第67話 くさりぶつだん

「……映画、面白くなかった?」

「えっ……ううん。そんなことなかった、けど」


 けど、何なの?

 奈央なおにそう訊きたいところだが、これ以上に雰囲気を悪くするのは避けたい。

 話題の新作ホラーを観たがったのは奈央なのに、映画館を出てからずっとテンションが低いし、カフェに移動した今も生返事しかしてこない。


 知り合ってから半年ぐらい、付き合い始めて一月ちょっとで、デートらしいデートはこれが三回目。

 奈央との関係はまだお試し期間というか、互いに探り合ってるような状態にある。

 映画なら観終えた後で感想を語り合えて、間が持たなくなる状況を避けられると踏んでいたのに、こいつは思いがけない事態だ。


「もしかして、怖すぎたとか?」

「怖いってより……ビックリした、かな」

「まぁ確かに。和製ホラーなのに、海外ホラー的なサプライズ演出が多かったかも」

「あの仏壇ぶつだんのシーン、あったじゃん」


 奈央の言葉で、脳内に映像が再生される。

 映画の終盤、追われる主人公たちが逃げ込んだ薄暗い部屋。

 そこにあった古い大きな仏壇の扉が開き、そこから大量の死者が這い出てくる――


「あぁ、アレかぁ……あの展開はタイミングも見事だったし、俺もビックリしたよ」

「ああいう感じの、仏壇の中から何かが出てくるようなネタって、ホラー映画の定番だったりする?」

「んー、どうかなぁ。日本のホラーは結構な数を観てるけど、記憶にないような」


 俺がそう答えると、奈央は頬杖ほおづえをついてうつむき加減に黙り込む。

 しばらくしてから、思い出したようにカフェオレに手を伸ばすが、カップに指先が触れた状態で停止してしまった。

 三十秒くらい待ってもそのまま固まっていたので、小さく溜息を吐いてからツッコミを入れてみる。


「どうしてそんなこだわんの、仏壇に」

「ちょっと……子供の頃、色々あって」

「えっ、マジで? 仏壇から何か出てきたのを目撃?」

「見たのは私じゃなくて、妹なんだけど」


 予想外の角度から、パンチの効いた話が飛んできた。

 気になって仕方ないので続きをうながすと、初耳な家庭の事情が語られ始める。


「今はもう全然落ち着いて、ママもそういうのヤメてるから、心配しないで」


 奈央の母親は自分の母親――奈央の祖母が難病を発症したことをきっかけに、聞いたことのない新興宗教に入信して、凄い勢いでのめり込んでいったのだという。

 父親や親戚たち、それに祖母までが母親を止めたものの、まるで聞く耳を持たずにワケのわからない勉強会に通い詰め、奇跡を呼ぶ謎の霊薬やらありがたい護符やらを買わされていた。


「小学生だった私もね、何かオカシいと思ってママを止めたの」


 医者に任せるだけで自分は何もしないで、それでおばあちゃんが死んだら絶対に後悔するから――そう感情優先で言い張られてしまうと、どんな理屈も太刀打ちできなかった。

 そこまで非常識な散財をするでもなく、家族や周囲を勧誘することもなかったので、父親は母親の信仰を静観することに決めたそうだ。


「落ち着くまで様子を見る、ってパパは言ってたけど……ホントはメンド臭くなって投げたんだと思う」


 その頃の父親は家に帰らない日が増え、夫婦の会話も激減。

 祖母の病状の悪化による精神的な重圧と、教団から課せられたらしい何らかのノルマに追われ、母親は家事を放棄し徐々に意味不明な言動が増えていく。

 奈央と妹は誰かに相談もできず、最悪な家庭環境で息を潜めて暮らすハメに。


「それで、ウチにはパパの方の先祖が作らせたっていう、やたらと立派な仏壇があってね、その世話はずっとママがしてたんだけどね……」


 新興宗教にハマってから、仏壇に関しては完全ノータッチになってしまった。

 周囲が何か言っても「あなたがやればいいじゃない」と取り付く島もない。

 父親は「男の仕事じゃない」と言って何もせず、奈央は日に日に薄汚れていく仏壇が気になりつつも、余計な手出しをすると母親がブチキレそうなので何もできない。

 放置が半年近く続いたところで、奈央の妹が妙なことを言い出した。


「仏壇から人が出てくるっていうのよ、妹が」

「ああ、それでさっきの映画の話に」

「うん……ホラーでありがちな演出だったら、TVでやってたのを観て記憶がゴッチャになった可能性もあるかな、と思ったんだけど……」


 痩せた裸のオバサンだとか、時代劇に出てくるような格好の子供とか、和服姿の爺さんとか、そういった見知らぬ人たちを何度も見たという。

 そんなのはいるハズない、と両親は叱るが妹はとにかく怖がって、仏壇のあるリビングに入るのも嫌がるようになる。

 奈央が説得してもどうにもならず、妹の怯えぶりは日に日に悪化していった。


「あの頃の妹は小三だったし、怪談やホラーが好きってこともなかったから、霊感少女を演じてたってのも考え難いんだよね」

「なら、ホントに変なのを見てたのか……で、そんなことがあっても仏壇はそのまま?」

「とにかく妹が怖がるんで、パパが『だったら、外に出てこれないようにすればいい』とか言い出して」


 父親は鎖と南京錠を用意すると、仏壇をグルグル巻きにして鍵をかけ、どうやっても開かないように封印する乱暴な手段に出た。

 本能的に「とんでもなく間違ったことをしている」と感じていた奈央だったが、他の対処法も思いつかなかったので何もコメントしなかったらしい。

 母親は仏壇の存在を無視していたし、妹も変なものを見たと言わなくなったので、これで一応は解決したかに思われたのだが――


「今度は、私がちょっと」


 怪現象らしきものに遭遇したのだ、と奈央は語る。

 仏壇の封印騒動から半月ほど後、夜中にトイレに行きたくなってリビングの前を通ると、部屋から盛りのついた猫の唸り声みたいな物音がする。

 足を止めて耳を澄ませると、それは明らかに気のせいではない存在感を放っていた。


 無視もできなかったので、思い切ってドアを開けて電気を点けてみたのだが、何もないし誰もいない。

 そして唸り声が消えた代わりに、どこからともなく「カタカタカタカタ」と、何か硬いものが振動しているような音が聞こえてきた。


「どこが出所でどころなのか、調べようかとも思ったんだけど……どうにも嫌な予感がしてね」

「まぁ、流れ的に完全にヤバいの見ちゃうパターンだ。そういえば妹さん、その後は大丈夫だったの?」


 気になっていた点を確認してみると、奈央の表情が急速に渋くなる。

 どうやら仏壇は妹の心に恐怖の対象として居座ってしまったようで、自分のおやつの半分くらいを毎日お供え物にすることを続けていたらしい。

 止めるに止められず、奈央は妹の行動を放置していたのだが、やがて不可解な状況が起きていると気付いてしまった。


「妹がお供えにしたお菓子とか果物がね、いつの間にか消えてるの」

「それは……妹さんが食べたとか、お母さんが片付けたとかでは」

「きっとそういうことだと、私も思ってたんだけどね……」


 仏壇を封印してから二ヶ月近くが経ったある日、母親がヒステリーを大爆発させた。

 引火の原因は、立て続けにかかってきた父方の親戚からの電話だ。

 長々と要領を得ない説教をされたり、一方的に怒鳴り散らされたり、挨拶の後は無言で延々と溜息を吐かれたりと、イヤガラセのような電話が次から次にかかってきて、三時間近くそんなことに付き合わされたのだという。


 親戚中で申し合わせて自分を吊るし上げたんだろう、と電話してきた相手の名前を並べてキレ散らかす母親だったが、詰め寄られた父親は「何を言ってるんだお前は」という感じの曖昧な表情を崩さない。

 何かがおかしい、と察した奈央が父親に確かめてみると、予想外な言葉を口にした。


『ウチに電話してきたっていう、その親戚たち……みんな死んでるぞ』


「いやいやいや……マジで?」

「マジだったみたい。パパからそう聞いた途端、ママはもう顔が真っ白になっちゃって」


 母親は過呼吸のような状態になり、父親は携帯でどこかに電話をかけながらリビングをドタバタとうろつき回り、奈央と妹はワケがわからずオロオロするばかり。

 そんな混沌とした状況の中、唐突に場の空気を一変させる現象が起きた。


「もうね、すっごいニオイ。鼻がモゲるかと思うくらいにクッサイのが、ぶわーっと部屋中に広がって」

「悪臭? どこから?」

「それが……仏壇から、だったの」


 いつの間にか錠前は外れ、鎖は数箇所で弾け飛んでほどけていた。

 仏壇の扉が半開きとなって、隙間からは猛烈な臭気が漏れ出てくる。

 これを放置するのは不味い、と直感的に思った奈央は扉を閉めようと仏壇に向かう。

 そして取っ手に触れようとする寸前、扉が内側から押し開かれて、仏壇は中身を吐き出した。


「中身って、位牌とかそういうの?」

「じゃなくて、妹の二ヶ月分のお供えが、腐って溶けた状態でドロッと」

「うわぁ……おぉう? でもそれって、ちょっとおかしくね?」

「そうなの。鎖でグルグル巻きにされて、鍵もかかってたのに」


 いつ誰がどうやって、供え物を仏壇の中にしまったのか。

 ドス黒くしなびたバナナやリンゴ、トロけて混ざり合ったグミやチョコ、カビで体積を倍くらいに増やしたクッキーや饅頭――といった腐ったゴミの集合体は、未だに奈央の中でトラウマ級の映像として焼きついているという。


「この件をきっかけにウチの家族関係は元に戻ったから、まぁメデタシメデタシって感じはなくもないんだけど」

「TVの心霊番組なら、ご先祖様のメッセージがどうたらこうたらって、霊能者がそれっぽいコメントしてくるだろうな」

「かもね……だけど一つ、どう考えてもそれは変じゃないの、ってことがあって」

「いや、全部が丸ごと変な気もするけど……どれのこと?」


 俺が訊き返すと、奈央は湯気の消えたカフェオレを一口飲んでから答える。


「仏壇から出てきたゴミのニオイが、ね。絶対におかしいの」

「でもさ、ガチで腐り果てたゴミとか遭遇したことないだろうし、実はそこまで変でもないのかもよ」

「ううん……知ってるクサさなの。前に友達と近所の廃屋を探検してて見つけちゃった、猫の死体とそっくりなニオイ」

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