宵闇湖の、月とイルカ。

階段を駆け上がる足取りは重く―――それでも、速かった。

雨から借りた――無断で――借りた靴は、まだ私の脚に馴染めず、

階段に一段一段、上る度に切れる様な痛みが走る。

受話器の向こうの少女――藤堂瑠子の声は落ち着いていて、澄んでいた。

しかしそれが、私の不安を駆り立て、一方的に切られた受話器を握った手

が、ぷるぷると痙攣してしまった。


私の挙動を不審がった雨が顔を覗き込んできて「マギコ?」と

訊いて来るのに対し、私は何とか、必死に平静を装い「なにも」と

微笑で応えた。


今思い返すと、あの時、完全に口元が引きつっていた・・・・・・。


脚を階段に食わせる様に駆け上り屋上に辿り着くと、其処は

星一つない夜の空を映し出している湖かと思えるほど暗く、黒く・・・・

・・・・・・・静かだった。


なら其処に佇んでいる藤堂さんは、差し詰め、湖に棲まう

亡霊―――ないしは、魔女と言った処か。

その例えに一言の語弊もないくらいに彼女の面は青白く、艶めかしく、

そして・・・・・、狂気じみていた。


黒い――恐らくは制服と思われる服で白くか細い四肢を包んだ

その姿は正しく・・・・・、『魔女』だった。



「こんばんは、マギコさん」



私の存在に気付いたらしく、首を傾げる容(かたち)で振り向きながら藤堂さんが

言った。落ち着いて微笑する彼女の様子が私の恐怖心をくすぐる。

一歩退く。何のために此処に来たのか自問自答する。



「藤堂さん・・・・・!」



自分を奮い立たせて口をついた言葉は、少女の名前だった。それに、



「はい?」



と身体をくるりと踵を軸にして振り返り、藤堂さんが訊く。

余りの恐怖に「何でも無いです失礼します」と一礼して帰りたく

なる。しかしそれじゃあ元も子もなくなる。

何故なら、彼女が私を呼び出した。

ここで帰れば・・・・・、結果は解っていた。

この少女なら――藤堂瑠子ならする、と、確信出来る。

なら・・・・・、



「どうして・・・・・、こんな・・・・・・」



頭が混乱して、上手い事言葉がまとまらない。

在り来たりの、誰もが今の彼女に問うであろう台詞しか

口から出て来ない。



「なぜ・・・・・どうして・・・・・?」



首が取れそうな程傾げているのに、口元を一切歪ませずに

笑顔を、藤堂さんは保っていた。


が、その瞳から感じられたのは、彼女の言葉通り・・・・、

「なぜ・・・・・どうして・・・・・?」だった。

恐らく彼女は、どうして私がそんな事を訊くのか解らないと言った

感じで―――「何を今更?」と、不機嫌に訊ねる様だった。



「わかりませんか?」



再び藤堂さんが尋ねる。



「だって・・・・・、可笑しいでしょう!―――一人で来いとか、

来ないと飛び降りるとか‼」



私は怒りと不可解を混ぜて怒鳴った。

普通誰か呼び出す際、「さもないと~~をする」とか条件なんて

付けない。私はそんなニンゲンに会ったことも、見たこともない。


それは―――余程(よほど)その相手を呼び出したいか、何の要件も無しに、

“呼び出す”と言った行為そのものに意味を成したい時に用いる

のなら納得がゆく。


ところが、藤堂さんは普通だった。

本当に、単純に、私を此処に呼び出し、何か言いたい。

或いは(ある)私に何かを要求したいと言った素振りで、平然と其処に立っていた。



「だってこうでもしないと来ないでしょう?」



くすっと、あどけない女の子のするような笑みを零して呟く

藤堂さん。意味が解らない。

どうして彼女は、こんなにも落ち着いているのか。すると、



「でも良かった」



そう付け加えた。・・・・・・・良かっ、た?



「マギコさんにも通じるんですね。私の魔法」

「――――魔法?」

「本物の魔法少女には、てっきり通じないのかと思った」


私をまるで値踏みするかのような眼で藤堂さんが見て来る。



「あなたは・・・・・、なにを言って・・・・・」

「私ね、魔法が使えるんです。私がみんなにお願いするとみんな

その通りに動いてくれる。知りたいって思ったことは何でもわかる。

ね? 魔法みたいでしょう?」



この場に誰か他にニンゲンがいたなら、その人はきっとこの

少女は、頭が可笑しいと笑うか、気持ち悪がるだろう。

魔法なんて有り得ない、と。


それでも、私は首を縦に振った。

辻褄が合った。彼女の奇行の原因が。





――――――『ハルフ・マギカ』。





その言葉は、魔法少女が口にする事さえ憚られる。

不吉だから。・・・・・ではない。

汚点だからだ。我々、魔法少女にとって。

しかし魔法少女の誰もがこの単語を習う。

起源を教わる。

この、魔法とは殆ど―――全く縁の無い私でさえ。


嘗て、それは日常茶飯事であったことと聞いている。

〈奉仕〉する相手と恋に落ち、彼とその魔法少女との間に、

一人の子が生まれた。


その子供は誰もがみな女の子で、美しい顔立ちをしていた。

ニンゲンとは思えない様な。

でもそれ以外、彼女らは普通のニンゲンの少女と変わりなかった。

だから〈組合〉も、誰それの魔法少女が何時どんなニンゲンの男と

恋に落ち子を残すなど、一切関知などしてはいなかった。


その安易さが誤りだと気付かずに・・・・・。

『それ』が起こるのにはかなりの時間を浪費してしまったのも、

対処の遅れた原因の一端であろう。

少女達は・・・・・・・、魔法が使えたのだ。

魔法少女を母親に持つのだから、当然と言えば当然だろう。


だが〈組合〉は判らなかった。

彼女らが魔法を使えるようになったのは、彼女たちがある一定の

年齢に達してからだったから。


ところがそれが、〈組合〉に大きな混乱を招いた。

魔法と言う代物は、訓練し、技能を身に付け、心身を鍛え

負荷に耐えうることで初めて安全に使いこなせると言う。

どの魔法にも限らずに、だ。


ところが少女達は表向きは普通のニンゲンで、そんな鍛錬は

習っていない。そんなものがあることさえ知らない。


そんな無知なニンゲン―――ニンゲンとばかり思われていた少女達が

“自分を満たす為”だけに、各地で一斉に魔法を使い出した。

『力』は低いが、ニンゲンが恐れるのには十分過ぎる魔法を。

忌々しき事態だと〈組合〉は直ちに動いたが、生まれた少女達は

誰もが認識力に欠けており、〈組合〉の者が幾ら説得しても聞く耳を

持たない、いや、何がいけないことなのか理解出来ないと言った様子だった。


魔法の国で訓練したらどうかと言う案も出たが、直ぐに却下された。

既に少女達のほぼ全員が『力』に呑まれ、そんな余裕が無かった。


結果、〈組合〉は苦渋の決断として少女を――出来るだけ多くの少女達を魔法の国に連れ帰り、其処での暮らしを強要させた。

彼女達がそれに意見することは無かった。




―――――記憶を消したから。




これなら自分がニンゲンである事、下界で何をしてしまったか忘れられる。

魔法に関しての訓練も積むことが可能になる。

『力』に飲み込まれた事さえ忘れているから。


非人道的行為だと当時は弾叫されていたが、

しかしそれで、表面下での混乱は収束の兆しを見せ始めた。

以来、魔法少女がニンゲンに恋することを掟で厳しく禁じ、

加えて―――魔法少女が〈奉仕〉以外でニンゲンに必要以上に

関わる事そのものを禁止した。


でもあくまで“表面下”。―――魔法少女の子――ハルフ・マギカが

完全にいなくなったわけでは無かった、ない。


混乱そのものは何世紀も前の出来事だが、それでも〈組合〉は今現在でも

眼を光らせている。次世代の魔法少女たちに過去で学んだ教訓を

習わせ、対策を頭に叩き込ませる。

何が起こるか、〈組合〉に―――魔法少女には判らないから。


その点では、私はラッキーだったと言える。

目の前にいる少女がどういった存在なのか把握出来た。


少女の存在感に心の底から身震い出来た。

〈組合〉が総動員してやっと鎮圧したという、学校で教わって

私が、同じクラスのみんなが戦慄した存在を目の当たりにし、

全身から冷や汗が噴き出して来るのが解った。




・・・・・・アンラッキーじゃないか、コレ⁇




「どうしました、マギコさん?」

「何でも! べべっ、別に怖くなんかありませんから!

ですからどうか許して下さい‼」



両手両膝を地面に付けて頭をガンガン打ちつけて土下座する私。

他人からしたら貫禄と能力からして、私よりも藤堂さんがよっぽど

魔法少女らしいんだろうなぁと、場違いな事を考えてしまっていた。



「いいですよ。許しましょう」



それでも、眼前の少女の口調は穏やかだった。

すると藤堂さんが「その前に」と付け加え、

屋上の端にスタスタ歩いて行った。

そのまま飛び降りるのではと一瞬ドキリとしたが、

くるりと振り返り、



「ねえ、マギコさん」

「は、はい・・・・・・」

「今すぐ宇崎さんの前からいなくなって下さい。

さもないと、ここから飛び降ります」



              ▽▽▽

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