桃源郷バージョン(改稿版)
第1話 朧温泉宿はむにゅにゅん
――むにゅんむにゅん。
とても柔らかでふわっふわのマシュマロみたいな感触が二つ、俺の背中へと伝わってくる。何だ、何が起こっているのかまるで分からない。
確かなことは、俺こと
そ、それが……耳元に甘い吐息がこぼれてきて、俺の理性を刺激するのだ!
「あっ」
「咲さん、大丈夫? お、俺はもう限界が近いんだけど!」
混乱して何を言ってるのか分からなくなってくる。
「ごめんね、勇人くん。次はもっと上手にするね!」
「何をスルんだああ!?」
思わず突っ込んでしまった。ハアハア。
まずは……今置かれている状況を整理しよう。俺の後ろには背中をゴシゴシと洗ってくれていた美女の咲さん。ちなみにまだ、背中は二つのムニムニが押し付けられたままだ。
そして俺は彼女からの積極的? な提案に、頭をブンブンと振り気持ちを落ち着かせようとする。
右を向いた時に何か見えたぞ。床に……あ、あれはバスタオル! な、なんてことだ!
つ、つまり。今背中に密着しているのは……ゴクリと俺は喉を鳴らした。
こ、ここはたわわなマシュマロの感触をじっくりと味わ、い、いや違うだろおお。ま、待てえ。何があったのか見てないけど、俺の体を起こそうと手を前に持って来るのはや、やめえ。
混乱が加速した俺が慌てて身をよじると、泡に滑ってしまって彼女の二つのクッションに顔を埋めてしまった。
「ご、ごめんなさいいい」
「大丈夫よ、勇人くん。特に何も……って顔をあげちゃダメえ!」
「うわっぷ。お、押し付けないでえ。む、胸が胸がああ。咲さん、力強ぇえ動かん」
「そこで喋らないで。くすぐったい」
な、何なんだよお。恥ずかしそうな声をあげた咲さんだったけど、こっちの方が遥かに恥ずかしいんじゃないの?
裸を俺に見られるよりよっぽど……
「ゆうちゃんー、何してるのー? わたしも混ぜてー」
「そ、その声はマリー。ちょっと、手をかし……ちょ、おま」
「えーい」
マリーが背中に乗っかってきたあ。彼女の重みが背中にかかり、ますます咲さんの体に押し付けられる俺。
「マリー! 君は服を着てないだろう! 当たってる当たってるう」
「お風呂だもんー、当たり前だよー。ところでゆうちゃんー、ちゅーしていいー?」
「ちゅー? 会って間もない人とちゅーとかいけません。お父さん許しませんよ!」
マリーは金髪碧眼のビスクドールのように可愛らしい高校生くらいの少女だけど、そんな甘ったるくお願いしてこないでくれえ。
ああ言って返したものの、抑えるだけでもう割に必死なんだぞ。俺は。
「ちょ、ま、待てえ」
「勇人くん、私の上でそんなに暴れないでってば……」
咲さん、そうは言ってもですね。マリーが首筋にツンと尖らせた唇を這わせてきているのですよ。
そう、つつつーっとね。
「いいよねー、ゆうちゃんー。大丈夫ー痛くないからー」
トロンとした声でおねだりしてくるマリーに何かありそうだと身の危険を感じた俺は、離れようと手をつき……
むにゅん。
「あああ、咲さんすんません!」
わ、鷲掴みにしてしまったじゃねえか。桃源郷はここに在ったのだ。いや、違うだろお。と、とにかく一旦どこかへ……俺は乳白色のお湯が張られた湯船へ飛び込み顔までうずめる。
ち、ちくしょう。どうしてこんなことになったんだ? そう、それはたった三時間ほど前――
◆◆◆
――三時間前
俺こと
というのは、高校を卒業してから五年間働いた旅行代理店を退職して、次の仕事を探す前に息抜きをと思ったからなんだ。
仕事の関係上、宿泊施設には詳しくなったんだけど……その中でも俺が目をつけたのが「
中は和風モダンな感じで一流温泉宿と比べても遜色がない内装をしている。おお、予想以上にすごいなここは!
だが、誰もいない……
「すいませんー」
俺が大きな声で呼びかけると、カウンターの奥から茜色の浴衣を着た同じ歳くらいの美女が顔を出す。
明るい茶色の髪を肩口で切りそろえ、前髪がアシンメトリー? というのか左右の長さが違うおしゃれな髪型をしていた。
鼻筋が通り、一流の彫刻家が技術の全てを込めたかのような整った顔立ちをしている。でも、少し垂れた目が彼女を美しいというより可愛いという印象を抱かせた。
しっかし……温泉宿で夏祭りに着るような浴衣か……ちょっと違和感あるけど、まあ可愛いからいいかあ。
「いらっしゃいませ! ご宿泊ですか?」
美女は神秘的な緑の瞳で俺を見つめながら、笑顔を見せる。
カラーコンタクトかな? 不思議と彼女の瞳の色に違和感を感じない。え? 美人だったら何でもいいんだろって? まあ、それを言ったらそうだけどさ!
「はい、一泊お願いできますか?」
「一泊ですと、四千二百八十円になります!」
「ええと、夕食と朝食もお願いしたいんですが」
「ついてますよ! お客様!」
「ええええ」
宿の値段は事前に調べてきたんだけど、まさか食事つきだったとは驚きだよ。
しっかし、人の気配がしないなあ。ロビーを見た限り、これほどの内装でこの値段……ありえんくらい安いんだけど。
いや、食事は「お茶漬けだけですー」とか冗談みたいなことがあれば……まずないと思うけどさ。
「お部屋の準備をしてきますので、少々お待ちください、お客様」
「は、はい。手……手を?」
いきなり両手をギュッと握ってくるものだから、戸惑ってしまう。
これで「一目ぼれです! 勇人さん!」とか言われたら、俺は落ちる自信があるぞ! や、柔らかいー。
「って、えええ、何してんすかあ」
「す、すいません。すぐに準備に行ってきますね!」
い、いつの間にか彼女の顔が息のかかる距離まで迫っていたからビックリしてしまったよ。まさか本当に俺へ……?
いやいや、あんな美人が俺になんてないよな。
彼女との結婚生活まで妄想してしまいそうになった頃、誰かに声をかけられる。
「こんにちはー」
妄想を振り切り、声がした方へ振り向くと高校生くらいに見える少女が立っていた。
ビスクドールのように愛らしい顔と大きな「青い目」をした少女は、ヒラヒラを存分につかった黒と白のドレス? のようなものを身に着けていた。
肩口が大きく空いたブラウスというかキャミソールみたいなものに、中が見えそうなほど短いブリーツスカート。目のやり場に困ってしまうぞ……ちなみに胸はぺったんこだ。
「君は?」
「わたしー? わたしはマリー」
「俺は筒木勇人。よろしく。宿泊客?」
「ううんー、従業員さんー」
待て待てええ。その服はおかしい。さっきのお姉さんもどこかズレた感じだったけど、この娘の服は……およそ従業員の着る衣装と呼べるものじゃあない。
上も下も見えそうだし……
「っちょ、マ、マリー」
いきなり腰にマリーが抱きついて来た!
そのまま「赤い目」で俺をじーっと見上げて来るマリー。
「んー、ゆうちゃんー、ちゅーしていいー?」
「ちゅー!」
何言ってんだ、この少女はああ。そんな甘い声を出されても……どうしていいか困る。
「ちょっと、マリー、何してるのよ!」
「えー、咲さんー」
さきほどの美女がロビーに戻ってきて、マリーを引っぺがす。
咲さんって言うのかあ。
「もう、せっかくゆうちゃんとー」
「ゆうちゃん? 私は咲。よろしくね」
「あ、俺は筒木勇人。よろしく」
「勇人くん、お部屋の準備ができたからどうぞ」
咲さんが俺の手を引くけど、マリーのことは放っておいていいんだろうか?
「って、ちょ、マ、マリー。足閉じて!」
「んー、ゆうちゃんー、また後でねー」
尻もちをついたマリーから目をそらし、口調が変わってフレンドリーになった咲さんに手を引かれて客室へと向かう。
さきほどまでのかしこまった話し方よりこっちの方が好感が持てるよなあ。俺は繋がれた手にニマニマしながら前を歩く彼女のうなじを見やる。
ううむ、彼女の手はさきほどまで水仕事をしていたかのようにひんやりとしている。客室の準備のためにぞうきんでも使ったのかな?
「勇人くん、お食事にする? それともお風呂?」
「まだ時間も早いから、お風呂に入ろうかな」
「じゃあ、後で呼びに来るね! ごゆっくりどうぞ」
客室の扉を開けた咲さんは、俺に鍵を手渡すとロビーの方へ歩いていく。
むむう。さっきのマリーの態度といい、咲さんが手を繋いできたことといい……ひょっとして、ここは「夜の温泉宿」だったのか? なら、服装がおかしいことにも納得がいく。
で、でもさ、未成年はあかん、あかんぞ! 俺まで捕まるじゃないか。
桃色の妄想を振り払うようにブルブルと首を振りながら、客室へ入る。
「ひ、広いな!」
すげえ、客室は縁側にテーブルと椅子が二つ、冷蔵庫、レンジに給湯器、さらには洗濯機まで備えつけられている。ビジネスホテルっぽいけど、これはこれでいい。
十畳ほどの広さがあり、大き目のテレビにこちらにもテーブル。
座布団の上には……黒猫がまるまっているじゃないか! んんー少し変だけど、まあいい。俺はモフモフするのが大好きなのだ。
これ以上のサービスはねえぞお。
俺は黒猫の両前足に手をとおしビローンと抱え上げる。お、メスかー。
何故か俺から顔を逸らす黒猫を気にも留めずに、俺はあぐらをかくと猫を膝の上に載せる。
さあ、モフってやろうではないか。はははは。
頭からナデナデし始めると、最初は首を左右に振っていやがるそぶりを見せていた黒猫も、俺のモフリングテクが分かったのか、喉をゴロゴロと鳴らしはじめ気持ち良さそうにしている。
ふふふ、お次はここだ。
俺は尻尾をわさわさして、そのまま尻尾の付け根を撫でた。猫の尻尾の付け根は性感帯なのだよ。ふふん。
どうだー気持ちいいか―。
すると、黒猫はにゃーと一声あげ、そのままヨロヨロ数歩進み大の字にパタンと寝そべってしまった。
まるで人間のような動きをする猫だなあと眺めていたら、俺を呼ぶ声が響く。
「ゆうちゃんー、お風呂できたよー」
「お、マリーか。ありがとう」
「あー、ゆうちゃんのエッチ―」
「え? 猫を撫でていただけだけど……」
変なことを言わないでくれよお。
◆◆◆
ここまでの流れがあったから、青い暖簾のかかっていた「男湯」であることを数度確認してから脱衣場へ入り服を脱ぐ。
腰にハンドタオルを巻いて、いざ大浴場へ続く扉を開けた。
――ガラリ
おおお。すげえな。総檜風呂の広い浴槽に、外湯へ繋がる石畳の先には露天風呂になっている岩風呂が見える。すげえ、ジャグジーもあるし、洗い場も数十人が同時に入るくらいの設備があるぞ。
テンションが上がってきたー!
俺はさっそく洗い場に向かうと、どうやら先客がいたようだ。湯気ではっきりとその姿が確認できないけど……
ともあれ、ズレた雰囲気のある夜の……じゃない温泉宿に他の宿泊客がいたことに一安心し、ついその人へ声をかけてしまう。
「こんにちは、失礼しますー」
「あ、勇人くん、背中流しに来たよ」
「え、えええ、咲さん!?」
なんと、俺に背を向けて座っていたのは、バスタオルを巻いただけの姿である咲さんだったあ。
余りの非現実感に夢見心地になってしまった俺は……
「じゃ、じゃあ、お願いします!」
「うん! そこに座ってね」
と咲さんに背中を流してもらうことにしたのだ。
「うんしょ! どう、勇人くん?」
「あああああ、気持ちいいれすうう」
「そう! よかった! あっ!」
「どうしたんですか? 咲さん、ってえええ!」
ぽよよん!
あ、ぬああ。二つのたわわんが俺の背中にいい。
「ごめんね、勇人くん、石鹸おとしちゃった」
「そ、そう……」
か、体を離してくれえ。このままだと、俺、君を襲っちゃうよ?
もう、我慢なりません!
俺が欲望に任せて振り返ろうとした時……
――ガラリと扉の開く音が響き渡る。
うおお、他のお客さん? まずい、まずいってこの状況。
「ゆうちゃんー、なにしてるのー? わたしも混ぜて―」
◆◆◆
ここまでが朧温泉宿に来てから起こった出来事だ。しっかし、とんでもないエロエロシチュエーションの連続だったよなあ。俺は鼻の下が伸びそうになるが、グッと顔を引き締める。
ご、誤魔化されてはダメだ。絶対何かおかしいってよおお。
し、しかし、息が続かねえ。いつまでも湯の中に潜っていることはできないからな……だけどお、外に出たらあ、素っ裸の二人がいるぞお(棒)。
見てはダメだ。見てはダメだ。ってそんなことを考えている余裕もねえよ! い、息が……
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