第55話 ぶるぶるぶるぶるぶるぶる

 久々に顔を合わせた幼馴染の直樹なおきは、どうにも奇妙な雰囲気を撒き散らしていた。

 寝不足だったり過労気味だったりなヤツが漂わせる、草臥くたびれた感じに似ているのだがどこか違う。

 これは『うつろ』という表現が一番近いだろうか。

 最後に会った時と別人――だと大袈裟おおげさだが、印象はガラッと変わっている。


 数年ぶりに連絡が来て、「相談があるから会えないか」と言われたのが三日前のこと。

 用件を訊いても「会ってから話したい」としか言わない。

 なので、仕方なく時間を作って喫茶店で落ち合ったのがついさっきだ。

 対面に座る直樹は、短い挨拶を交わした後は黙り込んだまま、腕組みをして視線を宙に泳がせている。 

 大丈夫かよコイツ、と思いながら俺は質問を切り出す。


「それで、相談って何だよ」

「ん、ああ……ちょっとな、ちょっと変な話なんだけど……いいか?」

「いいも悪いも、聞いてみないと何とも」

「実はオレな、来年の五月に結婚することになったんだ」


 組んだ腕をほどき、テーブルに両肘を乗せた直樹は、どこかの司令官のようなポーズで重々しく告げてきた。

 少し早い気もするが、二十代後半での結婚なら、まぁ普通だろう。

 それがどうした、と言いたい気分が表情に出ないよう注意しつつ応じる。


「そりゃあ、おめでとう。つったら、相談ってのは結婚関連かよ」

「関連……してるはしてる。だけど、微妙に違うってのもあるかな」

「やけに思わせぶりだな。結婚ガラミで変なことっつうと、宗教問題とか親族問題とか、そんなんか」

「いや、結婚するのに障害があるワケじゃないんだ」


 そこまで話したところで、直樹はウェイトレスを呼び止めてカフェオレを注文する。

 俺がブレンドを頼んでメニューを戻すと、目の前にスマホの画面が差し出された。

 映し出されているのは、俺たちと同世代らしい女性が、グラスを手に微笑んでいる姿。

 どう難癖をつけようとしても『美人』と『巨乳』は否定できない。

 ナチュラルメイクだし、化粧で誤魔化していることもないだろう。


「……これがケッコンカッコカリ相手か」

「仮でもないし、実在してるからな。外見も性格も天使で、有名企業勤務で、実家は地方の名士で、親戚には県会議員やら大地主やらがゴロゴロしてる」

「冗談みてぇなハイスペックだな……自慢するためにゴリゴリに盛ってる、とかじゃないんだよな?」

「ああ。ただ、な……やっぱり悩むんだよ、結婚するとなると」


 結局のところ、惚気のろけたいだけじゃないのか。

 そんな疑惑にイラッとしながらも、話に付き合ってやることにする。


「俗に言うマタニティブルーってやつか」

「マタニってないから。マリッジブルーでもない。そういうんじゃないんだ」

「だったら、どこに悩むことがあんだよ。ひょっとして、相手と釣り合いが取れないとか思っちゃってんのか? 繊細せんさいすぎるだろ」


 笑いながら言うと、直樹の眉間に深いしわが浮いた。

 ちょっとした軽口のつもりが、クリティカルな一撃を放ってしまったようだ。

 面倒くさいが、一応フォローしておこう。


「あー、アレだ。昔から言うだろ、たで食う虫も好き好き大好きって」

「やかましい。でも……どうして俺だったのかってのも謎なんだよ」


 直樹の説明によると、一年半くらい前に職場の同僚が主催するBBQで顔を合わせたのが、結婚相手――梨沙りさとのめだったそうだ。

 その日はどうってことない雑談を交わしただけなのに、何故か相手が直樹を気に入ったらしい。

 しばらくはSNSでのやりとりが続き、やがてデートを重ねて三ヵ月後には恋人同士になり、出会って一年の記念日にプロポーズをしたのだという。


 話が一段落したタイミングで、飲み物が運ばれてきた。

 一口飲んでみるが、酸味が強すぎて好きじゃない味だ。

 俺はシュガーポットから砂糖をすくい、カップに落とす作業を三度繰り返す。

 それからカフェオレに近い色合いになるくらいミルクを入れ、よくある駄コーヒーに変質させてから直樹に向き直った。


「恋愛も結婚も勢いってのがあるし、別にまぁいいんじゃねえの。プロポーズを受けたんなら、相手からしてもお前に不満はないんだろうし」

「そうなんだけど、本当に結婚していいのかってのがな……」

「やっぱマリッジブルーじゃねえか! 男でもなるモンなのか、それって」

「いや、違うんだって。ボンヤリした不安じゃなくて、ちゃんと理由があるんだって」


 本格的に面倒になってきたが、ここまで来たら最後まで聞くべきか。

 というか、言いたいだけ言わせた方が早く終わりそうだ。

 そう判断した俺は、直樹に話を続けるようにうながす。


「で? 結局のところ、何がどうしたってんだよ」

「まず、梨沙から『付き合おうか』って言われた時なんだけど――」


 二人で映画を見た後、映画館の近くにあった公園のベンチで感想を語り合っていたら、不意に黙り込んだ彼女から交際を申し込まれた、と直樹は言う。

 既に付き合っているつもりだったけれど、正式に恋人同士になることには当然ながら文句などない。

 なので了解の返事をしようとしたのだが、そこで妙なものが視界に入った。


「梨沙の後ろ、五メートルくらいかな。青い風船を持った、幼稚園くらいの女の子がいたんだけど、その子がおかしいんだ」

「……どんな感じで」

「首をな、左右に振ってるんだ。こんな勢いで、ずっと真顔で」


 言いながら、直樹はぶるぶるとかぶりを振る。

 それは確かに、異様な光景だろうが――


「子供はまぁ、突発的に変な動きをよくやるじゃん。何か知らんけど」

「ん、それはそうなんだが……レストランで俺がプロポーズしようとした時にも、似たようなことがあってさ」

「それは、隣のテーブルの子供が?」

「いや、違う。ウェイター。梨沙の後ろを歩いていたウェイターが足を止めて、コッチを見ながらまた首を振ってるんだ。こう、こういう感じに無表情で」


 直樹はさっきと同じように、また頭を振って見たものを再現する。

 適当な気休めを言おうとしたが、仕事中にそんな奇怪なムーブをしてくる理由があるだろうか。

 コーヒーをすすりながら何か上手い設定を捻り出そうとしていると、直樹は深々と溜息を吐いてからカフェオレに口をつけ、話を続ける。

 

「そこまでは、ギリギリ偶然で片付けられなくもない」

「お、おう」


 偶然の範囲デカすぎだろ、と反射的にツッコミを入れかけるが、スレスレで抑える。

 無茶を言っている自覚があるのか、直樹も苦笑と自嘲を足して二を掛けたような、嫌な渋味をたたえた表情をしていた。


「でも、婚約の報告で梨沙の実家に行った時だよ。お父さんお母さんに挨拶した後、地元の親戚だって人らが集まった宴会が始まってさ、やたらと飲まされた俺は途中でちょっと離脱したのな」

「ああ、田舎ってそんなノリあるわ」

「で、酔いをまそうと庭に出て風に当たってたら、梨沙の義理のお兄さんに声をかけられたんで、仕事の話とかこっちの故郷の話とかしてたら、また」


 やっぱりか――と思いつつ俺が頷くと、直樹は話を続ける。


「五分くらい話した後で、お兄さんが『梨沙をよろしくな』って言うんで、何か気の利いたこと言わないとな、とか思ってたらこうだよ、こう」

「またそれかよ……」


 素早く首を左右に振る直樹を見ながら、俺は軽めの頭痛を感じていた。

 これが作り話じゃないとすると、どこに注目すべきなのだろう。

 首を振る意味なのか、現象が起きた状況なのか、梨沙という婚約者の存在なのか。

 いや、それら全てをひっくるめて考えるべき、なのかもしれない。


 何か普通ではないものが介在して、梨沙との結婚を止めようとしている。

 フザケた話ではあるが、そう結論付けてみると様々な物事は腑に落ちる。

 それを告げようかどうしようか迷っていると、変な動きを止めた直樹がさっきよりも湿度の高い溜息を吐き、暗い目をこちらに向けてきた。


「あんまりにも変なことが続くんで、思い切って梨沙のことを調べてみたんだ」

「それは……探偵とかを使って、か?」

「ああ。本職じゃなくて、探偵の真似事もする便利屋に頼んだ。それでも給料の二ヶ月分近い金が飛んだけど」

「マジかよ……そんで結局、どうだったのよ」


 ちょっと引きながら俺が訊くと、カフェオレを飲み干した直樹は、薄っすらと笑いながら言う。


「それがな、何もないんだ」

「は? ……梨沙なんて最初から存在してなかった、とかそういうサスペンス展開?」

「違くて。問題になるようなことが、何一つ見つからない」

「何だよ、そりゃ……頼んだ探偵もどきがテキトーな仕事した可能性は?」

「かなり低い。渡された調査結果は詳細で、あんなのデッチ上げる方が面倒臭いな」


 何に対するイラ立ちなのか、直樹はチッと舌打ちを一つ鳴らす。

 そして、空のカップに視線を落としながら低い声を発した。


「……ぶっちゃけ、イヤな予感しかしないんだよ」

「まぁ、わかる」

「言ってみれば、テリーマンのリングシューズの紐がさ、全部切れてるパターンでしょ」

「それは、よくわからん」

「どうなんだろう……このまま、梨沙と結婚していいのかな」


 訊かれるだろうな、と予想していた質問だった。

 しかし、心構えはできていても緊張感は尋常じゃない。

 何といっても、直樹とその婚約者の将来に関わることだ。

 考え抜いてから答えないと、色々と大変な事態を招きかねない。


 とはいえ、どう返事するのが正解なんだろうか。

 どこも見ていない眼をして、凄まじい勢いで首を左右に振っている直樹を見据え、俺は途方に暮れるしかなかった。

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