4章
2014年12月09日8時00分ごろ、正平は五井駅にいた。ホームに降りたのはいいけど改札口から階段を越えてホームまでつながる大行列ができていて、なかなか出口までたどり着けないでいた。スーツ姿や作業服を防寒着で覆った会社員そして制服姿の学生などなど、老若男女が入り乱れて改札を出るために列をなしている光景にはイライラしながらも興味深いものがあったけど毎日となると通勤だけで疲れ果てそうで、徒歩15分という恵まれ過ぎている自分の通勤環境に正平は感謝しながら、地図で見ると国道16号線から県道87号線に入る場所を間違えないようにすることと、県道87号線が途中で右に大きく曲がるのでそこを直進しないように注意しながら次の旅の起点にしたい木更津を目指すという単調なルートを、今回から足の痛みの対策としてストックを使うことにしたのである意味で四足歩行になった旅のスタートを切った。
先月、駅に向かうために途中で離脱した細長い公園まで戻ってから続きを歩いていると、広場で保育園か幼稚園かのお散歩隊が元気よく駆け回っていた。その中でふと目が合った3〜4歳ぐらいの女の子が、ニコニコしながら正平を見つめていた。もともと人懐っこい性格なのか四足歩行の人間に興味があったのかはわからなかったけど、可愛らしい子どもに見つめられて少し恥ずかしかったけど嬉しくもあった正平が思わず手を振ったら彼女も手を振り返してきた。一瞬とはいえ子どもと触れ合う時間は楽しくホッとするものがあったけど、そんなにゆっくりもしていられない正平は女の子に、
「バイバイ」
と言いながら手を振って16号線に向かって歩き始めたけど、しばらくすると、
「あっ!」
という女の子の声が後ろから聞こえてきて、間髪を入れないで、
「ゆうちゃん! よそ見しながら歩いたら危ないでしょ!」
と言う女性保育士さんの叱る声が聞こえ、その一瞬後にゆうちゃんらしい泣き声が聞こえてきた。ゆうちゃんは正平がバイバイと手を振った後を追いかけしまって転んだみたいだった。なんか転んだ痛みよりも叱られたショックで泣いたような感じもあったけど、ゆうちゃんが転んだのは間違いなく正平の責任なので謝らなければと思い振り返った時には、ゆうちゃんと女性保育士さんは正平が入り込むことのできない優しい空気に包まれながら治療のために水飲み場へと向かっていた。どうすることもできない正平は心の中で、ゆうちゃんの後ろ姿に精一杯に謝りながら申し訳ない気持ちを抱えたままで国道16号線を先へと急ぐことにした。
先月までは至るところで繁っていた雑草も枯れ果てて、寒風が時に追い風に、時に向かい風になりながら正平に吹き付ける国道16号線をひたすら南下して行った。今日の正平の体調はよかった。加えて四足歩行になった物珍しい楽しさも手伝って単調過ぎる道のりをリズムよく飛ばして行った。調子に乗り過ぎて四本足で走ることにも挑戦してみたけど、上手くタイミングが取れなくて転んで怪我をしそうだったので、30メートルも進まないうちにやめた。日だまりでのんびり昼寝していた猫に「やっぱり猫さんたち四本足で走るのがうまいですね」と声をかけたら、「馬鹿か? こいつ!」みたいな感じでちらっと見られてから、思いっきりあくびを返されてそっぽを向かれて目をつぶられた。猫に馬鹿にされた感じは、意外なほどにショックではあった。しばらく歩いていくと前を散歩中の犬が正平に気がつき、やたらと振り返りながら興味津々という素ぶりを見せていた。携帯電話会社のコマーシャルに出てくる犬に似ていて向こうから話しかけてきそうだったので、「犬さんは四本足で走るのが上手いですね」と心の中で声をかけたら、今度は大はしゃぎで正平に飛びついてきた。飼い主の若い女性が何回も「すみません」と謝りながらリードを引っ張っても抑えが効かない、そんな犬の興奮を肉球のボディタッチで感じていたら、猫から受けたショックが完全に吹っ切れた気がした。
県道87号線に入る交差点は、内房線と国道16号線と県道87号線が立体的に交わっていて歩行者には少しややこしかったけど何とかクリアすると、急に道幅も歩道も狭くなっていた。その割には大型車の通行量も多く、正平は細心の注意を払いながらも先を急いだ。県道87号線の歩道は狭くなったり広くなったり、右にあったり左にあったり両側にあったりしていたので、今までとは違って高い緊張感を保ちながらも2つ目の要注意ポイントをめざして淡々と歩いて行った。やがて直進の矢印に「270」という数字と木更津と富津という地名、右折の矢印に「87」という数字と中島という地名が書かれた標識があり、事前の調査が不十分だったら直進していた可能性が高いポイントを間違えないで右に曲がることができた。ここからは、内房線の下を横切ってから左に曲がっている県道87号線をひたすら追いかけるだけだった。
かなり広い歩道には海風が吹き付けていて寒かったけど、海が近いことを顔で感じながら快調に歩いて、アクアラインをくぐり自衛隊の木更津駐屯地あたりまで行った正平は、そこで強烈な空腹感を覚えた。今までは足の痛みと戦っていたけど、今回は四足歩行になったからなのか足の痛みは全くなかった分、空腹感が強烈になったのかもしれない。急いでスマホで調べると、直進してから左に曲がって木更津駅の方に向かうと味と時間が計算できる全国チェーン系の店で食べるか、右に曲がって海沿いの道にある味の評判もわからなければ大行列をなしているかもしれない回転ずし店で食べるか、の選択肢がでてきたけど正平の体は一気に海沿いへと向かった。人気店らしく待ち時間が多少はあったけど30分後には、体が反応したかのような選択が大正解だったことに頭の中でガッツポーズを繰り返しながら美味しく空腹を満たして、事前に調査してあった温泉施設に立ち寄って汗を流してから木更津駅に着いた。
房総半島もここまで来ると最寄り駅の始発に乗っても現地のスタートは9時ぐらいになりそうなので、来月は木更津で泊まることも考えなければならないから、宿泊施設の調査をかねて駅の周りをぶらつきながら何気なく見たバス停に、「品川駅」の文字が見えた。高速バス。時刻表を見ると列車よりも圧倒的に便数が多く、また早く帰れるみたいだったので正平はそれに乗ることにした。チケットの買い方に少し戸惑ったけど、バスに乗るとじきに高速に入りアクアラインが正面に見えてきた。初めて通るアクアラインは、思わぬ方向に東京スカイツリーが見えて驚いたり橋の部分の高さは恐ろしく怖かったりトンネルの部分の閉そく感は半端なくて息が詰まりそうだったけど、その時間と値段と利便性には十分に満足するものがあり、しばらくは使うことになりそうな予感がした。
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