第10話 何かいる、みたいな、気がする
「何か変、とかフワフワしたこと言われてもなぁ。何かって、何だよ」
「んー……どう説明したらいいのか……」
日付が変わって二十分ほどが過ぎた、金曜だというのに客の
仕事終わりに呼び出した友人の平井に、入居して半年になるワンルームマンションで起きている異変について相談していたのだが、上手く伝えられないもどかしさに、無言の時間ばかりが増えていた。
これといって、強烈なエピソードがあるでもない。
普通じゃないことが発生していると、確信できているでもない。
だから、どうしても語り口がボンヤリとしたものになってしまう。
こちらが
「オマエがわからんのに、オレがわかるワケねぇだろ。とにかく、もっと具体的に何がどう変なのかを言ってみ」
「具体的にすんのが難しいんだが……まず、妙な気配があんだよ」
「部屋ん中に自分以外の誰かがいるとか、そんな感じなん?」
「そこまでハッキリしてないんだけどな。それと、部屋の中のモノが、いつの間にか動いてる……ような気がする」
部屋の中で感じる気配については、本格的に説明しづらい。
誰かが部屋にいる、という感覚とは少し違う。
直前まで誰かがいたような雰囲気、みたいな表現の方が近いかも知れない。
とにかく、自分以外の何者かが勝手に部屋を使っている――そういう違和感。
モノが移動していることについては、ずっと勘違いで片付けてきた。
パソコンのディスプレイの角度が動いていたり、棚に置いてあるフィギュアのポーズが変わっていたり、テーブルの右側に置いたはずのライターが左側にあったり。
どちらも気のせいということで片付けたいのだが、いくら何でも頻繁に起こりすぎていて、もう落ち着かないったらありゃしない。
「気配の正体はGとかじゃないのか。小さくても、近くに生き物がいるってのは結構察知できるぞ」
「ヤツとは引っ越してから一度も遭遇してない。それに、虫とかネズミとは、何つうか……存在感が違ってる」
「ハッキリしないのに存在感はある、ねぇ……どうもイメージできん。あとモノが動いてるってのの他に、壊れたりなくなったりはしないのか?」
「そうだな。それはなかった、と思う。多分」
曖昧さを全開にして答えると、煙草を揉み消した平井は腕を組んで考え込む。
手持ち無沙汰になった俺は、テーブルの真ん中に置かれた皿にフォークを伸ばした。
昨日の終り頃に届けられたフライドポテトは、生ぬるさと柔らかさを兼ね備えていて、食い物としてのレベルは最低に近くなっている。
「空き巣に入られてるとか、合鍵で誰かが出入りしてるとか、そういう可能性は?」
「丸出しの現金とかアクセが消えてないし、空き巣はないな」
「ブリーフが謎の白い液体に塗れてたり、シャツの乳首周辺部分だけがハート型に切り取られたりしてないか」
「どんだけ勢いのある変態に狙われてんだ! ねぇよ。あとブリーフ派でもねぇよ」
「誰かに鍵を渡してないか。じゃなかったら、鍵を失くした記憶は」
「失くしたことはないし、合鍵も今は誰にも渡してない。
そもそも、あいつとは先々月にこちらがフラれる形で別れてるし、平井が考えてるであろうストーカーっぽい行動に出るとは考え難い。
大家や不動産屋なら合鍵を持っているだろうが、イケメンでも有名人でもない俺の家に侵入する理由は思いつかない。
他に何かあるかな、と考えを巡らせていると、平井は
「となると、ハードな対策とソフトな対策の二本立てで行くしかない、か」
「どんな二本立てよ」
「監視カメラ仕込んどくのと、悪霊祓いの御香を焚いてみること」
「お、おぅ……ところで、どっちがハードでどっちがソフトだ?」
その質問には答えず、平井は年季の入ったガラケーでどこかに電話している。
漏れ聴こえる内容からすると、カメラと御香を借りに行く話しになっているようだ。
それにしてもマジかよ――と思いつつ平井を眺めていると、こちらの疑念が伝わったのか、送話口を押さえながら軽く睨んでくる。
「あのなぁ、先にワケわからん話を持ち込んだのはオマエだって、わかってんの?」
「いやゴメン。それはな、わかってる。わかってんだけど……悪霊って、なぁ」
「とにかく、何もなきゃそれでいいんだし、やるだけやってみようぜ」
「ん、ああ」
平井がどこまで本気なのかは怪しいが、やるだけやってみるのに異存はない。
通話を終えた平井は、「ちょっと待ってろ」と言い残して店を出て行った。
スマホをいじってヒマをつぶしていると、三十分もせずに平井は戻ってきた。
その手には、騒々しい模様が入った紙袋が提げられている。
「おぅ、意外と早かったな」
「持ち主、近所に住んでるんでな。使い方は、どっちも説明書的なのがあるから」
袋を渡されて、中身を確かめてみる。
ハンディカム的なものを予想していたのだが、カメラは店舗で使う防犯カメラみたいなタイプだった。
レコーダーやコード類も一緒に入っていて、何やら本格的だ。
そんな機械類に埋もれて、小さな茶色の巾着袋みたいなのが底に見える。
例の御香とやらは、この中に入っているのだろうか。
手を突っ込んで摘み上げ、口を縛った紐を解いて軽く嗅いでみる。
「ぶふっ――」
壮絶にクサい。
単純な悪臭とは言い切れないが、四六時中嗅がされていたら神経が猛スピードで磨り減りそうな、強めのパンチが効いたニオイだ。
カレーを作ろうとする時に、水を使うべき場面で水飴を使い、塩を入れるべきタイミングでピノを入れたような、不可解な甘ったるさが香ばしさに絡んでいる。
「うぅ……こんなん用意してくれるのはありがたいが……持ち主はどんなヤツなん?」
「一言でまとめると『変なヤツ』だな。ビデオは投売りされたてたジャンク品を修理したので、御香は旅先のインドだかパキスタンだかの露店で買ってきたらしい」
掘り下げてもワケのわからなさが増すだけに思えたので、雑な感じに頷いておく。
しかし平井の交友関係も、年々謎めいた感じになっているような。
巾着袋の紐を硬く締め、袋の底へと捻じ込む。
「色々とありがとな。試すだけは、試してみる」
「ああ。でもまぁ結局のところ、原因は幽霊でもストーカーでもなくて、ビデオを確認してみても斧もったピエロが映ってるだけ、とかそんなオチだと思うけど」
「なにそれこわい」
それからしばらく、『こんなのがカメラに映ってたら嫌だ』みたいな大喜利を続け、互いのネタがワンパターンになってきた辺りでお開きとなった。
フとした瞬間に不安が湧いてしまう、こちらの精神状態を
そして自宅に戻ると、やっぱりついさっきまで誰かがいたような気配が充満していて、憂鬱な気分で眠りに就くハメになった。
翌日、仕事は休みだが特にこれといった予定はなかったので、早速カメラと御香を試してみることに決めた。
旧式のカメラは、部屋の隅に置いてある本棚の上に積んだガラクタに紛れるように、部屋を
説明書によると、コマ送りのような状態で録画するので、かなりの長時間を撮影できるらしい。
御香は手に触れるとニオイが取れなくなる気がしたので、割り箸で二つ摘んで金属製の灰皿の上へと移す。
御香は円錐型で、赤を基調にした絞り染めみたいな複雑な色合いだ。
そして、やはり猛烈にクサい。
こちらの説明書はインド言葉で書いてあって解読不能だったが、普通の御香と同じように使えば問題ないだろう、と判断してライターで点火した。
とんでもない臭気が漂うことも覚悟したのだが、御香から立ち上る煙には不思議と清涼感があった――変な甘ったるさが混ざっているのは否めなかったが。
この程度の煙ならば、火災報知機に引っかかることもないハズだ。
ただ、火のついたものを放置することには若干の抵抗があったので、家を出る前に灰皿はキッチンのシンクの中へと移動させておく。
ここなら万一に火の粉が飛んだりしても、何かに燃え移る危険はないだろう。
映画や買い物で五時間くらいを適当につぶし、少し緊張して部屋の鍵を開ける。
そっとドアを開けて、薄暗い部屋を覗いてみる――パッと見では、出かける前と変わった様子はない。
御香の残り香はあるものの、息苦しくなるようなこともない。
むしろ、室内に常に居座っていた何かの気配、あれが薄らいでいるように思えた。
明かりをつけてシンクの中の灰皿を確認すると、二つの円錐がタールのような黒い粘りを含んだ灰になって燃え尽きていた。
窓は閉まっているし、天井にも壁にも床にも異変は見当たらない。
ユニットバスにも、おかしな気配は感じられない。
本当に悪霊祓いの御香ってのが効いたのかな――などと思いつつ、録画した映像を再生しようとケーブルをパソコンへと繋いだ。
慣れない操作で少々手間取ったが、数分後にはビデオを再生するのに成功した。
ディスプレイにはまず、御香を焚こうと色々準備している自分の姿が映し出される。
「こんなん見ても、なぁ」
小さく独り言を漏らしつつ、カクカク動く自分を早送りで外出させる。
普通に再生すると、どれくらいの時間がかかるのやら。
無駄な時間を過ごすハメになる予感がしたので、そのまま早送りを続けて異変が起きるかどうかを見守ることにした。
画質は粗く色彩は不鮮明で、ジッと見ていると目が痛くなってくる。
そして録画時間で二時間ちょっと、無人の部屋の映像が再生された辺り。
画面に妙な感じでノイズが入ったり、不自然な明滅が発生し始めた。
機械が古いから、こういうのも仕方ないか。
溜息混じりに早送りを続けると、今度は画面に複数のシミが浮かんで消えるのが見えた。
――何だ、今の。
あからさまな異変に、早送りを中止する。
両腕にビッシリと鳥肌が立っている。
気分的には見て見ぬフリをしたいが、それでは何のためにこんなマネをしているのかがわからない。
何度目かの、謎のノイズ。
激しく揺れる画面の中に、意味のある映像が見えた気がしてスローで再生してみるが、そうしてみると全体が融けたようにしかならず、何も読み取れない。
腹の奥からジワリとせり上がる不安を無視し、問題の場面に辿り着くのを待つ。
一分半か二分くらい後、だろうか。
画面が不意に
うぅわ――って、何なんだこれ。
滲み出るように、暗がりが濃くなって形を作る。
三十センチくらいの球形のものに、上からふわっと柔らかい風呂敷をかぶせたような。
そんな何だかわからないものが、床から次々に出現しては不安定な挙動で
自分が座っている辺りからもじわりと浮き上がってきて、リアルタイムではないのに慌てて立ち上がってしまう。
黒いのかそれ以外の暗色なのか、判別はつかない。
それらは五分ほど集まったり離れたりを繰り返し、それから画面の右側へと移動してフレームの外に消えていった。
こんなことが、三時間くらい前にここで起きていたのか。
ワケのわからないものを見てしまった混乱は、まるで治まらず徐々に悪化する。
どうするべきなんだ。
平井に連絡――してもしょうがないな。
逃げるにしても、すぐに引っ越せる金銭的な余裕はない。
しかし、悪霊祓いの香が効いたってことは、アレは悪霊の類なのか。
つうかココ三階なのに、アレはどこから湧いてきた。
そしてドコに行ったというのか。
あれが消えたのはベランダに通じる窓の方でも、玄関やユニットバスがある方でもない。
ベッドと、その奥に備え付けのクローゼットがある壁面だ。
まさか、布団の中に潜り込んだりしてないだろうな。
不快感を噛み殺しながら、安全確認をしようとベッドに近付こうとする。
その途中、消えていた『何かがいる気配』が、凄まじい濃度で押し寄せてくる。
「ふぅうっ、うぇえ、ぇげっ」
思わず変な声が出てしまう。
3D酔いに似ているが、それよりも遥かに強烈な吐き気が、唐突に胃の辺りに居座る。
口腔に広がる苦酸っぱさに耐えながら、気配の出所を探って視線を巡らせると――
目が合った。
黒目の小さい、白目の黄ばんだ、感情の伝わってこない、直径五センチくらいの目玉。
それが、クローゼットの隙間からコチラを見ている。
縦に並んだ目玉の数を七つまで確認したところで、視界が暗転した。
意識が飛ぶ寸前、クローゼットの開く音を聞いた――
みたいな、気がした。
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