第75話 妹DVD

 趣味というほどではないが、知らないミュージシャンの投売り中古CDをまとめ買いする、というのをここ十年ほど続けている。

 大体月イチのペースで、予算は千円ぐらい。

 ジャケットを眺めてピンと来たら、値段だけ確認してホイホイと買ってしまう。


 ジャンルがわからなくてもドンと来いだし、危険な気配を漂わせたバンド名やアルバムタイトルだと、むしろテンションが上がる。

 家に帰って聴いてみると、大体は特価にも納得のどうしょうもないシロモノだ。

 しかし、普通に生活していたらまず耳にしない珍妙な曲との出会いは、己の感性にイイ具合の刺激を与えてくれる――ような気がしなくもない。


 今回も七枚購入し、読書のBGMとしてダラダラと流している。

 一枚目は、数年前に発売されたらしいエレクトロニカ系の何か。

 難しいことをやっている雰囲気だが、とにかく曲調がワンパターンで退屈。

 二枚目は、ストレートにポップな曲を演奏している日本のバンド。

 これといって難点はないが美点もないので、もう二度と聴かないだろう。


 やっぱり売れないのはそれなりに理由があるな、と思いつつ次のCDに手を伸ばす。

 フランス語なのかスペイン語なのか、アルファベットだけど何と書いてあるのかわからない。

 安っぽい紙質で印刷の粗いジャケットには、何を表現したいのかサッパリなゴチャッとしたイラストが描かれている。

 ケースを開いてディスクを取り出そうとするが、目にしたものに違和感がある。


「んん?」


 何も印刷されていない、白いCD‐R――いや、DVD‐Rだ。

 表面に黒ペンの下手な字で『妹』と書いてあり、その横に六個の数字が並んでいた。

 これが日付だとすると大体五年前なんだが、それはそれとして。


「何だ、こりゃ」


 小さく呟きながら、DVDを手にとって裏返してみる。

 記録面の状態からして、何かしらのデータを入れてある様子だ。

 こいつはきっと、ディスクが入れ替わってるな。

 元の持ち主が間違えたままで手放して、店員のチェックもすり抜けて棚に並んでしまったのだろう。

 

 こうなると、気になってくるのは中身だ。

 このまま捨ててしまうのが最も無難なのだろうが、湧き上がる好奇心がそれを許してくれない。

 ぶっちゃけ、エロ動画が入っている気配があるので、ちょっと確認してみたい。

 しかし自宅でこれを再生できる機器は、仕事でも使っているPCだけだ。

 もしウイルスでも仕込まれていたら、かなり笑えない事態に陥ってしまう。


「どうしたモンかな……」


 なるべくリスクのない方法を考えた結果、駅前のネットカフェにDVDを持ち込んでみる、という方向性に固まった。

 入会やら何やらの手続きを済ませて個室に入り、早速ディスクの再生を開始する。

 これで読み込めなかったらマヌケすぎるな――そんな不安がチラッと過ぎるが、ディスプレイには無事にフォルダが開かれた。


 入っていたのは動画が一本。

 収録時間は三十分弱。

 サムネイルには髪の長い人物の後姿が映っている。


 これは想像通りというか期待通りというか、そういう感じじゃなかろうか。

 変な具合にテンションが高まるのを自覚しつつ、ヘッドホンを装着してから動画ファイルをダブルクリックする。

 スムーズにウィンドウが開き、カメラに背を向けて歩く女性の姿が目に入った。


 色の調整をミスっているのか照明が強いのか、画面はやや白っぽい。

 部屋着らしいラフな格好の女は、ベッドに腰掛けるとスマホをいじり始める。

 画質も良くないのでハッキリわからないが、だいぶ若そうな印象だ。

 もし未成年ならば、ここからの展開次第では単純所持だけでアウトになりかねない。


 BGMはなく、小さな衣擦きぬずれの音と、外を通る車の排気音が聞こえるだけ。

 女はカメラに目を向けず、カメラも最初の位置から動かない。

 高い場所に仕掛けてあるのか、部屋を斜め上から見下ろすアングルになっている。

 そういう演出の可能性もあるが、盗撮映像を思わせる雰囲気だ。


 予想したよりヤバそうなのが出てきたな。

 覗き見という犯罪行為を更に覗き見る、そんな行為に複雑な興奮を味わいながら画面を注視する。

 部屋はシンプルで片付いているが、生活感に乏しいとも言える。

 いかにもAV撮影用っぽい、わざとらしさみたいなものは伝わってこないが――そんなことを考えていると、女は誰かに電話をかけたらしくスマホを耳元に持っていく。


『あっ、さっきのアレ……そうそう、そうなんだけど、もうちょいね……うん、詳しく聞いてほしくて』


 相手の声は聞こえないが、口調や声の調子からして友人や彼氏あたりだろうか。

 画面に映っている女の発言しかわからないし、話題がアチコチに飛ぶので把握しづらかったが、主な用件は「身近にいる変なヤツに悩まされている」ことらしい。

 エロい展開に進んでいく様子はないが、そういうこととは関係ナシに気になる内容になってきたので、そのまま再生を続ける。


『んー、でもさぁ「ブブッ」君も、コッチに迷惑をかけたくてやってるんじゃないっていうか……「ガリガリッ、ギィーーーープッ」とかもね、そうじゃない? あー、うん……「キュキュ、ザッザザッガリガリッザッザザザ」もあったね』


『いやまぁ、ね。「ピキュゥウウ」ちゃんも言ってたけど……うん、だよね。あの「ザリリッ」君の、ああいう……「ジャァアアアアアァアアアァアアアアァ」はホントにヤバいんだけど。どうして「ガリガリガリガリガリ」なんだろ』


『違う違う「ビビビ、ビッ、ビギギギギギィギギギ」は、あたしも驚いたけどさ。それよりも「ザザザッ」でしょ。あの子……そう、それ。「ザリザリザリザリザリザリザリ」からずっと、休みっぱなしで……「ジャジャッ」、何か聞いてないの?』


 やはり、ノイズの入り方がおかしい。

 どうも人の名前や、話の中心となっている誰かの具体的な行動を口にすると、それを掻き消すように雑音が生じて、それと同時に画面が乱れる。

 狙い澄ましたように、一部分だけを的確に聞き取れなくしていた。


 元からこうだったのか、後から手を加えたのか。

 加工されているなら、そこにどういう意図があるのだろう。

 そんなことを考えつつ眺めていると、また映像がブレて甲高い音が弾ける。


「うぉうっ」


 鼓膜に突き刺さるタイプの大きな音に、呻きながらヘッドホンをもぎ取る。

 その勢いでマウスを吹っ飛ばしてしまうが、ぶつかった拍子にボタンが押されたようで、画面はノイズの発生している最中で一時停止していた。

 色がなくなり、黒い横線が大量に走っている。

 その下に、楕円形だえんけいのボヤけた何かがいくつか見える。


 ブロックノイズならわかるけど、丸いってのは何なんだ。

 シークバーを少し巻き戻し、スローで再生してみる。

 画面が白黒になって乱れ、何本もの横線が上下に忙しく移動し、小さな点が膨らんでいく。

 点は輪になり、輪は楕円形に広がり、そこに凹凸おうとつが生じて像を結ぶ。


 人の顔だった。


 妙につるんとした、どういう感情なのか判断しづらい、口の端を吊り上げた、モノトーンで年齢不詳な男。

 同じ顔が次から次に、浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返して――


「ほぁああああっ!」


 何を見たのか認識した瞬間、悲鳴を上げてキャスターつきの椅子ごと背後に飛ぶ。

 背中に衝撃を受けるのとほぼ同時に、隣の客から壁を強めに殴られた。

 その音で多少落ち着きを取り戻し、もう一度PCに向き直る。

 昔ネットで流行った、ビックリ系のフラッシュみたいな、そんな。

 きっとそうに違いないと思いつつ、繰り返し深呼吸をしてマウスを握る。


 これは作り物、単なるフェイク、悪質なイタズラ。

 心の中で自分に言い聞かせ、動揺を捻じ伏せて映像を再確認する。

 ノイズが入る箇所で停止し、スロー再生で何が映っているかを見ていく。

 ただ画像が乱れているだけのこともあれば、小さな右手がグーパーを繰り返していたり、さっきの男の顔が浮かんで消えたりと、パターンは様々だ。

 

 文字列らしきものが右から左へ、まるで動画サイトの弾幕のように流れることもあったが、字が滲んでボケていて読むことができない。

 この動画は一体、どういう意味があるものなのか。

 残り数分のところまで来たし、とりあえず最後まで見てみるか、と通常速度での再生を始めようとすると――


『トゥルルルルルルル』

「もぁあああぅん!」


 つい奇声を発してしまった。

 壁に設置されているインターホンが、不意に低く音を発した。

 どんなタイミングで鳴るんだよ、っていうかコレ注文に使うだけじゃないのか。

 五コールほど待っても止まらないので、意を決して受話器を手にする。


「……はい?」

『あー、すみません。あの、他のお客様からの、えー、何人かの方からですね、そちらの音量や笑い声が大きい、という相談が入ってましてー』

「あっ……はいはい。気をつけます」

『よろしくお願いしますー。それでは引き続き、ごゆっくりどうぞー』


 そこはかとない違和感があったが、このタイミングで追い出されても困るので、下手したてに出て早々に店員との話を終わらせる。

 受話器を戻すと、掌がじっとりと湿っていることに気付く。

 それをジーンズの尻で拭い、改めてディスプレイに目を向けると、場面が切り替わり静止画に字幕がついた映像になっていた。


「おっと」

 

 慌ててヘッドホンを装着し、画面に集中する。

 映っているのは動画の女性と同一人物らしい。

 デジカメやスマホで撮られたと思しき、制服姿で硬い表情のスナップ写真だ。

 背景はどこかの家の前っぽいが、ボケていて色合いぐらいしかわからない。


 十六歳、身長一六二センチ、体重五五キロ、髪色は黒、左耳にピアス穴。

 そんな個人情報がテロップで表示されている。

 名前も書いてあるようだが、漢字が潰れていてキチンと読めない。

 何とか原という二文字の姓と、綾か絢か純か紬か、糸偏で一文字の名前だ。


『彼女を、見かけた、話した、会った、などの、情報が、あれば……こちら、まで、ご連絡、ください……どんな、小さな、ことでも、かまいま、せん』

 

 合成音と棒読みの中間みたいな、変なイントネーションの声が流れる。

 そしてサイトのURLらしき文字列と、見慣れない市外局番の電話番号らしき数列が表示され、十秒ほど経ってから動画は終了した。

 

「くっ、ふぅうううううぅ……」


 詰まり気味の溜息を吐き、体重を背もたれに預ける。

 ここに映っていた女性が行方不明になっている、ということなのだろうか。

 それで、消えた理由とノイズだらけの盗撮っぽい映像が関係している。

 多分、乱れた画面に浮かんできた、あの「つるんとした顔」とも関わりがある。

 だとしても、コチラにどうしろというのか――


 これ以上は踏み込まない方がいい気もしたが、ここで止めるのも半端がすぎる。

 とりあえず、最後に出てきたサイトにアクセスしてみるか。

 もう一回再生しようと、動画ファイルをクリックする。

 しかしプレイヤーは起動せず、画面がブラックアウトしたかと思うと、ガチャガチャとしたノイズが全体を占領した。


 予期せぬ挙動に固まっていると、あの「つるんとした顔」が半秒だけ大写しになってから消え、PCは「チュルルルルル」と怪音を響かせた後にまた黒一色になる。

 こういう場合は自分で色々しようとせず、店員に報せた方がいいんだろうか。

 どうするべきか迷っていると画面が回復し、どこにも触れていないのにディスクトレイが開いた。


「あっつ!」


 反射的にDVDに手を伸ばすと、指先に焼ける感覚があって思わず取り落としてしまう。

 室内にあったダスターを使って摘み上げると、ディスクが緩く湾曲わんきょくして盤面のアチコチが泡立っている。

 まるでバーナーであぶられたかの如き状態で、パッと見で再生不能になっているのが理解できた。


「えぇええええ……」


 もう何が何だかわからない。

 自分はどうするべきなのか、しばらく考えた末に「全部なかったことにする」と決めた。

 トロけたDVDは持ち帰りたくなかったので、トイレのゴミ箱に突っ込んでおく。

 色々と気になる点だらけだが、きっとここが最終ラインなのだろう。

 この先に行こうとすれば、指先だけじゃない大ヤケドが待っている予感がある。


 料金の支払いを済ませて店を出ると、どこにも寄り道せずに真っ直ぐ自宅へと戻った。

 今日の出来事は全て忘れてしまおう――としたのだが、フとした瞬間に映像や音声が脳裡のうりに浮かんでくる。

 強めの酒を飲んで気分転換を試みても、こんな時に限って飲むほどに意識が冴え、夜中になっても全然眠気がやって来ない。


 こういう時は、とにかく楽しげなモノで中和するべきだろう。

 手持ちの映像ソフトをザッと眺め、もう十回以上は観ている馬鹿コメディを選んだ。

 変な緊張感が残っているせいでどうにも笑えないが、テンポのいいギャグの連発を眺めている内に段々と気持ちは落ち着いてきた。


 だが三十分ほど話が進んだところで、耳障りな異音がして画像が乱れる。

 更に五分後、そのまた五分後にもノイズが混ざってきた。

 気のせいとか偶然とか、そういう言葉を用意してはみたが、とてもじゃないが自分を騙せそうにない。


 これも無理矢理に、なかったことにするべきだろうか。

 それともスロー再生で、ノイズの中に何が映っているか確かめるべきだろうか。

 ヘッドホンを外し、意味もなく立ったり座ったりしていると、「ピンポーン」とチャイムが鳴って中腰で急停止させられた。


「げぇぇぇ、うっふぁ」


 よくわからない変な音が、咽喉のどを擦り抜けて無意識に漏れる。

 数秒置いてもう一度鳴り、もう数秒置いて今度は「ピポピポーン」と連打され、やっと動けるようになったので、玄関へと摺足すりあしでゆっくり移動する。

 その間にも、チャイムは繰り返し鳴らされる。

 ここ数年で最も派手に跳ねる心臓を胸の上から右手で押さえ、震える右手でインターホンの受話器を外した。


「……誰、だ?」

『ハマノだよ、隣の。ていうかアンタらさぁ、今何時だと思ってんだよ!』

「は? え?」

『うるっせぇんだよ、マジで! 何を長々とゲラゲラ笑ってんの? 誰か呼ぶのはいいけどさぁ、時間とか声のデカさとか、常識の範囲で頼むよ! おい!』

「いや、あの――」


 一頻ひとしきまくし立てると、ハマノはこちらに何も言わせずに話を打ち切り、不機嫌そうな足音を響かせて帰って行った。

 短い放心の後で受話器を戻し、誰もいないはずのリビングに目を向ける。

 怪しい気配もなければ、不審な物音もしない。

 なのに、どうしてもこの場を動けそうにない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る