10章
2015年6月15日6時20分ごろ、正平は千歳駅にいた。先々月と同じ館山のビジネスホテルで一泊して始発列車に乗って千歳駅に着いた。歩道のない国道410号線からスタートして、じきに県道297号線入って歩道が整備されている道をひたすら北上して行った。波の音は常に聞こえるけど防風林が途切れたところ以外では、海は見えなかった。風の影響がない分だけ歩きやすかったけど面白くない道は、「和田白浜館山自転車道路」の看板が見えたのと同時に歩道がなくなってしまったので自転車道を歩くことにした。すると思いっきり海を近くに感じながら歩ける爽快な道になっていて、その気持ちよさからこのまま鴨川まで行きたいと思いながら歩いていたけど、楽しい時間はそう長くは続かなかった。
夢のような自転車道から現実的な国道128号線に戻されてしまった正平だったけど、歩道はしっかりと整備されていたので比較的安心しながら歩ける状況だったし、歩道が途切れたところは海寄りに抜けられる道があってわかりやすかったので、事前の調査でも実際の現場でも今日はコース選択で迷うことなく快適そのものだった。やがてスマホの地図アプリに外房黒潮ラインと内房線の文字が隣り合わせに見えてきて、「ここは内房なのか外房なのかはっきりしろ」と誰にでもなく軽く突っ込んでみたあたりで調子に乗りすぎて砂浜を歩き出してしまった。波打ち際までは遠いところを歩いたけど、波は正平の背丈を越えているようにも見えて意外と高い気はした。それでも波打ち際ギリギリで犬と散歩している人や腰まで海に入っている釣り人もいたので、そんなものなのかなとも思いながら海の迫力を怖さ半分楽しさ半分に満喫しながら歩いていた。
砂浜歩きを思いっきり楽しんでいた正平の行く手を阻んだのは、川幅が5メートルもないような川だった。流れもそんなに早くはない。川と海が交わるあたりでは長靴で海に入っている釣り人もいるからそんなに深くもないだろうし、気持ちよさに任せて随分と砂浜を歩いてきたし、川の流れを見ると海岸と平行に流れているので砂浜に入ったあたりまで戻らないと国道には戻れそうにない。この川は渡れる。そう決断したがる正平の体に、万が一にも流れに足をすくわれたら波に飲み込まれて助からないかもしれないし、生活排水を多量に含んだ水である可能性もあるから高くて新しい靴が臭くなって使えなくなるかもしれない、そう考えて引き返そうとする頭があって、しばしの激闘の結果として頭の方が勝った。正平の体は惨敗感に包まれながら、重く長い砂浜の戻る道を歩いていた。戻って国道128号線というか房総黒潮ラインに戻ってからもしばらくはしょんぼりとしながら歩いて、それでも危険な場所は海岸沿いの道を迂回路がわりにしながら北上していった。
しょんぼりと歩いていたら、知らないうちに鴨川市に入っていた。この先にはトンネルがいくつかあったけど、一つめは歩行者用のトンネルがあるからそれを抜けて、二つめのトンネルからは道幅と交通量に注意しながら迂回路を行くかどうかを判断することは事前にストリートビューで確認したときから決めていたので、それまでは思いっきり海沿いの道の爽快感を思いっきり楽しみながら歩いて行った。やがて来た一つめのトンネルを抜けると、海の上を歩いているかのように感じる橋があって、怖さと気持ちよさを半々ぐらいに感じながら歩き抜けて行った。そこから先は、十分な広さがある歩道に腰ぐらいまでの高さの堤防が続いている道で、もしかしたら車からの眺望も計算しているのかもしれないと感じて、さすがは全国的にも有名な観光地であることを思い知らされた正平だった。二つめのトンネルは目で確認する前に周囲の交通量の多さから、県道247号線を仁右衛門島の方に向かって回避することにした。仁右衛門島には寄ってみたかったけど、それほど時間にゆとりがあるわけではないので素通りして県道247号線を北上した流れで三つめのトンネルも回避して、賀茂川を渡ったら右に曲がって海沿いの道をひたすら歩くという予定通りのルートを追いかけながら歩いた。
砂浜沿いの遊歩道は気持ちよく歩けるから、犬と散歩をする人、ウォーキングをする人、ジョギングをする人、ベンチに腰掛けてビールを飲む人、水着で撮影しているアイドルグループといろいろな人がいた。最後のアイドルグループは知らないタレントさんばかりでかなり寒そうだったけど、満面の笑顔でポーズを作っているあたりにプロ根性の凄まじさを感じた。鴨川駅に向かうために曲がるところまでは海沿いの道を進んでいこう思いながら歩いて行くと、サーフスーツの女性が高いところにある小屋の前で真剣にイメージトレーニングをしていた。スマホの地図を見ると鴨川シーワールドとなっているから、イルカかシャチのトレーナーさんがショーに向けてイメージトレーニングをしていたのだろう。華やかなショーの裏側を見てしまった感じだったけど、そのイメージトレーニングの迫力にも正平はプロ根性の凄まじさを感じてしまった。
気持ちよさに任せて歩いていたら、どうやら鴨川駅に向かって曲がるポイントを通り過ぎてしまったようなので、こうなったら行けるところまで行ってみることにしたら、その途端に正平は国道128号線に戻されてしまった。すると派手な色が目を引く建造物が現れたけど周囲の景観との違和感は、不思議なことにそんなにはなかった。亀田総合病院というらしい。亀田が地名なのか個人名なのか正平にはわからなかったけど、国公立病院や私立大学の病院と遜色ない規模で国道を挟んでヘリポートまであるのだからこの地域の基幹病院であることが推察できて、ここでもプロ根性の凄まじさを感じてしまった。
ここから先は調べてはいない道になるけど、国道128号線と房総黒潮ラインと海沿いの道を組み合わせながらトンネルに注意して進めばなんとかなるはずだし、もしなにかがあっても亀田総合病院がなんとかしてくれるはずだという感じで、気持ちを大きく持って進むことにした。急きょ変更したルートは、房総黒潮ラインで安房小湊駅を目指しながらも寸前に長いトンネルがあり照明器具も無いから、そこの状況によっては安房天津駅に戻るというものだった。スマホの地図には「トンネル水族館」と書かれているのでどんなものなのかと少しの期待をしながらも、調査不足の不安を大きく抱きながら歩いて行った。
鴨川付近の観光名所の歩きやすさとは変わって内房を歩いていたときと似た雰囲気がある道を、トンネル水族館に向かって緊張しながらもきれいな外房の景色を楽しみながら進んでいった。不安だった「トンネル水族館」は車道と自転車歩行者道が別になっていて、自転車歩行者道専用のトンネルの壁面に写真やイラストで水族館を作っているという、その手作り感にプロ顔負けの純粋な魚への愛情の深さが感じられて面白しろかったけど、トンネル内に長い間一人でいるのはそんなに気持ちのいいものでもなく、丹精込めた作品を足早に眺めるだけになった申し訳なさを抱きながら、正平は安房小湊の町へと抜けて行った。
トンネルの暗さから外の明るさにようやく慣れた正平の目の前に、紺碧の空の突き抜けたような明るさを、べた凪の海がキラキラ光ってと弾き返したような、美しすぎる鯛ノ浦が現れた。そのあまりの美しさから、そのまま安房小湊の観光がてらに誕生寺も見ていきたかったけど、さすがに今の正平にそこまでの体力は残っていなかったので駅へと向かうことにした。食事ができそうなところはいくつかあったので時刻表を見てから場所を決めようと思ったら、思いのほか電車のつなぎがよかったので近くのコンビニでおにぎりとお茶を買って駅で食べながら電車を待った。スマホの乗換案内では外房線に乗って千葉駅で総武本線に乗り換えれば品川駅まで行けるとのことだったので、それに従って帰ることにした。総武線は京葉線とはまったく違った雰囲気だったの少し戸惑いながらも妙に懐かしく落ち着いた気持ちに包まれながら、列車に揺られていた。
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