第8話 翼のヒーロー

「イチャついてんじゃねぇぞガキがァ!」


 バッファルダは怒号と共に、足元に転がっていた椅子を蹴り砕く。

 粉々になった破片がつぶてとなって、俺の全身に降り懸かる。


 思わず両腕で顔を覆い、こっちに向かって降り注ぐ木片の雨を凌ぐ。


 ――次の瞬間には、奴の鉄拳が俺の顔面を打ち抜いていた。


 鉄仮面が無ければ、頭蓋骨も粉砕され、床の上にスパゲッティでもこぼしたかのように脳みそをぶちまけていただろう。


 ここは室内で、一般人も多い。

 前の時のように、生裁剣で目一杯暴れられないのは、正直言って致命的だろう。

 まともな力勝負じゃ歯が立たないのは、明白だからだ。


 地を転がる俺を汚物を見るような蔑んだ目で見下ろし、バキボキと拳の骨を鳴らして威嚇してくる。


「ほらァ、立てよ」


 俺の鉄兜を掴み上げて、無理矢理立たせようとする。

 そこで、俺は膝立ちになるまで引き上げられた瞬間、その手を払って鳩尾に拳を叩き込む。さらに一瞬咳き込んだところへ畳み掛けるように、ハイキックを仕掛けた。


 しかし、今度は奴のフックに脚を殴られ、蹴りの軌道を捩曲げられてしまう。


 すると、バッファルダは頭を俺の下腹部に向けて、そこで一気に天井へと突き上げた。


「なっ――が!」


 何が起きたのかを脳が判断した時には、既に俺は天井の照明に全身に打ち付けていた。


「おォおォ、屋根があってラッキーだったな。無かったらお前、そのままお星様になってたぜ」


 破損した電灯に引っ掛かったままぶら下がる俺を見上げて、闘牛まがいのヒーローもどきはせせら笑う。


「ラーベマンはどうしたよ? 呼べば助けに来てくれんじゃねェの?」

「ラーベマン……か」


 バッファルダが挙げた名前を、俺はよく知っている。

 ラーベマンといえば、「ラーベ航空会社」の専属ヒーロー。最近ではコマーシャルの仕事の方が多いと言われている、エリートヒーローだ。


 ――そしてある意味、俺とは深い関係にある。


「……さぁな。お前なんか眼中にないんじゃないか?」

「あァ、そうかよ……まァいい」


 そう口にした一瞬の間に、奴は俺の眼前まで跳び上がり、俺を壊れた照明ごと引きずり落とした。


「うが――あッ!」

「ははッ、いい声で鳴くなァおい!」


 ゴキブリをスリッパで叩くように、片手で持ち上げたテーブルで何度も背中を殴られる。


 背中から突き刺さる感覚に肺の奥から悲鳴が上がり、気管を通して俺の口から血ヘドが噴き出す。


 目に映る鏡の破片に、マスクの部分から赤い筋を幾つも流しているセイントカイダーの顔が見えてきた。


 醜く地を這う俺の姿は、やがて冷たくなって動かない舞帆や平中の体に歪んでいく。


 これは、錯覚だ。それは分かってる。


 だが、分かってるからこそ、それが現実になるかも知れないと思うと震えが止まらなかった。


 これはただの錯覚。そう、ただの錯覚で終わらせるんだ。

 そのためにも、俺は絶対――


「まー、とりあえず死ねや」


 頭上から冷たく言い放たれた一言と共に、俺の背中が冷たくなる。


 背中から全身に伝わる異物感。

 それが、天井の破片で突き刺されたものだと気付くのには、そう時間は掛からなかった。


「……お、が、あああああッ!」


 自分の体がバッファルダに刺された部分を中心に、冷たくなっていく。

 常軌を逸した痛みに叫びながらも、俺はどうすることもできずにいた。


「さァ、次は脚でも折るか」


 標本にされた蝶のように身動きが取れない俺の右足を両手で掴むと、妙な方向に捩りはじめた。

 本来の人間の関節ではありえない向きに、じわじわと。


「あ、う、ああ!」


 徐々に脚が捩曲げられ、それに抵抗できない現状に、俺は跳ね退け難い恐怖を覚えた。


「ほれほれ、もっと鳴けよ。こうすりゃア、もっと――」


 全身で悲鳴を上げて痛みを訴える俺とは対照的に、バッファルダはまるでゲームに熱中しているかのように、俺への嗜虐にのめり込んでいる。


 そろそろへし折ってしまおうと思ったのか、俺の脚を握る力が強くなったのを感じた。そして、


 バキッ。


 そんな音が聞こえた。


「ぐはあッ!」


 そして、短く叫び、バッファルダは頭を床に打ち付けながら激しく転倒する。


「なッ――!?」


 脚を折られると思っていた俺は、一瞬の出来事に目をしばたかせる。


 眼前に映るのは――赤いマッスルスーツと黄金のプロテクター、そして白銀のマスクで全身を固め、翼のように端がギザギザに割れたマントを靡かせる、1人の男。

 俺より身長が高く、それでいて華奢なそいつの姿に、俺は見覚えがあった。


「ラーベマン――!?」

「ひ、寛矢!?」


 すると、それまで涙でくしゃくしゃになった顔で戦況を見守っていた舞帆が、急に声を上げた。

 そう……俺は知っている。舞帆の弟が、ヒーローとして活動していると。


「お前が、舞帆の……」

「ええ、あなたが炎馬勇呀さんですね。……母から、あなたのことは聞いています」

「……母、ね」

「後は、僕に任せてください」


 寛矢と呼ばれていたその男――「天翔緋甲てんしょうひこうラーベマン」は、マントを鮮やかに翻してバッファルダと対峙する。


「調子くれやがって……何が『僕に任せて』だ! てめェみてぇなモヤシのパンチじゃ、軽すぎて蚊が刺した程度ですらねーぞ!」

「……さァて、この脳筋はどう黙らせたものか」

「スカしてんじゃねェ!」


 怒声が店内に激しく響き渡り、周囲の一般客を畏縮させる。そんな中、1人涼しい顔をして悠然と構えているラーベマン目掛けて、一直線に突進を仕掛けた。


「来たぞ!」

「ちょっと我慢してください!」

「なに――ごはッ!?」


 あろうことか、舞帆の弟は俺の背に刺さっていた破片を抜き取ると、槍のように投げ付けた。


「てぇッ!」


 矢のごとく空を切って飛ぶ破片だったが、バッファルダの角はそれをさえものとしない。

 乾いた金属音が響くと、弾かれた破片は宙を舞った。


「ハン! ざまァねェな、さっさとくたば――」


 言い終えないうちに、勝利を盲信していた巨漢は徐々にスピードを落とし、やがて両目を覆って動きを停止した。


 そこから流れていたもの――赤い筋。血だった。


「炎馬さんに、協力してもらったんですよ」


 澄み切った声で、俺が一体何を仕掛けたのかを問う前にラーベマンが口を開いた。


「あなたの血。目潰しにね」


 彼が投げた破片には、俺に刺さっていただけあってかなりの血が滴っていた。

 角に弾かれた瞬間、空中に飛び散ったそれはバッファルダの目にも降り懸かっていたわけだ。


「ぐっ、おおお! こ、このハト野郎が!」


 顔を覆い、膝をつく闘牛。勢いを失い、まさしく牙を抜かれた状況だ。


「戦いにおいて、目が見えないことほど不便なものはない。既に決定的ではあるけど――ヒーローはやっぱり必殺技で締めないとね」


 視力を封じられ、身動きが取れず錯乱しだしたバッファルダとは対極の落ち着きで、ラーベマンはマントを広げた。

 今まさに巣立とうとしている鳥のように。


「――ハアッ!」


 ここが屋内だからか、大きいモーションから動き出した割には随分な低空飛行だ。


 床との距離はほんの十数センチ。それだけに、ラーベマンが飛んでいる辺りにはかなりの量で埃が舞い上がっている。


 大きく弧を描くような動きで、僅かな高さで空を飛ぶと、人型の鷹は瞬く間に視界を奪われた猛牛の背後を取った。


 その場で羽交い締めにしたかと思うと、今度は天井への激突を顧みない勢いで、急上昇を始めた。


「寛矢、危ない!」


 舞帆の制止が言葉となって発せられるより速く、ラーベマンは天井を突き破り、快晴の青空へ旅立って行った。


 ――そして。


「さぁ、空中旅行をご堪能あれ――緋天彗星撃コメットスカイダイブッ!」


 遥か空高く、そこらのビルより高い世界へ、バッファルダの巨体が解き放たれた。


「う、お、あああああああああああ!」


 凄まじい断末魔が、下にいる俺達にまで響いて来る。

 その叫びが耳をつんざく余り、声の主がこの飲食店の外に墜落した轟音も、ほとんど聞こえてこなかった。


 ……なんつー、えげつない必殺技だ。

 助けてもらっといてこう言うのも忍びないが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る