ハートイン・エクスプレスメモリー

さかき原枝都は(さかきはらえつは)

雪降る聖夜の二人の大切な想いが今始まる

ハートイン・エクスプレスメモリー

 まだ携帯もスマホも無かった時代。


 遠くはなれた二人をつなぐのは、固定回線の電話と公衆電話。 そして、紙に書く直筆の手紙。

 それでも私たちの心は一つになっていた。


 私は東京で暮らし、彼は遠く離れた東北の地秋田。

 離れたくはなかった……

 いいえ、離れる事さえ考えもつかなかった。


 でも現実はこんなもの。

 

 前略

 村田人志(むらたひとし)様。

 お元気にお過ごしですか。そちら秋田はもう雪降り積もっているでしょうね。

 こちら東京は、夜でも町の明かりは煌々とした光を放っています。


 今年クリスマス……一緒に過ごす事出来ないですね。


 私はその時は仕事。

 だから……


 でも、20日はお休みです。


 だから……だから、19日の最終の新幹線で盛岡まで行きます。


 人志、来てくれるかな?


 秋田まで行きたいけど、私には時間がありません。


 いられても次の日の最終の新幹線の時間まで……

 良かったら、本当に良かったらでいいです。


 もし時間が取れるのなら……会いたい。ほんのいっときの間でも。

 

 ごめんね。


 私が東京なんかに行かなければ……

 こんな思い人志にもさせなくて済んだのに……ごめんね。

  

 お店で写してもらった写真。一緒に送ります。

 あまりにも変わった私を見て驚かないでね。


 それじゃ。

 会えることを楽しみにしています。

 早々


 並木 絵里奈(なみきえりな)



 私は12月の始めに人志に手紙を書いた。


 でも彼からは返事の手紙は返って来なかった。


 電話もそんなに掛けることもできない。

 お互い、連絡の取り会いにも一苦労する。

 それに時間も本当に合わない。


 私は夜がメインの仕事。

 彼、人志は昼の仕事。


 家に電話をかければ人志の親が出る。


 私はあんまり彼の両親からはよく思われてはいないみたいだったから電話するにも気が引ける。


 たまたま、私がアパートにいる時。

 偶然の様に人志から電話がかかってくる。


 その偶然に最大の幸せを込めて私たちは共にたわいもない会話をする。

 ふと思う事がある。


 離れているから、お互い見えない時間が多いから………どんどん二人の距離は離れていくような……そんな気がしてくる。


 でもたまに聞く彼の声。


 その声を訊くたびに、そんな事を思っていた自分が恥ずかしくなる。

 だって、人志はこんなにも私の事想ってくれているのに……

 

 人志とは高校の時、同じクラスだった。


 私は、当時ほとんど女子は希望しなかった工業系の高校に入学をした。

 当然クラス全員、私以外はみんな男子。


 「紅一点の華だ」


 担任からはそう言われたが、外見はとても地味で、性格はどちらかというと男勝りの気性の激しい性格。


 後で「紅一点の華」は担任から取り消されたが……

 

 私の家は普通の家からすれば貧乏だった。

 だからバイトもして学費や生活費の足しにいくらかでも稼がないといけなかった。


 学校が終わってから真っすぐ行くのは、バイト先の喫茶店。

 そこで夜まで仕事をする。


 そして、家に帰ってからは内職の手伝い。

 本当に寝る暇なんかなかった。


 そんな私をクラスの男子はよくからかっていた。


 いろんなバイトを掛け持ちしていて、終いには売春しているなんて……


 「そんな事私にはどうでもよかった」


 正直金になるんだったら、そこらのおじさんについていっても良かった。

 そんなもん、楽な稼ぎだとしか思っていなかった。


 

 でもある日、それが現実になろうとした。


 その日はクリスマス。


 いつになく忙しく、終わる時間もだいぶ遅くなった。

 クリスマス。


 来る客は、ほとんどが恋人同士。

 「羨ましい……」

 そんな事思っている暇が無いほど忙しかった。


 「ごめんね。こんなに遅くなっちゃって。帰り気を付けてね」

 お店のオーナーが帰り際一言ねぎらってくれた。 

          

 外に出ると外は深々と雪が暗い空から降り注いでいた。


 「寒い」


 一言出た言葉だった。


 多分この時初めて、自分の心の寂しさを感じたのかもしれない。

 足早に家に向かう途中。


 後ろから、声をかけてくる男性の声がした……


 「ねぇ、君一人?こんな時間に……」


 振り向くと30歳くらいのコートを着た背の高い人だった。

 私はその声に無視してすたすたと歩き始める。


 するとその男性も私の後を追いかけるように歩き始める。

 「ねぇ、君。地元の人。僕東京から出張で来たんだけど、この街って何にもないんだね」


 それでも私は黙って雪道を歩く。


 次第に、街灯も少なくなり辺りは暗さを増してくる。


 そして私は、その男性に手を掴まれた。


 「そんなに無視しなくてもいいじゃないか。今日はクリスマス。お互い一人なんだから、これから僕と楽しく過ごさない」


 私はその掴まれた手を振り払おうとした。

 その時

 「何もただとは言わないよ。ちゃんとおこずかいもあげるからね」


 思わずその言葉にその手が止まってしまった。


 その人をもう一度見ると着ているコートはブランド物の高そうなコートに、少し甘い顔つきで優しそうな感じのする人に見えた。


 彼は私のその手をゆっくりと引き寄せるように、もと来た町の方へ引き込んでいった。


 私はその時点でこの先、私がする事を解っていた。


 この人と……


 ただベットに寝ていればいいんじゃない。


 それでお金がもらえるんだったら……お互いそれで……


 それでもなぜだろう。なんだかとても悲しくなってきた。


 でも、じっとその悲しさを押し殺した。


 雪はさっきより強く降り始める。


 「すごいねぇ。やっぱり雪国だけのことはある」

 彼は独り言のようにつぶやいた。でも、私の手はしっかりと握ったままだった。


 駅前の通りに差し掛かると

 「僕の泊まっているホテルもう少しなんだ」


 ぼそりと前を向きながら彼は言う。

 私は下を俯きながら、彼の横に引き寄せられた。

 

 もう何かを考えるのは止めよう。

 もうどうなってもいい。


 これが私。

 これが私の人生。こんな人生だから何があってもおかしくない。


 だからいいの。だからいいの。


 そう心の中で叫んでいた。決して口には出さずに……


 今降り積もる雪で、私の心を真っ白く埋め尽くしてくれることを願いながら……

 これから穢(けが)れる自分を消し去るように。


 彼が泊まるホテルの入り口が見えて来た。


 もうあそこをくぐると後戻りはできない。


 あと少し……

 あと……数歩……


 その時


 「おい、絵梨奈」私を呼ぶ声がした。


 振り向くと

 そこに人志の姿があった。


 「お前、そいつと何処行こうとしてんだ」


 でも最初は誰だか分からなかった。

 スノージャンパーにマフラーつけて顔半分見えなかったし、それにいつもの制服……と言っても人志の学ランは短ランにボンタン。しかも裏に竜の刺繍まで入っている。


 性格は明るくて、クラスでもみんなをまとめる役どころを担っている。

 まぁ、格好はともかく不良と言う部類に入る人間ではない事は確かだ。


 しかも面倒見がよくて、ほかの高校の生徒達とも意外と友達も多い。


 でも私に対してはいつもぶっきらぼうな態度で接してくるんだけど……


 「おい絵理菜、返事くらいしろよ」


 この状況を見ても人志の態度は変わらずぶっきらぼうで、それでいて……鈍感な奴。


 「な、なんでもないわよ。あなたには関係ないでしょ」


 私がそういうと、人志はいきなり私の手を掴み引っ張るように歩き出した。


 「おい君。どうしたんだ」

 わたしと一緒にいた男性はあっけにとられるように声を上げる。


 そんな事おかまいなしに人志はぐいぐいと私を引っ張ってその男性から遠ざけた。

 人志は私の手、いいえ手首を強く握って引っ張る。


 またもと来た道を戻り、街灯がぽつりぽつりとなり始めた頃、少し人志の手が緩んできた。


 私は、その手を振り払うようにほどいて


 「どういうつもり?」


 私は叫ぶように人志に向かって言った。

 人志は私の目を真剣に見て


 「お前何考えてんだ」


 「何考えてんだって、あんたには関係のない事でしょ。私が何しようと……」



 バシッ……と人志の平手が私の頬を強く叩きつけた。



 「馬鹿野郎……絵梨奈、もっと自分を大切にしろよ」


 人志に叩かれた頬がじんじんとしている。

 でもそれ以上に、私の心は凄まじくむなしく悲しかった。


 そして「もっと自分を大切にしろよ」と、人志の言った言葉が胸を突き刺す。


 雪が舞い落ちる冷えた空気が頬の痛みをさらに痛くさせる。

 でもあの一言が……人志の一言が次第に心を暖かくさせてくれる。


 下を俯きいつしかあふれ出す涙を舞い落ちる雪と共に流れ落としていた。

 何も言えない。何かを言おうとしても胸の奥から何かが詰まりすぎて声にならない。


 でも涙だけはあふれ出してくる。


 「馬鹿だよお前は、クラスの奴らが言っている事本当の事にしてまうのかよ。俺は……お前は、絵理菜はそんな奴じゃないと信じていた」


 「信じていた……」


 人志は、こんな私を信じてくれていた。


 こんな私を……


 こんなにもガサツで、こんなにも貧乏で、誰の為じゃない自分の為にしか事を考えられない、こんな私を……


 もう止められなかった。


 今まで耐えていた心の強がりが、さっきまで心の中で叫び続けていた苦痛の叫びが

 今、一気に解き放たれた。


 私は崩れるように、降り積もる雪の中に膝を落として泣き叫んだ。

 そう私は馬鹿なことをさっきしようとしていた。


 もう少しで多分後悔する事になる事を、私の心に大きな傷をつける事を………人志は救ってくれた。


 本当は、とても怖かった。

 本当は、とても嫌だった。

 例えお金の為でも……


 涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃ。叫ぶような鳴き声は嗚咽でかき消される。


 もうボロボロな私を人志はそっと立たせ……自分の胸に私の冷え切った体を包み込んでくれた。


 彼の体から暖かさが伝わる。

 何だろう……彼の鼓動を感じると、とても心が暖まる。

 どうしてだろう。人志の心が私の冷めた心と気持ちを落ち着かせてくれるのは……

 ほとしれず感じる安心感。


 ぐちゃぐちゃに絡んだ糸がゆっくりとほどけていく感じ


 私はまた泣いた。

 人志の暖かい胸の中で……

 

 それから人志は私のバイトが終わるころ喫茶店に来て、私を家の近くまで送ってくれるようになった。


 事実上、そのころからだろう人志と付きあうようになったのは……

 それからの2年間、ずっと人志は私を見守ってくれた。


 よく友達もお店に連れて来てくれて


 「ねぇ、あの子なの人志の彼女。意外だねぇ」


 なんて言う子もいたけれど人志は相変わらずぶっきらぼうに

 「ほっとけ、んなこと」何て言って気にも留めていなかった。


 正直、人志の友達の中には本当に可愛い子もいたけれど……


 たまに私は人志に訊く


 「本当にこんな私と付きあっていいの。もっと可愛い子もいるのに」

 なんて意地悪に言ってみる。


 すると人志は決まって

 「ばぁーか」といって私にデコピンをする。


 とっても痛いけど、物凄く嬉しかった。


 高校3年。もう高校生活も残りわずか

 人志はすでに地元の企業の内定を受けていた。


 でも私はまだ就職先は決まっていない。

 この頃はまだ工業系から就職するに女子はとても狭き門だった。


 求人はほとんどが男子のみの求人だったからだ。


 しかも、地元の工場ですら工業系卒の女子はあまり好まれなかったらしい。


 もう卒業式まじかの時、親の知り合いで働き手が欲しいといわれたところがあってそこに行くことになった。


 でもそこは、秋田じゃなくて……東京だった。


 しかも、親からはそこはいろいろとお世話になっているから…と言われ、断ることは出来なかった。


 私はしばらく人志にはこの事は言わないままでいた。


 卒業式も後一週間となったある日


 人志と私はいつもの様にバイト帰りの道を二人で歩いていた。


 もう言わないといけない……

 私は東京に行かなければいけないことを


 意を決して私は人志に言った。


 「ねぇ、人志」

 「ん、なんだ」相変わらずぶっきらぼうな返事で返す。


 次の言葉が声にならない。


 「………人志……わ、私……」

 じれったそうに


 「だから何なんだよ」と人志は言う。


 そして少し間をおいてから

 「私、就職先……」と言うと、人志から


 「お前東京に行くんだってな」とあっけらかんとした口調で返してきた。

 「え、どうして知っているの」


 私は驚いて言った。だって、人志にも友達にも誰にも言ってなかったのに……

 唯一言ったとすれば担任だけだったから。


 「ああ俺、担任から聞いたんだぁ。お前が東京に行くこと。大丈夫かってな」

 大丈夫かって……担任にも口止めしていたんだけど……


 「まっ、正直言うと俺の方から訊いたんだけどなぁ」

 人志は少し上を向きながらぼそりと言った。


 「……そ、そう」

 「ああ」


 しばらく私たち二人は何も言わず歩き続ける。ゆっくりと遅い春をもう近くに来ている事を感じながら……


 卒業式が終われば私はここにいる時間は残りわずかしかない。

 そうなれば私たちは遠く離れた場所で暮らさなければいけなくなる。


 こうやって二人でいる時間も無くなってしまう。

 目が次第に熱くなって、胸がギュッと締め付けられる。


 「仕方ねぇじゃんか、こればっかりは。俺にもどうにもならねぇ」

 そう言う人志の目には少し光るものがあった。


 私は耐えきれず


 「ごめんね……」と言ってあふれ出る涙を止めることが出来なくなっていた。


 「何も謝ることじゃねぇだろ絵里奈。ただちょっと俺らのいる場所が少し遠くなるだけじゃねぇか」


 「でも……」


 「でも、じゃねぇだろ。後二度と合えねぇわけじゃねぇし、それに手紙だって送ってやるしよ。あと、声訊きたくなったら家に電話すりゃいいだろ」


 相変わらず人志の言葉はぶっきらぼうで……でもその言葉一つ一つがとても暖かく感じる。


 「うん……そうだね」

 泣きながら何とか言えた言葉だった。

 

 卒業式の日。その日は私は人志とは学校で一言も話さなかった。なんだか人志の方が私を避けているような感じがしたから。


 でも最後のホームルームが終わってみんなで「解散」と声を上げて電気科Bクラスを解散させた後


 「絵里奈」

 人志は私を呼び止めた


 「絵里奈、これからあの喫茶店に行くから」と私を無理やり引っ張る様に学校を出た。


 途中、人志の友達数人と合流して

 「お、いいねぇ。卒業式の日に二人で手を繋いでいるなんて」

 少し茶化す子もいたけど私も知った子たちだったから、恥ずかしいとも何とも思わなかった。


 「それじゃ俺ら先行ってるから……あ、それから来る時間ちゃんと守れよ」

 そう言って駆け足で喫茶店の方へ行ってしまった。


 「まったく馬鹿かあいつら」相変わらずぶっきらぼうに人志はつぶやく。


 そして「今日は天気いいなぁ」と空を見上げ

 「絵里奈少し寄り道していくぞ」そう言って喫茶店とは反対の方向に進み始めた。


 「ちょっと、寄り道ってどこ行くのよ」

 私は人志の後をついていった。


 そこは……まだ雪が残る住宅街の小さな公園。


 ブランコは取り外され滑り台もまだ雪の中にうずもれていた。

 かろうじて一つのベンチが座れる状態だった。


 ここは周りが木で囲まれている。だからあまり人目には付きにくい公園。

 そのかろうじて座れるベンチに人志はゆっくりと腰かけ、そして春の気配を感じさせるまだ薄い青空を、足を延ばして仰げ見た。


 「なぁ絵里奈。卒業しちまったなぁ」


 私はそっと彼の横に座り、少し俯いて

 「うん……」と答えた。


 「高校3年間。大変だったけど……楽しかったなぁ」

 「うん」

 「俺、馬鹿ばっかやってたからなぁ」

 「そんなぁ。ちゃんとクラスのみんなまとめてくれてたじゃない」

 私は静かに人志の言葉に答えた。


 ふと彼は私を見て


 「なぁ絵里奈。俯いてないで空見てみろよ」


 私は彼の言う通り空を見上げ、まだ薄い色をした少しオレンジかかった青空を眺めた。


 「東京はもう暖かいだろうな」

 人志のその言葉にドキッとしながら


 「た、多分……ここよりは暖かいと思う」

 「そうだろうなぁ」


 そう言って、私の手に一通の封筒を渡した。


 「それ、今日……全部終わったら読んでくれ」 

 「え、」


 そしてスッと立ち上がり

 「もういい時間だろう。行くぞ絵里奈」

 ちょっと動揺する私を追いてくように歩きだした。


 「ちょっと待ってよ人志」


 慌ててベンチから立ち上がり人志の後を追う

 ようやく追いついて


 「まったくもう、いきなりこんなことするからびっくりするじゃない」

 そう言ってから私もカバンから一通の手紙を取り出し人志に手渡した。


 「本当はもっと後でやろうと思っていたんだけど……あんたが先に出しちゃうんだもん。私のも今日の最後に読んでよ」


 少しすねたように言った。


 人志は何も言わずに手紙を受け取り、すたすたと歩いていく。


 ポッケに突っ込んでいた手を出してそっと私の手を握る。


 まだ明るいうちに二人で手つないで歩くのは少し恥ずかしかったけど、人志の手はとても温かくて…大きくて…嬉しかった。


 何より人志の手から伝わる暖かさが私の心を満たしてくれた。


 喫茶店に着くといつものドアには

 「本日PM20時まで貸し切り」と看板が掲げていた。

 え、貸し切り。どう言うことなんだろう。そう思いながら二人でドアを開け中に入った。


 中にはもうクラスの仲のいい友達や、私も親しくなったほかの高校の子たちが私たちを待っていた。


 「おせーぞ人志」

 「バーカ時間通りじゃねぇかぁ」

 またぶっきらぼうに返す人志のその表情は、少しはにかんだように照れていた。


 「絵里奈ちゃん」

 お店のオーナーが私を呼んで


 「今まで本当に頑張ってくれてありがとう」


 大きな花束を私に手渡してくれた。

 メッセージを添えて……そこには

 「絵里奈ちゃん。東京に行っても頑張れ……友人一同」と書かれていた。


 「み、みんな……あ、ありがとう」

 もう涙が止まらなかった。


 こんな私に、こんなにも暖かい想いを伝えてくれた……


 私はもう一度心を込めて言った

 「みんな、ありがとう」と……


 そしてみんなで卒業の打ち上げパーティーをした。


 私だけじゃない。


 みんなこれから、実社会に出て社会人として働かなければいけない。

 だから、みんな気持ちは同じ……そしてこれからの期待や不安も……

 私だけじゃない、そして私は一人きりじゃない。


 どんなに苦しくても、私にはこんなにも素敵な仲間が出来ていた。

 だから私は耐えられる。


 そしてその想いを私に与えてくれたのは……

 いつも私を見守り、いつも私の支えになってくれている


 「人志」


 あなたと出会えたから……私はこんなにも幸せになれたんだと………

 

 私は幸せな高校生活をいつの間にかにすごしていた事を実感した。


 東京に出発の日、駅には両親と妹と弟が私を駅まで見送ってくれた。


 でもその中には人志の姿は無かった。


 泣きながら妹と弟は私の乗る列車を見つめる

 「二人共頑張ってね」

 ドアが閉まり列車は走り出した。


 私も慣れ親しんだ土地を離れなければいけない寂しさと苦しくてもこれから私のいない生活をしなければならない兄弟を想うと自然と涙が溢れ出てくる。


 東北新幹線はまだ盛岡から上野の間しか開通していない。

 ここから盛岡までは普通列車で行かないといけない。そこから新幹線に乗り換える。


 列車がホームから離れる寸前まで、私は人志の姿を探した。

 でも彼の姿を見ることはなかった。


 「人志の馬鹿……」

 そう小さく呟く


 列車はおよそ二時間くらいの時間をかけて盛岡の駅に到着した。

 そこから東北新幹線のホームに向かう。


 在来線の改札を抜けホールにある時刻表示版を見る。

 私の乗る新幹線が発車するまでは後一時間ほどの時間があった。


 「あと一時間かぁ……」そうつぶやき待合室の椅子に座った。 そしてもう一度。心の中で


 「人志の馬鹿野郎……」と叫んでやった。


 もう、しばらく会えないのに……もう一度人志の顔をこの目に焼き付けておきたかったのに……


 ふてくされた様に、少し頬を膨らませた。


 その時後ろから、少し膨らませた頬に少し熱めの何かがそっと触れた。

 思わず「キャッ」と声を上げ後ろを見る。


 ……その私の後ろに席に、にたついた顔をした人志がいた。


 「ハハハ、大成功」と笑う顔は本当に久しぶりに見るあの人志の屈託のない笑顔だった。


 「人志……」思わず漏れた声


 「おう、ほれ缶コーヒー」と私にさっき頬にちょっと付けた缶コーヒーを渡してくれた。


 人志は私の横に席を移して座る

 「どうしたの……」


 思いがけず人志が盛岡の駅にいることに驚いている私に

 「お前が出る一本前の列車で来ていたんだ」

 そう唐突に言う。


 「そ、そう。わざわざ……」

 「ああ、わざわざ来てやって待っていたよ。お前の事を……」

 「ふうーん」鼻でかすめるように返す。


 「なんだ嬉しくないのかよ。せっかくここまで来て見送ってやろうとしてんのによぉ……」

 またいつもの人志のぶっきらぼうな言葉に戻った。


 私はこのぶっきらぼうな人志の言葉を訊くと安心する。

 「……あ、ありがとう。人志」   


 本当は大声を上げて泣きじゃくりたい位嬉しかった。


 「あと一時間くらいあるな……」

 「……うん」


 人志はそう小さく呟く私の横顔を見ながら

 「お前、荷物それだけなのか」と訊く


 私が持ってきた荷物は、旅行カバン一つだけだった。

 「だって、服なんか制服あるからいらないし、普段着のジャージと下着だけあれば十分だから……」


 「ジャージと下着ねぇ。そしたらパンティーもあのシマシマのやつだけなんだろ。お前いつもシマシマだったからな」

 「馬鹿……それしかなくてすみませんでした」

 少しむっとして返してやった。

 でも正直私の下着なんて本当に安物の下着しかないから反論も出来ないんだけど……


 「あれっ、怒っちゃった」


 何も悪気も無いように人志は笑いながら言う。


 でもこんな会話も、あと少しで出来なくなる。

 急に寂しさが胸の中からこみ上げてくる……


 あと少し…もう少し、時間が欲しい。出来ることならこのまま時間が止まってくれたらどれだけ幸せなんだろう。

 そんな事をこみ上げる寂しさと共に思い抱いた。


 「間もなくやまびこ166号上野行の改札を致します」


 無常というべきだろうか。そんな思いをかき消すように、私の乗車する列車の改札が始るアナウンスが流れる。


 「絵里奈」


 人志は立ち上がり私を改札へいざなう。


 でも、私の体は動かない。立とうとしても足に力が入らない。 「嫌だ……いやだ。東京なんかに行きたくない。ううん、私は人志とかたときも離れていたくない」

 だからから体を動かしてしまえば……それは人志と離れなければいけないことになる……現実的に


 それでも人志は私の手を取り引っ張る様に私を立たせた。


 「絵里奈、さぁ行くぞ」


 人志は寂しくないの?私と離れ離れになるの何とも思っていないの……

 じっと彼の目を見つめる。


 そんな人志の目はいつもよりしっかりとした……ううん。とっても優しい目をしていた。


 私はようやく一歩あゆみ出すことが出来た。


 彼のその優しい目の中にある本当の人志の想いを感じることが出来たから……

 そしてまた一歩……私は前をむいて歩いた。


 人志は入場券を買って一緒にホームまで来てくれた。


 ホームに上るエスカレーター

 人志は前からそっと後ろに手を差し伸べてくれた。

 私はその手をしっかりと握りながらホームへ向かう。


 ホームにはすでに多くの人たちが列車を待っていた。

 「すごい。みんな東京に行くのこの人達」

 「まさかぁ。途中仙台とかまでの人もいるんだろ」

 私があまりの人の多さに驚いているとちょっと心配そうに人志は言う。


 「お前、これくらいの人で驚いていたら東京なんかまったくうごけねぇじゃねぇのかよ」


 た……確かに。


 向こうはこの何十倍の人の波が押し寄せてくるんだろうと思うとまた気がめいってしまいそうだった。


 「しっかりしろよ絵里奈」

 人志はそう言って私の頭をポンとたたく

 「うん」


 ホームに到着列車のアナウンスが入る


 「間もなく十一番線にやまびこ166号上野行きが入ります危ないので黄色い線の内側でお待ちください」


 列車はホームに滑る様に入ってきた。

 いよいよ、本当にこれで人志としばらく離れ離れになってしまう。


 また目が、また胸の奥がとても熱くなって来る。


 笑顔でいよう。

 私はそう心に決めていた。

 もう二度と人志と会えなくなるわけじゃないんだから……

 笑顔で私は出かけよう。その笑顔を人志が決して忘れることのないように……最高の……え…笑…顔……


 もう耐えることが出来なかった。


 せっかく、ここまで耐えて来たのに……

 涙が勝手にあふれ出てくる。


 止めたくても、止めたくても……止まらない涙が……


 「絵里奈」


 人志が私の名を呟くと同時に私の手を引っ張り、ホームの待合室の壁に体を押し付け


 キスをした


 そして、強く私のからだを抱きしめ


 「絵里奈、俺、お前の事愛してる。だから手紙の事絶対にお互い忘れるな……絵里奈」

 「うん、私も人志の事愛してる。だから私の手紙に書いてあった事絶対に約束する……人…志」


 私はまた人志に助けられたいいえ、最高の勇気をもらった。

 

 「またな絵里奈」

 「うん。また会える日まで…人志」


 列車の扉はゆっくりと閉っていった……


 発車のオルゴールが鳴りやみ、駅員の鳴らす笛の音がする……私の乗る上野行きの新幹線はゆっくりと動き出した。


 私はドアの窓から必死に人志の姿を追う


 人志は加速する列車の中にいる私の姿を追う


 次第に……人志の姿は小さくなる……ホームの最後で手を振る人志の姿がみ…見えなく…なった。





 今年は私が東京に来てから三回目のクリスマスを迎えようとしている。

 そう私がこの大都会東京に来てからもう少しで三年になろうとしている。


 初めての年のクリスマス。

 その頃私はもう夜の仕事を始めていた。


 だからクリスマスのような大きなイベントのある時は休むことは出来なかった。


 人志に書いた手紙を送った年の12月、その年の20日は何とか休みをもらっていた。それに前の日も早番にしてもらっていたから、ギリギリ最終の新幹線に乗ることが出来た。


 人志からの返事は無いまま、私は急いで上野駅に向かいあの長いエスカレーターで新幹線のホームへと向かった。


 返事はなかったけど、私は信じていた。


 人志があの時高校生だった時に私に「信じていた」と言ってくれたように、私も人志の事を信じている。


 盛岡行きのやまびこはまばゆいホームの光を後にして暗闇の中を終点の盛岡へ向かう。


 暗闇の中でも流れる街の光は次第に寂しさを増していく。

 その寂しさが増すごとに、人志に会える想いが次第に胸を熱くさせる。


 どうしているかな?人志雰囲気変わったかな?


 盛岡から秋田までの普通列車はもう着くころには無い。

 人志には少し悪いなぁ。と思うけど、この時期に出会うとしたら盛岡で会うしか方法がないのが現実。


 新幹線はあっというまに仙台を過ぎ、岩手県に入った。


 車内アナウンスが入り、もうすぐ終点の盛岡に到着することが告げられる。


 盛岡が近くなればなるほど小さかった不安が次第に大きくなってくる。 

 何も人志から連絡はないし……も、もしかしたら来てくれていないかもしれない。

 それでも私は人志との約束を信じている。


 

 ゆっくりと列車は盛岡駅のホームに入る。


 みんなこの盛岡で降りていく。

 そして、足早に新幹線ホームから立ち去る人の流れから私は外れる。


 もうほとんどの人がホームにいなくなった。


 それでも私はその誰もいなくなったホームに一人残り彼の姿を探す。


 12月の盛岡、雪は秋田の様にないけれどホームを通り過ぎる風はとても冷たく感じる。


 「はぁ……」とため息をつきながら、冷たい空気が流れるホームのベンチに座り込んだ。

 誰もいないホームいるのは一人、私だけ……人志の姿は探したけど、どこにもいなかった。


 でも、もしかしたら下のホールで待っているかもしれない。


 私は俯いた頭を上げ、ホームから離れていく新幹線を眺めてながらそう思った。

 列車はホームからその姿を消し、静かになったホームの後には「二本のレール」しか私の目に入っていない。


 ようやく立ち上がろうとした……その時


 私の目は温かい手で覆われた……

 その手のぬくもり、その手の優しさ……


 「だぁれだ」


 後ろからする声……


 声なんか訊かなくてもその手のぬくもりで私は一瞬に誰か解っていた……


 「馬鹿……」


 「あ、ひでぇなぁ。馬鹿何て名前じゃないんだけどなぁ、俺」

 呆れた様にそしてあの懐かしい少しぶっきらぼうな言葉。


 「馬鹿に馬鹿って言って何が悪いの」


 「だからよう、俺の名前、馬鹿何て名前じゃないんだって言ってるだろうが]


 「うふふ、ただいま……人志」


 「正解。お帰り絵里奈」


 彼の手は…人志の腕はゆっくりと顔から前に行き、私を包みこんだ。

 私を包みこんでいた冷たい風は一瞬にして、暖かい人志のぬくもりの中に包みこまれた。


 「ンもう、手紙出したのに返事もくれないから……来てくれないんじゃないかと思ってた」


 「あははは、ごめんごめん。実は手紙読んでからすぐにどっかやっちまって……確か19日と20日ていう日にちだけは頭にあったから、今日に賭けてみたんだ……多分今日の時間は解らないけど遅い時間だと思ってたから……」


 「え、まったく私の手紙無くしちゃったの。それにあなた何時からここで待っていたのよ」


 人志は罰わるそうに


 「えーと5時だったかな……うーんと4時だったかな……」


 「ちょっと、今もう10時過ぎてるわよ。5時間も6時間もここで待っていたの」

 「そう言う事になるな」



 「あーやっぱりあんた名前変えた方がいいわよ……馬鹿って」



 そのあとの人志のあのぶっきらぼうな言葉は、さらに拍車がかかってまるで高校生の時の様に私たちは久しぶりの二人だけの、あの時の時間が戻ったような……そんな短い時間を過ごすことが出来た。

 

 そして、私たちは少し早いクリスマスを二人っきりで静かに過ごした。



 人志のなくした私が出した手紙。

 実は人志の車の助手席側のドアとシートの間に落ちていた。


 見つけたのは私、人志は謝るどころかあのぶっきらぼうな言葉で

 「そんなところに落ちる手紙が悪いからだ…俺が悪いんじゃねぇからよ」


 なんて言っていたけど……実は物凄くホットした顔をしていた。

 そのギャップがなんだかとてもおかしかった。だから


 「もういいよ。許してあげる」


 だってちゃんと信じて約束守ってくれたんだもん。それに5時間も6時間も私の事待っててくれたんだから……


 私たち二人の約束。


 それは……


 卒業式が終わった時。

 あの時渡したお互いの手紙

 人志からの手紙を読んだとき私は涙が止まらなかった。

 だって、私と同じ事書いてあるんだもの……

 

 あの雪の降るクリスマスの夜。

 私が人志から思いっきり叩かれたあの夜。


 俺が思わず絵里奈を叩いてしまったあの日。


 人志は私を「信じていた」と言ってくれた夜。 


 俺は、あんな噂なんか……絵里奈はそんなことをする奴じゃねぇと「信じていた」いた日の夜。


 私はもう少しで、人志の気持ちを失うところだった。


 俺は絵里奈を本当に失いたくなかった。高校に入学してからずっと…絵里奈だけを俺は見ていたんだ。

 あの日、思わず絵里奈を叩いてしまった。今更言い訳をしたって始まらねぇけど……ごめん…絵里奈。

 いつか謝らないといけないってずっと思っていた。     


 あの日の夜私は人志から救われた。

 もし、あの時人志がいなかったら私は本当に大切なものを失っていた。でもあの時、人志から思いっきり叩かれて…痛かったけど……でもそれ以上に私の心に温かさと希望を与えてくれた。


 だから……ありがとう。本当に私の事を信じてくれて……そして本当に私の事を叱ってくれて……ありがとう人志。

 私はあなたがいたから今があるんだと思っている。

 

 だから私にとって最高のクリスマスプレゼントだった。

 

 俺はあのクリスマスの日に、最高のプレゼントもらった。

 それはお前、絵里奈だ。

 俺の想いを絵里奈はあんな事したのに……受け取ってくれた。


 だから俺にとってあのクリスマスは最高のプレゼントをもらったんだ。


 だから、私たちの……俺たちの……記念日は

 クリスマスなんだ。


 たとえどんなに離れていてもあの日の想いを信じていよう。

 そして二人で過ごした時の思い出を大切にしよう。


 俺らは…私たち二人は…二本のレール。

 どんなに離れていてもレールの様に心はいつも繋がっている。

 あとは、そのレールを走るだけ……


 二人の心のレールの上を……



 私たちが離れて暮らしてから3回目のクリスマス。


 今年はクリスマス当日に時間を作ることが出来た。

 そして……今度は人志を私が待つ側になった。


 今年のクリスマスの3日間。

 人志は東京に来る。私のいる東京にやってくる。


 今度は私が人志を待つ番。


 でも初めて知った……待つことの辛さを……

 人志はずっと私を待っていてくれたんだ……こんなに辛い思いをして

 それを私は今年知った。

 向かう辛さの何百倍も辛いことを……


 

 彼の乗る東北新幹線がホームに入る。

 そのドアの向こうからくる私の大切な人


 その人を運んでくれたエキスプレス。


 二人の心を繋いでくれたレールを走って彼は私の元にやってきた。

 あのころからの大切な思いでと共に……



 来年、私たち二人のレールは一つの駅にたどり着くだろう。

 そこからまた新たなレールが敷かれる。



 今度は二人で一緒にそのレールを走ることが出来るように……


 いつまでも……共に。


 変わらぬ記念日を大切にしながら………メリークリスマス。

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ハートイン・エクスプレスメモリー さかき原枝都は(さかきはらえつは) @etukonyan

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