5章

 2015年1月9日、正平は木更津のビジネスホテルにいた。去年、行政書士の勉強を始めた8月はギリギリで願書の提出が間に合ったので、無謀過ぎることを百も承知で11月の試験を受けたけど、聞かれている内容すら理解できない問題も多く、試験中から惨敗であることを感じていた正平は、次の日から朝の5時に起きて勉強していた。その癖で定刻に目が覚めたのでシャワーを浴びて身仕度も整えたけど、まだ出発はできなかった。本来なら素泊まりで早朝に出発したかったけど、ホテルの予約サイトでは一泊二食付きの選択肢しか見つけられなかったのに加えて、残りの部屋数も少なかったみたいだったので慌てて一泊二食コースを予約してしまったから、朝食までの時間をテレビを見てやり過ごすしかなかった。やがてカーテンに夜明けの気配を感じたのでそっと開けてみると、結露を敷き詰めた窓は一面がオレンジ色に輝いていた。朝食の開始時間が7:30と印刷された上から手書きで7:00に修正されている朝食券が飛ばないようにスマホで押さえてから、もて余した時間を流すかのように正平は窓を開けた。ビジネスホテルの少しだけ開く窓からは冬の朝の呼吸器官を切り裂くような冷たい気配が入り込んで、一気に結露が解消した窓からは朝焼けを何倍にもして跳ね返している富士山が見えた。一瞬、富士山が大きくなったのかと思うぐらい東京で見慣れた姿よりも大きく、その偉大さと美しさに包まれながら部屋に満ちた冷たいけど新鮮な空気を思いっきり吸い込むと、何から何までがリセットされていくようで、遅ればせながら今年も頑張ろうという気持ちが自然と湧いてきて、正平は久しぶりに朝の清々しさを満喫していた。


 なんだかんだで8時少し前にホテルを出発した正平は、木更津駅を通り過ぎながら品川駅からの高速バスの時刻表を見てバスで来ても良かったような気がして、なんか損をした感じになって少しだけ落ち込んでしまったけど、ホテルから見た美しすぎる富士山の代償だと思うことにして先月同様に四足歩行で飛ばしていった。駅から海に向かって歩いてから県道90号線を左折して 、やがて国道16号線にぶつかったら右に曲がって、あとは国道16号線を道なりに追いかけていけば県道90号線に戻って、富津岬のたもとを通過するあたりで国道465号線に変わるから、あとは国道465号線を追いかけながら大貫駅か佐貫駅のどちらかで終わらせる、それが今日の予定のルートだった。富士山がはっきりと見えるぐらいに澄み渡る晴れた日だったので放射冷却による冷え込みが厳しく、解消する気配はなかなかなかった。やがて5キロを超えたあたりで、富士山がホテルで見たよりもさらに大きくなって真正面の青空に浮かんでいた。房総半島を南下しているはずから南を向いているとばかり思いこんでいた正平には、房総半島で富士山を真正面に見ながら歩いているということが意外すぎるぐらいに意外な出来事だった。それにしても、富士山を見るとどうしても気持ちが高ぶってしまう。その気持ちの高ぶりが歩くペースにも表れていた。かなりのオーバーペースになっていたけど、正平は気が付いてはいなかった。


 この旅を考えた時点で地図を見ただけでも岬の数は多く、すべてを回り込むと相当な時間がかかりそうだったから岬には寄らないつもりでいたけど、今日の富士山の雄大な美しさは富津岬の突端で見たら相当に素晴らしいはずだから見てみたいと思った正平は、予定にはなかった富津岬へと足を向けて行った。いつものことなのか富士山がきれいに見える日だからなのか、車の通行量が意外に多かったので少しだけ緊張感を高めながらたどり着いた岬には、冬の寒い海辺とは思えないほどの多くの人と、下から見ただけでも卒倒しそうな大きな展望台があった。ただ、高所恐怖症の正平でも展望台の上に登って富士山を拝みたいと感じて登り始めてしまって、しばらくは見とれてしまうぐらいに格別に美しい姿が見れたけど、普段は高いところに登らないから慣れていなかった風の冷たさと結構な揺れの恐怖に耐えて、どうにかこうにかスマホとデジカメに美しすぎる富士山の姿を取り込んでいたら、寒さと怖さで膝が動かしにくくなってしまった。帰りは階段から転げ落ちないようにと細心の注意しながら、迷路のように張り巡らされている階段と踊り場を、なんとか最短距離で降りれるように計算して降りるけども結果的には失敗して遠回りをして後悔をするということを繰り返しながら、今の身体の限界の境の中で気ばかりが先を急いでいた。


 前半のオーバーペースと当初のルートを変えて富津岬を回り込んだ代償は、意外なまでに大きかった。展望台で冷やされて膝を中心にして痛くなった足を何とか動かしながら進む富津公園の中は長く険しい山道のように感じたし、富津公園を出てからの道は車を避けながら歩く迷路のように感じたし、国道465号線に出てから大貫駅まで向かう道は終わらないように感じてしまった。今日の目的地である大貫駅は、このあたりまで来ると内房線も単線になっているらしく駅舎のある方を間違えると大変な遠回りを強いられることになるので慎重に道を選ぶつもりだったけど、そこは国道でしっかりと標識があったのでそれに従って無事に着くことができた。去年までは旅の終わりに温泉施設に立ち寄ることを楽しみにしていたけど、ここには温泉施設も食事処もなかった。ただ、そのあたりは事前の調査で把握していたので汗拭きシートは準備していたので、人目につかないところで簡単に汗を拭いて、あとは木更津に戻って駅ビルのトイレで着替えて食事をしてから高速バスで帰ろうという帰宅のルートを、大貫駅のホームで練っていた。

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