番外編 桜田舞帆の恋路 第1話

 12月のクリスマスイブに、事件は起きた。


「ほ、ほむっ、炎馬君が結婚ッ!?」


 街の大通りに輝くクリスマスツリーや、まばゆい光となって辺りを包むイルミネーションに照らされた、街道のど真ん中。そこで弟の寛矢から電話を受けた私は――人目もはばからずに叫び出した。


 その直後に、周りの人達が何事かと注目していることに気づいて、私は自分でもわかるくらい真っ赤になりながら、今度は小声で通話を続ける。

 しかし、電話の先にいる寛矢でさえも、詳しくはわからないという。


『ラーベ航空会社がクリスマスパーティーで出迎えた、剣淵財閥のご令嬢が「炎馬勇呀様との結婚について……」とかなんとか言っていたくらいで、僕もハッキリ話を聞いたわけじゃ――』

「剣淵財閥って……! 日本有数の資産家じゃない! 桜田家とは比較にならないくらいの! そんな名家と炎馬君に繋がりがあるっていうの!?」

『僕も最初は同姓同名の別人を指してるのかと思ってたよ。でも、ご令嬢が持ち込んでいた婚姻届には間違いなく炎馬さんの名前があったんだ。ハンコが押されてたのはご令嬢の方だけだったけど』


 ショックのあまり、携帯を落としそうになってしまう。

 ……炎馬君が結婚!? それも、あの剣淵財閥のご令嬢と!?


「ど、どうせ本当にそうだったとしても、炎馬君がハンコを押すわけ、な、ないでしょ!? だって、彼は――」


 婚姻なんて否定したい。否定したくてそんなことを口にしたけど、途中で言葉が詰まってしまう。

 ――本当にそうだとして、押すかどうかを決めるのは彼だ。私じゃない。


 いくら私が彼を好いているからといって、彼もそうだとは限らない。

 誰にだってかいがいしく接する今の彼なら、ご令嬢の気持ち次第じゃ本当に……。


『炎馬さん、お母さんが心配だから早く稼げる職に就いて、楽させてやりたいって言っていたし……剣淵財閥と関わりを持ったとしたら、その望みは必要以上に叶うだろうね』


 聞きたくもない事実を、航空会社で働くエリートの弟は容赦なく突き付けて来る。

 実際、炎馬君の家は決して裕福とは言えない。

 平中さんと一緒に続けているバイトのお金だって、本当はお母さんに使いたいはず。


 誰も彼も助けようと、あちこち駆けずり回って、自分の首を絞めつづけている。


 ……私は卑怯だ。自分が桜田家っていう名家の人間だということを利用して、「逆玉の輿」を誘おうとしていた。

 もちろん、そんなことで靡く彼じゃないけれど、お金に困っているのは知っていたし、いざとなれば私が助ける気でいた。


 そうすれば、きっと彼も振り向いてくれる。私を必要としてくれる。そう信じて――いや、願っていた。

 だけど、例の話が本当だとしたら、そんな「卑怯」な手段すら失ってしまう。正直なところ、私には何の魅力もない。


 平中さんみたいに、素直に好意を表せるわけじゃない。結衣みたいに、エ、エッチな迫り方ができるわけでもない。

 文倉さんには、炎馬君の初恋相手って時点で試合前から完敗状態だし、狩谷鋭美に至っては炎馬君の唇まで奪われてしまっている。


 私はラーカッサやバッファルダの事件が解決して落ち着いた後、お母さんから戦いの全貌を聞いていた。

 平中さんは自分のバイクで、セイサイラーのない炎馬君を私のところまで送り届けてあげていた。


 文倉さんは、望まない命だったはずの甲呀君を愛し抜き、炎馬君を元気付けるために連れて来て、彼を励ました。


 ……私は、何をした?


 炎馬君を守るため、彼のためだと信じて、ラーカッサに立ち向かって――無様に敗れた。

 生裁重装の鎧を傷付けてセイサイラーをボロボロにして、後から駆け付けた炎馬君の足を引っ張る結果を招いた。


 なんで、私なんかがセイントカイダーに選ばれる予定だったんだろう? 度々、そう思う。

 何の役にも立たなかったばかりか、愛する人の足を引っ張るだけで終わった私を彼が受け入れてくれたのは、奇跡としか言いようがない。


 出会えたのが炎馬君でなければ、私なんてとっくに捨てられていた。


 だからこそ彼が愛しい。

 彼の支えになりたい。

 そんな私が唯一持てるアドバンテージは、「桜田家」という家名だけだった。


 優しさなんて微塵もない。いつも女の子に群がられる彼に嫉妬して、素っ気ない振りをするばかり。


 そんな私を、彼が好きになるはずがない。嫌われないだけでも、神様に感謝したいくらいよね。


 それでも、炎馬君が頼れるのは私しかいないって思ってた。けど、それは桜田家の持つ「財力」という後ろ盾があってこその考えだった。


 剣淵財閥のご令嬢の話を聞いて、私はようやくそれに気づいた。気づいてしまった。


 ――私は、炎馬君の隣にいられる器じゃなかったんだ。


「……そうよね。炎馬君、すごく喜ぶんじゃないかしら? 私なんかどうでもよくなるくらい、魅力的な人なんでしょうね」


 自分自身でも信じられなくなるくらい、ドスの効いた低い声だった。


『ね、姉さん?』

「ごめん。もう切るね、寛矢」


 聞かれたくない。私の、啜り泣く声は。

 一方的に電話を切る私。最低、本当に最低よ。


 炎馬君にあげるクリスマスプレゼントを探しに街まで繰り出していた私の頬を、温かい何かが伝う。


 違う、これは涙なんかじゃない。

 私みたいな女が、涙ぐんだってみっともないだけじゃない!

 炎馬君、きっと今の私を見たら、「面倒な女だな」って思うよね……。


 そうよね、だって、私は――


「卑怯でずる賢くて、お金しか後ろ盾がない――疫病神なんだから」


 独り言でそう呟いた途端、私はボロボロと流れる感情の渦を抑えようと目をつむり、前も見ずに駆け出していく。


 前を見るのが、怖くて仕方がないから。今の自分を、誰かが見ていると思いたくないから。


 しかし、そのささやか願いさえも、あっという間に打ち砕かれてしまう。それも、是が非でも見られたくなかった人に。


「うおっ! とと……舞帆?」

「えっ――あっ……!」


 嘘でしょ……? なんで、なんでよりにもよって……!


「どうしたんだ? お腹でも空いたのか?」


 涙でくしゃくしゃになった私の顔を見て、心配そうな表情になった彼は、真面目な顔でおバカな言葉を投げ掛けて来る。

 私は恥ずかしくて消えてしまいたくて、彼と顔を合わせることができなかった。

 目を伏せて、ただ両手で涙を拭おうとすることしかできない。


 我ながら、まるでおもちゃを取られた子供みたい。


「……よくわかんないけど、ほら、こっちおいで」


 いつものように困った笑顔を浮かべる彼は、私の手を引いて最寄のベンチに腰掛ける。

 その右隣に座る私の頭を、子供をあやすようにそっと撫でた。


「ハンカチならあるし、好きなだけ泣くといい。なんかあったんだろ? 無理に聞く気なんてないけど」

「うぐ、ひぐっ……!」

「――『泣く』って、いいよな。壊れそうになる心を、守ってくれるんだからさ」


 どこか遠いところを眺めているような彼の目を見れば、その視線の先に誰がいるのかがすぐにわかる。

 きっと、かつての彼自身を見ているのね。


 お母さんから聞いてる。

 みんなからの激励を貰った彼は、一時ひどく泣いたらしい。


 彼の泣く姿なんて見たことも想像したこともなかった私にとって、その話は衝撃的だった。


 そんなことがあったからこそ、彼は「泣く」ことを肯定するんだと思う。泣くことで、どれほど気持ちが楽になるのかをよく知っているから。


「勇呀様。そちらの方は?」


 その時だった。私の隣に座る炎馬君の前に、同い年くらいの女の子が現れたのは。

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