第64話 死印

 この程度の仕事で五千円貰えるなら、まぁ文句もないか。

 ゴミ袋の七割くらいを埋めた緑と茶色の入り混じる雑草を眺め、頭に巻いたタオルを外して首筋を流れる汗をぬぐう。

 思ったより日焼けしているのか、少しばかりヒリついた感覚が返ってきた。


 お盆の時期はいつも父さんの実家に帰っていたのだが、今年はどういうわけか母さんの実家に行くことになった。

 遊びに来ている同年代の親戚などはおらず、ヒマをつぶせるような施設は近くにない。

 というか基本的に、畑と田んぼと空地と森と山しか視界に入ってこない。

 そんなワケで、何をするにもスマホだけが頼りなのだが――


「チッ――また圏外かぁ」


 ド田舎の悲しさで電波状況がすこぶる悪い。

 祖父母の家の二階なら大体入るんだが、外だと途端に難易度が上がる。

 東京で暮らしているってのはラッキーなことなのかも、などと思いつつスマホをポケットにしまった。


 車で四十分ほどの場所にショッピングモールがあるらしいのだが、自転車以外の乗り物を運転できない中学生にはしんどい距離だ。

 父さんと母さんは妙に忙しそうにアチコチ出かけていて、どこか連れて行ってくれと言えるような雰囲気でもない。


 祖父母は冷淡ということもないが、俺にはあまり興味がない様子だ。

 何というか、孫を甘やかそうという心構えがまるで感じられない。

 同居している伯父夫婦は揃って無口で、何を考えているのかもよくわからない。

 そんな得体の知れない伯父が、ヒマすぎて猫たちと戯れていた俺に、墓地の掃除を頼んできたのが今朝のことだ。


 数日後の墓参りに備えた、敷地の草むしりと掃除。

 どうせヒマだし、こづかいも貰えるというならば、断る理由はない。

 歩いて十分ほどの場所にあるそこには、本家の大きな墓を取り囲むようにして、分家や親戚筋の墓が並べられていた。


 墓までの道すがら、「自分たちが本家でどうたらこうたら」って話を伯父がしていた気がするが、興味がないのでほぼ聞き流してしまった。

 何はともあれ、あとはザッと掃き掃除をすれば任務完了だ。

 頭にタオルを巻き直し、年季の入った竹箒たけぼうきを手にして、雑に仕事を終わらせる――つもりだったのだが――


「ん? ……んー?」


 彫られた字もハッキリと読めない、とにかく古いことだけわかる黒っぽい墓石。

 母親の実家の姓である嘉島かしまではなく、森なんとか家の墓と書いてある。

 その裏側、骨が納められているであろう二人の名前の下に、やけに鮮やかな黄色い何かが見えた。


「びょう? やまい?」


 テニスボールくらいのサイズの輪の中に、『病』という字が書かれている。

 手書きとは思えない、印刷されたように整った文字だ。

 まるでハンコを捺したように、まったく同じ字体とサイズのものが二つ並んでいた。

 墓のことには詳しくないが、こういうことをやる習慣があるんだろうか。


「ん、こっちにもある。これは……じ? こと、かな」


 隣の少し新しい墓には、三人の名前が刻まれていた。

 輪の中に一文字が書かれた、黄色いハンコみたいなのは、コチラにも存在していた。

 しかし二つは『病』だったが、一つには『事』となっている。

 何なんだコレは、と思いながら他の墓も見て回った結果、ほぼ全ての墓に黄色い文字が

残されていた。


 輪の中に書かれた文字は四種類だった。

 一番多いのは『病』――というか、他の文字は数えるほどしかない。

 六個あったのが『事』で、あとは『戦』が三つと『自』が二つ。

 軍手をはめた手で擦っても字は消えない――もしかしてこれ、かなり厄介なイタズラをされているのでは。


 とりあえず、伯父さんに連絡しておこう。

 スマホを手に辺りをウロついてみるが、どうしても電波が入ってくれない。

 一度、家まで戻るか――そう思ったところで、さっき『戦』の字を見た墓に刻まれた名前が目に入る。


『嘉島健三郎大尉 昭和十八年十一月十六日』

 

 大尉ってことは軍人で、命日は日付からして太平洋戦争の最中だ。

 ということはつまり、『戦』ってのは戦死のことなんじゃないか。

 だから一番多い『病』は病死、『事』は事故死で『自』は――たぶん、自殺。

 謎の答えに納得しかけたところで、納得いかない点に気づいてしまった。


 誰が何のために、墓石にこんなことをしたんだろう。

 ワザワザ一人一人の死因を調べて、チマチマ一つ一つ書いて回るなんて面倒なことを。

 意味のわからなさも中々だけど、とにかく善意の行動ではないように思える。


「実はウチ、恨まれたりしてるのかな」


 無意識に漏れていた呟きは、何種類かのセミで構成される混声合唱で掻き消された。

 しかし、生じてしまった疑惑は消えてくれない。

 こういう田舎には、現代人には理解不能なインシューとかタブーとかそんなのがある――って前に映画か漫画で観た記憶もある。


 説明を簡単にするために、墓石の写真があった方がいいか。

 帰りかけたタイミングで気付いたので、わかりやすいように本家の墓を撮っておく。

 しかし、デカい墓の背面にも側面にも名前が掘り込まれていない。

 どこか別の場所に書いてあるのかな、と少し探したらそれっぽいものを見つけた。


 ゴチャっとした装飾がある、黒くてツヤツヤした石板――石碑と呼ぶべきだろうか。

 とにかくそんな感じの平らな石に、いくつもの名前と日付が並んでいる。

 どの日付の下にも、やっぱり黄色いハンコのような円と文字が記されていた。


 病、病、病、戦――

 大体みんな病気で死ぬんだなぁ、などと思いながら文字を目で追って、最後の方に辿り着くと命日の元号が変わっていた。

 この辺りまで来ると、聞いたことがある親戚の名前も混ざっている。

 ――病、殺、病、病。


「……おぅ?」


 今ちょっと、変な字が混ざっていなかったか。

 再確認してみても、書かれている字は『殺』だった。

 さっきの推理に当てはめるなら、これが意味するのはおそらく――殺人。

 この字が書かれている朱莉あかり叔母さんは、俺と同年代だった頃に水難事故で亡くなったと聞いている。


 事故ではなく殺された、的なミステリーっぽい事情があるのだろうか。

 もしかすると、自然によって殺されたと分類されてるのかも。

 何はともあれ、写真を撮って一度戻るべきだな。

 そう気を取り直した俺が石碑にスマホのレンズを向けると、背中に「おぅい」という低い声がぶつかった。


「おぁあ、てっ! とぉ」


 危うく落としかけたスマホを、ギリギリのところで掬い上げる。

 二重の驚きでもって、心臓が変な感じに跳ね回っていた。

 変な声を出させた相手を確認しようと振り返れば、つまらなそうな表情を貼り付けた婆ちゃんが、咥えタバコで立っていた。


「なぁにやってんだ、おめぇ」

「いや、何って……」


 どう説明したものかと迷って石碑の方をチラ見していると、溜息と煙をぶわっと吐き出した婆ちゃんは、俺の視線を追った先で何かに気づいたのか、少し眉根を寄せた。

 アレが見えてるなら、何なのかを訊いても大丈夫だろうか。

 そう考えて黄色い文字を指差すと、婆ちゃんは半分ほどになったタバコの先を俺の鼻先へと突きつけ、それからグイッと顔も近づけて言った。


「なぁんも、言うな」

「それって――」

「だから黙れ、てぇんだよ」

「あだっ」


 結構な勢いで頭を叩かれ、ムカついて婆ちゃんを睨みつける。

 しかし婆ちゃんは俺の方を見もしないで、二度三度と舌打ちしながら雑草の入ったゴミ袋と箒を回収すると、何も言わず墓場から早足で立ち去ってしまった。

 ワケがわからずに呆然と見送るしかなかったが、ここに残っていても仕方がない。


「……帰るか」


 色々と納得いかないが、たぶん誰も理由を説明してくれないだろう。

 きっと自分でも気付かない内に、ヤバいインシューやタブーに触れてしまったのだ。

 半ば無理矢理にそう結論を出して、俺も墓地を後にする。

 何となくだけど嫌な予感がして、振り向かずに婆ちゃんみたいな早足で歩いた。


 妙なことになったけど、あのハンコみたいな字の写真をクラスの連中に見せたら、新学期にちょっとしたネタになるかもしれない。

 そう思って写真フォルダを確認してみるが、あの石碑を撮るよりも前にスマホを落としかけていたようで、最後の一枚はキャッチした時に偶然撮影したものだった。


 ブレブレな俺の髪と腕が写っていて、その上から見知らぬ顔が覗き込んでいる。

 溶けているというか崩れているというか、何だか輪郭がおかしなことになっている、性別不詳の黄色い顔。

 これは絶対にヤバいと本能が判断したのか、指が半自動的に動いて数秒後には画像を消去していた。


「いやいや、これダメなやつじゃん……マジでダメなやつ」


 この場から走って逃げたいのに、両膝から下が痺れたみたいに無感覚になっていて、歩くことすらままならない。

 それでも無理矢理に動こうとしたらサンダルが脱げ、地面にヘッドスライディングしてしまった。

 痛みと衝撃で動けないでいると、誰かが近づいてくる気配がする。


「ダイジョウブデスカ」


 早口の棒読みで、そんなことを訊いてくる。

 反射的に「大丈夫」と答えながら、顔を上げようとする。

 視界の端に、黄色い何かが見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る