第54話 つられたおとこ

「マジっすか。『首吊り屋敷』のこと知らないんすか、植田さん」

「いや……初耳だけど」


 バイト先であるドラッグストアの、事務所兼休憩所での雑談中のこと。

 質問に対する俺の返事を聞いた後輩の野村は、また「マジっすか」を連呼した。

 アホ丸出しな物言いに、軽くないストレスが積み重ねられる。

 相手がそこそこ可愛い女子高生なので、ギリ耐えられる感じだ。


「そんなに有名なの、その首吊り館ってのは」

「屋敷っすよ、首吊り屋敷。前にヨネザーさんも言ってたっしょ、見ちゃったって」

「んー……そんな話してたっけ」

「仕事帰りに屋敷の前を通ったらガッツリ吊ってんのが見えたって話で、めっちゃ盛り上がってたじゃないすか、先月のアタマに」

 

 先月の前半は大学の用事で忙しかった俺が、殆ど店に出てないのを忘れているらしい。

 それを指摘するのも面倒なので、曖昧あいまいに頷いて応じておく。

 怪談は好きじゃないが、現在この場にいるのは俺と野村だけだ。

 逃れられないと判断して、夕食のハムカツサンドをかじりつつ、仕方なく話に乗ることにする。


「そんで、どういうネタなの」

「どうもこうも、首吊り屋敷の二階の……左端、だったかな? とにかく、そこの窓から首を吊った男が見えるんすよ。で、それを見ちゃうと自分の家にも首吊ってる男が出てくるっていう……」

「フハッ!」

「そうやって鼻で笑うの、イラっとするんでヤメてもらっていいすか」

「悪い悪い。でも何つうか、今時そんなんあるか? ってくらい古臭い話だな」


 不機嫌な声での抗議に更にダメ出しを追加すると、野村はますます仏頂面ぶっちょうづらになっていく。

 あまり怒らせてしまうと、職場の人間関係に支障が出るかも。

 そう判断した俺は、本音とは逆方向の言葉を発する。


「だけど、米沢さんが見たってことは、この近所にあるのか」

「まぁ、そうなんすよ。えーっと……ここらなんすけど」


 スマホを三十秒ほど操作した後、野村が地図の出た画面を指差してコチラに向ける。

 俺が通勤に使っているコースからは、大きく外れた場所だ。

 それでも、この店から自転車で十分くらいの距離だろうか。

 近いといえば、まぁ近い。


「野村も見たことあんの、その……首吊ってる男」

「いやぁ、マジでヤバそうなんで、アタシは近寄らないっすわ、あんなトコ」

「そんなに、か」


 怪談話をワザワザしてくる、そんな奴が敬遠する心霊スポット。

 もしかしてそれは、とんでもない場所なのではないか。

 適当に聞き流しておくつもりが、ちょっと気になってきた。

 首吊り屋敷について、もう少し詳しい話を聞いてみようか――と、思ったのだが。


「っと、そろそろ戻らないとマズいっすね」

「ん? ああ、そうだな」


 壁に掛かった四角い時計を見ると、休憩時間を数分過ぎていた。

 油気の多いサンドイッチをペットボトルの烏龍茶で流し込み、包装のビニール袋を縛ってゴミ箱へと放り投げる。

 狙いが外れてた袋を捨て直していると、いつの間にか野村はいなくなっていた。


「ちょっとくらい、待ってもいいんじゃねえの……」


 不満を小声で呟いてから、俺も在庫確認の作業に戻ることにした。

 何だかんだと忙しく作業をしている内に野村は先に上がり、それから三時間後に俺もバイトから解放された。

 時間は夜の十一時半――ある意味、おあつらえきな頃合ではある。

 

 このまま素直に行ってしまうのも、まんまと野村に踊らされてる感があってちょっとしゃくだ。

 しかし、あの話を聞いてスルーしてしまうのも、次に会った時にヘタレ認定されそうな予感がしなくもない。

 どっちを選んでもハズレな雰囲気があってしんどいが、少し考えた末に前者を選択した俺は、自宅とは反対の方向を目指して自転車を走らせた。


「ここ……だよな」


 答えが帰ってこないと知りながら、考えていることを口に出してみる。

 スマホで地図アプリを開き、休憩中に野村に見せられた場所と同じかどうか確認する。

 通りは合っているし、周辺情報からしても多分ここで間違いない。

 自転車から降りてスタンドを立て、格子状の門の前までの短い距離を歩く。


 屋敷という単語からイメージするものとは、だいぶ距離がある建物だ。

 面積的には、一般的な住宅よりだいぶ広いだろう。

 しかし、手入れのされていない庭の奥に見える日本家屋は、古びているだけで歴史や時代を感じさせる重みがない。

 平たく言えば「ただデカいだけのボロ家」みたいな表現になってしまう。

 

 腕組みをして、明かりのついていない家を眺める。

 両隣も似たような規模の庭付きの大邸宅だが、玄関や窓には明かりが見える。

 留守なのか、それとも空家なのか。

 そんなことを考えていると、角張ったフォルムの軽自動車が背後を通り過ぎた。


 通行人の存在を意識したところで、フと気付く。

 こんな場所に夜中に突っ立ってるとか、不審者にも限度があるのではないか。

 通報されない内に立ち去ろうと、自転車までの十数歩の距離を戻ろうとする最中、視界の隅に光が見えた。

 反射的にそちらに視線を向ければ、首吊り屋敷の二階の左端にボンヤリと明かりのついた窓がある。


「ぅわ」


 短い声が漏れた。

 薄いカーテンがへだてる先に、やけに存在感を主張する人影があった。

 野村じゃないが「マジっすか」と言いたくなる光景だ。

 ポケットからスマホを取り出し、小刻みに震える指でカメラを起動する。

 画面越しに窓の人影を見ていると、何だか違和感があるような――


 フハッ、と苦笑と溜息を混ぜたものを吐き出し、シャッターを切る。

 首を吊ってる男の姿に思えなくもないが、あれは窓際に吊るされたコートか何かだ。

 今のと似た感じの影を見た連中が、話を盛って怪談に仕立て上げたのだろう。

 真相がわかってしまうと、何ともつまらないネタだ。

 俺は追加で何枚かの画像を撮ると、早々にその場から走り去った。


「例の屋敷を見てきたけど、何だよアレは」

「何、って……何すか」


 二日後、やはりバイトの休憩時間に顔を合わせた野村と知能指数低めの会話を繰り広げた俺は、スマホに例の画像を表示して差し出す。

 光量が足りないせいでボケ気味だが、カーテンに人影が映っているのはわかるはずだ。

 液晶画面を覗き込んだ野村は、小さく首を傾げてから俺の目を見て訊いてくる。


「何すか、これ?」

「何って……首吊り屋敷の、左端の部屋だって」


 答えを聞いた野村は、さっきと同じ動作を繰り返して、今度は困り顔を向けてくる。

 どうして今のやりとりでその表情が出てくるのか、俺にはサッパリわからないので野村が何か言ってくるのを待つ。

 十秒くらいの変な間が過ぎた後、野村はわざとらしく頭を掻きながら言う。


「いやぁ、参ったっすねぇ……まさか、こういう反撃で来るとは」

「は? 何だそりゃ?」

「いやいや、アタシらが怪談ネタを仕込んだって気付いたから、それで逆に仕込んだんじゃないんすか? めっちゃそれっぽい写真なんで、一瞬マジ固まったっすよ」

「それっぽいも何も、実際に現地で撮ってきたんだってぇの」


 俺がスマホ画面を押し付けるように近付けると、近付いた分だけ野村は身を引く。

 苦笑いの野村は、指先をひらひらさせながら両手を挙げ、ふざけた調子で応じる。


「だから、そういうのもういいっすから。店長から植田パイセンがかなり怖がりって聞いたんで、そこをイジろうとしたアタシらが悪かったっす、マジで」

「別に怖がりってこともないが……」


 ネットでよく見るタイプのパターンの決まったウソ臭い怪談話が死ぬほど嫌い、みたいな話なら前に飲み会でした覚えがある。

 そんな発言が拡大解釈された、ってことなのだろうか。

 それはさて措き、気になる点もあるので確認しておこう。


「じゃあ、首吊り屋敷ってのも全部フカシなのか?」

「や、そういう話自体は結構前からあるんすけど、ヨネザーさんが見たとかそういうのは全部ウソってことっす」

「だよなぁ……つうか、そもそもこの影ってのがさ、窓際にコートが掛けられてるとか、そんなんだと思うぜ」

「だからもういいっすよ、そっちの仕込みは」


 野村の苦笑から、笑いの成分がガクっと減る。

 俺をイジるつもりが不発に終わって不貞腐ふてくされてるのか、とも思ったがそういうわけでもなさそうだ。

 

「仕込みとかじゃなくて、こないだの仕事が終わった後で、ワザワザ現地に行って撮ってきたんだって、そう言ってんじゃねえか」

「植田さん、詰めが甘いっすね……マジで現地に行ったにしても、暗くて気付かなかったのかもしれないっすけど」

「は? そりゃどういう――」


 やれやれ感を漂わせる野村に訊き返すが、そこで俺のスマホが震えた。

 画面を確認すると、店長からの電話だったので仕方なく出る。

 事情を聞いても何のことやらサッパリだったが、どうやら俺が出勤してない日の出来事に関する確認らしい。


 無意味な連絡で休憩を削ったことに対する店長からの謝罪が「ワリぃな」の一言だったのもムカつくが、いつの間にか消えている野村もどうかと思われた。

 結局、それからは野村と話す時間が作れず、「暗くて気付かなかった」という言葉の真意を確かめられなかった。

 妙に引っかかるものを感じたので、翌日の昼過ぎに首吊り屋敷の方へと自転車を走らせたのだが――


「マジっすか……」


 今度は無意識に野村風のセリフを呟いていた。

 日の光の下で見る首吊り屋敷は、先日とはまるで違った印象を与えてくる。

 築年数以上の歴史を感じさせるたたずまい、というか有体に言えば廃墟だった。

 玄関があるらしい場所には、何故か土嚢どのうが高く積まれている。

 建物の周囲には型の古い家電や朽ちかけた家具、それと大量のビールケースが雨曝あまざらしになっていて、どう表現したらいいのかわからない異様な景観だ。


 庭のあちこちに、元は道路標識だったらしい金属板のついた鉄柱が刺さっている。

 敷地は所々が崩れた落書きだらけの壁に囲まれているが、それを包み込むように工事現場で見るような黄色のフェンスがしつらえられている。

 そして赤錆あかさびの塊のようになった両開きの門は、これまた錆の浮いた鎖でグルグル巻きにされていた。


 これでは、住民の出入りする方法がない。

 というか、人が住める状態とも思えない。


 あの影を見た部屋の窓は、ガラスが割れて屋内から板が乱雑に打ち付けられていた。

 かなり暗かったし、別の部屋と間違えた可能性を考えてみたものの、別の部屋の窓も全て同じような処置をされている。

 そもそも、こんな廃屋に電気が通っていると想定するのは無理がある。


 俺はあの夜、何を見たんだろう。

 ぞわり、と寒気が走る。

 脇腹から背中にかけて、濡れた冷たい手で撫でられたような感じに。

 撮影した画像は、残しておいて大丈夫だろうか。

 不意にそんなことを考えてしまい、スマホの画像フォルダを開く。


「おい……おいおい」


 ついつい、ツッコミ風の独り言が湧き上がる。

 問題の日付の画像は、間違いなくそこにあった。

 暗がりを四角形に切り取った、光量の乏しい照明の点いた窓。

 窓には薄いカーテンがかかっていて、その向こうには――何もない。

 コートらしい影が消えて、ただの窓の画像になっている。


 本能がマズいと判断したのか、俺の指は半自動的に画像を消去していた。

 画像は消えたが、余計なものに関わってしまったプレッシャーは消えてくれない。

 野村に文句の一つや二つを言いたいところだが、どうせ「正直スマンかったっす」程度の雑な謝罪で流されるのは間違いない。

 長々と溜息を吐いても、胃の底には重たい何かが居座ったままだ。


 こういう気分の時は、もう飲むしかない。

 俺はそう判断し、駅前にある昼からやっている居酒屋を目指した。

 

 しばらくダラダラと飲み食いして店から出ると、外は日が暮れかけていた。

 少しフラついて自転車を走らせながら、さっきの影が消えた画像を野村に転送しておけばよかったかな、などと考える。

 だけど、野村は元の画像からして偽物と決め付けてたし、いいリアクションは期待できなそうだ――みたいな結論を出したところで、自宅アパートが見えてきたのだが。


「……んん?」


 二階にある俺の部屋に明かりが点いている。

 そこはまぁ、出かける時に消し忘れたのかもしれない。

 そんなことより、カーテンの向こうに見える人影のようなものは何だ。

 野村から聞かされた言葉が、頭の中で再生される。

 

『で、それを見ちゃうと自分の家にも首吊ってる男が出てくるっていう……』


 いや、そんなまさか。

 何はともあれ、自宅に知らん奴が入り込んでいるのは緊急事態だ。

 警察に通報しようと、震える手でポケットからスマホを取り出す。


 ムーーーーーー、ムーーーーーー

「ぼひょぇあっ!」


 ロックを解除するのと同時に着信があって、思わず奇声を発してスマホを落とす。

 落下の衝撃でヒビが入った画面には、野村の名前が表示されていた。

 少し気が抜けるのを感じながら、八つ当たり気味に苦情を言うべく電話に出た。


「ちょっとお前さぁ、ありえないタイミン――」

『いいから、こっちを、見るんだ』


 こちらの言葉をさえぎって、男の声が鼓膜こまくに刺さる。

 かすれた大声、とでも表現すべき不可解かつ不愉快な声。

 俺は当然ながら自室の窓など見上げずに、うつむき加減に自転車を全速力で逆方向へと走らせた。

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