第16話 溢れた感情

 再び静寂が戻ってきた病室。

 すっかり夜空になった中、そこにいるのは俺と平中――そして達城だった。


 舞帆達が病室を出て行ってからしばらくしたあと、達城が見舞いに来たわけだ。

 どうやら校長の回し者に秘密基地を追い出され、セイサイラーを持ち出されたらしい。


 秘密基地は、とっくに「秘密」じゃなくなっていたってことか。


 いきさつは俺に代わって平中が説明してくれた。

 さすがにあれの後だと、俺からは話しづらい。こういう時の平中の気遣いには救われる。


 達城は一息つくと、呆れた顔で俺を見る。


「で? なにも言い返せずに自分が守ろうとしたあの娘を死地に見送ったってわけ?」

「……俺には、デカイ口を利く資格なんてなかった。舞帆に迷惑かけてばかりで、セイントカイダーになって恩返ししようとしたら、結局心配させて。あの校長の言ってること、ちょっと腹は立つけど、結構当たってんだよな」

「落ち込むのはあなたの勝手だけど、これからどうするつもり? 舞帆や寛矢が必死こいて戦ってる間、そうやって寝そべってて平気なの?」


 ――そんなわけがあるか!


 俺がこうして病室のベッドにいる間、二人はどこまで強くなったのかわからない敵と対峙してるんだ。寝てるままでいいはずがない!


 ……でも、行ったところで、俺に何が出来るんだろう?

 また、足を引っ張って終わるのか?


 そんな考えが頭を過ぎるたび、普通なら迷わず掛け布団を引きはがすはずの俺の手は奮え、そこから少しも動けなくなっていた。


 そんな俺の煮え切らない態度に愛想をつかしたのか、達城はため息をつくと共に病室を後にした。


「そこで、待ってなさい」


 たったそれだけを言い残し、彼女は一度、この場から去る。

 達城のノックとは違う、それの音が聞こえてきたのは、それからすぐのことだった。


「どうぞ」


 俺は入室を許可する。相手が自分にとって、どんな大変な存在であるかも知らずに。


「入ります」

「――!?」


 ……今の声って!?


 平中と共に目を見張る俺の前に、あの少女は現れた。


 変わらない優しげな瞳。艶やかな長髪。

 どんな芸術を以てしても再現不可能な整い過ぎる目鼻立ち。

 触れることさえ億劫になるような、澄み切った白い肌。


 スラリとした滑らかなボディラインが、女性としての魅力をより視覚的に表している。


 ――そう、文倉ひかりの美貌は、3年前から変わらないままだった。


「ひ、ひかり……!」

「……勇呀君。また、会えたね。達城さんから、全部聞いたよ」


 まるで何事もなかったかのように、彼女は中学時代と変わらない笑顔で微笑んで見せる。

 それが信じられなかった。


 あれだけのことがあって、まだ俺に笑いかけられるなんて……。

 すると、今度は平中に視線を移した。


「花子も、久しぶり。ごめんね? 中卒以来、全然連絡取れなくて」


 親しげな口調だ。本当に2人は友達だったらしい。

 ……ん? それじゃあ、俺のことが好きだって言う彼女の友達ってまさか……?


「う、ううん、いいよいいよ! そ、それよりひかりこそ大丈夫なの? 炎馬さんから聞い――」


 そこで慌てて口を塞ぐ。

 思わず過去を掘り返してしまったことで、俺と平中は重い空気を肌で感じることになった。


 正直、ひかりの友達云々どころじゃない。


 しかし、当のひかりは全く気にも留めない様子で優しく微笑んでいる。

 焦るこっちが恥ずかしいくらいに。


「――そのことでね、勇呀君に話があるの」

「話?」


 俺が聞き返すと、ひかりの後ろから何か物音が聞こえた。

 なんだろう、と俺が首を傾げると、そこから小さな男の子がひょこっと顔を出してきた。


 どういうわけか、俺の――セイントカイダーのソフトビニール人形を持っている。


「……弟さんか?」

「違うよ。――ほら、おいで甲呀こうが


 他人の気がしない名前で呼ばれた、その甲呀という3歳くらいの男の子は、ニコニコしながらひかりにしがみつく。


 まるで、親子のような絵面だ。


「甲呀……?」

「うん。あの時、授かった子。覚えてる?」

「――なっ!?」

「えええっ!?」


 俺は思わず傷の痛みも忘れて立ち上がりそうになる。


 ――あの時って、中学の卒業式の!?

 そんなバカな、獣呀の息子だと!? だって、あいつ、「堕ろす」って……!


 驚愕のあまり動けなくなる俺と平中を交互に見遣り、ひかりは苦笑しつつ、俺の手の甲に優しく手を添えた。


「怖かった。すごく怖かったよ。どんなことをされるのか、どんな目に遭うのか、全然想像つかなかったから。普通に赤ちゃんを産むより、ずっとずっと、怖かった。だから逃げ出したの。そして、行き着いた病院で、この子を産んだわ」


 ――俺は、バカだ。


 こんなにひかりが苦しんでるのに、俺は今まで何をやってたんだ?


 舞帆に尻を叩かれながらも、それなりに充実した学園生活を送っている間、ひかりがどんな辛い思いをしているのか――彼女を忘れた日なんてなかったはずなのに。


 ひかりも、舞帆も、俺のせいで苦しんで、泣いて――なんだよ、そればっかじゃないか。

 俺、何の役にも立っちゃいない。


「交通事故で両親もいない、身寄りのなかった私を育ててくれた加室孤児院の先生や、同じ孤児の女友達には反対された。それでも、私は産むことを選んだの。――なんでか、わかる?」

「……産まれて来る子供には、罪がないから、とか?」


 ひかりなら、こう言いそうな気がする。

 だから、根拠もなく俺はそう答えた。


 しかし、彼女は首を横に振る。

 すると、か弱い彼女の手が、俺の手首をしっかりと握り、優しくも真剣な目で俺を見据える。


「あなたと、繋がっていたかった。あなたと、少しでも関係が保てるなら、あなたの傍に、少しでもいられるなら。そして、この子があなたのように育ってくれたなら……それだけで胸をいっぱいにして――私は、甲呀を産んだんだよ」

「ひかり……」


 こんな俺のために、ここまで……。


 余りにも積み重なり過ぎる負債の数々に、俺の罪悪感はさらに拍車が掛かっていく。


「私が甲呀を産んでから、孤児院の先生や勇呀君のおばさまが協力してくれたの。私も学園に入れなくなった代わりに、孤児院で働いてる」

「おばさまって――母さんが!?」

「うん。少しでも責任を取りたいから、って、養育費を捻出して下さったの。こないだお会いした時に、もっと息子が早起きしてくれれば……その、任せられる、のにって……」


 熱でもあるのか、ひかりの顔はだんだんと上気して、朱に染まっていく。

 この場で俺が何をやらかしたのかはわからないが、なぜか平中には厳しい目で見られていた。


「それで、そろそろ甲呀のことを勇呀君にも話そうって思ってここまで来たの。……そこで、達城さんに聞いたわ。今のあなたこと。そして、桜田舞帆さんのこと」


 そこで、俺は思わずビクリと肩を震わせた。

 これ以上、ひかりにまで心配はかけたくない。


 それに、今の自分に何が出来るのかわからない。

 しかし、舞帆を放って置きたくもない。

 どうすればいいか、どうすべきか。それを今の俺は見失っていた。


 そこへ、さらなる来客が俺に衝撃を与える。ひかりの背後から足音がしたかと思うと、到底このヒーロー絡みの件には関係ないような人物が顔を出してきた。


「勇呀。ダメよ、いつまでもそんなクヨクヨした顔じゃあ」

「か、母さん……!」

「えええーっ!? ほ、炎馬さんのお母さんッ!?」


 実年齢より若干老け込んだ外見の俺の母、紗夕さゆは、いたずらを叱るようなトーンの声で喋りかけて来る。


「ひかりさんを通じて、あなたのことはちゃんと聞かせて貰ったわ。あなた、生徒会の女の子の代わりにヒーローになったんですって?」

「……黙ってたこと、怒ってんのかよ」


 今の、最も情けない姿を晒している時に事情を知られたためか、俺の口調は自分でも恥ずかしくなってしまいそうなほどに拗ねたものになっていた。

 意地悪のつもりで、俺はそっぽを向く。


「そうね。本当なら、怒るところだわ。家族に何の相談もせず、独りで全部しょい込もうとするなんて。――でも、それ以上に驚いたわ。そして、嬉しかった」

「……嬉しかった?」


 予想外の母さんの言葉に、俺は思わず向き直って目を見張る。


「お父さん――蛭真ひるまさんは酷く女癖が悪くてね。浮気なんて日常茶飯事だったわ。それは、獣呀も同じ。私はこの家族から、一時の快楽なんかじゃない、本当の幸せが得られる子が生まれてくれることはないんじゃないか……って、思うことがあったわ」


 母さんの言う通り、俺の親父も兄貴も、とんだ変態野郎だった(親父に関しては俺がよく知る前に亡くなったから詳しくはわからないが)。

 特に、獣呀は許せない。あいつを止められなかった、俺自身も。


「でも、あなたは違ったわ。間違いはするし後悔だってするけど、いつだって本当の幸せを、当たり前の暮らしをしてこれたじゃない。優しい人に囲まれて、学校の友達とも笑い合って」

「母さん、俺……」

「いいのよ。お母さん、無理にああしろ、こうしろなんて言わない。だから、あなたにとっての平和な暮らしを守るために戦うのなら、私は止めたりなんかしない」


 俺の過ちも、自分への怒りも、情けなさも、全部受け止めて、母さんは俺を抱きしめた。


「――!」


 ひかりや、平中が見ている中でそんなことをされたら、普通は恥ずかしがって離れようとするものだろう。


 でも、俺は身じろぎもせずに、その温もりを享受した。


 中学時代、ひかりが獣呀にされたことを知ったあの日から、俺の人生は大きく狂っていた。

 俺は何もできず、守りたい、力になりたいと思った人を、結局は泣かせた。


 そんなろくでなしが、当たり前の幸せなんて貰えるはずがない。

 そう感じて、俺は母さんからも距離を置いていた。


 本当なら、いつでもこうして――包んでくれたかもしれなかったのに。

 寂しい、悔しい思いはしても、独りにはならなかったかもしれないのに。


「お、俺……俺はっ……!」

「あなたは確かに悪い子だったわね。でも、無理してそのままでいなくたって、いいのよ。みんなみんな、あなたの味方なんだから」


 ……み、か、た。


 母さんが、俺の、味方。


 みんな、味方……?


 そうなのかな。ひかりも、平中も、桜田も。


 ――そして、きっと、舞帆も。


 みんな、俺の味方なのか?


 味方で、いてくれるのか?


 何もできずにいた、俺の?


「くっ……う……!」


 俺の手を優しく握ったまま、何も言わずただ天使のように微笑むひかりの顔が視界に映ると、途端にその景色がぼやけはじめた。


 平中の、自分の腕白な弟を見るような、少し困った笑顔が目に入ると、ますますぼやけに拍車が掛かっていくのがわかる。


 そこで俺はやっと、自分の目頭が熱くなっていることに気が付いた。


「俺――俺、俺は……!」


 情けない涙声しか出てこない。

 それを恥じる余裕もなかった。


 俺はありのままの優しさを受け止めて、その身にあまる救済にむせび泣いた。

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