第82話 Brand new world


《Brand new world》。

 ベタなタイトルだと思うけど、本当にこの異世界は、俺にとっては《真新しい世界》だった。

 今思えば、俺は前世で青春を捨てて音楽の道を突き詰めていた。

 別に親から強制されていた訳でもない、俺が本気で音楽を突き詰めたいと思ったからこそ、友達と遊ぶ時間とかそういったものを全て犠牲にして音楽と向き合ってきたんだ。

 もちろん友達がいなかった訳じゃないが、それほど深い付き合いではなかったな、今思えば。

 そのおかげで、俺はピアノ、ドラム、ギターにベースをプロとして通じるレベルに演奏できるようになった。

 そこから俺は高校を卒業した後に、知り合いのツテで音楽業界に飛び込んで結構有名な作曲者になれた。

 金も稼げたし、好きな音楽で飯を食っていけているから、何も文句はなかった。

 だけどまだ満足出来ない俺は、さらにはヴァイオリンに手を出して、死ぬ直前までには何とか人並み以上には演奏できるようになったっけ。


 そして、前世の俺は死んで、女神様のおかげで俺はこの異世界に転生した。

 音楽に触れられなかった俺は、がむしゃらに生きた。命が軽いこの異世界で生きた。

 でも音楽から離れた事で、前世で得られなかったものを得る事が出来たんだ。

 父さんからは父親の愛情、そして力を振るう事の大切さと大変さを教わった。

 母さんからは母親の深い愛情を、俺が欲していた愛情をたくさん貰った。

 リリルとレイからは、青春時代に出来なかった恋愛感情を教えて貰った。さらには甘酸っぱい愛情も貰った。

 アーバインは、俺にこの世界の音楽を学ぶきっかけを与えてくれた。そして歳が離れている音楽仲間にもなってくれた。

 レイス、レオン、オーグ、ミリア。この四人は、初めて出来た友達だ。

 放課後に王都のカフェでお茶をしながら、音楽談義をしたりした。

 音楽とは全く関係ない話で盛り上がり、男連中だけでバカ笑いもした。

 皆で行ったダンジョン探索は、色んな意味で大変だった。

《武力派》のバカ共が起こした事件を乗り越えた俺達は、恋人を失ったレオンを励ましたりしてさらに絆が深まった。

 オーグとはピアノ製造で何度も衝突したっけ。時には殴り合ったりもした。まっ、圧倒的に俺が殴った回数は多かったけどな!


 この《Brand new world》は、この異世界で知り合った人達への感謝の思いを込めた曲だ。

 だけど今は、今だけは、この音楽学校でたくさんの青春をくれたレイス、レオン、オーグ、ミリアに対してこの曲を贈ろう。

 まさに俺がこの学校で学んだ事全てを込めた、渾身のボーカル曲だ。


 俺は鍵盤を撫でるような柔らかいタッチで叩いていく。

 奏でる音は、とても優しい音色。

 ピアノ演奏に俺の歌を乗せていく。

 この学校で学んだ事によって、異世界の言葉では作詞できないという弱点を乗り越えた。その成果がこの曲だ。

 歌詞は何の比喩表現も使わない、ストレートに言葉を紡いでいる。

 感謝を伝えるなら、回りくどい表現なんていらないんだ。


 ああ、この曲を奏でる度に、歌う度に、四人との思い出が頭に思い浮かんでくる。

 楽しいだけじゃなく、時には辛い事もあった。

 それでも、最後にはお互いに笑顔だった。


(そっか、俺は音楽学校に来て、ようやく青春出来たんだ……)


 これが、前世で捨ててしまった青春なんだ。

 何て勿体ない事をしていたんだ、俺は。


(レイス、何だかんだで俺の事を気遣ってくれたよな。わからない事があったら教えてくれたし、他の《貴族派》連中とケンカしそうになった時も、怯えながらも仲裁に入ってくれた。本当にありがとう)


 心の中で、レイスに感謝する。


(レオン、お前とは結構下ネタ話してたよな。ってか、童貞捨てるの早すぎだ、裏山けしからん!! でも、一番バカな話が出来てノリも良くて、話しててすっげぇ楽しいんだ。本当にありがとう)


 心の中で、レオンに感謝する。


(ミリア、最近ギクシャクしちまってるけど、その底抜けな明るさのおかげで、俺も明るく前向きに学校生活を送れているよ。ちょっと振り回される事もあるけど、不思議と迷惑じゃなくて楽しいんだ。本当にありがとう)


 心の中で、ミリアに感謝する。


(オーグ、一番堅苦しいけど、お前のおかげでこの異世界にピアノを演奏する事が出来た。レイス以上に真面目で真摯に授業にもピアノにも打ち込んでいて、すげぇ尊敬できるよ。本当にありがとう)


 心の中で、オーグに感謝する。


 恥ずかしくて絶対に直接言葉には言わないけど、歌に気持ちを乗せて俺の気持ちを伝えたつもりだ。

 伝わるかな?

 きっと、伝わってくれるさ。

 この音の一つ一つに、歌のフレーズ毎に、気持ちを込めているんだからさ。


 もう、《brand new world》が演奏し終わってしまう。

 まだまだ感謝の気持ちが足りない。でも、そんなダラダラ長くなっても仕方ないから、最後のこのフレーズに、集約しよう。


「ありがとう」


 これは歌の歌詞だ。直接言った訳じゃないんだからな!


 全ての演奏がし終わり、ふぅっと息を吐くと、俺の鼓膜を突き破るかの勢いで拍手が聞こえた。

 観客席を見ると、全員が立って拍手をしていた。

 あぁ、いいスタンディングオベーションだ。

 すると、俺の左方向から誰かに抱き締められた。

 見てみるとオーグだった。


「ハル、ありがとう。ありがとう……。私のピアノをここまで昇華させてくれて……」


「いや、お前のピアノが素晴らしいから、ここまで気持ち良く演奏出来たんだぜ?」


「それでもだ。お前は最高の音楽家だよ、ハル。お前の最後の歌は、私達に向けられていた気がする。私の方こそ、ありがとうだ……」


 オーグが大粒の涙を流して、俺に笑顔を見せた。

 なんだろう、普通なら男に抱きつかれるのはノーセンキューなんだが、悪い気がしない。

 俺は一瞬オーグの抱擁を振りほどき、そしてオーグの肩に手を回した。

 驚いていたけど、照れ臭そうに笑っていた。


「「「ハル!!」」」


 観客席の方から、レイス、レオン、ミリアが走ってきて、舞台に上がっては俺に抱き着いてきた。


「うわっ!!」


 流石に三人のタックルみたいな勢いの抱擁は受け止めきれず、壇上にそのまま三人の下敷きになる形で倒れてしまう。

 オーグは俺と一緒に巻き込まれた形だ。


「ちょっ、流石に重いんだけど!!」


「受け止めないハルっちが悪い!」


「えぇぇぇぇ……」


 何と理不尽な……。


「ハル……。君の歌は俺達に伝わったよ。俺の方こそ、リューンの弾き方で的確に教えてくれて助かったよ。それに一緒に遊ぶのもとても楽しいんだ。君が友達で本当によかった。ありがとう」


 レイスが泣きながら俺に感謝の言葉を伝えてくれた。


「ハル、オレがリリーナちゃんを失った時、何も言わずに隣にいてくれた事あったろ? 何も聞かないで傍にいてくれたのは本当に助かったんだ。本当にありがとうな! また、下ネタで盛り上がろう♪」


 レオンが照れ臭そうに頭を掻きながら、オレに感謝の言葉を伝えてくれた。


「ハルっち、ハルっちが私達に対してそんな風に想ってくれてたのがすっごく嬉しいよ! 本当は友達じゃ嫌なんだけど、とりあえずは満足してあげる! この後時間ちょうだいね! 本当にありがとう!!」


 ミリアが、頬をほんのり染めて、涙を流して感謝の言葉を伝えてくれた。

 本当は友達じゃ嫌なんだけどって部分、やっぱりこの後告白してくるんだろうな……。

 俺はこれからもミリアとは仲良くしたいって思うから、何とかしないとな。


 でも、何かこんな風にお礼を言われて、すっげぇ嬉しいな。

 嬉しすぎて、目頭が熱くなって、俺の頬を涙が伝った。

 ちょっと恥ずかしいけど、皆も泣いてるし、俺も泣いてもいいよな?


「ハルっちが泣いてる……。初めて見た」


「そ、そうか?」


「うん! ……えいっ!」


 ミリアが俺に思いっきり抱き着いてきた。

 突然だからびっくりだ!


「何かハルっち可愛い♪ ぎゅーっ!」


「お、おい、ハル! ミリアとくっつきすぎだよ!」


「あはは、レイスが嫉妬してるし♪ 相変わらずハルはモテモテだなぁ」


「……貴族である私が庶民と戯れるのもどうかと思うが、こういうのも悪くないな」


「だぁーっ!! 暑いからそろそろ離れろよ、てめぇら!!」


 まだ巻き起こる拍手の中で、俺達はじゃれあっていたのがだ、それを止める人間がいた。

 すっかり俺達の意識から忘れ去られていた王様だった。

 王様が右手を上げると、ピタリと拍手が止まった。

 俺達もはっとして、立ち上がって背筋をピンと伸ばした。


「オーギュスト・ディリバーレント、そしてハル・ウィード。このピアノという全く新しい楽器、余は大変心を強く打たれたぞ」


「「はっ、ありがとうございます!」」


「ハル・ウィード、貴殿が受勲式で見せたかったのは、これか」


「その通りです、陛下。いかがだったでしょうか?」


「うむ、大口ではないのは良くわかった! 素晴らしいの一言しか出てこない」


 王様の顔を見ると、随分と満足げな顔をしていらっしゃる。

 まぁピアノをアピール出来たし、俺の演奏技術もアピール出来たし、まさに一石二鳥だな!


「オーギュスト・ディリバーレント、余もそのピアノが欲しくなった。早速で悪いがそこのピアノを献上致せ」


 おっと、王様がなかなか横暴ちっくな事を仰ってるぞ?

 でもあのピアノ、俺の名前が彫ってあるんだけど、いいのか?


「陛下、私のピアノを欲しがってくれて光栄至極なのですが、このピアノに関しては申し訳御座いませんが献上出来ません!」


「ちょっ、オーグ!?」


 オーグが献上を断った!?

 そんな事したら、お家取り潰しだってあるって父さんから聞いたぞ?

 

「オーギュスト・ディリバーレント。理由を述べよ」


「はっ! このピアノに関しては我が親友、ハル・ウィードの為に作製したピアノで、彼にあげる為の物。申し訳御座いませんが、首を跳ねられても譲る気はございません!!」


 ……オーグ。

 嬉しいよ、本当に嬉しいんだけどさ。

 でも、それでオーグが辛い目に合うのはもっと嫌なんだって!


「オーグ、気持ちは嬉しいけど献上しろよ! ピアノを俺にくれてやりたいんだったら、次のやつでいいからさ!!」


「すまない、ハル。こればかりは譲れない。ピアノの第一号は、お前への感謝の形なんだ。例え陛下であっても、な」


 オーグの手が震えている。きっと怖いんだ。

 それでも、俺との友情を大事にしてくれようとしている。

 もうそれだけで十分なんだよ!


「…………もう一度聞く。そのピアノを献上する気はないのだな?」


「はい。申し訳御座いませんが、次のピアノをご用意するまで待っていただきますようお願い致します」


 ああ、ダメだこりゃ。

 こいつも意地になって全然意思を曲げようとしない!

 終わったわ……。


「ふっ。意地悪してすまなかったな。貴殿らの友情は、余の権力如きでは砕けない本物の友情のようだ! では第二号のピアノを余に献上するのを約束してもらおう」


「はっ、必ず献上致します!」


 くそっ、王様め、タチが悪い意地悪だな!

 ちょっと懲らしめてやらんと、俺の気が済まないな……。

 俺は王様だけに向けて殺気を一瞬ぶつける。すると、王様が体をびくんと跳ね上がらせた。

 本当、王様じゃなかったら一発や二発、その顔面に拳を打ち込みたかったんだがな!


「さ、さて。アーバインよ、後は貴殿が締めるがいい」


「くくっ。畏まりました、陛下」


 アーバインが王様に対して笑ってた。

 結構仲がいいんだな、王様とアーバインは。


「今年の進級試験は、ハル・ウィードという天才が留学した事によって、生徒全員が刺激されたのか、全体的に演奏のレベルが去年と比べ物にならない位向上していた! 私も聴いていてとても満足している!!」


 おい、勝手に俺の名前を引き合いに出すなや!


「だが、皆も納得していると思うが、ハル・ウィードは生徒全員より遥かに抜きん出た演奏を、この場で披露した! しかも陛下がいらっしゃるのに、緊張する事なくだ! これは今回の最優秀は決まったも同然だ」


 観客席にいる全員が小さく頷いた。


「オーギュスト・ディリバーレント、この素晴らしい楽器を発明した君には、今年度の《最優秀生徒》の賞状を授与する! そして、留学生であるハル・ウィード! 新しい楽器であるピアノを完璧に演奏した君には、《最優秀留学生》の賞状を授与する!」


 っ!

 俺の胸から、熱い何かが込み上がってくる!

 もうだめだ、この衝動は抑えられねぇ!!


「オーグ!!」


「ハル!!」


「「やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」」


 俺とオーグは、嬉しさのあまりに抱き合い、そして俺は、右手を天に突き上げて喜んだ。

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