ネコの裁きは近いかも。ね。――彼女ができた。けど全員ヘンだった

猫目少将

聖地蹂躙編

01「ネコの手」の約束

01-1 花音の初めての、エッチな――

「くそっ。どいつもこいつも人の名前で笑いやがって」


 駅前を抜け、目に入る石ころを片っ端から蹴り飛ばしながら家路を辿る高校生の姿があった。悪態の内容からは、どうやら新入生に思える。


「悪かったな、物部伊羅将もののべのいらはたなんて仰々しい名前で。はいはい、物部氏とは無関係ですよっと。くそっ」


 別に宮司の一家ではない。近親にこそ宮司はいるが、父親は単なるC級サラリーマンだ。


 ――苗字だけでも恥ずかしいのに、なんだよこの名前。家のしきたりだか知らないけどさ。苗字が「もののべ」で名前が「いらはた」なのに「の」なんて入れちゃうから、正式には伊羅将と書いて「のいらはた」じゃん。なんだよ、この「の」は。どっから出てきたんだっての。


 あまりに恥ずかしいので、昔から自己紹介のときは「ものべ・いらはた」と名乗ることにしている。それでもだいたい笑い者になる。歩いて行ける近所だし授業料が安いので入った高校でも案の定、入学初日からどっと笑われ、すっかりむかついているのだ。


 下を向いてせかせか歩きながら、石ころを蹴りまくる。鉄錆色の石があったのでそれを蹴ると、思ったより上に飛んでしまい、壁に当たってぼすっと音を立てた。


 ――やべっ。誰かに当てたらモメるとこだった。


 それにしてもコンクリの壁で「ぼすっ」というのも変だ。頭を上げて見ると、縦長のポスターに当たったとわかった。


「ネコの裁きは近いかも」――白地に赤い文字で、それだけ書いてある。


「なんだこりゃ……」


 伊羅将は首を捻った。厳密に言えば「ネコの裁きは近いかも」で、「ネコ」の部分だけ横にカナが並んでいる。


「そうか……」


 なんとなくわかった。これ元は、「神の裁きは近いかも」だな、きっと。誰かが白ペンで棒を何本か消してしまったのだ。だから「神」が「ネコ」になったに違いない。人のポスターで遊ぶなんて、悪い奴だ。


 ――ま、悪いは悪いにしても、思いつくもんだなー。


 むかつきも忘れて感心した。バッグからペットボトルを出してお茶をひと口飲むと、歩き出す。ところが十歩も進まないうちに、また別の奴が二枚、目に入った。



「ネコをかわいがってください」

「ネコは見ていますよー」



 やはり同様だ。「ネコ」部分だけ横に並んでいる。


 ――ポスター多いな―。てか、イタズラの執念。


 しばらく歩くと、同じようなポスターが次々に見つかった。



「人類とネコが平和だといいなあ」

「ネコはあなたを愛す 永遠に」

「ネコと仲良くしましょう」

「ネコと和解してくださいねー」

「ネコも去勢は嫌です」



「うーん……」


 伊羅将は唸った。最初のものからして言葉遣いが妙に柔らかいと思ったが、こうして見てくると、なんとなく宗教関係とは違う気がする。


「神と仲良くしましょう」なんて、なんだか神様に失礼なくらいなれなれしいし、「神をかわいがってください」もおかしい。「神も去勢は嫌です」に到っては、むしろ言語道断だろう。もしかしてイタズラされたわけではなく、単なる動物愛護の標語なのだろうか。


 ――でもそれだと「ネコの裁きは近い」が謎すぎる。


 他にも変なものがないかときょろきょろしながら、伊羅将は街角を歩き回った。

 と、同じ白地に赤文字のポスターが、道の真ん中に落ちている。拾ってみると、こうあった。



「ネコの手募集中!」



「みーつけたっと」


 急に腕に抱きつかれた。女子だ。多分同じ学校。セーラー服が、中等部の制服と同じに思える。髪はゆるふわ。それに腕に当たっている胸は柔らかい――って、あたりまえか。女子の胸を体で感じたのは初めてなので、とりあえずうれしいが、誰だよこいつ。


「みーつけたっと……とか言うけどお前、お前なんて知らないぞ。誰だよ」

「えへっ」


 疑うことを知らないような大きな瞳で、微笑まれた。


 ――かわいい。ウチの学校、こんな娘がいたんだ。知らんかった。今後に希望が持てるな。


「私、花音。神辺花音かんなべかのん

「かのん」

「そう。あなた、手伝ってくれるんだよね。うれしい」


 腕を離した。期待に満ちた目で、伊羅将に視線を注いでいる。


「て、手伝う?」

「お手伝い募集のポスター、拾ってくれたじゃない」

「ああ、これ」


 手にしたポスターを、伊羅将は改めてまじまじと見つめた。たしかに人手(だかなんだか)募集だな、これは。


「落としちゃって拾おうと思ったら、あなたが……」

「……」

「誰も見つからなかったらどうしようかと、困ってたんだよ」


 瞳を和らげた。


 ――ヤバい。かわいい。


 伊羅将はふらふらしてきた。


「ところで、あなたのお名前をまだ聞いていないけれど」


 首を傾げた。


「……伊羅将」

「いら……はた」

「物部伊羅将」

「もののべのいらはた……くん」


 つい本名を名乗ってしまった。


「かわいい名前」

「かわいい? これが?」

「うん」


 微笑んでいる。


「でも、少しだけ呼びにくいかも……」


 なにか考えている様子だ。


「……そうだ、イラくんがいい」

「イラくん?」

「そう。もっとかわいいもの。よろしくね、イラくん」

「よ、よろしく」


 下級生に「イラくん」扱いされたが、思わず反射的に頭を下げてしまった。


「ねえ……。拾ってくれたわけだし、その……少しだけ協力してくれるかな……。もう時間がないの。十五歳になったら花音は……」


 顔が曇った。


「うん……平気だもん。きっと……」


 溜息をつくと、ポスターの束を伊羅将に手渡した。


「悪いけれど、これ持ってもらえるかな……」

「へ?」

「さあ行こうか、イラくん。……そういえばイラくん、今朝、学園で見かけたよ。進級組じゃなくて、高等部からの『ご新規さん組』なんだね」

「えと、手伝いって……」

「いけない、早く貼らないと。ほらほら。手伝ってくれたら、お礼にいいことをしてあげる」

「いいこと……?」

「うん。ものすごく恥ずかしいけれど、花音の初めての、エッチな――」

「やる」


 伊羅将のエロセンサーが、思わず反応した。こんだけの美少女からエッチなご奉仕をしてもらえるなら、一日ポスター貼るくらい、苦でもない。というか、なんなら体中にポスター貼って練り歩いてもいい。


「ありがとう。よろしくねっ」


 邪気のない笑顔で、花音はペコリと頭を下げた。


         ●


「な、なあ……。なんのポスターなんだ、これ」


 言われるまま、商店に挨拶してはポスターを貼り続けているが、意味がわからない。


「読んで字のごとしだよ」

「はあ……。ネコは見ていますよーって、なに」

「ネコは見ているんだよ。みんなの行いを」


 ――なるほど。神じゃなくて「ネコ」方面で間違いはないわけだ。


「早くエサくれとか、こいつ、また風呂も入らず寝てるよ、とか?」

「そうそう。理解が早いね。イラくん、すごーい」

「別に凄くはないだろ。それでさ、なんでネコだけ横書きなんだ」

言霊ことだまがあるから」

「言霊?」

「うん」


 さも当然といった顔つきだ。ふざけているようには見えない。


「なんだかわかんないけどさ。んじゃあ、去勢は?」

「イラくんだって、タマタマを去勢されたら嫌だと思うんだけれど。睾丸は、大事なところと聞いているし……」


 急にマジな顔で見つめられた。てか、かわいい口からけっこう露骨な単語が出てくるな。


「ま、まあね」

「ネコも同じじゃないのかなあ……」

「そうだろうけどさ。……なら、ネコの裁きってのは?」

「それを止めるの。花音とイラくんで」


 手を握られた。


「えーと……」


 ――まっいいや。どうやらこいつは「アレな人」らしい。早いとこエッチなご褒美もらって退散だな。


         ●


 結局、学園の最寄り駅周辺に、ポスターを六十枚も貼らされた。手のあちこちが紙で切れて痛むし、指には紙の粉がついて、指紋も磨り減るくらい。


 最後の三枚を豆腐屋に貼らせてもらうと、花音に小さな児童公園に誘われた。


 こんなど田舎でも少子化は激しいから子供はほとんどおらず、チマチマした犬を散歩させるジジババばかりが目につく。伊羅将と花音がベンチに座ると、犬が遠巻きにくんくん鳴いた。


「ご苦労様、イラくん」


 花音にペットボトルのお茶を手渡された。


「ありがと。……お前、いつもこんなことしてんのか?」

「ううん。ポスターは今日から始めたの。だって……」


 ペットボトルをスカートの上にちょこんと持って、瞳を陰らせる。


「こうでもしないと、もう時間がないもの。みんな、いつまで経ってもわかってくれないし」


 ネコと仲良くするのがそんなに重要とはとても思えなかったが、言わなかった。それはもうどうでもいい。早くご褒美をだな……。


「うへん」


 さり気なく咳払いして促したが、気づかないようだ。次第に暗くなる夕暮れの街を、花音は眺めている。瞳に街の灯が映っていた。


「な……なあ」

「なあに。イラくん」

「あのだな。ほら……」

「……?」

「約束の……その……」


 首を傾げたまま、黒目がちの瞳に、じっと伊羅将を捉えている。嫌な体験ひとつしたことのなさそうな瞳だ。なんとなく罪悪感を感じた。エッチなご褒美目当てで、ちょっと「アレ」な娘の真心を踏みにじっているような。


「約束したじゃないか。手伝ったら、お前のエッチな――」


 罪悪感を押し潰して口にした。


「ああ、思い出した」


 花音は、屈託のない笑顔を浮かべた。


「ごめんねイラくん、忘れてて。ちょっと待ってて」


 ペットボトルを地面に置くと、花音がにじり寄ってきた。ふんわりした髪や柔らかな体が密着し、女子のいい匂いがする。柄にもなく、伊羅将はドキドキしてきた。


 隣にぴったり着くと、しばらく下を向いてもじもじしていたが、花音はゆっくり顔を上げた。濡れた瞳が、じっと伊羅将を見つめている。


「ちょっと恥ずかしいけれど……約束だものね。イラくんにあげる。花音の初めての……」


 顔が近づいてきた。花音はそっと瞳を閉じる。唇が、わななくように開いている。伊羅将も思わず目をつぶった。


 ――まさかとは思っていたけど、初めてのキスってマジかよ、これ。


 伊羅将のコーフンが頂点に達した瞬間、耳元で囁かれた。


「はいこれ。恥ずかしいけれど……初めての花音の秘密」


 ――えっ耳? 唇は?


 まぶたを開けると、目の前に四角い紙が突き出されている。



神辺花音

ID:kanokano_*****



「これは……」


 名刺に思える。てか名刺だろ、SNSのID入りの。かわいらしいネコのイラストが入ってるし。


「花音の名刺。生まれて初めて作ったんだよ。ようやくスマホ買ってもらえたから」

「……」

「……」

「……あの」

「なあに、イラくん」

「『花音の初めてのエッチな――』ってのは」

「これだよ」

「エッチって意味、知ってるか?」

「うん。初めて作った名刺で、エッチな人に渡したら大変だよって、お母さんが」


 無邪気に微笑んでいる。


「いらねええええええーーーーっっっっ!」


 魂の奥底から、叫び声が噴出した。どこがエッチなご褒美だよ。てか、名刺なんか作るかあ? スマホで一発じゃねえか。どんだけズレてるんだ、こいつと母親。


「わあ。そんなに喜んでくれるんだ」


 花音は頬を緩めた。


「男の子って優しいんだね。……それとも、イラくんだけなのかな」

「誰が喜んでるんだよ。くそっ、時間を無駄にした」

「なんで怒ってるの、イラくん」

「くそっ、もう帰る。おいお前、エッチなご褒美ってんなら、せめて胸ぐらい触らせろよな」

「胸……」


 花音は首を傾げた。


「触りたいのなら……どうぞ」


 伊羅将は驚いた。バカかこいつ。見ず知らずの男に。身の危険を考えもしないのか。


「はい。イラくん……」


 体を寄せてくると、ぐっと胸を突き出す。あたりを見回して人気がないことを確認してから、伊羅将はそっと触れてみた。



 ふにゃん。



 そんな音がした。いや、した気がする。それだけ柔らかい。セーラー服が分厚いから細かな形はよくわからないが、とにかくこれはまごうことなき女子の胸だ。そう、夢にまで見た――というか夢でしか見たことのない。


 思わず無言になって、何回かこねるように触ってみた。花音は黙ったまま、じっと伊羅将の目を見ている。


「もう……いい」


 なんだか自分が極悪人になった気がして、伊羅将は手を離した。感激したのは最初だけだ。あとは自分が嫌な奴に思え、どんどん気分が悪くなった。


「もういいの?」

「うん。……ありがとう。触らせてくれて」

「いいよ。イラくんにはなんだか許していい気がしたもの。こう……なんて言うのか、怖いことはしなさそうだし」

「そうか」


 ほめられてるのか痴漢認定されてるのかわからん。


「えへっ。じゃあまた明日、手伝ってね」

「明日……」

「そう。放課後、この公園に来てくれたらうれしいな。……待ってるよ、花音」

「嫌に決まってんだろ。もうゴメンだ」

「そう……」


 花音の顔が、寂しげに陰った。


「イラくんにも、自分の勉強があるものね」


 ほっと息を吐いた。


「また誰か探すしかないか……。誰かいるかなあ、重いポスターを持ってくれる男子……」


 なにか不思議な感情が、伊羅将の心をかすめた。


「お前、そいつにも胸を触らせるのか?」

「わからない。怖くない人で、名刺で足りなければ、そう言ってみるかも……。イラくんは喜んでくれたしね」

「仕方ねえなあ……」


 伊羅将は、溜息をついた。


「なんかお前ほっとくと危ないから、やってやるよ」

「ほんとう?」


 花音の瞳が輝いた。


「ま、暇だしな」

「えへっ。ありがとうイラくん。きっと助けてくれるって、信じてた」

「お、おう」

「約束だよ」


 手を差し出してきたので、握り返して握手した。


 ――どこの外交官だよ。……なんか調子狂うな、こいつ。


 花音に手を握られたまま、恥ずかしくなって伊羅将は瞳を逸らした。

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