第12話 そんなのってないよ
「うぅわ、何なんスかこれ……ヤバいっていうか、マジきもくないですか」
「そう? 可愛くないかな?」
「うーん……」
期待した通りな美香のリアクションに、つい口元が緩んでしまう。
感嘆とも嫌悪ともつかない声を漏らしながら彼女が眺めているのは、鮮やかな青色の薬液で満たされた、メスシリンダーに似た細長いガラス容器。
その青色の中では、白い肌をふやけさせた赤ちゃんネズミの死体が数匹、プカプカと浮き沈みしている。
「これとかも、先輩が自分で作ったんスか?」
「ううん、さすがにそこまで拗らせてないって」
「いやいやいやいや、こんなん部屋に並んでる時点で大概ですよ」
そう言う美香の目線の先にある一角には、様々な動物の骨格標本が陳列されたアクリルケースがある。
スズメ、ハト、ヘビ、ネコ、モグラ、ウサギ――生前の面影は消え、全てが白一色。
やはり、死体や骨といったヴィジュアルインパクトのあるヤツは、いいリアクションを引き出してくれる。
個人的には、その右上のパネルに入れて飾ってある、
「この、クギとか針金とかネジとかをデタラメにくっつけたようなのは」
「それはね、ある事件の犯人が過去に作って販売してたオブジェ。この名前、聞いたことないかな」
「えっと……うゎあ」
台座の裏に彫られたローマ字を美香に見せると、顔をグイッと近付けて睨むように見た後で、眉間に皺を寄せて思い切り身を引いた。
数年前に陰惨な通り魔殺人事件を起こした、自称アーティストの無職男。
ブログで書き散らしていた
「昔から、こういうの好きなんですか」
「まぁ、ね」
「噂には聞いてましたけど、こりゃガチですね」
「そんなことないから。趣味の
「趣味は趣味でも、アタマに一文字ついちゃう感じっスなぁ」
悪趣味、と言われれば普通はムッとするのだろうが、私にとっては褒め言葉だ。
人々から
それは願望や希望ではなく、確信に近い考えになっている。
綺麗に飾り立てられた、表現のための表現に堕した文章や絵画など、空虚な手遊びでしかない。
剥き出しの感情やどうしようもない現実、そこに私の求めているものがある――に、違いない。
ドン引きしつつ改めて室内を見回している美香は、大学の文芸サークルに今年入ってきた後輩だ。
口調は下っ端気質の男子学生っぽいが、見た目は普通に今時の女子大生をしている。
誰かから私の部屋について聞かされて興味を持ったらしく、一度遊びに来たいと前々から言っていた。
社交辞令にしては何度も言ってくるので、サークルの飲み会が中止になった今日、流れで何となく招いてみることに。
理解や共感が得にくい趣味という自覚はあるから、後輩をコチラの世界に引っ張り込むつもりはない。
ただ、美香の作品をいくつか読んだ感想として、自身の方向性を模索している最中のようだったので、未知のものに触れさせて刺激を与えるのも先輩の役目だろう、とちょっとばかり義務感を発揮してみたのだ。
そんなことを考えていると、壁にの辺りを見ていた美香が振り返って訊いてくる。
「こういうのに囲まれてると、先輩はインスピレーションが閃いたり?」
「どうなんだろうね。でも、イラストやオブジェを観察して、そのデザインに込められた作り手の意思を推測するとか、これを私の前に持っていた人の購入動機を想像するとか、そういうのが話の出発点になるのは時々ある、かな」
自分の中にある哲学の一部を噛み砕いて語ってみるが、美香はわかっているのかいないのか、曖昧な笑顔を浮かべて話を変えてくる。
「じゃあ、死体っていうか、この辺の。これはどういう感じに使うんスか」
「使う、って……でも、産まれて生きて死んで腐って消える、という自然が用意した流れから不自然に切り出されて鑑賞品になる、その意味を考察したりはするかも」
「んー、先輩の話はたまに難しくてアタマこんがらがるっスねぇ」
そんな感じで一時間ほど会話を続けていると、美香の振る舞いに落ち着きのなさが混ざり込むようになってきた。
話の最中に視線をチラチラと私から逸らしたり、話が途切れたところで聞こえよがしに小さく溜息を吐いたり。
一緒にいるのに飽きたのかな――ワザワザ時間を作って、歓待とは言わないまでも接待程度はしたつもりなのに、こんな態度は少々傷つく。
「ひょっとして、退屈してる?」
「えっ、いえ、そうゆんじゃなくて……あの、ちょっと調子悪いっていうか」
やや棘のある一言を投げてみると、美香は慌てて否定してくる。
適当にはぐらかされそうな気配を感じて半目で見つめるが、彼女の額に薄く汗が浮いているのに気付いた。
演技で汗をかくのは難易度が高そうだし、本当に体調を崩しているのか。
どちらにせよ、この状態を続けていても楽しいことにはならないな、と判断してお開きにしようと決める。
「風邪のひき始めだと困るし、もう帰って寝ちゃった方がいいんじゃない?」
「でも……」
「正直に言っちゃうと、私にうつったら困るんだよね」
「あっ、そうか。そうっスよね……じゃあ、すいませんけど……今日はこれで」
「うん。また学校でね」
無駄に気を使わせてもお互いに得がないので、自分がちょっと泥をかぶる感じで美香を帰らせることにした。
別れ際、あからさまにホッとした表情を隠そうともしていなかったのが引っかかるが、細かいことでイラついてもしょうがない、と自分に言い聞かせておく。
それから数日後。
サークルの部室へと足を向けると、半開きのドアから漏れてくる会話と笑い声の中に、自分の名前が含まれているのに気付いてしまった。
耳にした瞬間、心臓を氷水に浸されるのにも似た不快感が走る。
このまま回れ右して部室を離れ、何も聞かなかったことにしようか。
だけど、話しているのは美香と彼女と仲がいい後輩の二人。
忘れたフリをしたところで、不信感はいつまでも拭えないままだろう。
ならばいっそ――と心を決め、二人の会話を集中して拾っていく。
「で、先輩の部屋はどうだったん? 噂通りにキッツい感じ?」
「んー、動物の骨とかホルマリン漬けとか、そういうの。グロかったりキモかったりはするけど、想像してたよりもオシャレ感ある、みたいな? センスはちょっと……いや、かなーり中二寄りだけど」
「にゃははは、中二っぷりは通常運転でしょ、あのヒト」
「思春期が終わらない二十歳、あると思います」
「ねえって! マジでヤバいって!」
そうか、そういう感じの扱いなのか。
自分が陰で笑いものにされているのをダイレクトに知る、というのは想像以上に精神的な厳しさがある。
きっと今の私は、怒りを中心にした各種感情が混濁して、見る者を怯えさせる奇怪な面構えになっているハズだ。
部屋に駆け込んで二人の顔面を蹴り飛ばしたくなる衝動を抑えつつ、会話の続きに耳を傾ける。
「しっかしねぇ、話してる内容もよくわかんない……っていうか、思考にアレンジ効きすぎでついてけなくて、正直まいっちゃうよね」
「それって、美香がアホだからじゃないの?」
「いや、違くて。どう説明したらいいのかな……普通のこと、当たり前のこと、そういうのをワザワザめんどくさく
「全然わかんない」
「あー……じゃあもう、『理屈っぽいおバカさん』でいいや」
「ひっどぉ」
胃なのか心臓なのかわからないが、体の真ん中に鋭く痛みが走る。
ギリギリと音を立てて軋きしんでいる。
あの日、私の部屋で真剣に議論を交わしながら、美香はそんなことを考えていたのか。
もう逃げるか暴れるかして話を終わらせたいが、後々で遠慮なくこの二人の敵になるために、もう少しだけ耐えてみることにする。
「創作論とか、作り手がとるべきスタンス、みたいなのも長々と語られたけどさ、結局は素人なワケじゃん。なのに、妙にウエメセなのがイタいっていうか」
「あー、はいはい、それな。それある。何であのヒト、ああなのかね」
「中二センスでキメまくりなら、それはそれで芸になるんだけどねぇ。肝心なトコでスッポ抜けする感じだし。部屋の壁に飾ってたヘンテコお面とか、マジでありえないし。やっぱ馬鹿なんじゃないかな」
何なの、それ――
「お面って、どんなん?」
「白一色で……多分、犯罪者のデスマスクとか、そんな? そう説明されれば意味はわかるけど、何もなしでそんなんあっても『誰このおっさん』で終わるし」
「ぅはははっ、確かに」
「無駄にリアルで超キモいかったから。あの部屋、男避けのバリア完璧すぎるって。どんな下心があっても、あれ見たらドン引きだって。あたしも実際、ちょっと具合悪――」
そんなの、そんなのってない。
大声で否定のセリフを叫びたいのを堪えて、足早に部室の前から立ち去る。
まさか、あの子が、美香が――
表現し難い精神状態が体内を渦巻き、気を抜くとへたり込みそうになる。
膝はやたらフワフワして、何もない場所でも転んでしまいそうだ。
それでも、どうにかして自宅アパートのドアまで辿り着いた。
鍵を開けて、玄関へと足を踏み入れる。
狭いキッチンを挟んだ先にある、居間兼寝室がやけに遠い。
あんなに居心地が良いと思っていた部屋が、他人の家みたいにしか感じられない。
いや、もっと
深呼吸をするが、空気まで重く
でも、こんなとこに突っ立っていても仕方がない。
それからゆっくりと顔を上げ、自分が大切にしてきた品々を眺める。
やっぱり、美香が言ってることはおかしい。
そんなの、ない。
おっさん顔のお面なんて、どこにも飾られてない。
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