チェスセット【カステラとアッサム】

「参りました」

 先生が投了する。


「チェスではキングの駒を倒すのが粋な投了の仕方ですよ」


「あ、洋画で見たことあります!」

「見栄えがいいから映像作品だと大体キングを倒しますね」

 やはりまだまだチェスと将棋のカルチャーギャップは大きい。

 対局のたびに様々な問題が出てくる。


「タッチ&ムーブ!」


「え、なに?」

「タッチしたピースはムーブしないといけまセン」

「将棋では駒の位置を直したり、持ち上げた駒を元の位置に戻すのは普通だが。チェスでは位置を直すならそう主張しない限り、触った駒を動かさないといけないんだよ」


「……どう動かしてもクイーンが死ぬんだけど」


 自業自得。

「さて、勝利のおやつをいただこうか」

「ヤマブキイロのお菓子でございマス」

「くくく。越後屋、お主も悪よのう」

「オダイカンサマにはかないまセン」

「……なにをやっているんですか?」

「様式美」

 無論、菓子折りに包まれているのは田沼意次へのワイロなどではなく、南蛮渡来の『かすていら』だ。

 知り合いから土産でもらったものである。

 山吹色のお菓子に吸い取られる口内の水分を、牛乳で補うのがたまらない。

 北原白秋の『ロンドン』を思い出す。


かつはさみしき唇に

カステラの粉をあつるとき、

ひとりとくとく乳ねぶる

あかんぼの頭にくらしや。


 ただカステラに牛乳というのは俺だけのようで。

「アリスはアッサムをいただきマス」

「先生も紅茶でお願いします」

「私も」

「……わかった」

 カステラならセカンドフラッシュだな。

 それもミルクティーがいい


「せっかくの南蛮菓子だ、これを使え」

 金平糖の瓶を取り出す。

 青・黄色・ピンク・紫・黒と彩り鮮やかだ。

「ほわい?」


「金平糖の原料は氷砂糖なんだぞ」


「へー」

 金平糖コンフェイトもカステラ(カスティーリャ)と同じく南蛮渡来。

 紅茶に普通の砂糖を投入するよりも、金平糖を一つまみ入れる方が風情もある。

「あむ」

 だがアリスはロシアンティーよろしく、金平糖を舌の上で転がしながら紅茶をたしなんだ。

 イギリス人がやると絵になるな。


「カステラを二人占めにはさせないわよ!」

 残りのカステラを賭けて二局目開始。

「ねえ、このポーン次の一手でクイーンに成れるんだけど。ここから動かしちゃうと他のポーンと区別がつかなくならない? 将棋と違って駒裏返せないし」

「他のチェス盤から駒を持ってくるか、相手に取られた自分の駒を使うのが普通なんだが……」

「こちらはまだ対局中です」

「クイーンも取られてまセンよー」


「そういう時は『ルックを上下逆さまにして使う』んだがそれもない、と。こうなったら最後の手段。一つのマスにポーンを2つ置く!」


「ええ!?」

「強引だがそうするしかない」

 問題が噴出しすぎて面白くなってきた。いたずら心が湧いてくる。

「それ」


 意図的にキングを相手のクイーンの射程範囲内に置く。


「あ、それチェックメイト!」

「だと思うだろ?」


 何事もなかったかのようにキングを戻す。


「あれ、タッチ&ムーブ?」

「将棋では反則をした方が負けになる。でもチェスで反則した場合、その手を戻して再開するんだよ。そしてチェスでは自分からキングを死ぬ位置に移動することは出来ないし、チェックをかけられてるのにキングを見捨てる手を指すことはできない。必ず指し直しになる。というわけでチェックメイト」

「わっ!?」

「6手詰みだな。いや、チェスでは相手の手数を数えないから3手詰みか。ちなみにさっきのキングの話だが、こういうのもある」


端端端

 K(黒のキング)

 B(白のビショップ)

 K(白のキング)


「どう思う? ちなみに手番は黒で、キング以外に動かせる駒はない。キングは1マスでも動いたら死ぬ」

「詰んでる」

「それが違うんだな。これ引分けなんだよ」

「え?」


「『ステイルメイト』ってルールだ。さっきも言った通りチェスでは自分からキングを殺す手は指せないんだよ」


「自殺の禁止だと考えるとキリスト教の影響を感じますね」

「おお、なるほど」

 そういう解釈もあるのか、考えたこともなかった。

 さすが世界史教師。

「チェスは面白いゲームだが、引分けが多いのが難だ。残った駒によってチェックメイトできるかどうか決まってしまう」

 チェックメイトするために必要な最小限の組み合わせというものがある。


 クイーンだけ、ルックだけ、ビショップ2つ、ビショップとナイトのいずれかの組み合わせなら、キングと協力してチェックメイトできる。

 ポーンだけでも、プロモーションさせられればチェックメイトできる。

 ビショップやナイトだけではチェックメイトできない。

 ナイトは動きが特殊すぎて2体いてもチェックメイトは難しい。

 またビショップは白のマスの上にいるなら白、黒のマスの上にいるなら黒にしか移動できない。

 お互いのビショップが違う色のマスだと、ビショップで相手のビショップを取ることが出来ず引き分けになりやすい。


「しかもチェスは先手が有利だから後手は始めから引き分けを狙ってくる」

「……じゃあ十番勝負で2勝1敗7引き分けでも」

「場合にもよるが、2勝している方の勝ちだな」

 もう少し引き分けが少なければ面白いと思うのだが。そこは文化の違いか。


「キングとポーンの組み合わせでチェックメイトできるってことは、いかにポーンをクイーンにプロモーションできるかが鍵になる」

「ポーンをクイーンにプロモーションって。アイドルのプロデューサーみたいね」

「アイドルより簡単だぞ。相手にキングしか残ってないのなら、ポーンが2つあれば絶対プロモーションできる。ポーンが一つしかなくてもキングが正方形の外にいれば確実にプロモーションできる」

「正方形?」

「マス目の正方形だ。たとえば3×3の正方形の中にキングがいて、白の手番の時、プロモーションできない」


K口口

口口口

口口P


「逆に一マスでも外にいると」


K口口口

口口口口

口口口P


「確実にプロモーションできる」

「ショーギよりわかりやすいデース」

「最小戦力より駒が残っていても。ポーンが相手より多いならそれ以外の駒を切るとプロモーションしやすい。少なければポーンを切る」

 引き分けが多いのはあくまでプロでの話。こういう基本を押さえておけば必ず決着がつく。


「もう一局よ!」

 カステラはあと2つ。最後の対局だ。

「次にアユ太と指すのはアリスです」

「む」

 二人が睨みあった。

「なら間を取って先生と指しましょう」

 面白がって先生も参戦する。

「……そんなことで揉めなくても」


「そんなことじゃないわよ! あんたは誰と指したいの!?」


 三人にずんと迫られた。

 どう答えてもしこりが残る。


 なぜ現実にはステイルメイトがないのだろう。

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