第105話 予定の詰まった一日 ――音楽家庭教師編1――


「すまんな、ライルが手間掛けさせたようで」


「いいよ、こっちこそ新人潰しちゃってすまない」


「自業自得だ。まぁ治療までしてやって、兵士としては首だな」


 俺の剣を盗んだんだ。

 兵士として在籍できる訳がないか。


「とりあえず、このバカの処理はこっちでやっておく。この後予定があったんだろう? 急がなくて大丈夫か?」


「やっべ!! じゃあ隊長さん、また今度!!」


 午後からアーバインと俺からピアノを教わりたいという、この世界の音楽業界の重鎮達との顔合わせだ。

 遅れたら早速食い扶持がなくなっちまう!!

 ちっくしょう、あのバカたれに絡まれてなければ悠々と昼飯を食って行けたのに、もうそんな時間ないじゃないか!

 何か教えてほしいって人数、結構いるみたいなんだよなぁ。長くなりそうだからきっと腹減るぞぉ……。

 ライルのクソ野郎め、覚えておけよ!!


「俺の……剣が……」


 去り際、ライルが俺の剣に向かって手を伸ばしていた。

 そこまで魅了されるのか……。

 若干奴の視線に寒気を感じながら、俺は訓練場を後にした。










 城からアーバインの屋敷まで全力疾走マラソン大会を行って、何とか時間ギリギリで到着した。

 流石に戦った後の全力疾走は疲れる。

 俺の額から汗が流れ落ちてしまっている。


「大丈夫か、汗臭くないか?」


 俺はアーバインの屋敷を守っている守衛さんに声を掛ける。

 すると俺の事は知っていたようで、「ようこそ」と笑顔で呟いた後に門を開けて通してくれた。

 アーバインの屋敷は広い。

 流石、俺が村に帰っている間に貴族最高位の公爵へと昇格し、国内で大きな力を身に付けた。

 手紙で「流石に公爵になったんだ、俺も敬語で接した方がいい?」と訊ねたら、「何を今更」と返事が返ってきた。

 立場は変わっても特に接し方は変えなくていいのはかなり助かるぜ。


 公爵になると、もちろん見栄は重要になってくる。

 その象徴の一つとして、この屋敷だ。

 庭に関しては感覚的にはなるが、前世の東京ドームより一回り大きい位の広さを誇っている。

 庭師の人が六人位いて、皆汗を流して庭を整えている。

 この庭には、屋敷まで舗装された道が用意されており、それを進んでいけば辿り着ける。

 だけどさ、屋敷もかなり大きいからそんな道がなくても余裕で辿り着けるんだよね。

 これも前世で例えると、東京駅を上に階数を増やした位でっかい建物だ。

 そんなに大きくしてどうするんだよってツッコミ入れたい気分だが、まぁこれがアーバインなりの見栄なんだろうな。

 俺、貴族になっても最下位の男爵でいいや。

 見栄とかクッソ面倒臭そうだしな。

 整えられた庭の風景を楽しみながら歩いていたら、あっという間にアーバインの屋敷に到着した。

 ふぅ、歩いている内に呼吸も整えられたし、汗も引いてくれた。

 臭いは…………まぁ、大丈夫じゃね?


 俺は屋敷の玄関に立つ。

 するとそこにも扉の両脇を挟むように守衛さんが立っていた。

 俺の名前を告げると、「お待ちしておりました」と言って扉を開けてくれた。

 中に入った俺は、感嘆の息を漏らした。


「――はぇぇぇぇ……。すっげぇな」


 以前俺がアーバインの屋敷に来た時はまだ侯爵だったから、十分広かったけど今ほどじゃなかった。

 だが二年振りに来てみたら、もうそりゃ豪華だった。

 シャンデリアなんて、恐らく純金だろう装飾を飾ってあるし、赤いカーペットなんてどう考えても踏んじゃいけねぇだろって位感触がいい。

 それに見映えのいい美術品なんかが通路の端に飾ってあったりして、目移りしてしまう。

 そして玄関は広い部屋となっていて、正面には大人の身長より大きいアーバインの自画像が自己主張激しく飾られていた。

 よく前世の音楽の教科書で見た、あの目力が凄くて睨みが効いているベートーベンの自画像のようだ。


「やぁ、ハル。待っていたよ!」


 その自画像の前で、アーバインは立って俺を待っていた。


「おっす、アーバイン! 結構老けたか?」


「ふっ、私も歳だからな。だが、気持ちはまだまだ現役だ。ピアノを自在に弾けるようになるまで耄碌は出来んよ」


 俺達は抱擁を交わし、再会を喜んだ。

 確かこいつは今年で五十五歳とか言ってたっけ。

 まぁまだ死ぬような歳でもないし、これからも友人であり続けたいからな。まだまだ元気でいてほしい。

 使用人さんの中には新しい人がいて、俺とアーバインのやり取りに驚いていたようだけど、俺を知っている使用人さんが色々と教えているようだった。


「しっかし、随分屋敷をでかくしたなぁ。びっくりしたぜ。前までこんな自画像だったり美術品なんて置いてなかったろ?」


「まぁ貴族というのは見栄で力を示す存在だ。最高位になったら、こういった形ある物で私の力を象徴しないといけないのだよ」


「へぇ。面倒くせぇな」


「お前は、その面倒な世界に飛び込むんだ。少しは美術品にも目を光らせろ」


「いやいや、俺は男爵で十分だって」


「……お前のような飛び抜けた存在が、男爵で留まる訳なかろうに」


 いやいや、勘弁してくれよ!

 見栄とかそんなんどうでもいいし、俺は他の貴族と交流は持ちたくない。

 あっ、オーグとの実家は全然交流してもいいかなって思ってる。

 実際楽器作りでお世話になっているしな。

 あっ、俺一度も挨拶に行ってないし!

 俺自身王都に引っ越してきたし、時間がある時に挨拶しに行こう。


「それで、音楽業界のお偉いさん達はもう待ってるのか?」


「ああ。第一ホールで待っているぞ」


 そっか。じゃあ気を引き締めて行こう。

 俺はアーバインに案内されながら、第一ホールを目指した。

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