第9話 招かれざる客

「見つけた……」

 ビスラは壁にズラリと並んだモニターを見つめていた。画面には、それぞれ街の色々な場所が映し出されている。まるでこの星全体が大きな建物で、そこに付けられた監視カメラの映像がここに集まっているように。その映像はすべて、放ったダイザー達が今見ている風景だった。

 その中の一つに映し出された、青い衣を着た女。その姿に自然と唇が動き、笑みの形を作る。ベールで顔を半分以上隠しているものの、彼女がマイニャだということがビスラにはっきりとわかっていた。

「それにしても、変わらないな、マイニャ。赤ん坊だったときの笑顔を思い出すよ」

 昨夜、館でマイニャの襲撃に失敗した時、ダイザー達は小娘を守っていたという奴らの顔を報告する事ができなかった。どうやら半分爬虫類だけあってもともと記憶力が弱いのと、ウロコのない地球人やミラルジュの民を見分ける事ができなかったのが原因のようだ。

小さな娘を殺すくらい、いくら無能なダイザー族でもできるだろうとケナビェイにイヤホンを付けなかった自分がバカだったのだろう。

 通信機をはめたダイザー達を夜の街に放ったのは、ほとんど気休めだった。人間、亜人種が何万人も行き交う街で、まさか一人の人間を見つけ出すことができるなんて。

「さすがに向こうも変装するだけの頭はあったというわけか。もう少しで見過ごす所だった。あの踊子にお礼を申し上げたい物だ。あと、マウニャの貧乏性にも」

 事実、ダイザーに取り付けたカメラを通し、変装をしたマイニャの姿を見ても彼女だとすぐにはわからなかった。分かったのは、マイニャが宝石を拾い上げた時だ。高い石だけを選んで拾い上げることができる奴が、ただの貧乏娘のはずはない。

 マイニャ達は、どうやらダイザーを数匹まいただけで安心しているようだが、甘い。ある程度の場所が分かれば、代わりの奴が探すように手配してあったのだ。

 ほくそ笑みながらアンティークのイスに寄りかかる。背もたれが軋む。ミルリクにある彼の別荘はかなり質素だった。自動ドアや調理機など、必要な物が揃ってはいたが、無駄な装飾は一切ない。壁もむき出しの金属パネルでなんの絵も描かれていないし、ベッドにコールドスリープ機能もついていない。だが、彼は別に気にしなかった。どうせジェイソの船を沈めたらミルリクを出るのだから。

 この計画が成功したら忙しくなる。金の回収と新たな契約をするために、武器商人やテロリスト達の間を飛び回ることになるだろう。

 ビスラはタバコに火をつける。白い煙を吐き出しながら、ビスラはジッポのフタを開けた。小さなひし形をした火のゆらめきを灰色の目がみつめる。まるで液体で出来た花のつぼみのように揺らめく赤い輝き。いつか、幼い時に見た火をビスラは思い出した。


 冬の貧民街には、あちこちで小さな火が燃えていた。燃やされるのは大抵崩れ落ちた窓枠やら昔ながらの新聞紙、誰が落としたのか分からないボロ布。風を避ける家のない者は夜中のうちに凍死をしないよう暖を取る必要がある。

 薄汚れた糸のように細くたなびく煙の中を、ビスラは足早に走っていた。

 排水口から流れてくる臭いに、口を押さえる。けれど、ビスラも数ヶ月前までは同じ臭いをさせていただろう。ナルドゥンと会うまでは。

 道路に溜まった砂ぼこりに描いた作る当てもないおもちゃの仕掛け。それを目に留めたナルドゥンの家で暮らすようになってからも、ビスラは屋敷を抜け出していた。仲のいい女友達タヴィアに会うために。

「ビスラ?」

 聞きたくない声を耳に、ビスラは身をすくませた。今でもたまに悪夢で聞く声。

「は、ハノラル」

 振り向いた先に立っていたのは、大柄の少年だった。汚れですっかり灰色となり、もとの色がわからないセーターを着ている。その足元にも小さな火が燃えていた。小さな女の子から奪い取ったのだろう。布製の人形の足が煙の間から見えている。

「ずいぶんな出世だな、ビスラ、あ?」

 ハノラルは大げさに肩をすくめた。ビスラの視線は自然にその手に向かう。

 やっと見つけた食べられそうなパンを、奪い取ったのはこの手だった。取り戻そうとしたビスラのみぞおちを、背を、顔を殴りつけたのもこの手。

 後退りするうち、ビスラはハノラルと壁の間に挟まれた。

 ハノラルはポケットからナイフを取り出す。呪いにかかったように動けないビスラの頬を刃でひたひたと叩く。

「いい服着ちゃってまあ。少しでいいから俺にめぐんでくれよ」

 恐怖で口が聞けない。

「やめなよハノラル」

 隅に置かれていた木箱が動き、ビスラは初めてそこにもう一人いた事に気づいた。ハノラルといつもツルんでいるトトゥルだった。

「こいつのご主人に言いつけられてみろ。宿無しの俺達なんか、殺されても裁判どころか噂にもなんねえぞ」

 舌打ちして、ハノラルはナイフを鞘にしまった。

 ビスラはよろよろと隙間から逃げ出す。

「タヴィアに会いにきたのか? ビスラ」

 からかうようにハノラルが背に言葉を投げつけてくる。

「残念だったな。彼女は死んじまったよ。食い物なくてな」

 パチン、と小さな火の粉が飛び散った。

 人形の足に、ビスラの目が吸い寄せられる。

『これ、お母さんの形見なの』

 いつか、タヴィアが抱きしめていた人形。今、炎に包まれているのはそれと同じではないか?

 体がガクガクと震えだした。

 タヴィアが飢え死にした? 彼女の食べ物を奪っていたのは誰だ。

「かわいそうだな、ビスラ。お前タヴィアが好き……」

 なれなれしく肩に手をかけようとしたハノラルを、反射的に突き飛ばす。

「うああああ!」

 よろけた拍子に、ハノラルは火に右足を踏み込んだ。

 安い布地は燃えやすく、ハノラルが慌てて足を引き上げたとき、ズボンの裾には何かの飾りのような赤い火が二、三灯っていた。細く上がる灰色の煙と、焦げ臭い臭い。

 ハノラルは体を丸め、片足をかかえるようにして炎を手で叩き消した。

「手前、ビスラ……」

 ハノラルの怒鳴り声は、急に勢いをなくした。

 長すぎて薪にできないまま置いてあったのだろう、壁に立てかけていた木の棒をビスラは振り上げていた。

 トトゥルが悲鳴を上げて逃げ出した。

『こいつのご主人に言いつけられてみろ。宿無しの俺達なんか、殺されても裁判どころか噂にもなんねえぞ』

 そう。浮浪児が一人二人いなくなった所で、誰も気にはかけない。ばれた所で、ナルドゥンがいくらでもごまかしてくれるだろう。

 顔面から血を流し、獣のようなうめき声をあげてのた打ち回るハノラルを、ビスラは冷ややかに見下ろした。

 僕は、こいつらとは違う。もし、僕がいなくなったらナルドゥン様は必死で探し出してくれるだろう。それにもう今は食べ物に困る事もない。冷たい地べたに寝転がる必要もない。

 それはすべて、実力で勝ち取った幸せ。自分が人より優れているから。僕がうらやましいのなら、この男も能がある所を見せればよかっただけの話だ。

 ビスラは再び棒を振り上げた。


 ビスラは、パチンとジッポのフタを閉めた。

 モニター画面は付かず離れずの距離でマイニャの背中を映し出している。

「ユルナン、バカな奴だ。自分で創りだした技術で富を手にいれて何が悪い。死ぬのはどうせ、顔から血を流して転がっていたあの男のような奴だよ」

 ビスラは、タバコをモニターに押し付けた。小さな赤い火の下の画面では、マイニャが連れの男に何かを囁いていた。

「聞こえるか、ダイザー達!」

 ブシュッと息を吐くようなうなずきが、イヤホンから聞こえてくる。

「マイニャを見つけた。後をつけ、かくまっている奴らとアジトを見つけ出せ。絶対にさとられるな」


 警戒音が鳴ったのは、ガウランディアが寝ぼけて大きなクッションの上に頬を擦りつけたときだった。警報装置と連動して、室内の部屋に薄明かりが灯る。

 ガウランディアはクッションから体を起こすと、作り物の木の枝に引っ掛けていた尻尾を床に下ろした。体は何か大きな物にしがみつくようにし、尻尾はどこかにひっかけるというのがドラニュエルの眠り方だ。ふいに襲われてもすぐ起きられて、さらに重たい尻尾を背骨で支えなくてすむというこの便利な寝方はきっと彼女達の祖先が発明したのだろう。

「気持ちよく寝てたのに…… なんの騒ぎだ。もし機械のエラーだったらスクラップにしてやる」

 こっそり塔に帰ってきたカシ達が聞いたら『それだけはやめてください』と泣いて頼みそうなことを呟きながら、ガウランディアは通信機のスイッチを入れた。

「カシ、ダイキリ、マイニャ! 起きろ! 集合だ!」

『聞こえてるよボス。今から行く』

『なんか、今、不思議な夢見てた。ハニワが…… だめだ。思い出せない』

『な、なんですの? 朝ごはん?』

「……。とにかく作戦室へ来い。マイニャ、お前のペットを連れて来いよ」

 作戦室のモニターに映し出された外の光景を見て、ガウランディアは思い切り舌打ちをした。

 布のシワのように重なる白砂の丘には、黒い影がうごめいていた。ダイザーと地球人の混合部隊が、塔の周りを取り巻いている。ガウランディアが「おお」と小さく声を上げる。

「すごいな。もはや一個小隊だ」

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