八人の魔王がいる世界でシスターの私にできること

松村道彦

第零話:世界と魔王

 

 勇者最後の一撃に魔王は力尽き、膝を付く。

 自身の腹部を摩る魔王の手に、魔族特有の青い血がドロリと嫌な感触を与えていた。

 これまでの闘いを思い出すが、やはり負ける訳がなかった。

 確かに勇者は自分と対等に渡り合ってはいたが、地力では魔王の方が上であった。

 勇者の仲間が、勇者の世界を救いたいという気持ちが、勇者としての使命が、魔王を上回り結果敗れたのだった。

 魔王は敗れたというのに何故だか心地よく感じてしまう。

 自分と対等に渡り合い、遂には自分を破ったこの勇者を称賛しようではないか、と魔王は口を開こうとした。


 しかし次の瞬間、魔王の顔は何かに気付いたような表情に変わる。

 それは世界の秘密であった。

 彼は被害者だったのかもしれない。


「フハハ……そうか……そういうことか」


 勇者は困惑する。

 今まで闘って来た魔王の表情とは全く別の、初めて見るそれであった。


「何だ? 何を言っている……?」


 勇者の問い掛けには答えず、魔王は一人で自身の間抜けさに呆れていた。


「いや、なんとも無様なものだ。フハハ……この世のことわりを離れる寸前だからか……」


(今更過ぎる……茶番ではないか……なんという……くだらない)


 魔王の憤りは、当然勇者には伝わらない。

 勇者は魔王が何を言っているのか理解できなかった。

 ただの負け惜しみにしては様子がおかしいとは感じている。

 魔王の顔は、自分自身を嘲笑い、貶(けな)し、ただただ奇怪であった。


「フハハ……フハハハハハハハハ!」


 遂にわらい出した魔王に勇者は狂気を感じた。


「狂ったか……!」


 勇者の言葉は当然だった。

 敗れ、気が狂ったと思っても仕方がない。


「いや、狂ってなどおらんよ……どこまでが……もはやわからんな……」


 まるで自分自身を探すかのように魔王は思案を続ける。

 この世にいるであろう自分自身の存在を確かめるように。

 しかし魔王の体は既に、まるで砂で作られた彫刻が風に吹かれたかのように崩れ出しており、刻が余り残されていない事を告げる。


「勇者よ、一つだけ良いことを教えてやろう」


 魔王は称賛と戯れに、勇者に教えてやった。


「全てが無駄だった」


「……なんだと?」


「余がしたことも、貴様がしたこともその全てが! フハハ! 何もかもがだ!」


 魔王は再び狂ったかのように笑い出す。

 闘いの全てが無駄だったと断言していた。

 勇者はこれまでの仲間と歩んだ冒険の日々が、全てけなされたかのような感覚になり激昂する。


「負け惜しみか? 魔王……お前がしてきたことは許されることではない! 一体いくつの命を奪ってきた! 人間は平和を勝ち取った!」


 話が噛み合っていないのも仕方がない。

 魔王と勇者では見えているものが違う。


「人間が! 人間こそが諸悪の根源だ!」


 人間に対する凄まじい憎悪。

 魔王が死の間際に一体何があったのか、勇者には分かる筈もなかった。

 魔王の体はもはや半分以上が崩れ、もうすぐ消えようとしている。

 空中に浮いた胴体から、魔王の粒子が音もなく流れていく。

 それでも勇者は魔王が間違っていると強く叫ぶ。


「黙れ魔王! 俺達は……お前のように長くは生きられない。だから必死で生きるんだ! 俺達は一人では生きられない。誰かを愛し、助け合い、慈しむことができる! だからお前に勝てたんだ! 破壊することしかできないお前に何が分かる!」


 これ以上は話す意味もなければ時間もない。

 魔王は最期に意味深な言葉を残す。


「いずれ分かる……楽しみだ……貴様が人間に絶望するその時がな」


 そう言い残し、魔王は消えた。

 後味の悪い結末に、勇者は素直に喜べない。


「なんだってんだ……ちくしょう……」


 勇者の呟いた一言が魔城に静かに響いていた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 魔王は数百年に一度現れる。

 同じ魔王ではなく全く違う魔王が。

 魔王が現れる度に勇者と呼ばれる者も現れる。

 勇者は魔王を倒す。

 そしてまた新たな魔王が現れる。

 勇者と魔王の戦いは八度に渡って繰り返された。


 これはそんな世界の物語である。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「勇者様の凱旋だー! 勇者様ありがとー!」

「キャー! ディーバ様ー!」

「世界を救ってくれてありがとう!」


 数十万の大歓声が王都に鳴り響く。

 楽器隊による演奏に、世界が歌を歌う。

 魔王を打ち倒した勇者ディーバは、馬上から手を振り歓声に応えていた。

 

「ルイン様も素敵ー!」

「結婚してくれー!」

「魔法をぶち込んでくれぇー! 俺に!」


 ディーバを支えた仲間達にも、同じく歓声が飛ぶ。

 人々は平和を祝い、闇から解放された喜びを語り合う。

 ディーバがニヤけながら、歓声に応える主に話し掛ける。


「言われてるぞ? ルイン」


「あんたねー、笑ってないで少しはムッとしなさいよ……はぁ……」


 ルインはディーバに特別な感情を抱いているようだ。

 勇者の反応に落胆気味で答えている。


「おいおい、この状況で笑顔以外の表情できる奴いたらそいつアホだぜ……」


 彼女は「呆れた」と言わんばかりに後ろに親指を向ける。


「後ろ、見てみなさい」


 ルインに言われ彼女越しに後ろを覗くと、無表情で手を振る僧侶の姿があった。

 歓声には応えているものの、とても喜んでいるようには思えない。


「マジかよリリー……笑えよ!」


 思わずディーバは声を掛けてしまった。

 彼女は常に冷静で、そのおかげで窮地を何度も脱していたが、それでも言わざるを得なかった。


「笑ってる」


(どこがだよ……)


 どう見ても無表情だ。

 たが、リリーにすれば満面の笑みらしい。

 その後ろでは豪快に戦士が笑いながら歓声に応えている。


「ジークを見習えよ……」


 大柄な戦士はディーバの声に気付き、リリーの顔がいつも通りなのだと察する。

 ナッハッハ!と笑いながらリリーの肩をバンバン叩いている。


「おい、リリー! まーた無表情か! 笑えよリリー!」


「笑ってる」


 バンバン叩かれてもリリーは再び同じトーンで返す。

 魔王を倒した時ですら、彼女は変わらなかった。


「リリーはそのままで綺麗だからいいんですよ。ほら、皆さんも喜んでいます」


 唯一リリーのフォローに回る狩人。

 一目惚れらしい。

 名前が似ている事から運命だと言って聞かなかった。 


「ギリーはほんとリリーが好きねぇ」


「ハート! 撃ち抜かれてますから! 僕狩人なのに! 逆に!」


「撃ち抜いてない」


 こんな話をしているとは知らず、歓声は一向に鳴り止まない。

 彼ら五人は魔王を倒し、故郷である中央国家ヴァンデミオンに帰還したのだ。

 凱旋パレードは港から城まで続き、大歓声の中終了したが、空気はいつまでも歓喜で震えていた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 ディーバ一行は城に入り、王に帰還の報告をする。

 魔王討伐を成し遂げた彼らは、とても誇らしい顔をしていた。

 一名を除いて。

 

「よくぞ魔王を打ち倒し、生きて戻って来てくれた……勇者ディーバよ」


「はっ!」


 ディーバ達は跪き、王に笑顔で応える。

 王もそれに笑顔で返し、言葉を続けた。


「そなたらには感謝してもしきれん……全ての人間を代表して礼を言わせてくれ、ありがとう」


 王は勇者一行に頭を下げる。

 本来王は頭を下げてはならない。

 それだけで特別だと理解できる。


「ヴァンデミオン王……我々は当然の事をしたまでです」


「だとしてもだ、わしには礼をすることしかできん……それと、魔王を倒してすぐにこの様な話をして申し訳ないが、わしの後を継いで王になって欲しいという話は覚えているだろうか」


 魔王軍との戦いで世界は多くの被害が出た。

 犠牲になった者は数え切れず、ヴァンデミオンでも跡取りである王子を失っている。

 ディーバは遠縁ではあるが王家の血を引いているため、自分の次の王はディーバこそが相応しいと考えていたのである。


「わしのような老いぼれだけが生き残ってしまった……そなたも王家の血を引いている。そなたが王になってくれるのであれば、わしも安心して引退することができるのだ。世界は疲弊している………復興には強いリーダーが必要なのだ」


「……ええ、分かっております。ずっと考えておりましたが、僭越ながらお受けしようと思っております。ですが、既に私には心に決めたものがおります……その者との結婚をお許し頂きたいのです」


「無論だ! むしろ喜ばしい事ではないか! 魔王討伐以上のよい知らせだ」


 王の言葉に少し安堵しつつ、ディーバは少し照れくさそうに、自分の隣にいる女性の肩を抱く。


「心に決めている者は……ルインなのです」


 ルインは白い肌を真っ赤にして俯いている。

 他の三人がニヤニヤしているのを見てキッと睨みつけた。


「成る程な……ルインがエルフであることをわしが気にすると?」


 そう、ルインはエルフである。

 白い肌に金髪、耳は人間とは違い鋭く尖っている。

 エルフは過去に他種族から魔族だと信じ込まれ、迫害されていた。

 現在では表立って言われることはまずないが、中にはエルフを嫌っているものもいる。

 ルインは複雑な顔でディーバを見つめている。

 仲間達も真剣な表情になり、状況を見守った。


「何を反対することがあるのか! 勇者ディーバと魔導師ルインの結婚を反対するものなどこの世に存在しまい!」


「ありがとうございます!」


 ルインの表情がほころぶ。

 二人は同時に頭を下げ、見つめ合う。

 ジークはよかった、よかったと、泣いていた。


「話は決まった! すぐに皆に報告し宴の準備だ!」


 こうして勇者は王になり、魔導師は妃となった。

 世界は二人を祝福し、二人は世界の光となった。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 ーーあの日から五年が経った。


「この子が生まれて……もうすぐ一年ね」


「ああ、早いもんだ」


 城の最上部にあるバルコニーに二人の姿があった。

 ルインはもうすぐ一歳になる我が子を愛おしそうに抱いている。


「あれから五年……世界は平和だよな」


「あれを気にしているの?」


 魔王が死の間際、勇者に言った。


『いずれ分かる……楽しみだ……貴様が人間に絶望するその時がな』


 あのセリフが頭から離れない。


「俺は人間に絶望なんてしない」


「ええ、私もよ……」


「魔王……お前はあの時……一体何を見たんだ」


 その時だったーーーー


 突如激しい揺れが城を襲う。

 城全体がミシミシと音を立て、弱くなった装飾が剥がれ落ちていく。

 視界が揺れ、立っていることもままならない。


「な、なに!?」


「地震か!?」


 揺れは収まるどころかさらに激しさを増していく。 まるで、大地が唸り声を上げているかのようなその揺れは、二人の心にある一つの不安を抱かせる。

 ディーバはルインと我が子を抱き抱え、地面に伏せた。


「おかしい……地震とは何かが違う」


「これは……この感じ、まさか……!」


 突如今度は大地が隆起を始める。

 城を、いや、ヴァンデミオンを取り囲むように。

 みるみるうちに隆起した大地は城から見えるはずの海を遮り、まるで巨大な牢獄のようにヴァンデミオンを外界から隔離した。


(間違いない……くそっ……)


 揺れが収まる頃ディーバは確信していた。

 魔王が来ると。


 ディーバはバルコニーから城下町を覗く。

 街中に亀裂が走り、その中から多くの魔物が飛び出している。


「早すぎる……まだ五年しか経っていないんだぞ!」


 その時、最も聞きたくなかった声が聞こえてきた。


「なにも早くはない」


 ディーバはその声を聞いた事があった。

 かつて雌雄を決した、その者の声を。


「魔王……ザディス!」


「久しいな、勇者ディーバ!」


 魔王ザディスは空中に浮き、ディーバを見下ろしている。

 その姿はかつて戦った魔王そのものだった。


「何故お前が生きている!」


「ディーバ!」


 ルインが剣をディーバに投げ、受け取ると同時に鞘から抜く。

 かつて魔王を切り裂いた剣をディーバは再び構えた。


「早くはない、と言ったな! お前は何を言っているんだ!? そして、死の間際の台詞はなんだ!」


 魔王ザディスは哀れむような目でディーバを見下ろす。

 無知は罪だと言わんばかりに。


「フハハ……知りたいか? 貴様が絶望するだけだが……それでも?」


「俺は……人間に絶望しない!」


 その時二人の会話を遮るように、邪悪に残虐を足したかのような声が聞こえる。


「何をしている……ザディス?」


 ザディスの後ろにもう一つの影が見える。

 その禍々しい邪気はディーバを戦慄させるには十分過ぎるものであった。


「お前は一体……!」


「ああ、ザディスよ。こいつがお前の勇者か?」



 ああ、とザディスが頷くと問い掛けには答えず、まるで値踏みをするかのようにディーバを観察する。

 気色の悪いその視線に、ディーバの頬を汗が伝う。


「成る程成る程成る程? ふぅむ……かなり強いなぁ? 我でも手こずりそうではないか」


 そう言って口を歪ませわらっている。

 その軽口は、本気で言っているか分からなかった。


(魔王が……二人……!?)


 信じられないがザディスの横にいる者は、ザディスと遜色ない魔王と呼べる者であるとディーバは感じていた。


「ああ、かわいそうに……何も知らぬまま死ぬ事になるのだからなぁ……勇者になんぞなるものではないなぁ?」


「その辺にしておけ、バーディッグ」


「バーディッグだと!?」


「知ってるのか? 我のことを」


 魔王バーディッグ。


 人間と魔王の戦いは八度あった。

 バーディッグは三番目に現れた魔王。

 二千年以上前に三代目勇者アレクによって倒された筈であった。


「知っているなら話は早いなぁ? 我はバーディッグ! この世すべてを穢したいのだよ! アヒャヒャヒャヒャ!」


「やめろといったぞバーディッグ」


 気味の悪い笑い声をザディスが遮る。

 途端にバーディッグがふざけるなと激昂する。


「ザディスザディスザディスよぉ? お前はいいなぁ!? 復讐ができて羨ましいぞ! 我の勇者はとうに死んでおるだろうよ! 忌々しいあの赤毛が!」


「ボルディクス!」


 ディーバの放った雷が魔王二人に襲いかかる。

 魔王二人は魔力の障壁を張り、雷を軽々と防いでいた。


「おいおいおいおい! やる気だねぇ?」


「当たり前だ! 魔王二人が復活したなら、今ここで再び打ち倒すのみ!」


 ディーバの隣にいつの間にかルインがいた。

 その瞳はいつかの様に強く、ディーバを勇気付ける。

 しかし、今はーーーー


「ルイン! お前はあの子を!」


「あの子なら大丈夫。取り敢えず、かなり強い防壁を張ってきたから。それともあんた……一人で魔王に勝ったの?」


(こいつには……かなわないな……)


 ニッと笑うルインにディーバも笑顔で応えた。


「皆んなでだ!」


「でしょ?」


 あの日の様に、再び魔王を打ち倒してみせる。

 何度でも。

 ディーバとルインは魔力を漲らせ、再び魔王を倒すために力を込めた。

 

 しかし、希望は第三魔王の一言により無残に打ち砕かれることとなる。


「まてまてまてまて……あのなぁ、我は第三魔王だ。んでこっちは第八魔王だな? では、残りはどこにいるのかなぁ?」


 バーディッグがわらっている。

 そして影は八体に増えた。


「ディーバよ、残念だ」




 この日ヴァンデミオンは世界から消えた。


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