第8話 深夜の散歩と血色の宝石

 再生が終ると、誰からともなく皆作戦室に集まってきた。

「で、これからどうするんだ?」

 イスの背もたれに寄りかかってカシが言う。

「どうやって、ビスラの館へ乗り込む? 今度はマイニャの館と違って入り込むのは大変そうだぞ」

「そんなことをする必要はないさ」

 机に肘をついて、ガウランディアはやる気がなさそうに言った。

「おお! さすがボス。もういい方法を見つけてくれたのか! よし、今度こそあのシッポ無しとの対決を……」

「手を引く」

 ガウランディアはハッキリと言った。

「は? なんだって?」

「手を引くといったんだ」

 尖った爪で、ガウランディアは髪を束ねていた糸を切った。キリリと結い上げられていた長い髪が解け、腰まで広がる。頭をかくと黒い滝のように髪が踊った。

 ダイキリとカシなら分かるはずだが、ガウランディアは本当にリラックスした時でしか髪を解かない。これは武装解除の宣言だった。

「あのメッセージで分かった。もう、ユルナンは死んでいる」

 ガウランディアはちらっとマイニャをのぞき見た。マイニャは、唇を白くなるほど強く食いしばっていた。うるさく否定をしてこないところ、ガウランディアと同じ意見のようだ。

「つまりもう、俺らが動く意味はない?」

「そうだ。恩返しができなかったのは悔しいが、ユルナンが死んでしまった以上、これ以上やる義理はない。報酬がないのに命を賭けるのは割りが合わない」

「ほお」

 カシは、ガウランディアにズイッと顔を近づける。

「ドラニュエルの誇りっつーのはずいぶん安いもんだな。え? ガウランディア。その翼にかけてマイニャを守ると言ったのは嘘か」

「嘘ではないさ」

 イラつきながらも聞き分けのない子供に言い聞かせるように、ガウランディアはゆっくり言った。

「マイニャは守る。もうすぐこの宇宙船も直るしな。そうしたら、どこかいい環境の星にでも送ってやろう。ビスラの手が届かないほど遠くに。なんだったら、ナルドをつけてやってもいいぞ」

「おかしい」

 ダイキリが呟いた。

「ガウ嬢。いつからそんなに気弱になった?」

「そう言えば私がムキになるとでも? 挑発しているつもりか、若僧。甘いぞ」

 縦長の瞳がすっと細くなる。

「ガウランディアさん」

 今まで黙っていたマイニャが口を開いた。膝の上で、きつく両手を組み合わせて。

「お願いです。力を貸してください。私は、父が何をしようとしているのか、知らなければ」

 ぎゅっと閉じた目から、涙がこぼれた。

「望んだわけではありませんが、父が悪事に手を貸していたのは事実。それを防がなければなりません」

 ゆっくり開いた目に、ほんの少し強情そうな光を見つけ、ガウランディアは溜息をつきそうになった。

 ウジウジしているマイニャにうんざりして、ダイキリに気合を入れさせたのはいいけれど、思いの他効果がありすぎたようだ。

「だめだ」

「わかりました。自分でやります」

 あまりにも意外な言葉で、一瞬マイニャがなんて言ったのかわからなかった。

「ビスラの館の場所は分かっています。父のメッセージを突きつければ、知らんぷりはできないはずよ。そうでなければ、自治警察に……」

 ガウランディアは頭が痛くなった。金持ちが贅沢にのほほんと暮らしていると、バカになるのだろうか? 今度何かの拍子に大金が手に入ったら全部使い切ってしまおう。

「いや、ビスラは知らん振りするだろうよ。お前の死体をうまく処理してな。自警? 確かにそうすればビスラは捕まるだろう。だがマイニャ。重罪の共犯者の家族ということでお前も処刑されるぞ。ナルドや他の召使達と一緒に。それがミルリクの法だろう。ビスラが企んでいること、兵器化させた金属細胞の密売だけではないぞ」

「ガウランディアさん。貴女はビスラが何をしようとしているのか、わかるのですか?」

「簡単に想像がつくことだ。それを教えるつもりはないが」

 マイニャは、しばらく考えこんでいた。その内容はあまり明るい物ではないらしく、顔が青ざめていた。

「でも、父が死んだのなら、ファイン・アンブレラ号の罪は私が償わなければ」

 お手上げだ。シッポが力なく垂れ下がるのが自分でもわかる。

「カシ、ダイキリ。マイニャを捕まえろ。監禁だ。船の修理が終って、宇宙空間に出るまで外に出すな」

 カシの舌打ちが聞こえた。

 ごねるかと思ったが、カシは大人しくマイニャの手を取った。

 手を引くというガウランディアの考えが受け入れられなくても、マイニャが先走って死ぬようなことは避けたいらしい。

「ちょ、待ってください。そんなこと!」

 マイニャは腕を振りほどこうとした。それほど強く握られているようには見えないのに、力の入れ具合がうまいらしくカシの手は離れない。

 ダイキリがさりげなくその後ろを固める。

「ん? ダイキリ。その腕はどうした?」

 カシとマイニャの後に続いて出て行こうとしたダイキリを呼び止めた。ダイキリは、背を向けたまま立ち止まる。

 地球の者ではありえない、ミルクのような白い肌に、赤々と手の跡がついていた。

「ああ、これか。なんでもない。マイニャにつけられた」

「マイニャに?」

「ユルナンのメッセージを聞いている間、彼女はずっとこの腕をつかんで耐えていた」

 ダイキリは、小さな手の跡にそっと触れた。振り向いて、ガウランディアと視線を合わせる。

「ガウランディア。私はマイニャが嫌いだった。だが、今は違う」

「そうか、それはよかった」

「おい、何やってるんだダイキリ」

 カシの呼びかけに、ダイキリが慌てて後を追う。

「さて、次はどこへ行こうか」

 ガウランディアは、メインスクリーンに地図を呼び出した。星を現す光が画面いっぱいに広がる。

「気弱になった? そうかもしれないな」

 ふう、とガウランディアは溜息をついた。

「もし、私の考えが合っていれば、大変なことになる。カシ、ダイキリ。私はお前達の命を守ると翼に誓っているのだよ。マイニャの時よりも、ずっと昔にな」


 気がつくと、部屋の中が真っ暗になっていた。少し眠ってしまったようだ。自分の父親が悪いことに巻きこまれていることがわかったのに、ぐっすり眠っていたなんて。演劇やホログラムでみる映画なんかでは、こういう場合ヒロインは一睡もしないで泣き続けるものだけど。

 父が倒れる音が耳の奥に響く。振り払おうと、マイニャは弱々しく首を振った。ずれかけていた毛布を肩まで息上げる。ガウランディアの船には睡眠カプセルがなく、マイニャは昔ながらのただのベッドで寝るしかなかった。カプセルの硬い殻に包まれていないと、なんだかかえったばかりのヒナのように無防備になった気分になる。たとえば、眠っている時に誰か悪い人が来ても、身を守る方法が……

 ポン、と急に誰かが肩を叩く。気のせいではない証拠に手のぬくもりを感じ、マイニャの背筋が寒くなった。部屋の薄闇よりさらに黒い人影が二つ、傍に浮かび上がっていた。

「やっ……」

 あげかけた悲鳴は、唇を覆った手の平でふさがれる。

「ん~! ん~!」

 マイニャは手足をばたつかせた。大きな手がマイニャの細い右腕を押さえつける。

「落ち着けって! 大丈夫から静かにしろって! ガウランディアにバレたらどうする!」

 聞き覚えのある声だった。

 マイニャはしばらくジタバタしていたが、侵入者が体を抑えるだけで何も危害を与えてこないのに気がつくと、そっと力を抜いた。

「暴れるなって。頼むよ」

 もう騒ぐ気がなくなったのに気づいてくれたらしく、侵入者は口をふさぐのをやめてくれた。

「その声、カシさん?」

 毛布を首までひっぱりあげて、抱え込む。

「何ですの? 一体」

 マイニャは枕もとにあるセンサーに触れ、ライトをつけた。

 明りに照らし出されたカシは、フードつきの茶色い衣を着ていた。ド派手な髪が隠れる修道士のような格好で、黙っていると別人のようだった。

「女性の部屋に入ってくるには時間が遅すぎませんこと? なにか、よからぬことをされるかと思いましたわ」

「よからぬことって、あのな~」

 宇宙船に乗っていると、当然外はいつでも真っ暗で、船内の明かりはつきっぱなし。昼だの夜だのの区別はない。(セットすれば時間に合わせて地球の太陽光を再現する天井パネルも開発されていたが、異星人混合で船に乗る者が多いため、あまり売れなかったようだ)

 健康のためにはそれでも規則正しく睡眠を取った方がいいらしいが、大ざっぱな性格のカシ達は、航海中それぞれ疲れたら寝るし、目が覚めたら働くという生活をしていた。当然、緊急事態や大事件が起こったら眠っている仲間をたたき起こすのは失礼でも非常識でもなんでもない。

 でも、たしかに地上ではまずいことだったかも知れない。特に、相手が女性の場合は。その事に今更ながらカシは気づいた。

「何を考えているんだお前は。顔が赤えぞ」

 カシの隣に、見慣れないターバンを被った青年が立っていた。

「ええっと、あなたは、もしかして、ダイキリさん?」

「いちいちそんなことも聞かないと判らねえのか。頭の悪い女だな」

 ケッケッケ、とダイキリは口を大きく開けて笑った。普段のダイキリの、どこか月を思わせる神秘的な雰囲気が太陽の香りに取って代わっている。隣にカシがいて、ダイキリが変装の名人だということを知らなかったら、マイニャも見抜くことはむずかしかっただろう。

「……。一応、確認しますけれど。そういう性格設定なのですのね? 本心じゃありませんよね?」

「さあ、どうだかな。それから、その名でオレを呼ぶんじゃねえ。変装してる意味がねえだろが。代わりにトラークって呼ぶんだよ。忘れたらケツの穴に手……」

 ダイキリの言葉はカシのエルボで途切れた。

「はっはっは。すまないね。今回は下品なキャラな物で」

「出かけるぞ、マイニャ。買い物だ。さっさと仕度しな」

 偉そうな口ぶりで、ダイキリが言った。

「出かけるって、どこへ? ガウランディアさんがこの船から出てはいけないと」

 ガウランディア、の言葉でカシとダイキリは落ち着かなくあたりを見回す。

「シーッ! 彼女は今眠ってる。その間に捕らわれのお姫様を夜のお散歩に連れ出そうってわけ! ガウランディアの言うとおりこのまま逃げるにしても、戦うにしても、色々準備が必要だろ? 服やら何やら。お前は当分家に帰れないし。俺達じゃどれがお前の好みか分からないからな」

「夜のお散歩ですか。残念ですけれど、そんな気分では……」

 浮かべた笑顔がぎこちないのが自分でもわかった。

 外に出たくはなかった。まだ、毛布に包まって、丸まっていたかった。眠いわけではない。さっきの騒動で眠気はすっかり飛んで行ってしまった。

ただ、父のこと、自分のこと、これからのこと、一人で考えたい事がたくさんあった。たとえそれが、自分の胸に剣を刺すように辛い作業と分かっていても。

「ほら見ろ、まだ外に出られる状態じゃないんだ」

 男二人は少しベッドから離れて、マイニャに背を向けるとヒソヒソ話を始めた。変に声を落としているから余計に何を言っているのか聞き取れてしまう。

「ひょっとしたら買い物ついでにビスラの情報でも手に入ると思ったんだがな。チッ、お偉いさん絡みの情報なら、役に立つか立たないか、マイニャの方が分かると思ったんだが。使えねえな」

 キャラになりきっているダイキリが容赦なく言う。

 そう言えば、ガウランディアはビスラが何を企んでいるか見当がついていると言っていた。そして、マイニャ達にも十分その企みは予測できるはずだと。

 それが分からず、ガウランディアに訊いても教えてくれそうもない以上、自力で調べ出すしかない。ダイキリはそう考えているようだった。

「しゃあねえ、情報はともかく、小物はこっちで用意するか。何が必要だ?」

「そうだなあ。まずは食い物、調整リングも持って行くか。あとはタオル。下着」

「それはダイキリが買ってくれよ。女に化けてさ。でもサイズが……」

「わかりました、行きます!」

 カシとダイキリは振り返るとニヤリと笑った。

 マイニャもなんとか微笑んだ。たぶん、服だのなんだのは、ただの口実だ。私を連れ出して元気付けるための。

「連れ出してくださる? 夜に街へ出るのは初めてなの」

 マイニャは微笑もうとしてみた。なんとか笑顔らしい物を作ると、ほんの少し目まいがするような悲しみが和らいだ気がした。

「もちろん! そのために来たんだから」

「決まったら、ボサッとしねえで、これを着な」

 ダイキリが膝の上に投げつけたのは、空色のローブだった。

 口元を覆うベールと、頭から肩にかけるベールもついている。ただし、裾についた刺繍は糸が切れて描かれていたのが花なのか、鳥なのかわからない。手にとって見てわかったのだが、空色だと思ったのは青が色あせた物らしい。地面にすれる裾は千切れている。

「まあ、まるで大昔の占い女みたいですわ」

「これなら体型も分からないから、バレにくいと思ってな。とても金持ちには見えないし。イヤか?」

「いいえ、気に入りましたわ」

「それは何より。さあ、明るくなる前に行こうぜ」

「気をつけろよ。ビスラの手下が、俺達のことを探しているかもしれないからな! 第一、」

 ダイキリはそこで一度大きく息を吸った。

「何か厄介事を起こして、ガウ嬢ちゃんに八つ裂きされたくないな」

 ダイキリが漏らしたのは、間違いなく本音だった。


 マイニャの家のある高級住宅街とスラムは、当然線できっちりと分けられているわけではない。その間に、どっち着かずの地区がある。良家のお坊ちゃまが度胸試しにお忍びで出歩く事ができ、盗人がスラムよりは高く高級住宅街よりは低い難易度で金目の物を失敬できる場所が。通称『眠らず通り』は、ちょうどそんな場所にあった。

 イス代わりの木箱が所々並べられた通りは、真中を歩いていても酒のしぶきが飛んでくる。その両端を、酒場や宿の明かりで出来た黄金の川が流れていた。

 汗と香とタバコの匂いにマイニャは裾で鼻を押さえた。笑い声と怒鳴り声にかき消されそうになりながら、どこからかシタールの甘やかな音色が響く。頭上のネオンが細かく瞬くたび、ジジジ、と羽音のような音を立てる。

 マイニャの頭は、いつまでもユルナンの最後の声を、倒れた音を再生し続けていた。自分を取り囲む光景も雑音も、不思議なくらい現実感がない。

「私、夜になったら家も店も全部閉じるんだと思いましたわ」

 少しでも頭をはっきりさせようと、マイニャがそっとカシに呟く。

「ここは昼開く店と夜開く店があるんだよ。交代で店を張るのさ。あんまりお嬢さんの来るところじゃないけどな。この道の奥に雑貨屋がある。そこで服も売ってるから」

「なんだか、ここで暮らしている私よりあなた方のほうがこの辺りに詳しいですわね」

「ま、この辺にはちょくちょくと。二人とも酒好きな物で」

「おいマイニャ。あんまり顔を上げるんじゃねえよ。ビスラの手下が見てやがったらどうするんだ。これでも喰って大人しくしてな」

 ダイキリが手渡したのは、拳大の果物だった。使い捨ての、木の皮の皿に乗った果物は、紫色に薄い黒のシマ模様が浮かんでいる。一見ちょっと変わったスイカのような実だ。

「なんですの? これ。なんか、すっぱい匂いがしますわ」

 マイニャはそうっと皮をつついてみた。なんだかブヨッとしていて、表面に指の跡がつく。

「うまいぞ。知らないか? ブルナージュっていう食い物だよ」

「ルツフルの実を発酵させたものでしょう。それは知っていますわ」

 マイニャもパーティーなどでこの果物を食べたことがある。果実酒のような味がして、結構気に入っているくらいだった。

「でも、私が知っているのはもっと硬い物よ。匂いもないし」

「どうせ機械で作った物しか喰って無えんだろ」

 ちゃっかり自分の分も買っていたダイキリが実をかじりながら言った。

「天然物は、卵と一緒に鳥に抱かせんだよ。二、三、日もすればいい風味になる。ちょっと癖があるが、俺はこっちの方が好きだね」

 恐る恐る、マイニャはブルナージュをかじってみた。たしかに、館で食べた物よりも味が濃厚だ。

「おいしい! 実は、あんまり気が進みませんでしたけど、来てよかったですわ。もし、部屋の中にいたら、作り方でこんなに味が違うこと、わかりませんもの」

 マイニャはにっこりと微笑んだ。

 本当はまだ悲しみは心に重く残っていて、珍しい食べ物を味わう所では無かったのだが、二人の心遣いが嬉しかった。

 マイニャの表情を見て、カシも表情を緩める。

「まあ、なんだ。気分転換になったようで、よかったよかった」

『惚れたか、カシ。顔が赤いぞ』

 ダイキリがミラルジュ語でカシに話しかけた。ドイナカのミラルジュ語を話せる人間は少ない。二人はそれを利用して、内緒話をするとき暗号代わりに使っていた。

『何言ってんだよ。たしかにマイニャはかわいいけど、俺はもっとスタイルのいい娘(コ)が好きなの!』

「なんの話をしてますの? 私、ミラルジュの言葉は分かりませんの」

 マイニャの訴えは黙殺されてしまった。

『お前こそ惚れたんじゃないか? ダイキリ。マイニャが手当てをしにいったとき、何話してたんだよ』

『べ、別に、何も……』

 いきなりきつい反撃を食らって、ダイキリは一歩後ろに下がった。その拍子に、酒場の呼び込みの女性にぶつかった。

「あら、かっこいいお兄ちゃんみっけ」

 褐色の肌に、金色のアイシャドーをつけたおネエさんは、さっそく鼻にかかった甘い声ですり寄ってきた。

「ちょっと飲んでかない? 地球の女の子もたくさんいるわよ。そこのお嬢ちゃんには美少年を用意してあげるわ~」

「どけ、姉ちゃん! そんな金あるように見えるかよ」

「ダイキリのバカ…… こんな時に何つかまってるんだよ」

 カシは小さく毒づくと、慌てて連れと女性を引き離そうとする。

「悪いな、姉ちゃん。今忙しいんで」

 ダイキリも、とっとと女を振り払おうとしているが、向こうも自分の飯のタネを逃さないように必死だ。

「ああん、硬いこと言わないで。せっかくお祭りも近いんだしさ。サービスするわよ」

 胸と腰を覆うだけの服を着た女性はダイキリの腕にしなだれかかった。たっぷりとつけたアクセサリーの類が、東洋の風鈴のようにかすかな音をたてた。

「どう、お連れさんも一緒に飲んだら」

 呼び込み嬢はダイキリの腕に左手ですがりついたまま、カシの袖を右手でつかんだ。

「カシさん!」

 マイニャもカシの袖を引っ張る。

「いや、そんな嫉妬しないで、マイニャ。いや、困っちゃうな」

「もうっ!」

 マイニャはカシの靴を踏みつけた。

「違います! あれを!」

 小声で教えられた方を見て、カシは思わず呼び込み娘の後ろに隠れたくなった。人波の向こうに、ダイザーの耳が見える。尖った耳は、こっちへ近寄ってきていた。

 もちろん、通りをいく様々な種族のなかにダイザーの民も混ざっていた。だが、ちらっとみえたそいつの服に見覚えがある。館の襲撃事件で世話になった奴だ。

「なるべくうつむいていて」

 マイニャは言われた通りうつむくと、下げていたベールを目のすぐ下まで引き上げた。

 一際高い笑い声と皿の割れる音が真横の酒場で弾けて、通りすがりの人々が一瞬ちらりとこちらへ視線をなげる。

「気づかれたか……?」

 気づいているのかいないのか、ダイザーは一定のスピードで確実に近づいてくる。

 カシ達が緊張しているのなんて知らない呼こみ娘が世間話を始めた。

「うちの店はオエライさんの御用達でね、踊子もかわいい子ぞろいだって有名なんだから。ひょっとしたら今度のお祭りに、王様も来るかもよ」

 王様とは、この星の持ち主ジェイソのことだ。本来の肩書きは管理人なのだが、星の所有者は銀河連合の法に違反しない限り、自由に自分の星の決まりごとを作ることができるし、軍も持つことが許されている。その権力からミルリクの住民から冗談半分に王様と呼ばれていた。

 その王様はミルリクの持ち主にしては地球にこもりっきりで滅多にこの星に来ないことと、結構な男前だということで有名だった。

「ケッ。王様が帰ってくるなんて話聞いた事ないぜ。それほどのお偉方が来るんなら、もっと噂になっているだろうよ」

「あらやだ。私だからそのスジの人に聞けたんじゃないの。ジェイソ様、お祭りの日にいきなり姿を現してサプライズするんですって。なんか重大な発表もあるとか……」

 ダイザーが、歩く速度を速めた。どうやら、こっちに気がついたようだった。

「いいから、どけ」

 ダイキリは呼び込み嬢を押しのけた。

「きゃあ!」

 その拍子に踊子のはめていた首飾りの紐がプツッと切れた。真紅の宝石が星空のように地面に広がった。

 貧しい者達が歓声を上げて拾い始めた。ここでは盗られた奴が間抜けなのだ。

「まあ、なんてこと!」

 マイニャが急いで宝石を拾い上げる。

 丸く削ったルビーを連ねた首飾りは安物で、質の悪い宝石がかなり混じっているようだった。他の者に盗られないうち、マイニャは良い物だけを急いで拾い上げ、踊子に返す。

「いいから、急ぐぞ!」

 カシがしゃがみこんでいるマイニャの手を取って立たせた。振り返った一瞬、ダイザー達が牙の並んだ口を開けこちらを指差しているのが見えた。だが、宝石に群がった者達にじゃまされ、思うように進めないらしい。

「ちょっと! あとで持っていかれた分弁償してよね」

 つかみかかってくる呼び込み嬢の手を払いのけ、早歩きで人ごみの間を抜ける。

 全力疾走は出来ない。人を突き飛ばし、物を蹴倒しながら走れば、通行人の注目をあびる。その視線はそのままマイニャ達の居場所をダイザー達に教えることになる。

「カシ、空飛ぶジュウタンで逃げっか?」

「バカ。んなことしたら飛んで行った方向でアジトがばれるぞ」

 細い角を曲がり、大きな通りに出る。また角を曲がって、店の中を通り抜ける。マイニャがすっかりどこにいるのか分からなくなった所で、ようやくダイザーは見えなくなった。

「ふいいい。やばかったな」

 人ゴミから抜け出して、カシがおおげさに汗をぬぐう。

「つけられてるかな、ダイキリ」

 ダイキリがちらりと後ろを振り返った。

「いや、匂いがしねえ。まいたな」

「でも、これでビスラのたくらみがわかったな」

 ジェイソの暗殺。それがビスラの目的なのだろう。どうやるつもりか知らないが、ビスラは金属細胞を船に放つつもりなのだ。

 小さな旅客船ファイン・アンブレラ号とは違い、一つの星を持つ男が乗っているセキュリティのしっかりした船。それを沈めたとなればきっとニュースは世界中に広がる。金属細胞を闇で売りさばくいい宣伝になるというわけだ。

 そして、ガウランディアが係わり合いになりたがらないわけもわかる。もし何か間違えれば、ビスラだけでなく、金属細胞を狙う他の商人から狙われることになりかねない。何か下手をして誤解されれば、ジェイソも敵にまわすかも知れない。

「また、恐い人に会う前に帰りましょう」

 マイニャはグッとダイキリの上着の裾を引っ張った。

「買い物もこの状況じゃできませんわ。まったく。あなたが踊子さんにデレデレするから」

「それは濡れ衣だろが」

(犬みてえ)

 口をとんがらせるマイニャを見て、カシはそんな事を考えた。

 昔飼っていた黒い犬。普段はツンとしていたくせに、一緒に飼っていた白い犬を膝に乗せると、嫉妬してそいつを追い払おうとした。

「よお、兄ちゃん。何をにやにやしているんだ?」

 ダイキリが絡んできたので、カシは手を振ってごまかした。

「なんでもない。ただ、鈍い奴が相手だと疲れるなって思っただけ」

 カシの言葉に二人はきょとんとしていた。

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