったわね」

 「そういうことだ。それに、ここに来れば一番にあかりに会えると思ったんだ」

 「はいはい。私も久しぶりに会えて嬉しいわ」


 あかりは貴史の言葉を軽く流すと、おもむろに取り出した宿泊客の名簿の天野貴史の欄に、慣れた手つきで生年月日と電話番号を書き込んでから聞いた。


 「いつまでこっちにいる予定なのかしら?」

 「七夕祭の翌日には寮に帰る予定だから……三泊四日かな」

 「うんうん。三泊四日っと。へー意外、七夕祭りのためだけに帰ってくるなんて。ちゃんと約束を覚えてたのね」


 感心したような顔をしながら、嬉しそうな声でチェックインの準備を済ませるあかり。今度は貴史が思わず「心外だな」と呆れる番だった。


 「丁度一年前のあかりとの約束なんだ。忘れる方が難しい」

 「ふふ、そうね。用意できたわ、はいこれ部屋の鍵、無くさないでよ」


 『106号室』と刻み込まれたガラス製の棒にぶら下がる鍵を受け取った貴史は、部屋に向かおうとする。だが直前、ガラガラッと旅館の扉が勢いよく開いた。


 「あーちゃん! こんばんわー」

 のんびりした声が玄関口から響いてきた。

 「あ、春香ちゃん! いらっしゃーい」


 春香はるかちゃんと呼ばれた倉治春香は、高校の制カバンを担いだ制服姿のままフロントに入ってきた。貴史の二つ年下の高校三年生である。貴史が振り返ると、春香も貴史の存在に気がついたようで「あら?」と片手を口にあてて驚いた表情になる。 


 「貴史お兄さんじゃないですか! あれあれ、こっちに帰っていたんですか!?」

 「よぉ春香、久しぶりだなぁ! 実はついさっき帰ってきてな……帰省中はだいたい旅館にいると思うからよろしくな」

 貴史が近づいてきた春香の頭をワシワシ~と撫で回していると、あかりが横からちょこっと顔を出し、感心して声を出す。

 「春香ちゃん……もしかしてもう、準備できたの?」

 「はい。ほら……みんなの分集めてきました!」


 貴史に頭を撫でられるがままにされながら、春香はカバンから長方形の折り紙の束を取り出して見せた。それは七夕の短冊で、そこにはもう沢山の願い事が書かれている。

 

 「へぇ、すごいじゃない。これで七夕祭の準備も捗るわ」

 「高校で短冊に願い事を書いて集めたのか。そういえば前までは毎年書いていたな」

 あかりと貴史がそれぞれの感想を抱き、口にする。

 「貴史お兄さんは、大学で書いたりしないんですか?」

 「うーん……向こうではこの村ほど盛んにやってないな」

 「それはなんだか寂しいですね……」


 貴史は今暮らしている都会の風景を思い出しながら答えると、春香も少し下を向く。


 「磐舟村の祭はみんなやる気まんまんだし、余計にそう感じるよな。商店街とか駅とかで竹笹を立ているのは見るけど、みんながみんなやっているわけじゃないんだよ」

 「そうなのね。ずっとこの村育ちだから、この村の祭が普通だと思っていたわ」


 あかりも意外そうにしている。

 磐舟村は、年間を通して多くの行事を伝統的に行う村であり、それが普通だった。


 「あぁ、俺もこの村の祭が好きだよ……そのこともあって早く帰ってきた」

 「それじゃあせっかくだし、みんなが集まっている大広間に行ってみたら?」


 それだけ言い残し、あかりは着物姿で小走りに去っていく。


 「え? ……みんな?」

 取り残された貴史は、横に立ち同じく取り残された春香に尋ねると、彼女は「ふふっ」と微笑んだ。

 「貴史お兄さんは知らないのも当然ですね。……実は、七夕祭の実行委員と私たちみたいなボランティア……あっ私七夕祭りのお手伝いしているんですよ。それで私たちがミーティングとか作業とかするのに、この旅館の大広間を使わせてもらっているんです」


 その言葉を聞いて、貴史はギクッとした。実家が騒がしいから旅館に来たのだが、どうやら旅館も騒がしいらしい。そうして春香と並んで大広間へ歩いている途中、大広間から聞き覚えのある快活な声が聞こえてきた。


 「なぁ、まさか七夕祭りの実行委員会に、俺のじいちゃんは入ってないよな?」

 「村長のおじいさん? はい、勿論委員会ですよ。神主さんの次に村の祭と伝説に詳しい人ですから」

 「あー……」


 どうやら家に帰るのと、ほとんど状況は変わらないらしい。

 そんなことを考えながら、貴史は大広間のふすまを引いた。

 スーツケースを引っ張って、庭に面する縁側を通って大広間に入ると、楽しそうに笑う話し声が聞こえた。中に居た大人たちが、貴史と春香に気づいて振り向いて大きく手を振った。


 「おぉ、春香ちゃん! よう来たなあ! で、そっちは……」

 部屋中に響くような元気な声を出したのは貴史の祖父でもある磐舟村の村長だった。

 「はい! こんにちわ。短冊みんなの分集めてきました」

 「ただいま、じいちゃん。それに……」


 深く頭を下げる春香と、軽く挨拶して部屋にいる面々を見渡す。

 部屋の真ん中にいるのはこっちに手を振る村長、名前は天野健治。その奥には祭りの舞台である神社の神主が座っている。並べられた長机を挟んで、いままで打ち合わせをしていたようだ。


 「ありがとう春香ちゃん。……やぁ、貴史君、久しぶりだね」


 春香から短冊の束を受け取った背の高い若い男性は、ニッコリとして貴史に挨拶する。その顔には見覚えがあった。


 「隆太りゅうた兄さん!? 久しぶりだな。でもどうしてここに?」


 彼の笑顔に隆史も思わず破顔する。貴史より十歳も年上の彼は、小さい頃から貴史たちの兄貴分である。


 「森隆太お兄さんは、七夕祭りの実行委員長をしているんですよ。あれ? 知りませんでした?」

 春香がすかさずフォローしてくれた。

 「去年は準備に参加してなかったから、全然知らなかったよ。へぇ隆太兄さんの企画なら、当日が楽しみですね」


 貴史やあかりや春香が幼い頃からもう大人だった森さんとは別に、一人知らない中年の男性がいる。頭にハテナを浮かべている貴史に、春香は耳打ちで教えてくれた。


 「ちょっと太ったオジサンは、寺栄一てらえいいちさんです。七夕祭の舞台とか企画された花火とかのレイアウトを、具体的な形にしてくれる現場担当さんですよ」

 「は、初めまして……、天野貴史です」


 顔を合わせるのは初めてだが、彼の胸に付いている社章は村の中で見たことがある。どうやら土木建築会社の社長さん自ら準備に参加しているようだった。

 寺社長は座っていた座布団ごと大きな体を貴史に向ける。


 「えぇ、初めまして、話は聞いてますよ貴史さん。七夕祭一緒に盛り上げていきましょうな」


 気前のいい声で差し出された寺の大きな手と握手していると、タイミングよくあかりが湧いたお茶をお盆に乗せて持ってきた。


 「はいはーい、みなさんお疲れ様ー。ここらで一旦休憩にしましょうかー」


 隣にあかりに似た人もいる。あかりの母親だ。彼女も煎餅などのお菓子の入ったバスケットを持って入って来た。


 「あら、貴史君お帰りなさ~い。七夕祭まで、ゆっくりしていってね」


 事前に帰ることを伝えていたあかりの母親こと、旭洋子あさひようこは、夏祭りの打ち合わせをする村長たちを労いながら、彼女自身も座布団の上に腰を下ろして煎餅を頬張った。彼女に釣られるように、広間でのミーティングをしていた彼らも、姿勢を崩して談笑を始めた。

 貴史にとって、この広間にいる寺を除く全員が、幼い頃からの顔見知りだ。

 祖父である村長の天野健治はもちろん、あかりの母の旭洋子、遊び場にしていた神社の神主。そして恋人の旭あかりと妹分の倉治春香とは生まれた時からの付き合いで、七夕祭の実行委員長をしている森隆太は、貴史世代の子供達みんなの偉大なお兄さんだった。

 煎餅をつまみながら、貴史に話しかけてきたのは村長の祖父だった。


 「よぅ帰ってきたな貴史! 元気にしとったか?」


 もう八十歳近い年齢の村長だが、その年を感じさせない快活な口調で貴史の肩を小突く。


 「ああこの通り元気だ。じいちゃんこそ、まだまだ元気そうだな」

 「そりゃそうじゃ。この村もようやく発展してきたところじゃから、ワシが倒れるわけにはいかんのじゃよ」


 力こぶしを作り健常さを見せつける村長の様子を見て、貴史の隣に来たあかりも笑顔で言う。


 「ねぇ貴史知ってる? 今年の七夕祭は例年よりも人が増えるからって、村長のじいちゃん凄い張り切ってるのよ」

 「……みんな変わらず元気そうで何よりだ。それと七夕祭は村の大きな祭の一つだから、人が増えるってんなら張り切るのもわかるよ」


 子供の頃から磐舟村に住んでいる貴史にとって、山や田んぼばかりの日常から一歩離れた祭りというものは、一大イベントであった。祭りで村が盛り上がり煌めく様は、幼い頃の貴史の目に魔法のように映った。

 あかりと貴史の言葉を聞いて、満足そうに頷く村長は「ところで……」と貴史に尋ねる。


 「のぉ貴史、もちろんお前も祭りの準備を手伝うために、ここに来たんじゃろうな?」

 これに貴史は即答する。

 「そのつもりで早く帰ってきたんだ。去年はじいちゃんのせいで、実家で勉強勉強だったから当日しか参加できなかったし、それに……」

 「……磐舟村の祭りは準備から始まっている……ですよね貴史お兄さん」

 これまた貴史の隣で座ってお茶をすすっていた春香が、貴史の言葉を先取りする。

 「あぁ、その通りだ。ちゃんと覚えてるぞ」

 「よぉ言った。人手が多いことに越したことはないから助かるわい」


 貴史の背中をたたいて豪快に村長は笑った。

 孫との再会を喜ぶ村長と、祖父の勢いに元気づけられた表情の貴史を見て微笑むあかりは、湯呑に注いだお茶を貴史に差し出す。


 「はい、お茶よ。貴史は昔からお祭りが大好きだもんね……これから聞くことになるだろうけど、今年はすごいわよ」


 あかりは得意げに笑いながらそう言った。

 すると、今まで隣で話していた七夕祭実行委員長の森が、祭りという単語に反応したのだろうか、こちらに体を向けて訊ねてきた。


 「お、なんだい貴史君? 今年の七夕祭について聞きたいのかい?」


 貴史の十歳年上の森が、子供のような勢いで乗り出してくる。

 それを驚きながら訪ね返す。


 「隆太兄さんがそこまで言うってことは、……どれだけ派手な祭にするつもりなんだ?」

 「聞いてくれてありがとう」と大きく頷いた森は、火が付いたように話しだした。


 「聞いて驚いてくれ……今年の七夕祭りは動員数がグンと増えたことを受けて、打ち上げる花火が去年の倍! これで夏の夜空が最高に彩られるのさ……更に演出を派手にして空に浮かぶ天の川を、まるごと地上に持ってきたかのような風景を創り出し――ッ!」

 「まぁまぁ、森さん。そんなに一気にまくし立てたら皆さんびっくりしてしまいますよ」


 熱い口調でまくし立てていた森を、後ろで見ていた寺がなだめて続ける。


 「この部屋で話を聞くだけだは分からないと思うので、七夕祭りの舞台になる神社に向かいながら、ゆっくりと話そうじゃないですか」

 首にかけたタオルで汗を拭いながら提案する寺の言葉に、あかりと春香が同調する。

 「そうね。そのほうがわかりやすいと思うわ」

 「はい。貴史お兄さんも、まだ帰ってきてからあまり村を見てないでしょう?」

 「俺はいいんだが、打ち合わせか何かの途中だったんじゃないのか?」

 貴史が寺の提案に困惑していると、村長が見かねて言った。

 「打ち合わせは丁度ひと段落したところじゃよ。……それに、もう一度神社での設営を現地で見直さんといけんところもあるから、何の問題もなかろう」

 「……そうですね。そうしましょうか。村を歩きながら祭りのことを話していると、新たな発送の手助けになるかもしれませんしね」


 お茶を飲んで落ち着いた森も賛同し、一同は神社へと向かうことになった。

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