古将棋セット【林芙美子の朝御飯】
「ぐっもーにん!」
「おはようございます」
「……おはよー」
「おう」
先生はいつも朝飯を食いに来るのだが、朝から全員が顔をそろえるのは珍しい。
特に低血圧の誰かさんはいつも遅刻ギリギリまで寝ているのでなおさらだ。
「……私コーヒーね」
「あいよ」
熱々のコーヒーを淹れる。
「ほれ」
「あれ、これだけ?」
「それだけだが?」
「いや、パンとか小倉あんとかゆで卵とかサラダとかついてくるもんじゃないの?」
「……名古屋じゃないんだぞ。そんなサービスはない」
「えー」
「どうしてもというならトーストだけはサービスしてやろう」
「ケチ」
「誰がケチだ。林芙美子の『朝御飯』にも出てくる組み合わせだぞ」
「林芙美子?」
「『放浪記』の作者ですね」
「ローリンガール!」
おそらく小説より舞台版のほうが有名だろう。
喜びのあまりヒロインがでんぐり返ししてしまうのが見せ場であり、『でんぐり返しできなくなったら引退する』と語っていたほどだ。
単独主演(同一俳優による主演回数)2017回の国内記録も持っている。
日本を代表する舞台だ。
なお『朝御飯』だとコーヒーとトーストは、
『――梅雨時の朝飯は、何といっても、口の切れるような熱いコオフィと、トオストが美味のような気がします』
と記述されている。
「他のはないの?」
「トマトとピーナツバターのパンと、ピクルスとマスタードのパン、どっちがいい?」
「ピクルス」
「アリスはトマトをプリーズ!」
「あいよ」
『これからはトマトも出さかる。トマトはビクトリアという桃色なのをパンにはさむと美味い。トマトをパンに挟む時は、パンの内側にピーナツバタを塗って召し上れ。美味きこと天上に登る心地』
『ありがたいことに、このごろ酢漬けのキュウリも、日本でうまく出来るようになったが、あれに辛子をちょっとつけて、パンをむしりながら砂糖のふんだんにはいった紅茶をすするのも美味い』
「先生にはウイスキー入りの紅茶がオススメです」
「朝から優雅ですね」
『このごろだったらキュウリをふんだんに食べる。キュウリを薄く刻んで、濃い塩水につけて洗っておく。それをバタを塗ったパンに挟んで紅茶をそえる。紅茶にはミルクなど入れないで、ウイスキーか葡萄酒を1、2滴まぜる。私にとってこれは無上のブレック・ファストです』
林芙美子の朝御飯には他にも、
『夏の朝々は、私は色々と風変りな朝食を愉しむ。「飯」を食べる場合は、たきたての熱いのに、梅干をのせて、冷水をかけて食べるのも好き』
『そのほか私の発明でうまいと思ったものに、パセリの揚げたのをパンに挟むのや、大根の芽立てを摘んだつみな、夏の朝々百姓が売りに来るあれを、青々と茹でピーナツバタに和えてパンに挟む。御実験あれ。なかなかうまいものです』
などがあり、読むだけで腹が減ってくる。
料理系のエッセイの中でもオススメの一作だ。
「まだ時間があるな。一局指していこう」
朝飯をつつきながら、駒袋から適当に駒を取り出す。
「お、『無明』だ。珍しいのが出てきたな」
● ●
無●
●
「どういう駒なんですか?」
「無明は取った駒と入れ替われる」
「ちぇんじりんぐ?」
「無明で飛車を取ると、飛車になれるってこと?」
「逆だ。無明を取った駒が、無明の成り駒『法性』になる」
「取った駒を弱体化させる駒ですね」
「いえ、逆です。法性はクイーンと獅子の動きができますから。かなり強いですよ」
「は?」
「クイーンの動きをした後に獅子の動きはできませんけど。盤上を縦横無尽に走り回れる獅子です」
「……なにそれ、いまいち使い処がわからないんだけど」
●●●●●
●●●●●
●●法●●
●●●●●
●●●●●
● ● ●
● ● ●
●●●
●●●法●●●
●●●
● ● ●
● ● ●
一手目で『自分の周囲8マスを越えて移動する』と、2回目の行動はできなくなる。
つまり『クイーンの動きを2回することは不可能』。
文字通り獅子の動きと、クイーンの動きしかできない。
「法性を取っても入れ替わるんですか?」
「はい」
ぶつかると体が入れ替わる。
漫画みたいなシチュエーションだ。
「でもこれだけだと物足りないわね」
「なら他の駒も出そう」
『大将』『副将』『飛将』『角将』『猛龍』
「基本的にどれも同じ能力を持っている駒だ。ちなみに秀吉が『王将』を『大将』にした駒を使ってたらしいが、それとは関係ない」
「へー。じゃあ豊臣家の天下が続いてたら餃子(チャオズ)の王将は餃子の大将だったのかもしれないのね」
微妙に語呂が悪い。
「これは強いんですか?」
「古将棋でも最強クラスの火力ですね。進行方向にいる駒を全部取れますから」
「ふぁっ!?」
「……すいません。ちょっと言ってる意味がわからないんですが」
「たとえば飛将は飛車のように前後左右へ走れる駒なんですけど……。進行方向に駒がいても止まらず直進できます」
「駒を貫通するんですか?」
「はい。しかも敵味方関係なく皆殺しにします」
「ジェノサイド!?」
インフレここに極まれり。
例 飛将
・ ・ ・ 口 ・ ・ ・
・ ・ ・ 口 ・ ・ ・
・ ・ ・ 口 ・ ・ ・
口 口 口 飛 口 口 口
・ ・ ・ 口 ・ ・ ・
・ ・ ・ 口 ・ ・ ・
・ ・ ・ 口 ・ ・ ・
飛車と同様に前後左右へ何マスでも進める。
しかも『敵味方を問わず進行方向にいる駒を皆殺し』にできる。
例 飛─金─銀─桂→香
全ての駒を貫通して取ることができる
「将棋盤は9マスだから、一手で最大8枚の駒を殺せるわけだ」
「前代未聞の八胴(やつどう)ですね」
「そういえば記録に残ってる限りでは七胴落としが最高でしたっけ」
「しちどー?」
「刀の試し切りの話だ。昔は罪人の死体を重ねて試し切りをしててな、七胴は七つ重ねた死体を真っ二つにしたって意味だ」
「うえ……」
「ただし貫通できるといっても制限がある。駒にはそれぞれ格があって……」
ホワイトボードに張り出す。
玉・太子>大将>副将>飛将・角将・猛龍>その他
「格上の駒は取ることも出来ないし、同格の駒を取ってしまうと直進はそこで止まる」
「ぬ、キングもプリンスも取れまセン」
「だから状況によって玉や太子が盾になる」
「なるほど」
火力は最大クラスだが、ゲームバランスが崩壊しないギリギリの線で調整されてある。
たぶん、この駒が生まれた頃は格の概念がなかったのだろう。
将に玉や太子を殺されまくったので、バランス調整がされたのだと想像できる。
「ちなみに貫通する駒は広将棋にもあってな」
『旗』という駒を取り出した。
口 ・ 口
口 旗 口
口 ・ 口
「これは広将棋の太子。玉が死んでも旗があれば負けにならない。しかも『招揺』に成ると玉を含めて縦横5マス以内にいる駒を貫通出来る。ただし味方は取れない」
・ ・ ・ ・ 口 ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ 口 ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ 口 ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ 口 ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ 口 ・ ・ ・ ・
口 口 口 口 招 口 口 口 口
・ ・ ・ ・ 口 ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ 口 ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ 口 ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ 口 ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ 口 ・ ・ ・ ・
「相手に取られたら最悪ね」
「酔象と違って最初から太子と同じ能力がありますし、垂らされて招揺に成られたら玉も危険ですね」
「死亡(デス)フラグ」
「でも旗は『高道』という駒が死んだら成れなくなくなるし、招揺も旗に戻るっていう弱点がある」
口 ・ 口 ・ 口
・ ・ ・ ・ ・
口 ・ 高 ・ 口
・ ・ ・ ・ ・
口 ・ 口 ・ 口
成ると高道の動きを二回することができる
「……変わったルールね」
おそらくこれも調整で追加されたルールだろう。
古将棋は駒の能力や制限で、どのようにルールが整備されていったのか妄想できて面白い。
「どれを入れ替えるか迷うな」
バランスを考えると飛車・角を飛将・角将に、桂馬を高道に入れ替えるのが無難だろうか?
高道が2枚あると旗の能力を殺しにくくなるので、入れ替えるのは1枚だけだ。
旗と無明は金と入れ替える。
「これでよし」
「本当にこれでいいんですか?」
「え」
「いただきます」
先手の先生が飛将を走らせ、味方の歩を殺しつつ俺の角将を取った。
香 桂 銀 金 玉 金 銀 桂 香
・ 飛 ・ ・ ・ ・ ・ 飛 ・
歩 歩 歩 歩 歩 歩 歩 ▲ 歩
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ▲ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ▲ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ▲ ・
歩 歩 歩 歩 歩 歩 歩 ▲ 歩
・ 角 ・ ・ ・ ・ ・ ▲ ・
香 桂 銀 金 王 金 銀 桂 香
例 初手で飛将を動かし、味方の歩と相手の角将・歩を取る
「初手から!?」
「味方の駒を取った場合はどうなるんでしょう?」
「自分の駒になるのは不自然ですから、相手の駒になるんじゃないでしょうか」
「めちゃくちゃなルールね」
先生が同士討ちで殺した歩を受け取る。
初手から展開がおかしい。
飛将の位置も微妙だ。
これを銀で取ってしまうと角将に銀と香車を抜かれる。
飛将で取るしかない。
同格の駒を取ったら動きが止まるわけだから、先生の角将は飛将を取ることが出来ても、その先にいる香車までは取れない。
そして俺は銀で角将を取れる。
香 桂 銀 金 玉 金 銀 桂 香
・ 飛 ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ 飛 ・
歩 歩 歩 歩 歩 歩 ▲ ・ 歩
・ ・ ・ ・ ・ ▲ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ▲ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ▲ ・ ・ ・ ・ ・
歩 歩 ▲ 歩 歩 歩 歩 ・ 歩
・ 角 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
香 桂 銀 金 王 金 銀 桂 香
『飛将・角将交換』だ。
「……初手から激しすぎるな。これは初期配置を工夫した方がいい」
「角頭か角道に無明を置くのはどうでしょう?」
無
角
あるいは
無
角
「なるほど。うかつに取ったら入れ替わってしまう、と」
「あれ? 無明を取った駒は盤上から消えるんでしょ? その場合どっちの持ち駒になるの?」
「……そりゃ、無明を取った側の駒になるのが普通だと思うが」
「それだとこうなりマスね」
「あ」
アリスが角将で『自分の無明』を取り、法性と入れ替えて、角将を『自分の駒台』に置く。
無←角将でこの無明を取った
角
「……これはまずい」
法性は強い駒だ。
自分で無明を取って法性を作り、なおかつ角将を持ち駒にできてしまう。
持ち駒は好きな場所に打てるから凶悪だ。
つまり『初手で法性に成り、なおかつ角将を好きな場所に打てる状況を作れてしまう』のである。
無明の配置を変えたとしても、自分で法性を作って貫通駒を持ち駒にできることに変わりない。
「無明を取られた側の持ち駒にするべきね」
できるだけ弱い駒と交換するのが肝だ。
「牌総(はいそー)もセットしまショー」
「なるほど。牌総は射撃駒では取れない駒だから、貫通することもできないってことだな」
「いぐざくとりー」
牌総を置く。
牌無
角
牌は中国語で盾。
まさしく最強の矛と盾の戦いだ。
玉と旗(太子)は貫通駒で取れないといっても、盾にするために動かすと他の駒にやられてしまう。
その点、牌総なら気楽なものだ。
優れているのは防御力だけで火力もない。
招揺でも取れない駒にするべきだろう。
ルールを整備して駒を並べなおす。
貫通駒では玉を殺せないから、鍵になるのは無明や旗。
招揺に成れば玉も殺せる。
高道も重要だ。
招揺は破壊力よりも、太子の能力を持つ上に縦横5マスに動ける機動力がこわい。
招揺に成られると簡単には詰まなくなる。
旗は高道の駒を取られると成れなくなるので、いかに相手の高道を取って招揺成りを防ぐか。
そしていかに相手の無明を取って法性に成るか。
それが重要だ。
牌総で駒を守りつつ、貫通駒で駒を奪い合う。
「……カオス」
「古将棋が本気出すとこうなるっていう見本だな」
盤上が寂しすぎて、とても持ち駒制度ありの将棋には見えない。
駒の火力が完全に持ち駒を打つ速度を超えていた。
打つ駒よりも取る駒の方が多い。
駒台には大量の持ち駒が溢れていた。
豊富な持ち駒を活かして詰まそうにも、相手が機動力の高い招揺ではそれもできない。
ただ招揺の動きは縦横5マスと直線的だ。
持ち駒さえあればいつかは捕まえられる。
盤上の駒は少ない。
限定された状況での読み合いなら俺に分がある。
「これでどうだ!」
法性で敵陣へ切り込む。
「法性取ればいいだけじゃない。法性は強い駒だけど、法性を取ったら私の駒と入れ替わるのよ?」
「へえ。どの駒で法性を取るんだ?」
「え」
瑞穂の手が止まった。
「ああ、玉じゃ法性取れないじゃない!」
そう、玉や太子、旗(招揺)で無明や法性を取ったら、その駒は盤上から消えるので詰んでしまうのだ。
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