第88話 しゃべるな
「いやぁ……なんつうかその、嘘クサすぎないっすか?」
イマイチ盛り上がりに欠ける大規模飲み会の後、サークルの仲間内で軽く飲み直そうという話になったのが一時間ほど前。
それで、俺と篠田と伊庭の男三人と、小谷と平戸の女二人の五人が、会場となった店から近い篠田のマンションへと移動した。
とりとめのない話題で進行していた宅飲みは、部屋に転がっていたホラー漫画をきっかけに、各人が知っている怖い話を披露する流れに突入する。
まず俺がネットで読んだ怪談をアレンジして語り、続いて篠田が地元の友達の実体験だという、心霊スポットで遭遇した怪奇現象を披露する。
女性陣のリアクションも上々で、いい感じに場が温まってきたというのに、空気を読まない伊庭が一気に冷やしてくれた。
「そんなん言われても、聞いた話のまんまだからな? これ」
「てことはじゃあ、アレっすわ。そもそも盛りに盛られてるって感じのヤツ。まぁ、素人の怪談らしいっちゃ、らしいっすけどね!」
伊庭はテンション高く言い放つと、ケラケラ笑ってストロングな酎ハイを
俺や篠田の一学年下の伊庭は、普段は
今日はそのめんどいパターンが出てきてるな、と察した俺は軌道修正を図る。
「あー、ちょっとツッコミたくなるのもな、わからんでもない。ないんだけどよぉ……別にリアリティで勝負してんじゃねぇし、サラッと流せって」
「いやいやいや、クソっぷりがデカすぎて残念ながら流れてくれないっすわ! めっちゃ便器に詰まるレベルでしょ、こんな低予算邦画ホラー未満のホラ話」
「だからさ、伊庭ぁ――」
「だって、廃墟に行ったら車がエンストして、スマホに謎の電話がかかってきて、完全にテンパッた別の肝試しグループと遭遇して、そいつらと一緒に首のない女の子から逃げたと思ったら、後日仲間の一人がメンタルぶっ壊れるとか、何を全部のせしてくれちゃってんすか。こんなんもう、加減しろ
伊庭の主張には頷ける部分もあったが、それこそ「加減しろ莫迦」である。
小谷と平戸は年に一度見るかどうかレベルのシラケ面になってるし、篠田は不機嫌さを隠そうともしないで、伊庭に邪気をたっぷり含んだ視線を送っている。
無理矢理にでも話を変えるか、と検討していると篠田が空になったビールの缶を捻り潰しながら言う。
「もうマジでムカついたわ。そんなん言うなら、今からガチなやつ聞かせてやっから、ちょっと待ってろ」
「あのぅ、先輩? ガチなのって……」
小谷が不安げに訊いているのに、篠田は無視してスマホを操作する。
ネットにアップされてる、怪談動画でも探してるんだろうか。
ギスり気味なのをものともせず、伊庭はヘラヘラした態度をキープしたままだ。
少人数での集まりにコイツを誘うの、もうヤメといた方がいいかもしれん。
そんなことを考えていると、篠田が誰かと話を始めた。
「おぅ。いきなりですまんが、今どこ? ……お、まだその辺か。じゃあさ、これからウチ来てくんね? そんであの話……まぁ、そう言わないで、頼むわ……うん、うん……あー、しょうがねぇな、ちゃんと
あからさまに面倒そうな事態が、軽快なテンポで進展していく。
ひょっとして俺が止めた方がいいのか――と迷ったものの、平戸がやや期待を込めて篠田を見ているのを確認し、とりあえず黙っておくことにした。
平戸は前に「都市伝説とか怪談とか結構好き」みたいなことを言ってた記憶もあるし、ここは篠田に任せよう。
「なぁシノ、誰に電話?」
「ん、ラギだよ、ラギ。
「えぇと……あの、ロン毛でメガネで背が高い?」
「そうそう。あいつの持ちネタはマジでやべぇからな。覚悟しとけよ」
フザケた口調に、ほんのりキレ気味な感情を混ぜて、篠田は伊庭を指差す。
もう余計なこと言うなよ、という俺の祈りも
「マージすか! さっきの大冒険よりやべぇの来るなら、替えの腹筋とか用意しとかないとマズい説あるじゃないすか、ぶっちゃけた感じ」
「伊庭くん、そういうのはあんまり、ね?」
「なぁに言っちゃってんすかぁ、平戸さん! そうやってね、みんなして甘やかすもんだから、だーかーら篠田パイセンも、クッソゆるいネタでドヤ顔してくるんすよ!」
なぁ、と隣に座る小谷の肩をポンと叩いて言うと、伊庭は盛大なゲップの音を響かせた。
同意を求められた小谷は完全に貰い事故に遭った雰囲気で、硬い笑顔を作って「はぁ」とか「まぁ」とか
このまま伊庭を野放しにしておくと、篠田がマジギレして取り返しのつかない状況に雪崩れ込みかねない。
「んじゃ、まぁ……桂木君を待つ間、伊庭に一ネタお願いしようか」
「はぁ? 何でそうなるんすか」
「あんなゴリゴリにダメ出しするんだし、お前なら面白いネタ持ってんじゃねえの?」
「いやいや、オレは基本ツッコミ芸じゃないすか。怪談自体は色々知ってるんすけどね、語るとなるとまた必要な技術が違ってくるっていうか……わかんないっすかねぇ」
「わかんねぇよ」
うるせぇボケ、とフルスイングで
誰かの話の粗に気付いたら素早く野暮なツッコミを入れ、言い間違いや言い
「しょうがねぇな。じゃあ、俺がもう一つ行っとくか。だいぶ昔、中学の頃に聞いた話なんで、細かい部分は間違ってるかもだけど。地元で小中と一緒だった
怖いというより不気味なテイストの、友人に聞いた怪談を語り始める。
こういう場で何度か披露しているので、それなりの完成度に仕上げている自信はある。
シラケきっていた小谷と平戸も真剣に聞いているし、篠田の機嫌も多少は回復している様子だが、伊庭は相変わらずニヤニヤと
話を終えると、伊庭はゆったりとしたリズムで拍手をしながら言う。
「これはもう、怖いっつうか『上手い』っすね。だいぶ練習してんじゃないすか」
「お前なぁ……」
伊庭のナメくさった口振りに、篠田がまた眉間に深々とシワを刻む。
僅かながらも温め直した空気が、また急速冷却されていく。
「やー、話としては綺麗にまとまってんすけどね、あんま綺麗にまとまっちゃってると、それはそれでフィクション感が出てくるじゃないすか、こうジワッとモワッと」
ジワッとモワッと、を表現しているらしいウネウネした手の動きを見せつつ、伊庭はしたり顔で評論する。
大して酔っ払っているでもないし、このしゃらくさい態度こそが素なのかもしれない。
やっぱり付き合い方を考え直した方がいいな、と決意を新たにしていたところで、部屋にチャイムの音が響いた。
「おっ、ラギだな」
仏頂面から笑顔に切り替えた篠田が、素早く反応して玄関へと向かう。
そして、見覚えのある長身の男だけが部屋に入ってきた。
「どうも、初めましてー」
「はいはい、桂木です」
「私らは前にも会ってるよね?」
「ですね。確か、どっかの川か湖でやったBBQ」
挨拶をしてくる小谷と平戸に、丁寧だけど堅苦しくはない感じに応答する桂木。
俺が小さく
伊庭は何を考えているのか、黙ってジッと桂木を見据えていた。
またウザい言動をカマす気配があるんで、軽く釘を刺しておいた方がよさそうだ。
「伊庭、桂木君は初対面の先輩だからな」
「え、急に何なんすか。年上の人らには、大体ちゃんと敬語じゃないすか」
そりゃバイト敬語なんだよ、とツッコもうとするが桂木が後を引き受ける。
「伊庭君ね、よろしく。飲んでるんだし、色々と適当でいいよ」
「……どもっす」
柔らかく笑う桂木に、伊庭は出端を挫かれた感じになっている。
遅れて戻ってきた篠田は、手にしていたビールのロング缶と、正方形のクッションを桂木に手渡して言う。
「んじゃ、ラギ。来てから早々に悪いんだけどさ、あの話してくれよ」
「あれなぁ……あんま気が進まないんだけど」
「まぁ、そう言うのもわかっけど、いっちょ頼むよ。誰とは言わねぇけど、ガチな怪談をしろってうるせぇのがいるから」
名指しはされないが指差された伊庭は「やれやれ」と言いたげに溜息を吐く。
「うるさいって言われても、めっちゃガバガバな話を聞かされたら、ツッコミ入れとくのが礼儀じゃないすか? 逆に」
「どれの逆がそれなんだよ」
俺も礼儀としてツッコんでおくが、伊庭はヘラヘラするだけで流してくる。
こういう態度も見慣れてはいるが、改めて考えると中々のダメさだ。
会話に加わってこない女性陣も、呆れと苦笑いの混合物を顔に貼り付けている。
短いやりとりで大体のことを察したらしい桂木は、クッションに腰を下ろすと手にしていた缶を開け、一口飲んでから静かに話し始めた。
「これは、僕が高校時代に付き合ってた彼女の話なんだけどね。その子の叔母さん、母親の妹が地元で開催されたフリマで銀のネックレスを――」
『ヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイ』
唐突に電子音が結構な音量で鳴り、俺を含めた皆が大声で反応する。
「ぶふっ!」
「ンヒァッ!」
「うぉあっはぁ!」
「な、何のっ?」
「おいおいおいおい!」
『ヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイ』
音はしつこく鳴り続けている。
聞こえ方からして、発生源は外だろうか。
篠田が玄関に向かったので、俺はベランダから外を確認する。
どうやら、車の防犯装置が起動しているようだ。
「防犯ブザーみたいだな、車の」
「車泥棒、ですか?」
「そういう雰囲気でもないし、誤作動じゃね」
様子を見て戻ってきた篠田は、驚きすぎたのか少し顔色が悪くなっている小谷に、軽い調子で答えている。
どんなタイミングだよ、と思っていると電子音が止まった。
持ち主が異変に気付いて、装置を停止させたのだろう。
「ンンッ……じゃあ、気を取り直して続きを」
「その、叔母さんがフリマで買ったネックレスなんだけど、家に帰って袋から出してみると、チェーンに見覚えのない指輪が――」
『ペケペケペケ、ペッペッペッ、ペケペケペケ、ペッペッペッ、ペケペケペケ』
「はっ?」
「えっ、何これ」
「スマホ? 誰のだ」
ガラケーの着信音みたいな、音の数が少ないメロディが流れた。
さっきのような悲鳴は上がらないが、軽くはない動揺が広がる。
『ペッペッペッ、ペケペケペケ、ペッペッペッ、ペケペケペケ、ペッペッペッ』
「いやいや、マジでいいっすから、こういうの」
唇を歪めて笑い、伊庭が桂木にヒラヒラと手を振った。
桂木の方は、気分を害した風でもなく小さく首を傾げる。
「どうせ何回も使ってる、お決まりのネタなんすよね? 誰かのスマホから、この変な曲が流れてるってオチ、ちょっとバレバレでリアクションもムズいっすわ。もしかすると、駐車場で防犯ブザーが鳴り始めたのも、実は仕込みだった説ないっすか?」
『ペケペケペケ、ペッペッペッ、ペケペケペケ、ペッペッペッ、ペケペケペケ』
伊庭の放言で、室内は「また始まったよ」というシラケた空気に塗り替わっていく。
いっぺんマジギレしとくか、と思っていると、伊庭の隣に座っている小谷が「あれっ」と声を出す。
「ねぇ、これ……伊庭君のスマホから、じゃないの」
「はぁ? こんな着信音に設定してないし、そもそもバイブしか――」
言いながら取り出した伊庭のスマホは、着信音を流しながら画面を光らせている。
近付いて覗き込むと、相手の番号や登録名はなく『通知不可能』と表示されていた。
「……出ねぇのか」
「出ない……っすよね? この、こんな……ワケわかんない、電話」
伊庭の操作で、スマホからの音は止まった。
誰も何も喋ろうとせず、変な緊張感のある
疑問と不安が頭に渦巻いて、酔いが急速に醒めつつある。
さっきの車の警報といい、今のスマホの着信といい、これはまるで――
「こんな感じでな、ラギがこの話をしようとすると、いつも妙なことが起きんだよ」
「え……本物じゃん」
「だから、ガチだって言ったろ」
ビビリながらも、そこはかとなく嬉しそうな平戸に、篠田が自慢げに言い放つ。
何で篠田が偉そうなんだ、と思いながら語り手の様子を伺う。
桂木は困ったような薄い苦笑を浮かべ、ゆっくりとビールを飲んでいる。
そんな桂木に「あのっ」と声をかけるのは、顔色の白くなった小谷だ。
「これを聞いちゃって、それで……呪われたりとか、そういうのは」
「僕が普通に生きてるし。語ろうとすると色々と起きるだけで、聞いた人に何かあったってのは今迄ないよ。なぁ篠田?」
「ああ。この話を聞くのは三回目だけど、聞いてる最中以外は何もないな。ついでに、最後まで聞けたこともない」
桂木と篠田の言葉に、ホウッと大きく息を吐く小谷。
本格的にヤバいネタをオチにして、怪談の流れは終わりそうだった。
なのに、伊庭の阿呆がまた余計なことを言う暴挙に出る。
「まぁ、その、アレっすよ。もしガチだってんなら、最後まで聞いたらマジモンでやべぇの、起こんじゃないすか? ここまで来たら、ワンチャンそれ狙うべきじゃないすか?」
「ええぇ……」
「ここまでの二回で、もうお腹一杯感あるけど」
小谷と俺は、やや否定的な態度で応じる。
「私は話の続きを知りたい、かな」
「今日こそ最後まで聞いてみたいわ、俺も」
平戸と篠田はノリ気なので、多数決ならば三対二で聞きたい派が勝っている。
皆のリアクションを確認した桂木は、手にしていたビールを置いて話を再開した。
「指輪は少し歪んでるし細かい傷だらけだし、色合いもくすんでたんだけど、材質がどうも金っぽい。オマケにしては高価すぎるから、返した方がいいかもって考えたらしい。でも、フリマで買ったんで連絡先もわからない。どうしようかな、って思いながらもどうしようもなくて、放置したまま二週間くらい経ったある日、電車の中で誰かに背中を――」
『ッパァン!』
いきなりの破裂音と同時に、部屋の明かりが消えた。
「――――――――――――――――っ!」
表記不能の叫び声と
小谷がガン泣きして過呼吸になりかけたり、伊庭が一人で騒ぎ回った挙句に大量のゲロを吐いたり、キレた隣人に結構な勢いで怒鳴り込まれたりを経て、パニック状態はどうにか収束されたが、場の状況は物理的にも精神的にも回復不能の有様だ。
終電まで余裕もあるので解散の流れになり、俺は帰りの方向が同じだった桂木と一緒に駅へと向かった。
黙って歩くのも気詰まりで何か言おうとするが、出せそうな話題といえばどうしても篠田宅で遭遇した怪現象のことになる。
どうしたモンかな、と思っていると桂木の方から声をかけてきた。
「何かゴメン。変な感じになって」
「や、驚いたは驚いたけど……こうなるの知ってて頼んだ篠田が悪い」
「それは間違いない」
苦笑する桂木に、疑問だった点を訊いてみる。
「口に出して語るのが無理だったら、文字で書いたり打ったりして読ませるのは」
「どうやっても上手くいかないんだ。形として残そうとすると、100%失敗する」
そんな馬鹿な、と反射的に言いかける。
しかし、警報音と着信音と破裂音の三連発を体験した後だと、もう信じるしかない。
二本まとめて破裂した、LEDライトの焦げたニオイが鼻の奥に蘇る。
「じゃあ、アレだ。あの話のフルバージョンを知りたかったら、桂木君の元カノさんから聞くしかないのか」
俺がフザケた調子で言うと、桂木はあからさまに作った笑顔を向けてくる。
「それはちょっと、無理じゃないかな」
「どうして」
「僕の話を邪魔してるの……あの子なんだよね、多分」
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