はじめてのクリスマス

つづれ しういち

はじめてのクリスマス


 トゥルルルル。

 電話が鳴る。



「……はい」


『ハイ! アキ! よかったわ、もう家に着いていたのね。一応休暇はあげたけど、クリスマス休暇っていっても、そんなにのんびりはしていられないんだから、覚悟しておいてちょうだい? 

 少し早く日本に帰ることになっちゃって、もうこっちは後悔の嵐だわよ! ほんっと、あなたの希望なんて聞こえなかったことにすればよかったわ。なんていっても、東洋文化セクションの司書の中では、研修中のあなたがだなんて、ほんっと、わが館はじまって以来の珍事、まさに珍事よ!

 だいたい、ボブの見通しも甘かったのよ。日本文化だのサムライだのニンジャだののセミナーを、山ほど計画してくれちゃってほんとにもう……!

 あなたが講師をしなきゃはじまらないようなセミナー、あんなに入れていったいどういうつもりなのかしら! そのくせ、自分はとっとと海外バカンスに行っちゃってるっていうんだから笑っちゃうわ。

 とにかく、毎日ひっきりなしに文句が来るんですからね、『あのサムライ・ボーイはどこに行った』『はやく呼び戻せ、今すぐここに連れて来い』『ほかの司書じゃ話にならん』って……あなた、いったい何をやったの!?

 日本文化を下敷きにした映画を撮るんだからって、あの世界的に有名なハリウッドの監督までもが毎日のようにやってきてはぎゃーぎゃーうるさいんだから、どうにかしてほしいって感じだわよ。

 とにかく一刻もはやく戻ってきて! ねえ、聞いてる? 聞いてるの、アキ? ちょっと、うんとかすんとかおっしゃいな!』


「えっと、あの……すみません。ア、アイキャント、スピーク、イングリッシュ……」


 ……えーっと。

 電話に出た途端、最初の「ハイ、アキ」から以降、ずーっと(多分)英語でまくしたてられていた俺がやっとそういえたのは、受話器を上げてからたっぷり五分はたってからのことだった。


 もちろんここで再現したのは、彼女――ニューヨーク公共図書館の館長、マリー・ホワイト女史――の台詞を、後になってあいつに解説して貰ったものである。

 いや、怖かった。

 ああいうの、本当の「マシンガン・トーク」って言うんだろうなあ。



「すまなかったな」


 年末の買い物に出ていた佐竹は、帰ってくるなり折り返しの電話をいれて、ごく静かな語り口の英語でもって受話器の向こうでさっきと同様、ぎゃんぎゃんしゃべりまくっている女史を言いくるめたらしかった。

 いや、どうやってだかは知らないけどさ。


 そのままキッチンへ回って食材の下ごしらえにかかった佐竹の隣で、俺もそれを手伝いながら、ちょっと考えてから声を掛けた。


「あの……さ、佐竹……」

「何だ」


 手早くほうれん草やブロッコリーなんかを湯がいて、今夜食べる分と冷凍保存するものに分けながら、佐竹が答える。

 相変わらず、なんでもかんでも手早くて合理的だ。

 なんでも、買ってきた野菜はその場である程度の下処理をしておけば、料理に使うときにいちから作らなくていい分はやくできるし、使い残しも防げるんだとか。


「えーっと……あの。『アキ』って、呼ばれてんの……? お前、向こうで」


 このマンションで一緒に暮らすようになってすぐ、佐竹は向こうの図書館に研修にいくことになって、元はこいつの家だったこの部屋にほとんど帰ってこられなくなった。

 俺はここに住んでいるわけだけど、実家は歩いてすぐのところなので、さいさい向こうにも帰りながら、この部屋で留守番しながら大学に通っているというわけだ。


 俺の質問を聞いて、佐竹がちょっと「ああ」というような顔になってこちらを見た。

「『サタケ』も『アキユキ』も、向こうの言語にはそぐわない発音だからな。向こうに着いてわりとすぐに、それで定着した。いつの間にかな」

「そう、……なんだ……」


 なんだろう。

 なんかもやもや、落ち着かない。


 少し黙り込んだ俺を見て、佐竹は手を止めてこちらを向いた。

「なんだ。……それがどうかしたのか」

「あ、……ああ、いや。なんでも――」


 真正面から聞かれても、多分、うまく説明できない。

 仕方ないので、俺はへらっと笑ってしまった。

 こういう俺の笑い方を、こいつがあまり好きじゃないって、知ってるんだけど。


 佐竹が本格的にこちらを向いた。


「……内藤」


(あ、駄目だ……)


 まずい。

 佐竹の眉間に皺が寄ってる。


「言いたいことがあるなら、はっきり言え。年が明けたら、またすぐ向こうに戻ることになる。別にそういうことでなくとも、普段から心残りのないようにしておいたほうがいい」

「あ、……うん。そうだよな……」


 俺は諦めて、シンクでリンゴを洗っていた手を止めた。

 こいつがこういう物言いをするのは、なにもそういう性格だからなだけじゃない。

 俺たちは両方とも、ひょんなことで親を亡くした経験がある。

 昨日、いや今朝までいっしょにいた家族が、いきなりいなくなる経験をしたことがだ。


 だからこいつは、いつも「悔いのないように生きろ」と俺に言う。

 そうでなくても俺の体は、高校のとき、あのとんでもない一連の事件のために、本来の自分の体ですらなくなっている。

 もしも何かの問題があって、普通の人みたいな寿命がない体だったりしても、それは文句の言えないことだ。

 ここに戻ってくるためには、他に方法がなかったんだから。


 あの事件から俺を救い出してくれたこいつが、それもこれも全部わかって、いま俺と一緒にいてくれていることを、俺は心から感謝してる。なんて幸せなんだろうって、夜中に急に、泣き出したくなるぐらい嬉しくなってしまうことも。



「いや、あの……別に、大したことじゃないんだけどさ……」


 俺はぽつぽつと、ずっと思っていたことを言葉にしてゆく。

 本当は、ほんとうはもっと、早く言いたかった言葉を。


「一緒に、住んでるのにさ……。いつまでもお互い、苗字で呼んでるのも変だなあって、思っててさ――」


 気がつくと、エプロンをした体の前で、まだ濡れている指先をもじもじさせている。

 なんか俺、こいつの前にいると女の子みたいになっちゃうなあ。

 紺のエプロンをした佐竹が、少し首を傾げたようだった。


「名前で、呼びたいのか? ……俺を」

「…………」

 俯いたら、いつもみたいに耳が熱くなった。

 佐竹は少し黙っていたが、やがて低い声でこう言った。


「俺のほうは構わんが。……お前が、嫌だったんじゃないのか」

「え?」

 意外な言葉がきて、ひょいと見上げると、佐竹が妙な顔で見下ろしていた。


(え? なんで……?)


 なんで佐竹がそんな風に思うのかが分からず、俺も首を傾げてしまう。

 なんで恋人を、名前で呼びたがらない奴がいるって思うんだ? こいつは。


 だけどその疑問は、すぐに次の言葉で解消された。


「俺に、『ユウヤ』と呼ばれるのは嫌だったんじゃなかったか」


(……あ。)


 そこで初めて、俺は昔の記憶を思い出した。

 突然連れ去られてしまった、不思議な世界。

 そこで俺を助けるために、こいつは自分の記憶を犠牲にしてしまった。

 目を覚ましたこいつは、俺のことを忘れてて。


 それで、周りの人がそう呼んでいたのを聞いて、俺を「ユウヤ」って呼んだんだ。


 俺は「そんな風に呼ぶな」って、「お前は俺のこと、そんな風に呼ばないもん」って、泣いてこいつをなじってしまった。


(そっか……。)


 気がつけば、握り合わせた手に力をこめていた。

 こいつはそれで、ずっと俺のこと、名前では呼ばないようにしてたのか。

 さすが、生真面目の権化みたいな奴だなあ。


 そりゃ、あの時は「内藤」って呼ばれたのがめちゃくちゃ嬉しかったけどさ。

 こいつの記憶が戻って、ほんとに、ほんとに嬉しかったんだけどもさ。


 でも、今は、今はそういうことじゃないだろ……?



「もう、いいのか……?」


 俺の気持ちを察したかのようなあいつの声が、ちょっと上から降ってくる。

 いつもは低くて、怖いだけみたいにも思う声だけど、二人だけのときはそれが、すごく優しいときがある。

 そう、ちょうど、今みたいにさ。


(もしかして……。)


 それは、こいつも俺のこと、そう呼んでみたかったってことなのかな。

 そうだったらいいな。


 ほんのわずかだけ頷くと、あいつの手が伸びてきて、

 俺の髪に、頬にちょっと触れた。

 こつ、と額を合わせられる。


 こんなの、外では絶対できないよな。



「……祐哉ゆうや


「……へへっ」


 俺はちょっと変な声で笑ってしまった。

 触れられてるあいつの手の上に自分の手を重ねて、

 囁くみたいな声で、俺も言う。



「……あき。……煌之あきゆき



 二人で過ごす、初めてのクリスマス。


 そのまま寝室にひっぱっていかれながら、

 俺はへにゃへにゃ笑ってた。


 今度はこいつの嫌いじゃない、ちょっと崩れた俺の笑顔で。




                      完

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