第4話「旅の終わりと暮らしの始まり」
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時刻はすでに0時を回っていた。
寒空の下を、ふたり歩いて帰途についた。
彼女の語る、彼女のこれまで。
物語について。
作者について。
それは驚くべき内容だった。
物語が形成すための愛情の蓄積が
それは奇しくも実家の火事の直前だった。
すべての絵日記が燃える前に彼女は具現化し、難を逃れた。
一方俺はしばらくの間ホテルでの仮住まいを続け、やがて東京の叔父のもとで世話になることになった。
トワコさんとはすれ違ったまま、互いに長い旅を始めた。
あれから6年。
俺が故郷の土を踏んだことがトリガーとなり、絵日記の最後のページの記述──トワコさんが旅を終え、町に帰って来る──は果たされた。
「……そうだ、トワコさんは修学旅行帰りなんだっけ」
話しているうちに、徐々に記憶が蘇ってきた。
「そうなのよ。修学旅行先は京都」
「……下手したら俺たち、会えないこともありえた?」
俺がこの町に戻って来なければ、まさに梗概通り、彼女は永遠に旅に出たままだった。
永遠の修学旅行。永遠の京都。
「……そう思うとぞっとするわね」
彼女はぶるりと身震いした。
「なんせ向こうは退屈だったから」
「そりゃ6年も観光してればね……」
どんな観光名所だってなあ……。
「……観光ならまだマシよ」
トワコさんは首を横に振った。
「え……京都行って、観光以外になにするの? 修行とか?」
「新……?」
トワコさんはじーっと俺の顔を見つめたあと「本気で忘れてるのね……」と重たげにかぶりを振った。
「新はこう書いたのよ? わたしが同じ班の人と衝突していじけて、それ以降は裏路地のゲームセンターに入り浸っていたって」
「え……じゃあ、今の今まで観光もせずに、ずっとゲーセンで……?」
「来る日も来る日もけたたましい電子音を聞かされて、古めかしい
「……マジすいません」
「しまいには
……ちょっとかっこいいかも、なんてことは言えない。
「ホント、ごめんなさいでした」
殊勝に謝ると、トワコさんは肩から力を抜いた。
「まあいいわ、許してあげる。新だって、まさかこうなることを予測してたわけじゃないだろうし」
気を取り直したように、ぱっと表情を明るくした。
「それにちょっと、嬉しくもあるのよ。だってそれって、独占欲でしょ? 友達なんていなくていい。わたしには新だけいればいい。そんな、自分だけの女の子になって欲しかったってことでしょ? イコール愛よね」
「それは……それは……」
……でもそうか、たぶんそうなんだ。
俺のことが好き、俺以外見えない。そんな女の子が欲しかったんだ。当時の俺は。
積み重ねた設定は、だから自然とこんな、ヤンデレ風味な女の子を形作ってしまった。
「でも意外ねー」
トワコさんが下から俺の顔をのぞき込むようにしてきた。
「時代は巡るものだわ。新が自分のことを、
「……俺、昔は自分のことをなんて言ってたっけ?」
「
トワコさんは遠い目をしながら、パントマイムみたいに左右の手を動かした。
「ほんとにこう……技をかけやすい感じの手ごろな大きさでねえ……」
「やめて! 怖いからその手つきをやめて!」
昔の俺、腕とか足とかすごいことになってるよ⁉
ふふふと笑いながら、トワコさんは俺の腕に肘を絡めた。
なんとなく怖さを感じて振りほどこうとしたが、絡めたほうの手で手首を掴まれた。
「まあ今でもかけやすいけど、ね?」
「さいですか……」
これ……
関節を極めたまま、トワコさんは俺の腕に頭を擦りつけてきた。
「新のことも知りたいわ。ねえ、聞かせて? あなたがどんな日々をおくっていたのか」
「ああ、えっと……」
トワコさんの知らない、東京へ行ってからの話をした。
灰色の浪人時代。凪みたいな大学時代。
決して面白い話ではないはずだが、彼女は興味深く聞いてくれた。
夜闇のような瞳に、必死で話す俺の顔が映ってた。
トワコさんが話す。
俺が話す。
トワコさんが話す。
俺が話す。
その繰り返しは、かつての絵日記上のやり取りに似ていた。
「へえ~っ」
部屋に招き入れると、トワコさんはキョロキョロ物珍しそうに見て回った。
引っ越したばかりの俺の部屋は、未梱包の段ボールが山積みになっている。開封されているのは、コタツと冷蔵庫といくばくかの食料品と酒類と寝床。当面の生活に必要な衣類と衣類掛けだけ。
「なんだか寒々しい部屋ね~」
セリフとは裏腹、トワコさんは終始ニコニコご機嫌に微笑んでいる。
「でもそこがいいわね。これからふたりの生活を作っていくって感じで」
「えっ」
「え?」
「ふたりの生活って……それってつまり……」
「一緒に暮らすのよ」
当たり前でしょ、とばかりにトワコさん。
「そうか……そういうことになるのか……」
俺は改めて慄然とした。
物語である彼女には、他に居場所がない。
暮らすなら、たしかにこの部屋以外あり得ない。
でも俺は躊躇した。
嫌なわけではない。
純粋に倫理的な問題だ。
成人男性が、年頃の女の子とひとつ屋根の下で暮らす。
その意味について考えた。
ぽんと背中を叩かれた。
「悩んでもダメよ? 物語は常に作者の傍にいなきゃダメなの。愛されてなきゃダメなの。じゃないと死んじゃうんだから」
「死ぬって……そんな大げさな……」
俺が
「ホントよ? わたしたちは作者の愛によって成り立ってるんだもの。愛が燃料、力の源。愛がなくなったら身動きひとつ出来なくなって、考える機能すら失って、やがて存在を保てなくなるの。装丁がバラバラになって、塵みたいに分解して、風に乗って散っちゃうんだから」
「マジですか……」
そんなえぐい話なのか。
ふっ……トワコさんの顔が暗く
「本当に危ないところだったわ……。最近、関節の動きが鈍くてね……」
リウマチに悩む老人みたいに、膝を擦ったりしている。
「目も見えないし、鼻もバカになるし……。あの時はさすがに、ああ、わたし死んじゃうんだって思ったわ……。時期も時期だし、このまま、桜の花みたいに散っちゃうんだなって……」
顔をうつむけ、呪うように
「ちょ……ちょっと、トワコさん……?」
突然の悲しい話に
「せっかく会えたと思ったのに、愛を疑われる……」
「信じてるよ! ちょっと戸惑っただけ!」
「一緒に住んですらくれない……。あげく寒空に放り出される……。外はきっと、寒いわよねえ……? 魂すら凍りつくほどに……」
トワコさんは両手に顔を埋め、よよと泣き崩れた。
「そんなことしないよ! 一緒に住んでいいよ!」
トワコさんの震えが、ぴたりと止まった。
「じゃあずっと……傍にいていいの? 迷惑じゃない?」
「迷惑なもんか! むしろ末永くいてくれよ!」
「末永く……。ずっと……死ぬまで?」
「当たり前さ! だってきみは俺が──はっ?」
「……聞いたわよ? 新……」
指の隙間から、トワコさんの目が俺を見てた。
「……っ⁉」
悲しみも絶望も、そこにはなかった。
そうだ──トワコさんは涙を拭かない。
顔を覆うことだって、出来やしないはずなのだ。
「だ……騙したな⁉ トワコさん!」
「あら騙したとは心外ね。どちらかといったら、忘れてたほうが悪いんじゃないかしら?」
「忘れてたわけじゃないよ! ただ俺は……!」
トワコさんが可愛すぎて。
トワコさんが可哀想すぎて。
とはさすがに言えず……。
「うぐっ……」と言葉を飲み込んだ。
「ふふ、これが新居かー。楽しみねーっ」
喜色満面、あれやこれやと子供みたいにはしゃぐトワコさんを、ただ見つめることしかできなかった。
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