第14話 そしてそいつは現れる
次の日の朝の目覚めは最悪なものだった。
「キャァァアア!」
そんな甲高い叫び声で俺は起こされた。驚いたなんてものじゃない。もはや条件反射といってもいい速さで俺は飛び起き、傍に置いてあった剣を抜く。光にまだ慣れずうまく開かない瞳を無理やり見開き意識を急いでかき集め、周りの状況を確かめようと見回した。
朝特有の柔らかな日差しが木の葉の間をかいくぐって俺の周りに降り注いでいた。草木についた朝日が反射してキラキラと光っている。もう朝のようだ。
周りにおかしなものはーー何もない。
特に何かが襲って来ているとか、そんなことは何もなかった。
叫び声で飛び起きたはいいが、その音源であろうものが何もない。
ーーもしかして気のせいか?
いや、そんなことはない。あれは夢でも気のせいでもない。確実に起こったことだ。
ザッと地面を踏む音とともにメアが俺の横に来た。メアも今起きたようだ。いつも整えられている黒髪は少し乱れてるし、明らかにまだ覚醒しきっていない顔をしている。
「ユルト先輩……今の」
恐る恐るといった調子で、メアは俺にそう尋ねた。メア自身も寝ていたのだろう。だから確証がもてない。それでも目つきは疑っているようには見えない。
「お前も聞こえたのか」
「おかげで叩き起こされたっスよ」
「ああ、俺もだよ」
「先輩……見張りはどうしたんスか?」
「……それはすまなかった」
メアの顔を見ると昨夜のメアが陽炎のように、朧げに浮かび上がる。痛々しいほどに何もないメアが。いつもと同じ様子の彼女を見ると、昨日のあれこそ夢だったんじゃないかなんて考えてしまってーー
いや、やめよう。そんなことよりもさっきの叫び声だ。
おそらく、あれは女性の叫び声だ。しかもこの状況から、あの村の生存者としか考えられない。叫び声をあげたのは、あの村を襲ったやつにまた襲われたからだろうか。ならその女性のところに魔物がいるはずだ。
だが昨日の予想が当たっていたとするとーー
そう考えた途端に、背中に岩が乗っかったような感覚がした。身も蓋も無い言い方をしてしまえば、行きたく無い。
でもそれじゃあダメだ。今の俺は
「とにかく、行くぞ」
「りょーかいっス」
俺はいつもの剣を、メアは自分の剣ーー双剣を手に取り走り出した。
今のところ森自体は昨日となんら変わりはない。代わり映えのしない緑一色の世界を、最初に聞こえた悲鳴の方向だけを頼りに突き進む。これしか頼りがないのだから仕方ない。
走っていると、ふとあるものが目に入った。
「おい、メア」
「何っすか」
「これ見てみろ」
「これは……足跡……っスか?」
そこにあったのは足跡だった。それも二つ。いくつも線のように連なっている。
一つは人間のものだろう。大きさからして、女性のものだろうか。ふらふらと危なげな足取りで、時折転んだのか何かを引きずったような跡がある。
それを追いかけるようにある、もう一つの足跡は確実に人間ではない。まず女性のものの二、三倍はあるという大きさからして人間ではない。それに、人間ではありえない太さの五本の指の跡がくっきりとできている。こいつが村を滅ぼした魔物で間違いない。
「この足跡は……女性のーー」
「先輩、早く行くっスよ」
メアは俺の言葉を遮って、さらに速度を上げて歩き出した。
「ユルト先輩先輩、何してるっスか? 今は一分一秒が惜しいんスよ?」
メアは振り返りそう言って、さっさと走って行く。その顔にあるのは明らかな焦り。先ほどまでにはなかった焦燥感。明らかに女性と知って動揺している。
「なんなんだいったい……」
俺もそのあとを追うように走った。
といってもなんとなく理由は察している。昨日のあれだろう。やけに女性に肩入れする。
早く動くこと自体は問題ない。でもここであまり相手に見つかるような動きは好ましくない。普段のメアならそこらのこともきちんと考えてているのだろうが、今はどうだ。早くたどり着くことしか考えていないのかと思うほど猪突猛進していた。まだ近くにいないからいいが、あれでは見つかる。
「はぁ……」
今更何をいっても止まりそうもない彼女の背中を追いつつ、ため息をついた。
しばらくして、嫌が応にも立ち止まらねばならない状況になった。といってもやつが現れたわけじゃない。つい立ち止まってしまうような場所だったというだけだ。
この場所はボロボロだった。周りの木は引っ掻かれたような傷だらけ。中には折られているものもある。もちろん、奴の足跡もあり、やつがやったことは明白。
いや、だけではない。この場所から足跡に沿うように破壊された場所も続いている。
これだけ森はボロボロにされているのに、人の血は一滴もない。逃げているやつは攻撃されていないのだろう。
まるで、楽しんでいるように感じた。
横目でメアを見ると、今まで見たこともないくらいの憎悪で黒く染まっていた。
「おいメアーー」
「ユルト先輩。絶対、奴を殺しましょう」
そう断言するメアは、なんとなく昨夜のメアを彷彿とさせる、冷たい目をしていた。余計な感情を切り捨てたような、冷たく無機質な瞳。
危うい。今のメアはこの上なく危うい。
そう感じた。基本冷静なメアにしては珍しいほどに心が揺れている。憎しみで理性が少し無くなっている。第一に目的がすり替わっているのだ。人間を助けることから、魔物を殺すことに。
「落ち着け、メア」
「何言ってるっスか。私は十分落ち着いてるっス。早く行くっすよ」
「メア!!」
俺の制止を無視して走り出そうとするメアの肩を掴み、無理やり引き止めた。
結構大きな声を出してしまった。もしかしたら向こうにも聞こえたかもしれない。だがそっちの方がまだいい。
メアは一回落ち着かせないと、無鉄砲に突っ込んでしまいそうだ。
「お前が焦っているのはわかる。わざわざ殺さずに遊んでいるような魔物を憎らしく思うのもわかる。だが一回落ち着け。それで死んだら元も子もないだろ」
「私は十分落ち着いてーー」
「落ち着いてない。ほら、一回深呼吸しろ」
「……」
「深呼吸」
メアは渋々といった様子で深呼吸をした。だがそれで少しは落ち着いたようだ。表情がいつものメアに戻ったように感じる。
「すいませんっス。落ち着きました」
「よし、なら行くぞ。幸いといっていいかわからんが、すぐには殺さないらしい。だからーー」
「まだ生きてるかも……っスね」
「そういうことだ。行くぞ」
「……りょーかいっス」
相手がかなり大型で強い魔物というのは、俺とメア共通の見解だった。だから相手がすぐそばにいるかもしれないこの状況で、俺たちは歩くまでは行かずとも少しスピードを落として移動していた。
「っ! 止まれ!」
メアにだけ聞こえる大きさでそう言って、手を伸ばして制止を促した。メアは黙ってそれに従い、屈む。そのまま俺たちは近くの茂みに隠れた。
「いた……」
そこに彼らはいた。
奥には予想通り一人の女性。
彼女はもうボロボロだった。衣服は破け、手足や顔に擦り傷がいくつも見える。その顔にははっきりとした純度百パーセントの恐怖が映し出されていた。
腰を抜かしたのか地面に座り込んで、涙や鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で少し上を見上げている。
その視線の先にあるのは、大きな塊。一瞬ただの岩かと勘違いしてしまうほどだ。
それはもはや魔物というより、ただの怪物だった。そいつがこちらに背を向け佇んでいた。
単純に大きさだけなら三メートルはありそうだ。全身は茶色がかった緑の鱗のようなもので覆われ、その腕は人の胴体ほどの太さもありそうだった。その先には全てを切り裂く凶悪な爪。頭にはやけに存在感がある歪な形の角が生えていた。
圧巻だった。冷や汗が背中を伝うのがわかった。横を見るとメアも同じように冷や汗を流し、顔が引きつっているのがわかる。
今まで少なくはない回数魔物と対峙し、殺したことはある。だがここまでの恐怖感を俺にぶつけてくるやつはいなかった。
やつは強者だった。
圧倒的なまでに、強者だった。
強大な力を持ち、それをもって弱者を狩る狩人だった。
背中から見ている俺ですらここまで感じるのだ。はっきりと意識を向けられ、見られている彼女の恐怖は想像を絶する。
「ん?」
ふと、俺の頭に既視感が浮かんだ。こいつを何処かで見たことがあるような、そんな不思議な感覚。
いやないはずだ。こんなやつ絶対に忘れることができない。一回見たなら覚えているはずだ。
ーーならどこで?
少し頭を巡らせる。答えはすぐに見つかった。なんてことはない、言ってみれば至極当然のことだった。
ーーアイラだ。
大きさも色も違うが、なんとなく似ている。体表も爪も、頭の角も。
あいつが持つ、お前は弱者だ、狩られる側だと悠然と語りかけてくるような威圧感は、両親が死んだあの夜のアイラに酷似していた。
ーーああ、当たってしまった。
あの村を見たときから、なんとなく考えていた。あそこまで圧倒的な力を持つ魔物なんてそうそういない。ましてこんな場所に現れるやつなんて、こいつくらいしか。
間違いない。こいつはーー
「ハンニバル」
無意識に、そうポツリと口から漏れた。
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