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JR目白駅から西南へ徒歩で十数分の場所に、和洋折衷の古い屋敷がある。元警察官僚で現職の参議院議員がさる銀行頭取から格安の賃貸料金で借り受けている物件だった。
午前10時半、1台のヴァンが敷地の傾斜を利用して地下に設けられた車庫に滑り込んだ。山辺は大河原と藤岡に両脇を支えられてヴァンを降り、コンクリートの階段を上がって行った。天羽が3人の背後から続いた。
広大な庭を望むリビングはパソコンやコピー機などが置かれ、雑然とした事務所のようだった。奥のダイニングで山辺は大理石の大きなテーブルの前に座らされた。大河原と藤岡は立ったままだ。
天羽がテーブルの上に封筒とファイルを置き、向かい側に腰を下ろした。
「何か飲みますか?」天羽が言った。
「いいえ」
天羽が背後に手を振る。
「紹介する。公安部参事官の貫井警視正だ」
山辺はバネ仕掛けの玩具のようにパッと立ち上がり、貫井に頭を下げた。貫井は返事をする代わりに、片手をひょいと挙げてみせた。山辺はおずおずと頷き、値踏みする視線をちらと天羽に投げる。それから、椅子に尻を落とした。
「富久町で発生した殺人事件のことです」
天羽は手帳を開き、ICレコーダーのスイッチを押した。
「今朝の午前4時14分、牛込署からの電話を自宅で受けましたね」
「はい」
「富久町の殺人現場にあなたの名刺が残されていた。あなたの名刺がなぜ現場にあったのか、捜査員が説明を求めたそうですが、あなたはどんな返事を?」
「事情が混み入ってまして」
「分かるように」
山辺は天羽の口調に苛立ちがないか、耳を澄ませるような眼差しになった。短い沈黙を置いて言った。
「一昨日の午後2時ごろ、安斎英道を麻薬捜査の協力者として獲得する目的で、303号室を訪問し、その際に妻の瑤子に名刺を渡したと捜査員に回答しました」
「あなたは安斎夫妻の情報を収集していたようですが」天羽が黒いビニール表紙のファイルを示す。「電話ではそのことに触れなかったのですか?」
「お互い様ですよ」山辺は愛想笑いを天羽と貫井に交互に投げた。「捜査一課に情報を隠されて歯ぎしりしたことは何度もあります。悪弊かもしれませんが、要するにカードを1枚ずつ切りながら、情報交換する。分かります?」
天羽は関心を示さず、早口で先へすすめた。
「あなたがそもそも安斎夫妻に関心を懐いた経緯は?」
「私の個人的な情報源から、安斎英道に関する情報が入りまして」
「情報源とは?」
「それはちょっと勘弁していただきたい」
天羽は穏やかな口調になった。
「記録は消します。名前と身元を」
「情報源として確保するプロセスに、差し障りのある点がいくつかありましてね」
この時、貫井が口をはさんだ。
「私たちが盗聴法に違反しなかった日はない」
山辺は小さな笑みをこぼした。
「でも、あなたには権力がある。私は無力な一警官です。自分の身は自分で守らないと」
「もっともな意見だ」
貫井は指をパチンと鳴らした。大河原が背後から静かに山辺に近寄る。途端に山辺が「ひぃ」と叫んだと同時に椅子が倒れる音がし、山辺の姿がテーブルの下に消えた。
山辺がのろのろと立ち上がり、自分で椅子を起こした。苦痛にゆがんだ顔を手で半分隠して、憐憫を請う視線を天羽にちらと投げた。天羽は質問を再開した。
「情報源の名前は?」
「
貫井が藤岡に「確認してこい」と命じる、天羽はある疑問を口にした。
「あなたは麻薬担当でしょう」
「ジャンキーのモデルがいまして、男です。ご存じないと思います。安物のセーターなんかを着てチラシに載ってるのを見かけた程度ですから。その三流モデルは呉と同じ小児性愛者で、海外で一緒に子どもを買ったりする仲なんです。そのモデルを通じて、四年ほど前に呉を知りました。呉も大麻ぐらいは嗜むようで、新大久保や歌舞伎町にも近いものですから、売人の情報なんかもそこそこ入ってきます」
「なるほど、小児性愛で脅して呉を情報源にした。手法は私たちと同じだ」
何も問題は無いとでも言う鷹揚な口ぶりだった。貫井が続けて言った。
「それで、呉の情報とは何だ?」
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