ある雨の夜の出来事 - 現代

 雨の降る夜、僕はひとり、街路樹の下で佇んでいた。

 そのとき、「きゃー!」という女性の悲鳴が響いた。


 急に降り出した雨、たまたま目に入った街路樹、少し休んでいこうかと思ったのだ。

 そんなときに聞こえてきた悲鳴。何事かと、声のした方を観察していた。


 アパートの1階の中程の部屋から、女性が一人飛び出してきた。

 そして、彼女と目が合った。


 近くに街灯があったのが良くなかった。

 闇夜に明かりは目立つ。

 観察をしていた僕と、部屋を飛び出し、明るい方を見た女性、目が合うのは必然だ。


 なんとなく、会釈をしてみる。

 女性の方も気まずそうに会釈を返す。

 しばらくこちらを気にしつつ、飛び出した部屋の方も気にしていた。

 その様子をなんとなく観察していた。


 女性は意を決したようで、こちらに駆け寄ってきた。

「すみません、助けてください」

 左手の人差し指で自分を指し、確認をする。

「お願いします。このままだと部屋に戻れなくて」

 両手を合わせて拝まれる。


 仕方がない。

「何をすればいいんですか?」

Gが出たんです」

「ジー?」

 少し考えて、思い至る。黒いあいつか。

 あれを退治するくらいならいいか。


 女性に連れられて、部屋の前に来た。

「私は、ここで待っていますから、お願いします」

 1匹ぐらいで大げさな。

「どこにでたんですか?」

「キッチンの流し台のところに」

「殺虫剤はありますか?」

用のはないんですけど、蚊とか蝿用のでしたら、部屋の棚に。スリッパを使っていただいても」


 普通の殺虫剤で充分だ。叩き潰すのはよろしくない。

「殺虫剤をお借りします。スリッパは遠慮しておきます。潰れると両方につきますんで、スリッパだけでなく、キッチンマットも使い物にならなくなりますから」


 殺虫剤はすぐに見つかった。

 流し台の扉を開け中に、横や背後の隙間に、殺虫剤を吹きかける。

 がはっきりと見つかって、同じところに長時間いるとも思えないが。


 しばらく待つと、流し台の裏からが出てきた。殺虫剤で苦しくなり、広いところを目指して出てきたか。

 あらためて、殺虫剤を吹き付ける。

 幾ばくか待てば、薬剤がまわり、動きが鈍くなる。


「トイレに流そうと思うんですが、どちらに?」

 どこかに捨てるより、その方が安心するだろう。

「後ろの扉です」


 トイレから、トイレットペーパーをいくらか拝借し、やつを包み、便器へ入れる。

 そして、水を流せば、任務完了だ。


「流しの下に入っていた調理器具ですが、殺虫剤がついていると思いますので、洗ってから使ってくださいね」

 一応、伝えておく。

「ありがとうございます。助かりました。良かったら、これを使ってください」

 差し出されたのは一本の傘。外は雨が止みそうになかった。

「ありがたく使わせてもらいます」



 雨の夜道、傘を差して歩く。

 あの時、もらった傘だ。

「きゃー!」女性の悲鳴が響いた。

 彼女のアパートは、この辺だったか。

 声の発生源はどこだろうと、探していると、あのアパートから、あの女性が飛び出してきた。


 1匹いれば、30匹いると言われるだ。また出たとしても、不思議はない。

「お困りごとですか?」

 僕は、小さな笑みを浮かべながら、傘を差し出した。

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