07-4 サミエルの切り札

 昼になり、伊羅将たちは食堂に向かった。今日は学食も一般開放され、特別メニュー「コンパニオンアニマル定食」が提供されている。


 意外にと言ったら失礼だが、これがそれなりのデキ。キャラ弁とまではいかないが、弁当箱に盛り付けられて、ご飯にネコの顔が描いてある。


「かわいいですね、これ」


 思わず食堂スタッフの女性に言うと、微笑まれた。


「犬版もあるよ。……あとマニア向けに蛇バージョンも」

「俺、蛇にしてみようかな」

「ダメだよイラくんはネコじゃないと。はい」


 花音に手渡された。


「君、彼女の言うことは聞かないとね」


 スタッフに笑われた。コンパニオンアニマル科の食堂は初めて入ったが、スタッフと言えども若い。二十歳くらいのお姉さんだ。


 全員でその「ネコ定食」を平らげると、午後は外に出て、校庭や体育館のイベントをチェックして回った。「しつけコンテストゲーム」「ワンちゃんお見合い」「お笑いステージ! こんな飼い主は嫌だ」とか。それぞれ生徒がせいいっぱい考えて工夫したもので、伊羅将は感心した。


「コンパニオンアニマル科って、みんな凄いんだな」

「そうだろ。普通科の生徒と違って、目標をしっかり持ってるから、大人なんだ。あたしもそこに進んで、しもべをうまく操る方法を学びたくてさ」

「……ネコの飼い方だろ」

「まあ、ヒトの飼い方だけどもな」


 ――相も変わらず、自分でネタバレしてりゃ世話ないな、リンの奴。


 体育館に赴くと、「ネコちゃんふれあいコーナー」があった。囲いの中に子猫がたくさん放されていて、来訪者が入って遊ぶ「猫カフェ」的スペースだ。どれも保護ネコらしく、展示には「どの子も飼い主募集中です」と書かれている。


「わあ、かわいい」


 花音は目を細めた。


「イラくんも入ってみなよ、ほら」

「い、嫌だよ俺。猫アレルギーなのに」

「いいからさ」


 リンに押し込まれた。仕方なく、スペースの隅のほうに突っ立つ。そのとき、奇妙なことが起こった。にゃあにゃあと、子猫が次々、伊羅将に駆け寄ってきたのだ。


「く、来るな、来るなーーーっっ!」


 伊羅将は身を狭めるように棒立ちになったままだ。


「わあ。イラくん、モテモテだね」


 花音が楽しげに微笑む。


「あらあなた、ネコちゃんにもてるのねえ。……きっといい人だからに違いないわ」

「支配人」と書かれた名札を超絶巨乳に留めたメガネ女子が、うれしそうに頬を緩めた。


 ――いやそれ違うだろ。ネコネコマタ王家とか仙狸と始終一緒にいるから、なにか猫を引き寄せる匂いかなんか、服か体に染み着いてんだろ多分――とは、あとから思ったこと。その場の伊羅将はパニック寸前で絶叫していた。


「寄るな、寄るなーっ――ックション」

「あの顔……」


 情けない顔でくしゃみを繰り返す伊羅将を見て、リンがゲラゲラ爆笑している。


「仕方ないなあ……。これが物部の惣領とはねえ」


 レイリィも苦笑している。陽芽になんとか救い出されてほうほうの体で逃げ出した伊羅将は、ぐったりと疲れ切っていた。とにかくひと休みをとヨロヨロ「爬虫類カフェ」に向かうと、怒鳴り声が聞こえた。サミエルだ。カフェ店員役の女生徒を泣かしている。


「CAなんて、偏差値が低くて学園の価値を下げるクズばっかりなんだからな。せめて私を特別扱いするべきだろう。できないのなら、学園から追い出してやる。貴様、名前を教えろ」


 大声で息巻いている。周囲の生徒は皆、サミエルを恐れて、陰でこそそこ悪口を言うだけだ。それを意識して気持ち良さそうに唇を歪めると、さらに増長して怒鳴っている。


「よせ、サミエル」


 反射的に、伊羅将は一歩踏み出した。我慢できない。


「女の子が泣いてるじゃないか」

「おや、お前……」


 伊羅将に視線を移すと、なにかを思い出そうと、斜め上を向いた。


「そうそう……お前。名前を調べたぞ。たしか物部とかいう、ふざけた奴だ」


 ――作務蚯慧琉サミエルのが大笑いだけどな。


 頭の中でツッコんだ。


「物部、お前を退学に追い込むことなんて、簡単なんだぞ」


 サミエルはヘラヘラ笑っている。


「やめてよ、サミエルくん」


 花音が叫んだ。


「みんな困ってるじゃない。サミエルくんなんて嫌い」

「おや、嫌いなんて、初めて言われたがな。お前に」

「それは……」


 王族としての配慮から、これまで本音を出してこなかったんだなと、伊羅将は推測した。楽しそうに、サミエルはニヤけている。


「いいのか、花音。未来のご主人様に対して。お前は私の所有物のくせに」

「ち、違うもん」

「所有物さ。ほら」


 制服のポケットから、天鵞絨びろうど張りの小箱を取り出した。蓋を開けると、中身を見せつける。


 ――なんだ? 猫目石のような……。


 伊羅将は首を傾げた。大事そうに収められていたのは、ピンポン玉ほどの大きさの、濃い琥珀色の宝石だ。


 深みを感じさせる色合い。透き通ってはおらず、輝く微粉末を閉じ込めてあるかのようだ。光を微細に反射して、中央には猫目状の乳白色の筋が入っている。


「お、王家の……珠」


 花音が息を飲む。


「そうさ。受け取れ」


 箱を花音の手に押し付ける。


「お前、ずっと探してただろ。結婚相手として、自分を助けた『お兄ちゃん』を」

「……それは」

「今まで言わなかったが、この鷹崎サミエル様がお前を助けたのだ。私はなあ、お前に先入観のない『自らの心』で好きになってもらいたかった。だから言わないでおいてやったのに」


 花音の肩に手を置いた。


「だが、お前が恩知らずにも私をないがしろにすると言うなら、仕方ない。慎み深い私と言えども、証拠を出すしかないだろう」

「そんな……イラくんじゃあ……」


 大事そうに珠を抱えた花音の手は、震えている。


「……さて。こっちに来い、花音」


 手を掴んで力任せにひっぱった。


「いやっ痛い」

「これからひと晩かけて男子寮特別室の俺様の個室でふたりしっぽり、結婚式の段取りを話そうじゃないか。あと一週間だからな。キヘヘッ」

「……で、でも」

「来るんだっ」

「お待ちなさい」


 陽芽が立ち塞がった。


「たとえ副理事長の息子と言えども、横暴が過ぎますよ」

「うるさい。文句があるなら、お前の親父から私の父を通して言え」

「放せ。嫌がってるじゃないか」


 伊羅将がサミエルの腕を掴んだ。ぎりぎりと、握力の限りに握り締める。


「……ふん、負け犬が」


 嘲笑を浮かべると、手を振り切った。


「いい加減にしろ、鷹崎」


 林先輩が一歩踏み出した。


「生徒会の役員でもないのに、勝手なことばかり言うな」

「そうだ。お前のようなクズが、中等部の生徒会に君臨できた理由をバラしてやろうか」


 同級生の竹内も声を上げた。


「そうだそうだ。男子寮でもひとりでワンフロア占拠しやがって」

「お前、去年潰した空手同好会に狙われてるぞ。ざまみろ」

「テストのカンニング疑惑もあるしな」


 周囲の生徒が口々に叫び始めた。皆、サミエル一派にこらえ切れないほどの不満があるので、いったん始まるともう止まらない。


「黙れ、クズども」


 サミエルが叫んだ。


「お前ら、知ってるぞ。『陰のなんとか』とか、こそこそやってる奴だ」


 林先輩や竹内を睨んでいる。


「これまで証拠がないんで手出しできなかったが。くくっ……バカな奴だ。こんなところで尻尾出しやがって。副理事長から処分が行くから覚悟しとけよ。私の式が終わって時間ができたらな。楽しみにしておけ」


 伊羅将を振り返った。


「それに物部。神辺花音はこの鷹崎作務蚯慧琉のものだ。五月一日に婚約するからな、キヘヘッ。もちろん実質的には結婚だから、ふたりで新婚の愛の巣を築くぞ。お前のようなカスとは、口もきかせない。それまでせいぜい遠吠えしておけ」


 ゆっくりと歩み去って行く。途中、目に入る生徒を怒鳴りつけながら。


「イラくん……」


 伊羅将の腕をすがるように抱えて、花音はがくがく震えている。


「こ、怖い……」

「安心しろ。俺が護ってやるから」

「うん……」


 ぎゅっとしがみついてくる。花音を安心させ自分に言い聞かせるように、護ってやるから――と、もう一度繰り返した。

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