日が、雑にも暮れて

埃日


 サンタさんからプレゼントを貰えたのは、四年前が最後だった。

 自分が二十歳になった年だ。

 悪い子になったからという理由で貰えなくなったわけではない。

 ただ単に、両親が次の年で死んだからだ。

 死因は何の変哲もない、ありふれた交通事故だった。


 今にして振り返れば、昨今では珍しい家庭だったのかもしれない。

 節分の日には豆を撒いたし、人日の節句には昼食に七草粥が出てくるような家だ。旬と行事を重んじる類の家庭だったのだろう。クリスマスだからとはいえ、とうに思春期を過ぎた子どもに……しかも決まって枕元に置く形でプレゼントを渡すというのは、少々度が過ぎているようにも感じられた。

 「その日その日に新鮮な空気を」というのが、家の生活方針であった。高校卒業後、独立目的で他所の地域へ移り住む際に聞かされた話では、私に感受性を豊かにもって欲しいとの願いからそのような方針になったとの事だった。

 では、私が生まれる前は違ったのかというと、その点は記憶が曖昧なのだという。


「でも、父さんが他の女をアパートに連れてきた時、二人に豆を投げてやったのはハッキリ覚えてるよ」

 私は、苦笑いを浮かべる他無かった。父が不倫を働いた事があるという話は以前にも聞いていたが、やはり慣れない。母が笑い話のように語る一方で、ソファで新聞を読んでいた父は苦々しい笑みを浮かべながら顔をそむける。母はそんな父を一瞥し、じろりと睨む。

「それで女の方は玄関を開けっ放しにしたまま慌てて逃げてさ、父さんは土間に頭を付けて謝ってた」

 母が言うには、あの時に父が女と一緒に逃げていたら迷わず離婚を切り出すつもりだったらしい。とりあえず、逃げずに謝ったのだから赦してやろう。と、そんな心境だったようだ。

 父が小声で、ぼそりと呟く。

「豆を撒いてる方が鬼みたいだった」

 逃げてりゃよかったかな。と続けた直後、母の投げたテレビのリモコンが、父の広げていた新聞紙を貫いた。

 それから数分は、母の怒鳴り声と父の悲痛な声が居間に響いていた。


 ソファの前に立ち、その時に父が座っていた辺りに腰を掛ける。

 当時と比べて張りが弱くなっており、腰が思っていたより深く沈んだ。

 ソファが、溜息をつくかのように縫い目から埃と空気を吐き出す。物の風化を実感する。

 父の温度など、当然の事ながら残っていない。

「埃まみれ」

 テーブルも、テレビも、リモコンも。さながら霜のようでもある。

 三年も放置していたのだから、それも当然の事だ。

 そうだ。逃げるように放置していた。この家を。三年間も。

 当時、私は自分を否が応でも急き立てる一連の死亡手続きを、卑しい事に手頃な踏み台とでも思い込むようにして逃げた。暫しの休憩などと、銘を打って。

 そして、ふと思う。霜のように積もった埃は、三年間逃げ続けた自分自身の足跡なのだと。

 

 自室のドアを開けるとそのままベッドの前まで直行し、倒れ込むようにして寝転がる。

 埃が舞う。

「こんな広い家、掃除できないって」

 労力の問題ではない。そう自覚しておきながら、言い訳のように呟く。

 それから余計な意識を振り払うように努めながら、眠りについた。



 翌朝、喉に刺々しい痛みが巻き付く。

 埃を吸いすぎたのだろう。

 嗚咽を漏らすには、些か厳しい日となった。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

日が、雑にも暮れて @InkJacket13

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る