第17話 闇の帝王も心の傷に震えることがある
その日から、私はご飯の量を極端に減らした。だって、このまま痩せていっても、全然、ナナちゃんの体重には届かないから。
「なぁ、なんでこんなに急激に体重落ちてんだよ」
それから五日後、ご飯を減らした効果が出始めた。
「いいじゃないですか、痩せているんだから、何か文句あります?」
そう言うと、一条さんはちっと舌打ちして、私のことを睨み付けた。
「お前、俺が渡したメニューちゃんと食ってんのか?」
何も答えない私に苛立った様子で瞳を細める。
「いつから、食ってない?」
「言いたくありません」
「このクソバカが……」
怒りを押し殺したような声でつぶやくと、彼は、「今日のトレーニングはやめだ。今すぐ着替えて来いっ!」と怒鳴りつけた。
私は言い返そうとしたけれど、スナイパーの様な鋭い瞳で睨みつけられたので、すごすごとロッカールームに戻っていった。
その後、着替え終えて戻ってきた私を、一条さんは苛立った様子で、「ついて来い」と、ジムから連れ出した。
「ここ、どこですか?」
着いた場所は、えらく豪華なマンションで、高級ホテルのようなエントランスをまじまじと見渡す。
「俺の家」
へ?
驚いているうちに、手を引かれて、私は一番高層階にある彼の部屋へと連れていかれた。
さすが、都内に有名スポーツクラブを数十店舗抱えるオーナーだけのことはある。
ここまでパーフェクトだと、嫌味以外の何物でもないな。
顔がよくて、スポーツマンで、お金持っていて、そりゃ性格が「俺様」にもなるか。
「なんだ、文句でもあるのか?」
「い、いえ。なぜ、一条さんのお家に?」
その問いには答えず、彼は玄関を開けて、私を中に引き入れた。
うわぁ。
きっと、私は口を開けてアホな顔をしていることだろう。
広いリビングから見渡す、夜景がきれいなこと。
世の中には、本当にこういう景色を見ながら生活している人がいるんだなぁ。
「今から飯作るから、そこで待ってろ、クソボケ」
突然、そんなことを言われて、私はビックリして振り返った。
「え……。い、いいですよ。食べたくありません」
「はぁ?! この俺が、作ってやるって言っているのに、なにクソ生意気なこと言ってんだよ」
「せっかく痩せたのに、食べたくないです!」
「そんな不健康な痩せ方して、意味ねーだろ」
押し問答に、苛立った私はムッとして彼を睨みつけた。
「意味なくない! 大体、一条さんが悪いんですよ! ナナちゃんと、同じ土俵に立ってないなんて、酷いこと言って。そりゃ、彼女はアイドルだし、私とは世界が違う人だけど……」
「違う。そういう意味じゃないっ。お前はお前の土俵で戦えって言ってんの。元カレの時と同じことしてんじゃねーよっ! 少しは成長しろっ!」
その言葉は、私の胸にズキンと突き刺さった。
「あ……悪い……」
ポロポロと涙をこぼした私に、一条さんがばつの悪い顔をする。
「一条さんには……一条さんには、私の気持ちなんて分からない! カッコよくて、沢山モテて、そんな人に、私の惨めな気持ちなんて絶対分からない!」
そう言ったら、一条さんは息を呑んで、顔を強張らせた。
しばらく沈黙が流れて、
「頼むから……食べてくれ」
驚くほど悲痛な顔で、彼が言った。
なに……その顔。
まるで今にも泣きだしそうな彼の顔に、私は言葉を失った。
「お前、妹に似てんだよ……」
苦しそうに胸元を掴み、浅く息を吸う一条さん。
「俺の妹、太っていること気にしていて、そのままで十分可愛かったのに、彼氏に酷いこと言われて振られたみたいで、それから急にダイエットし始めて」
ポツリポツリと話し出した一条さんは、深いため息をついた。
「最初は、リンゴダイエットだの、何だのやって、あっという間に細くなって、そこで止めておけばいいのに、どんどんエスカレートして……。まずいと思った時には手遅れだった。拒食症になって、皮と骨だけになって。それでも食べるのを嫌がるんだぜ」
苦しそうにつぶやきながら、私を見つめる。
「あいつに、バカなことしてないで食えって食事をつきだしたら、言われたんだ。お兄ちゃんに私の惨めな気持ちは絶対に分からないって。お前と同じこと言われた。成長していないのは俺だな……」
「一条さん……」
「傷つけてごめん。お前にはお前のいいところがあるから、ナナと同じ土俵で戦う必要はないって言いたかった。素直にそう言ってやればよかったのに、口悪いから俺……本当にすまない」
あの一条さんが深く私に頭を下げた。
それから彼は顔を上げて、私のことを真っ直ぐに見て、言葉を続けた。
「俺はお前の気持ちを理解してやることは無理なのかもしれない。でも心配なんだ。だから、無理なダイエットはやめてほしい」
懇願するような瞳で私を見る彼に、以前、一度だけ見せた、その弱々しい姿を思い出した。
私が風邪を引いた時、1ヶ月で痩せるのはやめにしないかと言った一条さん。彼の瞳から、ある種の不安や恐怖を感じた。
きっと、彼は私に妹さんを重ねていたんだ。
「……分かりました。私も、バカなことして、すみませんでした」
ようやく自分も冷静になってそう答えると、一条さんはほっと息をついて、「飯作って来る」と踵を返した。
その声が少し震えていたから、私は自分のしたことが彼にどれほどの傷を与えたのだろうと、すごく心が痛んだ。
「うわっ。いくらなんでも、こんなにがっつり食べちゃっていいんですか?」
彼が出した食事はハンバーグで、結構なボリュームのその食事に私は驚きの声を上げた。
「ひき肉を半分にして豆腐を使っているから、そこまでカロリーはない。米にも白滝を刻んでいれたから、気にせず食え」
「はい! いただきます!」
それから、遠慮なく、熱々のハンバーグに手をつけ、はふはふしながら頬張っていたら、じっと一条さんが私を見ていたので、急に恥ずかしくなった。
「ホ、ホントは、すごくお腹空いていて……」
「その顔見てりゃ分かる。さっさと食えよ」
「はい……」
私はあっという間に平らげて、「ご馳走様でした。すごくおいしかった」と彼にお礼を言った。
「どういたしまして」
一条さんはちょっとだけ嬉しそうに笑った。
「お前見てると救われる」
「え?」
「時々、すごく苦しくなるんだ。そばにいながら妹のことを助けられなかった自分に。だけど、うまそうに飯食ってるお前見たら、少しだけ楽になった」
なんて答えたらいいのか分からなくて黙り込んだ私に、一条さんは苦笑いして、再び口を開いた。
「俺、昔さ。妹と喧嘩したとき、ブスって言ったことあって、売り言葉に買い言葉って言うか、お互いにいろいろ酷い言葉で罵り合って、結局最後あいつ泣いたんだよな」
そう言った後、切なげな表情をして視線を落とした。
「そん時の事思い出すと、俺のせいで心に傷が残っていたんじゃないかって……すげぇ、しんどくなる」
顔を覆うように、こめかみを押さえて、彼は深くため息をついた。
今にも消えてしまいそうな彼の姿に、胸が締め付けられて、私は居てもたっても居られなくなった。
「一条さん、その時、妹さんになんて罵られたか覚えています?」
「え? あぁ、禿げとか、クソ兄貴とか、死ねとか、だったかな。あんまり覚えていないけど」
「妹さんもきっとそうですよ。きっとたいして覚えていません」
「花子……」
ちょっと驚いた様子で顔を上げた彼に私は頷いた。
「私も口の悪い弟が5人もいて、よく喧嘩して酷い言葉を浴びせられました。その時はワンワン泣いたけど、だけど何言われたかまで覚えていません。本気で言ったんじゃないってことは分かっているから。だから、きっと妹さんに起きた出来事と、その喧嘩は関係ありません」
そう言ったら、彼はうつむいて黙り込んだ。
その肩が震えていたから、「あの、私、これ片付けて来ますね」と、私は食べ終わったお皿を持って、キッチンへと姿を消した。
こんな時、どうしたらいいのか分からない。本当は、そばにいて彼の背を抱きしめてあげた方がよかったのかもしれない。
でも、何となく、今は一人にしてあげた方がいいような気がしたから。恋愛経験値の低い私にはそうすることが精一杯だった。
今日、少しだけ、一条侑という人の内側を見た。
いつも自信満々で、恐れるものなんて何もない帝王のような一条さん。そんな彼も心に傷を抱え、繊細な部分を隠し持っている。
あれほど容姿に恵まれて生まれて来たのだから、さぞかし素敵な人生を送って来たのだろうと思っていた。
だけど、きっと、一条さんは私なんかよりもっと過酷でつらい人生を送ってきたのかもしれない。
そう思ったら、自分とは別の世界の人だった一条さんが凄く身近に感じて、そして、無言で肩を震わせた彼をとても愛おしく思った。
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