第13話 ヒトフリザキ展望台
突発的に開始された男三人での日帰りドライブ小旅行は、車を走らせながら行き先を決めるという泥縄プランニングの末、二時間ほどで行ける温泉街に向かうこととなった。
雲の多めに散っている空模様だが、まずまずの好天で行楽日和と言えそうではある。
見える景色が山と森ばかりなのは飽きるな、と運転している俺は思わなくもない。
しかし、他の二人はそんな単調さを気にするどころか、窓の外を気にすることも殆どなしに、ハイペースで馬鹿話を繰り広げていた。
「イェア! こういうイベントも久々だからな。腕が鳴るぜ」
「鳴らすなや! 何と戦うつもりなんだよ」
「では第三問、オレは何と戦うんでしょうか? ヒントはクマ」
「それ答えじゃね? つうか逃げろよ!」
助手席のトモキと後部座席のリュウタは、ちょっと鬱陶しいくらいのテンションだ。
飲み屋でいつも聞かされているような、解決策の見えない仕事関係の愚痴が延々と続くよりはマシだが。
連休でもない週末の国道は車も少なく、予定より早めに目的地に着けるかもしれない。
そんなことを考えていると、トモキが「ズビシッ」と口で言いながら機敏な動作で手を挙げた。
「どうしたよ、トモキ」
「ふわりと舞い降りてきたよね。尿意が」
「いや、普通に便所行きたいって言え」
「というワケだから、シートを汚されたくなければ……わかるな?」
「うるせぇ。つうか、脅迫混じりになる意味がわからん!」
アホなことを言うトモキをあしらいつつ、カーナビでコンビニがないか調べるが、一番近い店でも十数分かかりそうな気配がある。
こうなったらもう、どこかで空き地や駐車場があったら停めて、そこで軽犯罪法に違反してもらうしかないか。
それっぽい場所はないかと道路脇をチェックしていると、『星降崎展望台 この先二百メートル』と書かれた看板が見えた。
「お、展望台ならトイレくらいあんじゃね」
「そうだな。行ってみるか」
同じものを発見したらしいリュウタに答え、俺は道幅のやけに狭い上り坂へと車を滑り込ませる。
一応は舗装されているものの、補修は数十年されていない様子の荒れた道を登りきると、それらしい場所と辿り着いた。
柵で半円形に囲われていて、十台分ほどの駐車スペースが用意されている。
突端には金属製の見晴らし台が
「景色はいいっちゃあいい、けど……」
「わざわざ、ここを目的にして来るようなトコでもないわな」
周囲を見回しながら俺が言いかけると、リュウタが続きを口にした。
トモキは、山小屋を模した作りのトイレへと小走りで向かっている。
リュウタは煙草に火を点け、自販機の方へと歩いていった。
とりあえず写真でも撮っておくか、と『星降崎展望台』と書かれた看板に近付いてみると、日焼けと風雨で薄れた星降崎というゴシック体の上に、釘で引っかいたようなカタカナで『ヒトフリザキ』と落書きされているのが読み取れた。
「ひとふり――人、降り?」
呟きながら、柵の向こうに視線を向ける。
すぐ先は崖になっていて、そのかなり下に密生した杉林が見える。
確かに、飛び降りればもれなく即死する高さだろうが、こんな所をワザワザ死に場所に選ぶものかな。
それらしい由来でもあるのかと、看板に書かれている説明を読もうとするが、こちらは字が
何はともあれ話のネタにはなるか、と判断して落書きされた看板を撮影し、その近辺をフラフラと見て回る。
しかし、特に気になるようなものは見当たらず、景色にももう飽きた。
足腰に少しダルさが残っているので、それを解消しようと屈伸運動を試みる。
二度三度と繰り返していると、柵の支柱の一本に違和感がある。
よくよく見れば、枯れた花束が
こんな場所に不自然に置かれた花というのは、つまり――
「やっべぇ、ハメられた。超トラップ。便所の入口めっちゃ塞がれてんよ」
「ん……おい! やめろって」
こちらへと駆け戻ってきたトモキは、素早くジーンズのチャックを下げると、俺の隣で放尿を開始しようとする。
いくらなんでも罰当たりだろう――
「ぅはっ、ふざっ――お前がやめろっての! ちょっとハネたぞコラ!」
「よく見ろ。花、供えてあんだろ」
「花ぁ? あー、こんなんなってたら、ぶっちゃけもうゴミだろ。大体だなぁ、こんなトコで死ぬ迷惑なアホなんて、調子乗らせちゃダメなんだ――よっ!」
「うぅわ、お前マジか!」
半笑いのトモキが枯れた花束を蹴り飛ばし、茶色く
神経を疑う行動に呆気にとられるが、俺が怒るってのも何かが違う気がした。
なので、壊れた見晴らし台に方へとフラフラ歩いていくトモキは放置し、花の置かれていた場所に屈んで両手を合わせて心の中で詫びる。
「ケンちゃん、何してんの? 宗教とかそういうアレだと、軽く引くんだけど」
「どういうアレだよ……」
立ち上がって振り返ると、自販機で買ったらしいコーヒーを手にしたリュウタが、鼻から盛大に煙を吹き出しつつ冷えた目を向けていた。
トモキは論外にしても、こいつにも死者への敬意とかそういう感情はないらしい。
「ここで前に誰かが死んでるみたいで、花が供えられてたんだけど……トモキがそれを蹴っ飛ばしやがって」
「へぇ。そういや、都心の墓地でアルコール類を供えとくと、ホームレスが速攻でかっぱらってくらしい」
「そりゃ無理もないだろうけど……っていうか、何故に今その話?」
「供え物なんて、供えた本人以外にゃどうでもいいんじゃね、って話」
リュウタは身も蓋もないセリフを吐き、短くなった煙草を指で弾く。
そして、トモキが蹴散らした朽ちた花と一緒に、火種の残る吸殻を踏み
「おいおい」
「だから、気にすんなって。繊細すぎんよ、ケンちゃん」
そう言い棄てると、リュウタは缶コーヒーを
その動きを見たのか、トモキも錆びた階段を足でガタガタと揺らす作業を切り上げ、リュウタの後を追う。
俺は無意味に増加した疲労感を背中に貼り付けながら、ポケットからリモコンキーを取り出して開錠ボタンを押した。
そしてドライブは再開されるが、車内には微妙な空気が漂っていた。
発生源が自分だとはわかっているが、積もり積もった不快感はこの短時間では解消しようもない。
トモキとリュウタは、俺の不機嫌さを見て見ぬフリしようとしていたが、すぐに限界に達したようで自然と口数が少なくなる。
重さに耐えられなくなったのか、トモキが俺の肩を緩く揺すりながら言う。
「オレらが悪かったって、ケンちゃん。だから変なオーラ出すの、もうヤメとこうぜ?」
「そうそう、そんなん気にする必要ないっしょ。そもそも見ず知らずの死人だし」
「お前らなぁ……」
リュウタも半笑いで、運転席のヘッドレストをポコポコ叩いてくる。
こいつらの神経は一体どうなっているのか。
カッとなって怒鳴り散らしかけるが、それをやると今日のイベント自体が修復不能になる予感がした。
なのでどうにか感情を抑え、咳払いをしてから口を開く。
「何つうか、俺らもう大人なんだからさ。常識の問題として、他人への最低限の敬意みたいなの、必要なんじゃねえの。相手が死んでるとか関係なく」
「だぁから、悪かったって。そんなマジなトーンの説教やめろよ。何かヘコむし」
「まぁなぁ……トモキもちょっとどうかと思うけど、あんなトコで傍迷惑な死に方するのもロクでもないから、この勝負ドローじゃね」
「いつから勝負してたよ」
俺が呆れて笑うと、車内の緊張がフッと緩んだ。
いつになく頭に血が上っていたが、確かに俺がキレるような筋合いでもない。
妙な落書きと枯れた花束のインパクトにアテられ、入れる必要のないスイッチが入ってしまった感じだろうか。
二人の言う通り、気分を変えてテンションを高めていこう。
そう、思った直後。
バンッ
「うふぉ!」
衝撃音が響き、トモキは短い叫び声を上げる。
何かにぶつかったか、踏み潰すかしたのか――それっぽい障害物は見えなかったが。
車を停めて確かめたいけれど、後ろにやけに距離を詰めて走っているトラックがいて、下手なことをすると事故りかねない。
「何の、音だ」
「え……わかんね……」
焦燥が滲んだリュウタの問いに、トモキは何の役にも立たない答えを返す。
狭い車内は、さっきまでとは別種の厭な空気で満ちていく。
湧き上がる寒気のせいで、半ば無意識にハンドルを強く握ってしまったのか、肩と首筋が
「こりゃアレだろ……トモキについてきた、とか」
「バッ――ねぇよ! マジないから、そういうの。むしろアレだろ、日頃の行い的にリュウタの方がやべぇだろ」
「いやいや、献花を蹴っ飛ばすとかしてたし、どう考えてもトモキがアウトじゃね」
「いやいやいやいや、むしろ、ああいうのは構ってもらうとついてくるとか、TVで霊能者が語ってたし! となると、ケンちゃんが拝んだりしたのがマズい」
馬鹿二人が、醜い責任の
このままにしておくと危険だ――本能がそう訴えかけてくるので、俺は作り笑いで強引に雰囲気を変えようと試みる。
「お前ら、ホントにアホだな。今のは、俺がビビらせようとして出した音だから」
「マジかよ! タイミング絶妙すぎてタチ悪ぃから!」
「ま、まぁそんなこったろうとは思ったけど、運転中に何してくれてんだ」
あからさまに
寒気も自然と和らいで、自分が吐いた嘘を信じ込めそうな予感がした。
――したのだが。
バンバンバンバンバンッ!
バンバンバンバンバンバンッ!
車体のアチコチから、さっきの異音と似たものが連続して響く。
トモキもリュウタも、息を呑んで瞬時に黙りこくる。
こちらも咽喉に石が詰まったような感覚に囚われ、声を出すどころか呼吸も怪しい。
バンバンバンバンバンバンバン!
バンバンバンバンバン!
振動を伴う音が、フロント、サイド、リアのガラスを滅茶苦茶に叩いている。
フロントガラスに、薄っすらと白く小さな手形が残っているのに気付く。
目を瞑りたい――車を停めて逃げたい――でもテンパると事故る――
ギリギリのところで冷静さを保てた俺は、ブレーキではなくアクセルを踏み込んで、地方のコンビニ特有のだだっ広い駐車場へと車体を滑り込ませた。
「いやマジでマジで、シャレになってねぇだろ……」
「かっ、勘弁してくれよ……何だったんだよ、ななな何が、なぁ?」
揃って大きな溜息を吐いた後、トモキは呆然とした表情で涙目になり、リュウタはどもりながらの震え声で、自分達の遭遇したものを語ろうとする。
俺は息を切らしながらサイドブレーキを思い切り引き、座席に背中を預ける。
跳ねすぎて痛みすら感じる心臓の辺りを平手で叩き、どうにかして落ち着こうと深呼吸しようとするが、
「しっかしヤバかったぁあああ……どうなってんだよリュウタ? これどういうこと? あの展望台からついて来たとか?」
「そういうこと、なんじゃね? よくあんじゃん、心霊スポットから帰ってきたら、車体に手形がビッシリ、とかそういうの」
「マジでか。マジ心霊体験なのか……うおぁ、手形クッキリだし」
余裕を取り戻したらしいトモキとリュウタが、窓に残された大量の手形をスマホのカメラで撮影している。
まだ懲りてないのか、と思いつつも注意するのも面倒だった俺は、とりあえずウォッシャー液を出してフロントガラスの手形を一掃することに。
五往復ほどさせてワイパーを停止させるが、白っぽい手形は消えてくれない。
掃除が面倒だな、と指先で手形を軽くこすってみる。
「……あれ」
小さな手形に、スッと線が引かれた。
つまり、白い手形は内側から付けられたもの。
ということは――窓を叩いた手は、俺たちを追いかけてきたんじゃない。
この車の中に、いた。
まだ車の中に、いる。
気付いてしまうと同時に、血の気が引いて強烈な耳鳴りがした。
数拍遅れて、トモキとリュウタも状況を把握したようで、声にならない呻きを漏らす。
それから三人で一斉にドアを開け、車から飛び出すとコンビニに向かって走る。
途中でトモキが盛大に転んだが、俺にもリュウタにも助けている余裕はない。
自動ドアが開くのを待つのももどかしく、開きかけたガラス戸に体を捻じ込むようにして、店内へと逃げ込んだ。
両膝に手を付いて呼吸を整えていると、四十前後と思しきハゲた小男の店員が、こちらに
不審を楽々と通り越し、不穏と呼べそうな挙動の二人組みが駆け込んできたら、そんなリアクションをとりたくなるのもわかる。
しかし、ジロジロと見られているのは不快なので、俺はリュウタの背中を押すようにして、店の奥にあるドリンクコーナー前へと避難した。
「どどどど、どどっ、どうすんだ? どうすんのよケンちゃん? あの車、もう乗れねぇじゃん」
「そんなん言われても……俺の車だし、どうするもこうするも……大体、こんな山の中で車捨てちまったら、それこそどうすんだよ」
「でも! でもあれ、あれは無理じゃね? あんなんが居座ってる車とか、無理すぎる」
「いいから落ち着けよ、リョウタ。きっともう、さっきので終わりだって。ああやって、通りすがりの奴をビビらせてんだよ、多分」
根拠のない憶測を並べ、顔色が黒ずんでいるリョウタを落ち着かせようとしていると、転んでぶつけたらしい右膝をさすりながら、トモキがこちらにやって来た。
恨みがましい目をリョウタに向け、続けて俺の方へと視線を移動させ、冷蔵ケースのガラス戸に肩を凭れさせる。
「おっ前ら、ホント薄情な。何を豪快にオレを見捨てて逃げてんの」
「いやぁ……あの状況じゃ、多少の犠牲はやむを得ないだろ」
「とにかく、無事だったんだからメデタシだろ」
「無事じゃねぇよ! ヒザめっちゃ痛いっつうの」
ブー垂れるトモキの姿に、やっと『いつも通り』に戻った安心を感じる。
まだまだ硬さは残っているが、リョウタも笑顔の範疇に入る表情だ。
一時間か二時間後には温泉でふやけながら、全部が笑い話になっているに違いない。
そう思えるようになった瞬間――
バンッ
と、今最も聞きたくない音が、腰の辺りから響く。
何があるのか、大体想像がついてしまうので見たくない。
トモキとリュウタの、言葉になり損ねた困惑が唸り声になって漏れる。
感情を無視して体が動き、自動的に視線が下に向かう。
冷蔵ケースのガラスには、小さな白い手形が残されていた。
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