10章の1

 2015年7月9日、南房総フリー乗車券を握りしめながら最寄り駅で始発電車を待っていた。予定は特に決めてはいなかった。できれば誕生寺には寄りたかったけど明日には通りかかるから無理することもなく、ゆっくりぶらりと房総半島を巡る予定の今日の旅にワクワクしながら新木場駅で京葉線に、千葉駅で内房線に乗り換えて木更津駅に着いた。木更津駅に着いた途端に、以前に見た可愛らしい電車に乗りたくなったので記憶とスマホをもとにして調べてみると、可愛らしい小湊鉄道は五井駅に戻らないと乗れないみたいだった。ただ南房総フリー乗車券には内房の木更津駅と外房の大原駅を結んだ線の南側がフリー区間になっているらしく、どうしたものかと思い改札にいる駅員さんに聞いてみたら、そのまま五井駅で降りてもよかった的なことを言われながらも、

「私が見てしまった以上はどうにもならないので、こちらでここまでの乗車券は回収します。あとは自由に大原駅に行くなりこの木更津駅まで戻るなりすれば、そこから先はこのフリー乗車券が使えます」

と教えてくれた。しっかりとした計画を立てていれば思わぬ損害を被ることもなかったのだろうけど、可愛らしい車両をふと思い出して日程を動かすことは、そんなに悪いことでもない気はするし、よくも悪くも今日はそんな1日にしようとしていたので正平はワクワクしながら五井駅に戻った。


 五井駅に着いた正平は、小湊鉄道をすぐに探した。すでに入線済みの愛くるしい車両を見つけて、一気に跨線橋を駆け上がった。でも、乗車券が自動販売機で売られていて、数多の行き先ボタンの他に一日フリー乗車券やらなにかとのセット周遊乗車券やら往復乗車券やら房総横断乗車券やらのボタンがいろいろあって、どうしたものかと思考が止まってしまった。少し戻って入り口にあった時刻表を見ると発車までには十分な時間があったので、ゆっくりと考えることにした。心にゆとりをもって周りを見ると、跨線橋の上で駅弁が売られていた。駅で駅弁を買うといっても、コンビニタイプとか百貨店の地下売り場タイプのようなものしか知らない正平にとっては、初めて見たけど妙に懐かしい昔ながらの駅弁売り場の雰囲気に思いっきり引き込まれてしまい、思わず「房総ちらし弁当」を買ってしまった。駅弁売り場のおばあさんは、先ほどの正平の戸惑いもしっかりと見ていたようで、

「お兄さんはどこまで行くの?」

と聞いてきたので、

「気が向いたところでは途中下車しながらという感じで、大原を目指しています」

と答えると、

「それなら房総横断乗車券がいい」

と購入を勧めてきた。あと、

「今の時間だと牛久で乗り換えることになるから一つ後に乗るか、牛久での待ち時間に適当な場所を見つけて食べるのもいいけど、もしかしたら雨が降って来るかもしれないよ」

とも言っていた。駅弁がおまけだったのではないかというぐらいに対価を払う価値が十分にあるようなやたらと詳しい地元の情報を得られて、少しだけ損をした気になっていた木更津-五井間の電車代のことはすっかり忘れてしまった。


 ホームに待機していたあの可愛らしい車両を、前から後ろから、遠くから近くから、スマホからデジカメからに映していたら、どれぐらい時間が経っただろうかモニターに運転士と車掌らしき人が映ったので、そこで正平は車両に乗ることにした。中は都内で見慣れた直列シートだったから、数名の観光客と数名の地元の方だけでゆったりと座れるとはいっても駅弁を食べるような雰囲気ではなかった。駅弁売り場のおばあさんは、その辺りも含めてアドバイスしてくれたのだろう。本当にありがたかったけど感謝を伝えに行く時間はもうなかった。発車のベルがなり終わるとガタッという感じで車両が動き出し、その動き出すときの振動をゆったりとしたリズムで繰り返しながら、小湊鉄道は田んぼの中をゆっくりと走っていった。


 上総牛久駅で駅弁を食べれるような適当な場所を探そうとしたら、おばあさんの天気予報が見事なまでに的中して、駅を出た途端に雨が降ってきてしまった。そうなると外で食べるというわけにもいかないので駅の待合室に入ると、病院の待合室と間違えたのかと思うような老々男女という顔ぶれと会話で駅弁を食べるような雰囲気ではなかった。ツルハシを杖代わりにしていると主張して、他の人から危ないだの重いだのと散々突っ込まれてもマイベストを主張し続けるおじいさんを見ていると小湊鉄道が地域の生活路線であることを実感しながら正平は次の列車を待った。じっとしていると気ままに途中下車の旅といっても、これだというものに巡り合わないしある程度の時間の制限とかもあるしで、なんのために来たのかがわからなくなってきて少し焦り始めてきた正平ではあった。


 上総牛久駅で降り始めた雨は、徐々に強くなっていった。風は強くはないみたいだったので、映画やドラマの撮影シーンで意図的に振らせているようなシトシトと振っている雰囲気がある雨模様が車窓から見えた。このあたりは養老渓谷と呼ばれるぐらいだから山の中に近いのだろう。森林のトンネルと切り通しの中を進むことの繰り返しだったこともあった。窓が曇りかけてきたこともあった。小湊鉄道のドアは下に窓があって線路から跳ね返った雨しぶきが見えていたこともあった。ボーっと車窓の移りゆく景色を見ていたら、雲の上を走っているようなふわふわとした夢の中にいるような錯覚に陥った。前を見ても後ろを見ても右を見ても左を見ても雲の上を進んでいく、そんな美しく幻想的なアニメーションの世界に紛れ込んでしまったような感じの景色と列車ののんびりとした揺れに包まれながら、もう二度と経験することがないような気がする夢心地で過ぎていく風景を眺めていた。


 上総中野駅でいすみ鉄道に乗り換えるときに見た路線図から、大多喜城という文字が目に飛び込んできた。正平は城好きというわけではないけど、なんとなく見てみたい衝動に駆られて大多喜駅で降りてみることにした。イエローの車体にムーミンが描かれているいすみ鉄道は、シックでレトロな可愛らしさがある小湊鉄道に比べると近代的で明るい感じがした。車内照明が点いていたからかもしれないが、正平はそう感じた。車窓は田園地帯を走っていく感じで小湊鉄道のような険しい部分はなかった分、現実的なのどかさが気持ちよかった。やがて着いた大多喜の町は、歴史マニアというわけでもない正平でも知っている徳川家を支えた重要な大名である本多家の城下町らしく、その歴史を存分に味わえるような趣があった。大多喜駅から大多喜城へ向かう道は雨だった。おまけにメキシカンロードと名付けてレンガを敷き詰めた歩道は、正平ご自慢のトレランシューズがやたらと滑り、右手に折り畳み傘を持ち左手に駅弁を持ったままの正平は苦しみながら歩いた。なぜここまで駅弁を持ってきたのかという疑問がふっと湧いてきたけど、それは正平自身も笑ってしまって答えられない疑問なので忘れることにした。


 江戸時代、このあたりは良質の木材が採れ、川と海を使って江戸まで運んでいたという看板があり興味深かったけど、数日間降り続いている雨の影響だろうか川は今にも正平のいるところの土を削り取りそうなぐらいの濁流で、選択肢を間違えたかもしれないという気持ちと明日の晴天予報に過剰に期待しながら大多喜城に向かった。大多喜城は博物館になっていることは、列車に揺られながらスマホで確認済みだったしスマホ時代ならではの途中下車だと思っていたけど、実際は弁当をどうしようかというアナログ過ぎる問題で悩んでいるバカな自分を少しだけ楽しんでいるうちに大多喜城に着いた。そんな正平の目にあずま屋が飛び込んで来たので、そこで雨を凌ぎなから空腹を満たした。房総半島の山の中で海の幸に舌鼓を打ちながら空腹を満たした正平は、崖で行き止まりになっているとばかり思っていたあずま屋の先に「大多喜駅」と書かれた看板があるのを見つけて、滑りやすさに苦労して来た道を帰るよりも安全で楽しいことに期待してここから帰ることを決定事項にして、目印を記憶しながら大多喜城内の博物館に向かった。博物館は特にどうということはなかったけど天守閣にある窓から雨に霞む大多喜の町を一望すると、町との一体感のある城だったことは感じられた。


 先ほど目印にしたところを頼りに山道らしきところを下りていくと、木の根っことぬかるみの連続で足を置く場所の選択には苦労したけど、トレランシューズが意外なまでにグリップしてくれたので、転倒の恐怖感はそんなに強く抱かないままに平地まで降りることができた。ただ困ったのは、そこから先の道がないことだった。スマホの地図には確かに道があるけど目視では見当たらない。ふと周りを見ると、高校の部室アパートのような建物があり、さらにうろついているとプールがあり、そこを抜けると校庭と校舎があった。どうやら先ほど来たときに見えた大多喜高校に紛れ込んでしまったらしい。校舎の窓からは授業に没頭する生徒が見えていた。あまりうろうろしていると不審者の侵入に間違われて先生やお巡りさんが来るのではないかと怯えながら、あるはずの出口というか本来あるはずの道を必死に探し続けて、なんとかかんとか不審者扱いされないうちに探し出した出口は獣道と見間違えるような、垣根が少しだけ壊れているけど放置しているような感じでブッシュが僅かに途切れているところだった。これだと大多喜城にある看板とのギャップがありすぎて知らないで来た人はみんな困るだろうなとは思ったけど、おそらく多くの人が車で来てお城を見て駐車場の土産物店で買い物をしたり飲食をしたりして帰っていくのだろうから、それはそれで特に誰かに文句を言う必要もないのだろうとも思った。正平自身も歩く旅を、房総半島の東側まで続けることなんて1年前には思ってもみなかったことではあったから……。


 知らない町の時間計算は難しく、大多喜城から降りて線路を超えてさらに下まで行き、立ち寄ってみたかった酒蔵には行列ができていたので試飲への期待を捨てながら、城下町の風情が漂う古い町並みを一回りしても列車の時間まで少し空いてしまったので、駅内のお土産店やら駅前のお土産店やら休憩所やらをぶらぶらしていると、、町をあげて大河ドラマの舞台になるように宣伝しているのだろうか、いたるところにポスターやのぼりがあるあたりは素敵なチームワークだと感じた。こんな素敵な町が舞台になるならきっといいドラマになるに違いないと思いつつ、来年の大河ドラマも気になった。歴史もそんなに詳しくない正平だったけど、真田幸村は静かに戦略を練り一気に合戦するイメージで好きな武将の一人だったから大河ドラマは楽しみだったけど、脚本で全体的にド派手な舞台演出みたいになって正平の幸村像を根本からぶち壊すことにならないだろうかと心配しながら、大多喜の町を後にした。


 大原駅に着いた正平は、本当に南房総フリー乗車券だけで乗れるのかを確認したかったけど、みどりの窓口にいる駅員さんはおばさんの質問攻めにあっていたし、後ろにも4~5人並んでいたし列車も来たので後は野となれ山となれで、来た列車に乗ってしまった。今日の本命である誕生寺の最寄駅でもあり先月の旅の終わりでもあった安房小湊駅で降りる時に、駅員さんに大丈夫かどうかを意外なまでに緊張しながら聞いたら面倒臭そうな感じを全身で漂わせながらも「大丈夫です」と返された。誕生寺に向かうバスの時刻が合わなかったこともあって、雨上がりで濁っていて先月のような美しさはなかったところは残念だけど、それでも美しい鯛ノ浦海岸を誕生寺に向かって歩いて行った。


 この旅を始める時に、テストケースとして自宅から往復で14~5キロのところにある日蓮さんが亡くなった場所である池上本門寺に交通安全のお守りをもらって来たし、そのお守りの御利益に何回もあやかっている気がする正平は、何としても日蓮さんが産まれたことを由緒とする誕生寺に行ってみたかったところだった。池上本門寺がものすごい階段を登らないと本堂に着かないのに対して、誕生寺はなだらかな段差を進んで行くと本堂に着いている感じは意外だった。そんな誕生寺の観光を終えて最寄のバス停に行くと、安房小湊駅に行くバスがあと15分ぐらいで来るらしかった。バスで安房小湊駅に行って外房線で鴨川まで行こうとしていた正平は、来たバスの行き先表示が安房鴨川駅だったので少しだけ驚いた。驚いたけど乗った。幸運なことに運転席の後ろが空いていて、そこにあった路線図で幸運のルート変更をしていた。今夜、予約した宿は、海が見える大浴場を売りにしている海岸沿いのホテルで、思いっきりそのホテル名がバス停の名前になっていた。誕生寺に参拝した御利益だろうか、一気に宿に到着できた。


 予想以上に早めのチェックインになってしまったけど、今日は天候が悪く早めにホテルに向かう人が多かったのだろうか、待ち時間の多いチェックインだった。正平は部屋に荷物を置いて、濡れた衣類を干し終えるとすぐに最上階の大浴場へ向かった。雨はあがっていたけど、空はどんよりとした曇り空で海も白波が立っていて、空と海の境目がわからなかった。そんな窓の外の景色に小湊鉄道の幻想的な風景を思い出しながら湯船に浸かって冷えた体を温めるひとときは、最高に気持ちがよかった。風呂から出て一休みしてから、楽しみにしていた食事にした。伊勢エビやアワビなどが楽しめる「ちょっとづつ美味しいものコース」を選んだけど、どれもいま一つで期待とは裏腹に「ちょっとだけ美味しいものコース」だったなと思いながら大食堂をあとにした。予定らしい予定を立てない旅はいいことも悪いこともあったけど、総じて楽しい旅だったような気がしながら眠った。

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