第4話 生徒会長と学園襲撃

 翌朝、俺は何となく早起きをした。


 夕べのことを引きずっちまったせいかもしれない。ベッドから身を起こして日に当たっても、洗面台で顔を洗っても、舞帆の涙が頭から離れなかった。


「勇呀、今日は早いのねぇ」

「ん、いつもと変わんねえよ」

「そう。……いつもその調子なら、将来も大丈夫かも知れないのに」


 長年の苦労を思わせる、皺の寄った顔の母さんは、特に昨日の怪我も詮索することなく、食卓にパンや目玉焼きを並べていく。


 いつもの朝食が昨日のことがある分、余計に温かく感じられた。


 いつものように椅子に座り、何気なくアルバムのように写真を貼り付けた壁に目を向ける。


 そこには、「ヒーロー」になる前の俺がいた。


 まだ髪が真っ黒で、マジメな頃の俺。


 初恋の女の子と一緒に笑う俺。


 やさぐれて、髪を真っ赤に染め上げた俺。


 高校2年の終わり、ヒーローの身分証ライセンスを取る直前の俺。


 ……そしてその隣には、もう会って話すことはないであろう、「アイツ」の写真もあった。

 事故で死別した親父の写真も、そこに。


 ◇


 家をいつもより10分近く早く出ると、俺はいつしか駆け足になっていた。

 のんびり歩いても昨日のように遅刻はしない。


 ただ、走っている方が気が楽というだけだ。


 息せき切って走り続ければ、余計なことを考えなくて済む。

 過ぎたことで悩むこともなくなる。


 そんな、単純な考えだった。


 短絡思考に身を任せているうちに、舞帆が住んでる住宅街が見えてきた。

 ちょっとした高級感が滲み出る、綺麗に整備された一軒家が建ち並び、通学路をひた走る俺を、平民を見下す貴族さながらに一瞥しているようだった。


「昨日はあそこで舞帆とぶつかったんだっけな」


 先日、近道を企んで舞帆と衝突した曲がり角。

 その時の映像が鮮明に脳裏に蘇る。


「今日は時間はたっぷりだからな。同じ轍は踏ま……」


 そのまま通り過ぎようとしたところへ、人影が立ち塞がった。

 曲がり角から飛び出してきたその人物は、俺をジッと見詰める。


「……おはよう」

「お、おはよう」


 全身に冷や汗が噴き出して来る。まさかの待ち伏せとは。


 舞帆は俺の前に立ちはだかると、品定めをするように俺の全身を凝視した。空港でボディチェックでも受けてるような感覚だ。


「結局あのまま病院にも行かずにまっすぐ家に帰ったみたいね」


 なんで分かるんだよ。


「あなたの悪いところって、これみよがしに滲み出て来るのよ。自分の体くらい大切にしなさい!」


 その表情はいつものように毅然としたものだったが、昨夜の泣き顔を思い出すと、あんまり強く反抗できなかったりする。


 やりづらいんだよ、ああいうの見たら。


 本人もあの時のことを思い出したらしく、頬を染めてバツが悪そうに目を逸らした。


「と、とにかく、もう危ないことして怪我を増やさないこと。わかった?」


 心配するだけしといて、深く詮索しない辺りは彼女なりの優しさなのかもしれない。


「わかってる」


 ……とは言ったものの、正直怪我は今後もガンガン増えて行きそうだ。

 悪いな、舞帆。


「おはよう、桜田君」


 と、いうところで、第三者の声が聞こえて来る。


 舞帆が振り返ると、スラッと背の高い美男子が爽やかに現れた。


「あ……生徒会長、おはようございます!」


 ちょっと神妙な面構えだった舞帆は、必死に取り繕ってなんとか笑顔で挨拶に応える。


 俺達の前に現れたのは、笠野昭作かさのしょうさく。宋響学園の生徒会長だ。

 成績優秀・容姿端麗・運動神経抜群と、女の理想像が人間の姿を借りて現実世界に飛び出してきたかのような男だ。


 おまけに航空会社の社長の息子でもあるらしい。


 舞帆に話し掛けたかと思うと、そのまま2人で俺にはわからないような難しい立ち話に突入してしまった。生徒会の仕事の話らしいが。


「ところで、そこの君は?」


 ふと、俺に話を振ってきた。


「え、ええと、彼は私達と同級生の炎馬勇呀君です! よく登校で一緒になるので……」


「へぇ……」


 笠野は感心したように声を上げると、こちらに歩み寄ってきた。

 敵意はなさそうに見えるが、生徒会長と落ちこぼれという身分差があるせいか、微妙に気後れしてしまう。


 そして俺に顔を近付けると、


「確かに、顔はまぁまぁだね。……妬けるな」


 とだけ言い残し、「じゃあこれで」と立ち去ってしまった。


「な、何て言われたの?」


 舞帆が心配そうにこちらを見詰めて来る。

 ……いや、なんつーか、誤解されてんな、俺達。


 ◇


 ――学校では、野球部やテニス部が朝練の真っ只中。

 少なくとも、普段の登校ではお目にかかれない景色だ。


 そして、応援に使われるのであろうデカイ旗には、セイントカイダーのイラストが描かれている。

 戦いより宣伝が本業である、現代ヒーローの面目躍如と言ったところか。


「セイントカイダーが登場してから、どこの部活もみんな練習張り切ってるのよ。『俺達にはヒーローがいるんだ!』って、ね」

「へぇ……」

「炎馬君も、ちょっとは見習って次のテストで挽回しないと!」

「……へいへい」


 火付け役になった当のヒーローたる俺が自堕落ってのは、誰にも知られない方がいいな……。


 「正体を隠して、人知れず尽力する」ってのはヒーローの醍醐味だが、こんなしょうもない理由でコソコソしなくちゃならんヒーローは、後にも先にも俺ぐらいのもんだろう。


 学園のヒーロー像とその正体とのギャップ、すなわち自分自身の出来の悪さにに辟易していた、正にその時だった。


「ウギャアアァツ!」


「――!?」


 突き当たりに見える、柔道部の使う道場。


「アアアァァアァッ!」


 そこから、悲鳴が聞こえてきたような気がした。


 練習の時の気合いが外まで漏れて来る柔道部だから、悲鳴自体は珍しくはないのだが、いつも聞いているそれとは、なにか根本的な違いを感じた。


「なんだ……?」

「ひぎィ! ギアアアッ!」


 なんというか、練習がキツイとか、そういうレベルで上がる叫びじゃない。


「どうしたの?」


 不思議そうに顔を覗き込んでくる舞帆。


 しかし、俺の眼中に彼女の姿はなかった。


 柔道部の道場から聞こえて来る、怒号と悲鳴。

 あれは、練習のものじゃない――!


「ガアアァアアアァッ!」


 刹那、コンクリート壁にひび割れが現れ、そこから銀色の突起が飛び出してきた。


 何が起きたか判断できず、顔面蒼白になる舞帆を守るように前に立ち、俺はその異常な光景を捉えつづける。


 そして、束縛され抵抗する闘牛のようにうごめいていた突起が、遂に正体を現した。

 道場の壁を突き破り、その轟音に負けないほどの雄叫びを上げる。


 2mはあろうかという巨体に、白銀に輝く鋼の鎧、弱った獲物を前にしたハイエナのように、我欲を剥き出した凶悪な顔。

 そして、天に向かって伸びる図太い銀色に光る2本の角。


 見るからに普通じゃない。そして、ヒーローとも呼びがたい。

 人間の姿を借りた魔獣と言われれば、そう信じてしまいそうな出で立ちだ。


「な、なによあれ! 人間……じゃないよね、ニュータントなの!?」


 いくら「正義感に溢れる」と言っても、舞帆もやはり人間の女の子。

 人かどうかもわからない異常な生物を前にして、恐れもしないわけがない。


 しかも、あの巨漢越しにはズタボロに打ちのめされた柔道部員達の姿が見える。

 命こそ取られてはいないようだが、立ち上がることもできないくらいに痛め付けられてるらしい。


「セイント……カイダー!」


 巨漢は俺を見付けると、コンクリート壁の破片を掴み、いきなり投げ付けてきた。


「くっ!」

「きゃあ!」


 俺はとっさに舞帆の肩を掴んで無理矢理しゃがませた。

 そのせいで俺の方が避けるのが遅れてしまい、額をコンクリートの中にある鉄筋が掠めて行った。


 肉が切れ、赤い筋が額から顎まで伸びていく。


「炎馬君ッ!」


 舞帆が泣きそうな顔で俺を見上げる。

 心配させまいと笑いかけようと思ったが、残念ながらそんな余裕もない。


「舞帆、あそこで倒れてる柔道部員達を頼む!」

「えぇ!? ほ、炎馬君はどうするのよッ!?」

「助けを呼びに行くだけだ! 心配すんな!」


 さっき投げられたコンクリートの破片は、後ろの壁にぶつかって更に細かく砕けていた。

 俺はその一つをわしづかみにして、あのデカブツに投げ付けてやる。


 当然効くわけがないのだが、注意は間違いなく俺に向かった。

 俺に向かって「セイントカイダー」と呼ぶ辺り、元々の狙いも俺なんだろうが。


 とにかく、今はこいつを舞帆から引き離すのが先決だ。


 俺は巨漢を挑発するようなことを叫び散らしながら、校舎の裏手へ向かう。


 当の巨漢も、舞帆には目もくれず俺を追ってきた。……さぁ、食いついて来い!

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