第48話 何この……何?
「お、これは……」
夕方に学校から帰り、何か飲もうと冷蔵庫を開けたら白い箱があった。
持ち手のついている、ケーキなんかを入れる紙箱だ。
母親か姉貴が買ってきたんだろうか。
黙って食うと怒られそうだが、中身だけでも確認させてもらおう。
「ぅ重たっ」
予期せぬズッシリした手応えに、つい驚きを口に出してしまう。
全部レアチーズケーキでもここまで重くないだろ、ってくらいの重量感だ。
何を買ってきたんだよ、と思いつつテーブルの上に置いた箱を開ける。
閉じ込められた冷気が、半透明の白い煙になって立ち昇った。
「ん? んんん?」
覗き込んで、そこにあるものを見て、小さく唸りながら眉根を寄せる。
ケーキではない、と思う。
パイやゼリーの類でもないだろう。
では何なのか、といえば何だかわからない。
見た目の質感は――湿った木、が近いだろうか。
といっても、ブッシュ・ド・ノエルなんかに似ていることもなく、乱雑に切られた端材のような形状をしていた。
表面は全体が
最もインパクトが強いのは、その色だ。
目が痛くなるほど鮮やかな光沢のある黄色をしている。
スポーツカーくらいでしか見かけないインパクトの強さだ。
そして、緑茶に酢と石鹸を混ぜたみたいなニオイが、箱の中から薄く漂ってきた。
「食い物じゃない、のか?」
だったら、何だというのか。
独りごちた後に当然の疑問が浮かぶ。
南国産のフルーツとか、その手の不思議食材なのかも。
何にせよ、誰かが帰ってきたら訊けばいいか。
そう結論を出すと、紙箱の蓋を閉じて冷蔵庫に戻し、二階の自室に向かった。
ダラダラとスマホでゲームをしていると、いつものメンバーから遊びの誘いが来た。
断る理由もないので、出かける準備をして階段を下りる。
高校の制服姿の姉貴が、リビングで誰かと電話しているのが目に入った。
軽く手を振って「出かけてくる」と伝えようとしたら、彼氏らしい電話の相手に「ごめん、すぐまたかけ直す」と告げて切ると、冷蔵庫を指差しながら訊いてくる。
「ねぇ、あんた。紙箱のアレ、何?」
「いや、知らん。姉貴が買ってきたんじゃないのか」
「はぁあ? 買うって、どこで売ってるの」
「だから知らんて。なら、お袋が買ってきたんだろ」
消去法で答えてみるが、姉貴は渋い表情で首を傾げる。
「ママ、あんなの買うかなぁ」
「前にもさ、唐突にイノシシ肉とか生ホヤとかの、面白食材を出してきたことあったろ。そういうタイプの暴走じゃね」
「ああ、でも、うーん……」
「じゃあもう、本人に訊いてみようぜ」
首の角度が深まる姉貴にそう言うと、スマホを操作して母親の番号を呼び出す。
五回半のコールでつながった。
『どうしたの、そっちから電話なんて珍しい』
「いや、ちょっと確かめときたいことあって。あのさ、冷蔵庫の中に入れてある、アレって何なん?」
『え? あの箱はあんたかミマのじゃないの? 昨日の夜からあったけど』
「いや、俺んでも姉貴のでもない……」
話の展開が怪しくなったのを察してか、彼氏との通話を再開しようとしていた姉貴が、不安げな視線をこちらに送ってくる。
そんな不安感が伝染した気分になりつつ、母親との話を続ける。
「となると、後は親父の仕業ってことになるが」
『お父さん、何も言ってなかったけどねぇ』
「一人でコッソリと、酒のつまみにしようとしてた、とか」
『中は見てないけど、おつまみなの?』
「いや知らんけど」
そもそも、あれをどう調理したらいいのか、まるで見当がつかない。
母親との電話を打ち切り、姉貴にわざとらしく疲れた顔を作って見せると、これまたわざとらしい苦笑が返ってきた。
「綿密な調査の結果、よくわからないってことがわかった」
「ご苦労さん。あたしもちょっと出かけてくるし、あとはパパが帰ってきたら正体を確かめようか」
そんな結論を出してから友人たちの待つドーナツ屋へと向かい、三時間ほど生産性ゼロの無駄話を繰り広げ、そこはかとない倦怠感を背負って帰宅する。
ただいま、と誰に告げるでもなく言って洗面所に向かおうとする途中、リビングから父親の声が聞こえてきた。
「いやぁ、オレのでもないぞ。昨日寝る前に中を覗いたけど……何なんだ、アレ。イクラとか数の子とか、そういうのか? だいぶ粒がでかくて緑っぽかったけど」
「は? 意味わかんないから。全然そんなんじゃないでしょ」
父親の言い分を、姉貴が真っ向から否定していた。
リビングに足を踏み入れると、二人の視線が集中する。
「ああ、いいとこに帰ってきた。あんたも見たでしょ、あの箱の」
「見たけど……」
「アレってこう、五センチくらいのソーセージみたいな? そういうのがビニール袋いっぱいに詰まってるヤツだったじゃない。赤くて透明の汁に浸かってる」
「いやいやミマちゃん、それは変だろ。どう見ても海産物だったからね、アレは」
「えっ? いや、どっちも全然違うっていうか、マジで何の話だ」
わけのわからないことを言う姉貴と父親に、自分の見た黄色い物体について説明する。
聞いている二人の表情は、困惑の色を濃くするばかりだ。
そんな様子を眺めている内に、当然の疑問に突き当たった。
「つうかさ、実物を確かめりゃいいだけじゃね」
「えっと、それが……ママ、アレを箱ごと捨てちゃったって」
「はぁ?」
姉貴からの予期せぬ答えに、キッチンで何かしている母親の方を伺う。
自分が話題になっているのに気にした様子もなく、深い鍋に安物の白ワインを注ぎ入れていた。
ジッと見ていると、顔を上げないままに母親が口を開く。
「うん、捨ててきた。結局、誰のでもないみたいだし、別にいいでしょ」
「そりゃまぁ、そうなんだけど……だけど、そうなるとアレがどっから来たのか、って問題になってくるし」
「どうせ、お父さんが酔っ払ってどっかで買ってきたんでしょ」
「へ? オレはあんなの――」
父親は反論しかけるが、ダンッと勢いよく
母親の態度からは『アレについてもう何も言うんじゃない』とのメッセージが、必要以上の強さで伝わってくる。
そんな心情を汲んで、早々にリビングからの退散を決め込んだ。
しかし、気になって仕方ない。
母親が見た箱の中には、一体どんなものが入っていたのだろうか。
そんなことを考えながら自室のドアを開けると、机の上の様子がおかしい。
「ぅえぇええ……」
どんな感情に
違和感の正体は、乱雑に積まれた本に紛れた、少し汚れて形の崩れた白い紙箱だ。
「ちょっ――なっ――」
触手が蛇に似た動きで天井方向に伸びるのを見送りながら、意味のない呟きが音声化される。
確実に何かがマズいとは思いながらも、どう反応するべきなのか判断できない。
そうこうする内に、箱は電灯の笠に触手を絡めてブラ下がり、前後運動を始めていた。
呆然とその動きを目で追っていると、箱が中身を残して床に落ちる。
すぐそこにいる『何か』の気配が膨らんでいくのがわかる。
緑茶に酢と石鹸を混ぜたみたいなニオイが、徐々に濃くなる。
顔を上げて視認することも、目を逸らしたまま逃げ出すこともできない。
叫びたいのに声が出せず、いつの間にか呼吸もできなくなり、やがて頭の中が熱めの湯で満たされていくような――
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