第76話 天然由来の成分

 いつから始まったのか、わからないし覚えていない。

 気がつくと、おでこにカサついた赤みがあった。

 前にも似たような症状が出たことあったし、ちょっと目立つ肌荒れだろう。

 そう思って、いつもより念入りに化粧水を使った。


 けれど一週間ほど経っても治まらず、赤色が濃くなって範囲も広がり、熱とかゆみを伴い始めていた。

 ファンデーションで隠し切れなくなって、同僚に「どうしたの、それ」と指差しながら訊かれるようになってしまった。

 それから三日後には、左手の甲にも赤みと痒みを感じるようになった。

 

 ドラッグストアで買ってきた塗り薬は、まったく効いている様子がない。

 まだ変色はしていないが、おへその周りにもカサつきと痒みを感じ始めている。

 これはちょっと、本格的にマズいのかもしれない。

 鏡の中の青褪あおざめた顔と赤痣あかあざめいた変色を眺め、医者に診てもらう決心をした。


 ネットで検索してみたら、最寄り駅の近くにイイ感じの皮膚科ひふかを見つけた。

 午後の診療時間が長く、残業がなければ仕事の後でも通えそうだし、女医が診てくれるので女性でも行きやすい、との口コミも複数ある。

 近場の他の病院と比べてみても、その『イナバクリニック』を選ばない理由がなかったので、早速予約を入れて翌日に訪れてみた。


 クリニックは思ったより小規模だったが、私を診てくれた四十手前くらいの医者は、温和な雰囲気をまとった小柄で小太りの女性で、こちらの不安を落ち着かせてくれる頼もしさがあった。

 ちょっと早口だが明るくハキハキした喋りからも、仕事への自信が伝わってくる。

 名前が稲葉いなばでも因幡いなばでもなく、笹岡ささおかだというのが少し気になったが。


「菌が見つからないから、皮膚病じゃないね」


 問診の後、肌が荒れた箇所の皮膚片をピンセットで採取し、顕微鏡けんびきょうで調べるなどの検査をした後、先生はそう告げてきた。


「と、いうと……どういう?」

「そんな心配する必要ない、ってこと。ストレスと生活習慣の乱れとビタミン不足が重なったせいで、それぞれが原因で起こる肌荒れがね、ちょっと派手に出ただけ」

「はぁ、そういうこともあるんですか」

「あるのよ。まぁ、よく効くお薬出しとくんで、説明書きの通りに使ってみて」

「あっ、ありがとうございます」


 よく効く、というところを強調した先生の物言いには、疑いを差し挟ませない雰囲気があった。

 病院の受付で渡されたのはフタが赤い軟膏タイプの塗り薬で、基本は朝晩の二回でその他に痒みを感じた時に使用、との説明が薬袋に手書きされていた。


 祈るような気持ちで使い始めた薬だが、二日目には痒みが治まり五日目には赤みが薄れる、という期待以上の効果を発揮した。

 一週間後に再びクリニックに赴いて経過を診てもらうと、笹岡先生は「順調だね。この調子で続けよう」と言って、また同じ薬を出してくれる。

 これならすぐに完治するだろうな、と安心していたのだが――


「うーん……お薬、サボらずに使ってる?」

「ちゃんと朝と夜に、塗ってるんですけど……」


 眉をひそめて訊いてくる先生に、小声でもって応じる。

 薬の効き目で治まりかけていた症状が不意にぶり返し、消えかけていたハズの患部は大きく広がっていた。

 先生の説明によると、一時的に悪化したように思えるのは時々あって、治療を続けていれば遠からず回復するとのことだが、そんな悠長に構えてもいられない。


「でも仕事もあるんで、この状態だとちょっと……」

「だったら、別のお薬に変えてみようか。完治までは長引くかもしれないけど、即効性はあるから」

「はい……よろしくお願いします」


 不機嫌さを滲ませた先生の態度に、若干の納得いかなさを感じなくもない。

 しかし、抗議しても変な空気になるだけだろうから飲み込んで、新たに処方されたフタが青い軟膏を受け取って帰宅する。

 今回は塗り薬の他にカプセルの内服薬が出ていて、これは毎食後に一錠を飲むように指示されていた。


 内と外からの治療はいかにも効果的な雰囲気があり、実際にボロボロになっていた肌は数日の内に回復していった。

 しかし、代わりに別の困った症状が現れる。

 それは端的に言えば体臭の悪化と慢性の下痢なのだが、香水や消臭デオドラントを突き抜けてくる化学兵器めいた刺激臭と、三十分に一度はトイレに行かざるをえない体調は、日常生活を困難にしていた。


 薬を使わなくなると体臭と腹痛は治まったが、今度は肌荒れが激化してケロイド状になり、更には水疱すいほう血豆ちまめが次々に浮き出てくる。

 とてもじゃないが出勤など無理な外見になってしまい、会社を休んでクリニックに緊急で診てもらえるように予約の電話を入れたのだが、通話を切った後でどうにもならない不安が湧いてくる。


 このまま笹岡の言葉を信じて、本当に問題ないのだろうか。

 もし診察や処方が間違っていたら、この先もっと酷いことになるんじゃないか。

 そもそも、ここまで症状が悪化したのは、笹岡が何かミスをしたんじゃないか。

 疑い始めると何もかもが怪しく思えてくるし、不自然だった気もしてくる。

 行くか行かないかでしばらく迷っていると、フッと別の選択肢がひらめいた。


「セカンド、オピニオン」


 前にTVでやっていた健康番組で、そんなのを見たことがある。

 複数の病院で診てもらえば、より正確な病状がわかるし誤診の可能性も減る。

 そうだ、今のクリニックが怪しいなら、別の病院に行ってみればいいじゃないか。

 すぐに予約キャンセルの連絡をすると、近場にある別の病院をスマホで検索した。


「薬効が強すぎて、副作用が出てますね」


 セカンドとして選んだ『すずらん皮フ科』では、症状を一目見るなりそう断言された。

 三十そこそこの、スポーツ選手のようなガッチリした体格を持つ男の医者――村本先生は、明快な口調で薬の危険性を説明してくる。

 やっぱりおかしかったのか、と変な感動を覚えながら話を聞いていると、軟膏を調べていた村本が真剣な眼差しになって質問をぶつけてきた。


「これ、どこで手に入れました?」

「どこって……通ってる『イナバクリニック』ですけど」

「イナバさんが? いや、でもこんなの出すかなぁ……」


 使っている薬を持ってくるように言われ、笹岡に処方してもらったものを一通り持ってきていたのだが、随分とヤバいシロモノだったようだ。

 村本から「イナバさんで出された薬はもう使わないように」と釘を刺され、緑のフタの軟膏を新たに処方された。


 今度こそ大丈夫だろう、とは思ったが念には念を入れ、その日の内に別の病院でも診てもらうことにした。

 サードとして選んだ『長野医院』では、七十近いであろうお爺さんの医者が対応してくれたが、この先生から言われたのもやはり「薬が強すぎる」だった。


「強すぎ、ですか」

「んー、詳しく調べてみないと正確なことは言えんがね。とにかく、今の薬を使うのはやめなさい。ここまで酷くなるなんて、普通ならありえんよ」


 キッパリと断言した先生は、私が持参した軟膏に冷たい眼を向ける。

 詳しく調べてみたい、というので軟膏と飲み薬を預けると、ここでも別の軟膏を処方された。

 帰宅してから『すずらん皮フ科』で貰った薬まで渡してしまったのに気付くが、二種類同時ってのも何だしまぁいいか、と判断して『長野医院』の薬を使うことにした。


 その後、破壊的だった肌の荒れは緩やかにではあるが回復し、二週間ほどで『イナバクリニック』に通う直前レベルまで戻った。

 在宅で仕事はしていたものの、上司からの「サッサと治して会社に来い」プレッシャーも中々にキツかったので、やっと人前にギリ出られる程度になったのは素直に嬉しい。

 

 半月ぐらい経ったらまた来るように、との指示に従って『長野医院』を再訪すると、先生は「この調子なら二ヵ月後には完治する」と請け負ってくれた。

 食事や睡眠についての指導を受けていたら、以前に使っていた薬についての話が出てきたので、アレはどういうものだったのか訊いてみる。


「あぁ、アレな。あんたの症状からして予想はしてたんだが、やっぱりとんでもないモンだった」 

「それは……どんな意味で、ですか?」

「とにかく強すぎ、濃すぎ。言ってみりゃ、牛とか馬に使う分量を人に使ってるような、そんなデタラメさだ。特に青いフタの薬、こいつを出したのはホントに医者かね?」


 キレ気味に言いつのられ、どう応じていいのかわからずに苦笑を返す。

 眉間に皺を刻んだ先生は、手にした書類をパラパラめくりながらかぶりを振り、大きく溜息を吐く。


「飲み薬の方もおかしくてなぁ……植物用の栄養剤みたいなのと、ビタミン剤と胃薬と乳糖が混ぜてあって、どういう効果を出したいのかまるでわからん」

「うぇ? 何ですか、それ?」

「いやぁ、何なんだろうなぁ。毒じゃあないが、薬とも言えん。控えめに言って無意味だよ、無意味」

「はぁ、そうなんですか……」


 あの『イナバクリニック』の笹岡は、どういう意図があってそんなのを私に。

 初対面の優しげで有能そうな雰囲気は何だったのか、と思いつつ僅かに熱を持っているひたいにそっと触れる。

 ますます渋い顔になった先生は、咳払いをしてから話を続けた。


「けどなぁ、もっと変なのはもう一つのヤツだよ。基本的には、炎症を抑える普通の薬なんだがね、入ってるハズのない成分が入ってる」

「えっ、それは怪しげな実験の産物とか、自然界には存在してない物質とか、そんなのですか?」

「いやいや、そういう変さではなく……ちょっと言いづらい、人体に由来するものだ」


 白い軟膏に混ぜてもわからない、人体に由来するもの――

 すぐに想像がついてしまい、不快感と嫌悪感が腹の奥から立ち昇る。

 顔や体に、日に何度も、私はそんなものを塗らされていたのか。

 しかし笹岡は女性なのに、どこで材料を調達したのだろう。

 黙り込んだ私に、疲れた表情の先生が静かに告げてくる。


「もし警察に相談する場合は、私からも情報提供に協力するから。にしても、何を考えて遺灰なんてものを」

「……はい?」

「ああ、人を焼いた後の灰だよ。それがな、フタが緑の薬に混ざっとる」


 想像とは違ったものの、不気味さは猛烈に悪化している。

 緑のフタの軟膏は『すずらん皮フ科』で村本から処方されたものだ。

 どうにもならない眩暈めまいを感じつつ、目の前の老人を見つめる。

 意味不明な事態に巻き込まれて動揺する私に、「大丈夫」や「心配ない」といった言葉を掛けてくれている。


 それはそうと、この人は本当のことを言っているのだろうか。

 この医者を信じてもいい理由は、どこにあるのだろうか――

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