私と世界
宮里智
第1話 馬鹿馬鹿しい話(1)
そこは畏怖と畏怖と少しの軽蔑の意味を込めて、選挙の国と呼ばれていた。
争いが絶えず、それでいて反省の色も見えないことから、貿易も隣国のみに限られ、隣国側が必要最小限だと判断するもののみを、細々と扱う程度。ただし発展していないのかと言われればそうではなく、選挙の国独自とも言うべき技術は多々あった。
選挙の国を訪れようとする旅人たちの殆どは、隣国の民からの悪い噂ばかりを耳にする。だからこそ、よほどの思想家や物好きでない限り、実際に入国しようとはしない。
ここに一人と一本の物好きがいた。つまりは私とセカイである。
隣国から徒歩で向かっていた。
「たまには魔法を使わずに散歩もいいだろうね」
心なしか元気のない、少年の声を漏らしたのは、片手にもっていた杖。名をセカイという。
私は軽く頷いただけで、足を進める。あたりの草の丈は段々と低くなっていく。
選挙の国は北方にあるためか、少し肌寒く感じる。しかし、恐ろしいほど晴れ渡った空から、暖かな日の光。ウォーキングにはうってつけの天気だ。
私が軽く深呼吸すると、杖からまた、少年の声がする。
「ねえ勇者、僕にも歩かせて? 最近ずっとこの姿で、もう肩こっちゃって」
「いやよ、杖。杖に肩なんてないわ」
間髪入れず杖……セカイは不満の声を上げる。
「なんだって僕を杖扱いするんだい。この時代では、僕、人間として暮らしているんだぞ。もう少し人間扱いしてくれてもいいじゃないか」
私は苦笑いだけしながら、歩み続けた。いくらセカイと名がついていても、杖は杖だ。人間として生きられるわけがない。
*****
しばらく歩くと、北の門にたどり着いた。石のような、水のような、よくわからない材質で作られている。扉はどこにもないように見えたが、私たちが門に近づくと穴が開き、そこから門番とみられる女性が出てきた。彼女が私たちの前に立つと同時に、穴が塞がる。
迎え入れた門番は、不思議なことにメイド服を着ていた。
膝下まである青い布の端には、白いフリル。首元には、几帳面に整えられた真っ赤なリボン。
今までの国はスーツや鎧に身を包んだ、いかつい男性ばかりだったため、新鮮である。
杖の状態のセカイが息を荒くするのを感じた。実際にそれが私の腕にかかるわけではないが、不快である。私は杖の端を、隣国で買った新品の靴で踏んづけた。
「勇者様、ご歓迎いたします。我が国においでくださり、誠にありがとうございます。最高のおもてなしをさせていただきたく存じます」
門番は高く澄んだ声ですらすらと言う。セカイは私にだけ聞こえるような声で、
「ちょっとちょっと、門番が兵隊さんじゃないよ。これはこれは大変なことだよ」
言うや否や、杖は重くなり、形を変え、みるみる人型になった。
「お嬢さん、なんでこんな危ないところでお仕事を? 門番はみんな男性っていう人間の掟ではないのかい?」
好奇心あふれる少年の声。
「な……」
メイド服の門番の顔が、女性のそれとは思えないほどの形相に変わる。
ただの驚きではない。例えるならば、顔をしかめるという表現の、数倍になるであろう。眉間に皺を寄せ、美しい顔立ちが跡形もなく崩れ去る。すでに死んでいるゾンビの、死に際のようだ。
しかしさすが外交の最前線に立つ者と言うべきか、すぐに私の方を見て、笑った。
「もう、勇者さん、おふざけはよして下さい。男性の方は入国禁止ですよ」
多少顔が引きつったままではあったものの、人間の顔を取戻した彼女は、しかし、セカイと目もあわさない。
「入国口も違うのかい?」
セカイは恐れることなく問う。
「さ、勇者様、気を取り直して、ようこそお越し下さいました。中にお食事を用意してござ」
「ありがとう」
言い切る前に、言い切った。食事は大々、大歓迎だ。
そしてセカイは、一人、取り残された。
*****
こうして僕は一人とぼとぼと、無機質な門壁を沿って歩くことになった。
勇者は、お食事を、の「おしょ」あたりから口を開いていた。「おしょうべん」だったかもしれないにも関わらず、だ。
お小便用意してます、なんて、意味がわからない。あのメイド服はトイレにでも行きたかったのだろうか。
いや、勇者様、お小便は大丈夫ですか、かもしれない。長い旅路、道端で用を足すというのは、人間にとってきっと「勇者らしからぬこと」だろうから。
それはともかく、勇者のあの食いつき方には感心する。恐るべし食欲、恐るべし欲望。人間はなぜそこまで欲に溢れるのだろう。勿論僕にも欲はある。好奇心というやつだ。しかし……。
「おや、そこのぼうや、どうしたんだい」
考えながら歩いていたものだから、いつの間にか下を向いていたようだ。
低い声に顔を上げると、頭から足の先まで、立派な鎧を身にまとった男性、恐らくは門番が目の前にいた。
いつの間にか反対側、つまりは南側に着いていたようである。
勿論、迷うことはないし、勇者が僕を置き去りにしてから日は殆ど傾いていない。魔法を使って高速で移動していて、かつ男性が入れる門を魔法で探知してそこに向かっていたのだから。
「僕、この国に入りたいんだよ。僕、おとこのこだから、入れてくれるよね」
門番は快く頷いた。
「もちろんだよ、君のような少年でも、この国にとっては大切なお客様だ。さあ、中に入っていいよ。特別な検査はないからね……性別さえ確認できればいい」
門番の声が一瞬恨めしげになったが、門を無事、通してくれた。
*****
私は小さな丸皿に満たされたスープを見つめた。隣に置かれた小さなスプーンでそれを掬う。三回ほど繰り返しただけで、スープはなくなった。
そして、また新しい料理が運ばれてきた。今度はほんのりいい具合に焼けた、細長いパンのようだ。
私の中指ほどの長さしかない。しかしそれだけで、芳醇な香りがあたりを包む。
「こちらはサバニラを生地に練り込んだブレッドになります」
「……鯖ニラ?」
すごく相性が悪そうな組み合わせである。それとも、かえって化学反応をなんやかんやと起こしているのであろうか。いや、鯖の生臭さとニラの独特な香りが合うわけがない。いくら何でも食べられる私でも、さすがにごめんだ。
いや、新種のバニラかもしれない。甘い香りはしないが、それならば納得できる。
「サバニラは我が国独自の遺伝子操作を用いて作られたハーブでございます」
パンを運んできたウェイトレスが言う。彼女もまた、門番と同じメイド服を身にまとっていた。
「変わった名前のハーブね」
「ええ、鯖というお魚と、ニラという野菜の一種を掛け合わせて作られました」
「ああ……」
「勇者様? いかがなさいましたか」
あながち私の想像は間違っていなかったようである。化学反応をなんやかんや起こすと、ここまでいい香りとなるのだから、化学の力は侮れない。
私が隣国にて聞いたことに、選挙の国は技術を無駄遣いしている、という意見があった。
クローン技術、遺伝子組み換えに特に優れ、人々は老いることを選択行為と認識している。若いあの頃に戻ることも容易だと。
隣国から何人か移住者はいるが、少数にとどまっている。この国の法律が、紛争が、かなり厄介らしい。
事実、門に入る前に一つ念押しされたことがあった。
「私どもは訪問者を歓迎します。しかしながら、この国では争いが続いていますので、いつ騒ぎが起こるかわかりません。万が一何か起こるといけませんので、連れの者をご用意いたします。勇者様が危険にさらされる……ことはないと思いますが、そのときは命を変えても、お守りいたしますので、どうかお一人で行動なさらないよう、よろしくお願いします」
食事を運んできたのがその連れの者らしい。私が今密室で一人、飯を食わされているのも、安全管理の面からだろう。
「勇者様、こちらはサラダになります」
この国が厄介だろうが危険だろうが、私には関係ない。まずは食べよう。
何が入っているのか知れない。やはり小さな小鉢に盛られている。恐らくはレタスと、トマトだろう。ドレッシングがかけられていない以外は、変わったところはない。
「こちらのサラダに使用されているレタスは、何の遺伝子が組み込まれていると思われますか?」
先ほど私がサバニラに食いついたことに気をよくしたのか、楽しげにウェイトレスは訊く。
「……さあ、私にはわからないわ。……魔法で探りたくもない」
最後は声には出さず、口だけ小さく動かした。
「あら、そうですか! 実はですね、こちらのレタスにはショウジョウバエの遺伝子を組み込んであるのです。害虫予防だけでなく、最近はうまみ成分と似た構造の成分を作り出すことが可能だという研究結果が発表され、そのレタスは一般家庭にもすでに普及しています」
饒舌になるウェイトレスをよそに、恐る恐る一口運ぶ。シャキ、シャキ、とゆっくり噛む音だけが部屋に響いた。
「……うん、なかなかおいしいわね。生で食べられるわ」
「そうでしょうそうでしょう? 塩分はむくみの元です。このような食材を使うことでサラダに味付けがいりません。綺麗な女にむくみは禁物です。そうそう、このトマトなんか――」
言われる前に口に運ぶ。
「すごく甘いわ。サトウキビか何かと掛け合わせたのかしら?」
「それがなんと、このトマトにはトマトの遺伝子が入っていないのです」
ここまで来ると、化学と言うよりおふざけである。
「へえ、話を遮って悪いのだけれど」
「はい、なんなりと」
私はふう、とため息をついて皿の中の植物らしきものに視線を落とす。どれもまずくない、むしろおいしい料理たちも、これだけ少ないと物足りない。
「もう少し量はないの? もっと食べたいのだけれど」
「……左様でございますか。かしこまりました、すぐに用意させます」
その言葉通り、運ばれてきたのは大皿に盛られた何かの炒め物。取り皿がついてきたが、私は気にしない。
腹が減っては戦はできぬ。大皿から直接かきこんだ。
曇ってしまったメイドの顔と対照的に、私の顔は輝いていたことだろう。
*****
「それで、つまりは、あれだね。女性を殲滅してほしいと」
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